ちょっと泣いてもいいですか?(上・さよならタイランド)

前日はしゃぎすぎたのがたたって、起きるとすでに10時を回っている。この時間にはすでに暑いタイバンコクカオサン通りに向かう予定だったのですが、いまいち気持ちが上がらない。とりあえずご飯と翌日カンボジアへ向かうバスのチケットを求めて、宿を出たのは昼過ぎのこと。映画からの帰り道に見つけた「うま食堂」なる店が頭から離れず、足は自然と向かう。唐揚げ定食と昼間からのレモンサワー。どちらも口にすることを夢に見ていた二品。白米と味噌汁が付いていて、どれも7割ほど再現されていました。その感動もさることながら、レジの奥にあるテレビ、映っていたのはなんとNHKでした。そしてドラマの「火花」が放送されている。なんとなく見ていると、井の頭公園、出発までの2年間、自分が誰よりも座ったと自信を持って言えるベンチが出てくる。友達の弾くギターに合わせて歌ったベンチ、オール明けのテンションでスプレーで髪を染めたベンチ、日が昇るまで語り明かしたベンチ。そして次には大好きな珈琲屋。バックミュージックはここで何度も聴いた斉藤和義「空に星が綺麗」


"口笛吹いて歩こう 肩落としてる友よ

いろんなことがあるけど 空には星が綺麗

懐かしいあの公園にちょっと行ってみようか?

最近忘れてること なんか思い出すかも"


昔からこういう時に、大げさですが僕は人智の及ばないものの存在を感じます。偶然入った店、時間。それらが定められているかのように自分という人間に合致する。そんな瞬間が時々やってきます。そんな大きいことではなくとも、晴れた気分にさせてもらえる。そのあるものの存在を、僕は嬉しい出来事が起こった時は信じたくなる。悪いことの原因は自分の中に見つけられるから。おかげでいい気持ちにはなったものの、疲労感は取ることができない。カオサン通りにはいかないことにしました。もう1泊延長してトライしても良かったのですが、店から出てそのままバスターミナルに向かい、悩んだ結果、翌日早朝発のバスを予約しました。バンコクでは一番楽しみにしていた場所ではありましたが、不思議と「いいや」という気持ちになって。こういう漠然とした思いには救われてきたことが多いので、直感の言うことを聞くことにしました。後で後悔するかもしれませんが、考えてもしょうがないので。もうこの日はこればかり、あとは宿に帰ってゆっくり。最後のタイ料理を夕食に食べ翌日に備えました。


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翌朝は伝えていたにも関わらず宿のスタッフが起きてくれない。部屋の戸を叩いても一向に反応がない。そのせいで最初に渡したデポジットを返してもらえずモヤモヤした気分のまま後に。ギリギリまで待ったせいで、タクシーでないと間に合わない時間。バンコクの道路は朝から混んでいて高速を使ってもらう他ありませんでした。


東南アジアでは初めて、カンボジアへの入国はビザが必要になります。そうなるとやはり緊張感のある国境越え。たまたま席の隣が日本人の方でしたが、僕のルックスに非があるのか全く話しかけてもらえない。声をかけても、軽く返してもらえるばかり。しばらく続けると相手も慣れてきたようで、軽い会話をしました。他にも何組かグループがいて、東南アジアには本当にたくさん日本人がいます。時期も春休み、ほとんどが同年代の学生。このバスはありがたいことに、水、ジュース、缶コーヒー、お菓子、昼食が付いていました。今までなかったことなので感動もします。座席も居心地がよく、ゆったりと、それでも国境が近づくと緊張感。迷路のように分かりづらく、不安になりながら、他の日本人の方に教えてもらったように進むとそれが間違えだと気づいた相手が追いかけて、連れ戻してくれました。一旦話せば、どの国よりもやはり親切なのが日本人。お礼を言って、同い年の彼と出国を済ませる。僕以外はあらかじめビザを取得していたので途中で別れ、30ドル払ってビザを取得。顔写真などは必要でしたが、スムーズに事が運ぶ。国境を跨いですぐのところにあるショボいカジノの中にあるトイレで安心からくる小便を済ませる。しかしこの一見うまく行ったかに見えた国境を越えが後に悲劇を招くことになりました。


カンボジアに入ってからは何も問題はなく、バンコクと打って変わって田舎道を走っていく。シェムリアップに到着したのは夕方ごろ。バスは宿まで歩いて行けるところに止まって、両替をするとドルが渡されます。リエルという自国通貨はありながら、ほとんどドルが使われていました。穏やかな田舎町といった雰囲気の中、宿までの道。必要以上の安心感がある。あまりに緩むと後に控えるインドで痛い目にあいそうだと思いながら。宿に着くと1つ嬉しい事がありました。ラオスでのルアンパバーン、ナイトマーケットで会った同い年の人と再会。僕はタイを経由して、彼はベトナムを通って。同じ人に2度出会うのは初めてでとてもいいものでした。正直僕は言われるまで気がつかなくて、相手が僕の顔よりも髪をしっかり覚えてくれていた。そう、こんな時には便利です。他2人と連れ添って夕食を屋台に食べにいく。一食2ドル、ビール1ドルとなんとも経済的。このうちの1人が翌日ベンメリアに一緒に行く人を探していました。名前知らなかったその場所は「天空の城ラピュタ」のモデルになったとか、なってないとか。ジブリ好きとしては思ってもない提案にふたつ返事で「いく、起きれたら。」特に予定も立てていなかったので、喜ぶ相手以上にこちらの喜びの方が勝る。それに備えて眠りました。


二台のついたバイクでゴミ箱を回って、おそらくお金に換えられるものを探している。そんな姿をよく見かけました。大抵は大人の男性と小さい子供が1人付いています。恐らくは親子。そんなに大きなお金にはならないはずです。世間は温かい目は負けられないかもしれません。生きることの難しさは、生まれた国や家で大きく変わってしまう。そんな中で、他の子供よりも鋭い目つきをしているように見える、そんな子供たちが強く育ってほしい。もしかしたら5歳ほどにして、僕よりも強いところが少なからずあるかもしれない。観光が主産業のこの街で、旅行者たちは彼らの姿をどう見るのでしょうか。(続く)


コンクリートジャングル

昼過ぎに宿を出てバンコクへ行くバンを探す。ホステルの従業員が教えてくれた場所(セブンイレブンの前)に行ってみたものの、それらしいものは見当たらない。ここでは5分も歩けばセブンイレブンが1つはあるから、他の店舗のことだったのか。近頃はなかった、道行く人に尋ねまくる古典的な方法で停留所を求めて歩く。誰も気さくに、笑顔で教えてくれる、タイとはやはりこういう国です。やっとみつけて安心、バンコクまで60バーツで連れて行ってくれるらしい。公共機関がこの運転、日本ならすぐに業務停止命令を喰らいそうな、スピード、ブレーキ、僕を襲う睡魔も、ことあるごとに去っていく。そしてまた襲う。そんなことでバンコクに入る。思っていたより、中心部、泊まる宿からは遠いところで降ろされて、目の前には駅がある。


長距離列車、寝台車などは何度も使ってきましたが、都市部での短い電車を使うのは初めてです。その車体からも、また車窓からのぞく風景からも、この都市の発展具合に驚かされる。それは電車に乗り込んでから、30分ほど経って降りるまで、ずっと続きました。立体になった道路、建ち並ぶ高いビル。何より清潔な車内、CMが流れるモニター付き。バンコクがどのような場所かぐらいは知っていろよという声、最もです。トランジットではここの空港を使い、機上からかなり栄えているらしいという印象はあったのですが、これはもう大都市です。ものの質感が多少落ちるとはいえ、日本の都市で比較できるのは東京くらい。普段はせずに、帰った後にしっかり照合しようと思っていることですが、GDPを調べてみると、人口が物をいう指標ながら、今まで訪れた国で最上位に位置することを発見する。僕がどんな感想を抱いたか。そこには懐かしさ、安心感。自然について偉そうに弁を垂れたここ最近、急に態度を変えて、定まらなさが痛いところですが、自分はやはりコンクリートジャングルの中で育ってきた。習慣、信頼、それらによって生まれる親しみの情は、家族や友人はもちろん、囲まれてきた環境、物質、そして行動にまで及んでいます。そういうものは今さら変えられないし、自分で選べるところも多くない。


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一度宿に着き、電車で流れたCMの中に見つけたUNIQLOにどうしても行きたくなりました。出発まで2年間アルバイトをさせてもらったところ、会っていない友達に会うのと同じ感覚で。4kmの道を歩いて、途中大きなデパートを何度もやり過ごしながら、ラーメン屋を横目に食欲を刺激されながら、1つの商業施設にたどり着きました。大きく、高いこの中には世界的に有名な高級ブランドも多くありました。UNIQLOも扱われている商品はほとんど同じ、ただポスターなどはタイ人のモデルが起用されていて、密着を目指していることがうかがえる。何度も畳んだ商品を見て、必要に駆られてしていたバイトも、今だけはポジティブばかりに捉えられる。何かを買うわけではなく後にし、エスカレーターを上ってみる。そこにはなんと紀伊國屋がありました。そしてここにきて、僕の気持ちの高まりは最高潮に達する。もしかしたら日本の本も。期待通り、心を優しく撫でてくれるように、そこにはたくさんの書籍が並んでいる。人もたくさんいる、タイには日本人が本当に多い。バッグはもうほとんどスペースがないのだけど、文庫本を2冊購入。目が潤んでいました。


こうして僕は日本に帰ってきた時に味わえるだろう大きな感情を少し縮小する形で、その場しのぎな幸福を得ました。また引き寄せられるように映画館の方へ行き、ほぼ無意識にチケットを購入している。1本100バーツ。IMAXとかそういう言葉も当たり前に並ぶ。タッチパネルによるチケット販売。きわめつけはラーメン屋。そして流れていたのは尾崎豊。日本語で行われる接客。ラーメンと餃子。もう止まらない。21時半の映画を前に3時間ほど、1度宿に帰ることにしてまた1時間ほど汗を流しながら。この旅のおかげで好きになれたものの中に、日本はおろか、東京という街を加わりました。幸不幸、僕はコンクリートの中で育ち、帰る場所も今はそこにしかない。そこからあまりに離れた場所で暮らすことは少なくとも今はできないだろうと思う。


シャワーを浴び、着替えて再び映画を観に出かける。さすがにここは電車を使って。最新作の情報なんて少しも入ってないので、SNSで友人たちが話題にしていた恋愛もののミュージカルを1人で見る。周りはカップル、夫婦ながらも気にせず、始まる直前に亡くなった王様への追悼の映像が流れて、全員が立つことを強要される。この時に、少し魔法が解けたかのようにタイにいることを思い出しました。ラストに切ない気持ちになって、帰りはまた歩いて帰る。これでトータル10km以上、最近は歩いてばかりいます。なんだか、久しぶりに切ない気持ちになって、映画のチョイスは正解ではなかったと思う。何をすることもできない今、くだらないコメディなどが最適だったかな。そんな行き場のない気持ちを、くるりを聴いて更に複雑にさせながら、帰ったのは深夜1時。名高いレディーボーイの多さへの心配も、この時間まで車通りの多い道をまっすぐに進むだけなので、遭遇することもなく。眠る気も起きないので、ロビーでしばらく読書をしてやっと就寝。


なんというか、僕はもう日本にいました。カラオケを前にした時は、よっぽど入ってやろうかとも思いましたが、せめてこれだけでも取っておこうと思いとどまる。これから始まるインドや南米での日々の前に、いい息抜きに。圧倒的な都会も、久しぶりにみるとよく見える。間違いなく今日は、人生で一番、それをいいものだと思いました。お前は海外で何をしているのかと言われれば、確かにそうだけれど、我慢をするために来ているわけではありません。その国がそのままわかればいい。バンコクはこんなことまで出来る街でした。小旅行で来れば、絶対こんなことはしないだろうけど、今の僕は可能であればしたいと思う出発から3ヶ月。


チェンマイが第2の都市と言われることから想像していたバンコクとは全く違って、ここだけはもう別世界でした。同じ国とは思えないというのが率直な感想。都会に行けば行くほど、ホームレスの方を見かける。そんなことも添えて、あと数日、この便利さを満喫して行きたいと思います。


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夢がなくて、すみません。この近くにバックパッカーの聖地があるなんて信じらない。

お尻が大きくても白パンを履ける勇気が僕にあったなら

チェンマイからアユタヤに向かうため駅に向かい、チケットオフィスに並んでいました。こういう場所で、おばさんという存在が必要以上に手間取り、後ろの人間にじれったい思いをさせるのは万国共通なようです。磨かれていると思った忍耐力もまだまだ、今回のおそらくタイ人であろう女性は時間とともに、お尻を後ろに突き出し、白いパンツを履いたそれを上下左右に振る。視覚的にも試練を与えてくる。スタイルをもろにさらけ出す必要のある明るい色のパンツ、僕はどうしても敬遠してしまい、クローゼットの中には暗いものばかりが並びます。周りの声を気にすることは大方意味のないことだと思いながら、やはりこんな小さなことに踏み出せない自分がいる。好みもあるでしょうが、下着の形も剥き出しにしながら、自信満々にお尻を振る勇ましい姿に、かっこいいとはこういうことかもしれない。


前日の疲れを癒すため、と思いつつ電車のチケットを取るために4kmの道を往復して駅まで行きました。18時発、そしてアユタヤに着くのは朝の5時前という電車。それにしてもチェンマイもいいところでした。歴史的な建造物と人が暮らすスペースの調和がうまく取れている。飲食店に困ることもないし、満腹を望まなければ一食100円台で大丈夫。そして口にあうからありがたい限りです。価格にこだわらなければ簡単に洋食も日本食だって食べられる。寿司という提灯を下げた焼肉屋がありました。一歩国境を跨いだ文化は、手を替え品を替え、現地の文化と融合した新しいものになる。「サワディーカップ」「コップンカップ」笑顔で言ってくれるこの環境が好き。アフリカや中東はある程度お金を払うところでないと笑顔の接客なんて得られない。屋台でも笑顔を見せてくれるタイ、自分の精神的にも優しい国です。


17時には駅に戻って列車を待っている。もらっていたチケットを受付で見せたのだけど、僕がそれをポケットに入れていたためにちょうど列車番号が消えてしまっていた。これはなかなか騒ぎになって、ドミノ式に偉い人が出てくる。最終的に乗る電車の長が登場し10人ほどを巻き込んで事態は収束。この人がタイ人には珍しく長身で60前後だろうという年の、制服の似合うかっこいい人でした。親身に解決へ導いてくれて、車内であっても微笑んでくれる。やっと乗り込めた電車は予想に反して、とても快適なものでした。汚いのが当たり前と散々刷り込まれてきたので、清潔な寝台車は夢のよう。どの程度かというと、もうここに住みたいと言うくらい。2等車で、両サイドに対面式の椅子があり、暗くなると上からベッドを下ろし、座席は変形式で2段ベッドになる。向かいに人がいなかったので、のびのびと満喫。早くも強い眠気に襲われて、21時前には就寝。朝も4時ごろに目がさめる。普段ではありえないことなので、やはり体も緊張モード。日本でもこれほどまでではなくても、もう少し緊張感を持った生活を送りたい。定刻を少し過ぎて、5時過ぎにアユタヤに到着。だんだんと明るくなる空。この時間でも駅前には屋台があり、レストランも空いていたりする。空腹だったし、きっと宿にも入れないだろうと、朝食を食べる。日本語で話しかけてきたおばさん、炒飯を頼むと「とり?」と聞かれ、うんと答えて待つと、シーフードの炒飯が出てくる。20バーツ多く取られ、釈然としないまま、どこか居座れる場所を探しに歩く。朝日を浴びて、たまにする度に朝活とはいいものだと思う。そんな時は明日から朝型になりたいと考えたりもするけれど、結果はご存知の通り、続かない。早起きはそのまま中高の朝練を連想させて、寝起きに吐きそうになりながら走ることがセットになっていた時期の、もうだいぶ前のことを未だに引きずっている気がする。言い訳です。そろそろ、そんなことともおさらばしたい。


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結局8時ごろには荷物だけでも置かしてもらおうと宿に行く。14時チェックインにも関わらず、親切に部屋へ案内してくれる。「今晩はあなたしかいないの」12人部屋に1人。2つのトイレと2つのシャワーが全部僕のもの。それなりに寝られていたので、昼前から街の散策に出かける。ここらは野良犬もちらほらいて、情報ノートには歩かない方がいいと書いてあったけど、気にしない。1度だけ、目がいってるという言葉に合う、狂犬病の疑いがある犬に遭遇して恐ろしくなった。今日は舐められず、吠えられもしなかったので。鋭い眼光で対面するとか、そんなことに意味があるのかはわかりませんが、ようは気持ちの問題です。


世界史で習ったアユタヤ朝。その遺跡は街のいたるところにありました。1つ1つ規模が大きくて、5つ回ったらそれなりに時間も経つ。石ばかりでできた古い寺院の中に入る。高さもあり、当時の壮麗さは考えつく。でも、実際にここに王朝があり、営まれていた生活はどうも想像しづらいものがあります。それだけ現代とは異なって、なおかつ立派なものばかりだったので。戦争の中で、寺院の破壊が相次ぎ、ほとんどの仏像は原型をとどめていません。中には首だけないものもある。これらは見ているだけでも感じるところがあり、顔のない仏像が並ぶ光景は、日本でもこれほどはないような諸行無常の響き、盛者必衰の理を帯びています。落とされた首が菩提樹の中に埋もれ、持ち上げられるようになっている、有名なものも目の前にしました。圧倒的に人だかりができていたので、遠くからもあそこにあるだろうとわかるぐらい。観光客はとても多く、地理的にも、時期的にも、学生とおぼしき日本人の姿もたくさん見かけます。ほとんどが複数人できているので、付け入る隙はなかなかないのですが。国籍関係なく、基本的には話しかけられたら話すスタンスでやっていきます。ここの規模は、アンコールワットと比肩できる、東南アジアでは数少ない場所だと思います。早起きのため、途中から眠たくなって、220バーツのチケットで入れるところだけ入って帰ってきたのですが、この地域の歴史に強い興味がある、遺跡好きという方にはたまらないスポットに違いありません。お寺疲れの溜まった僕にも、この遺跡群は他と一線を画す、かなり興味深いものでした。それでもそろそろお寺めぐりと休憩ばかりの生活から離れたい思いも強く、カンボジアを最後にインドでは違う楽しみ方をしたい。仏教のお膝元に他のものを期待するのは間違っているのかもしれませんが、面倒臭い人の絡みなどがエジプトから1ヶ月、また恋しくなっています。ましてや英語の使える地域にまた入られるのは嬉しい限りです。ヒングリッシュ理解できるだろうか。


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これからバンコクにバスで向かい、数日後カンボジアへ。カオサンロードは僕をどんな気持ちにさせるのか。パリピならともかく、今の自分、タイひとりぼっちの僕には風俗に舞い込む気力もないですし、何かしら別ところで魅力を見つけらたらと思います。困ることのない食は、最近は生活の大きなベクトルを占め始めています。美味しいものを食べられる。結局幸せは単純なところにあって、それを感じられるか、られないか。


アフリカの植物は鋭いトゲを持っているものばかりでした。よく歩いていて引っ掻き傷をつけられた。アジアにいる今、それはわずかな種類に限られています。近頃は植物、自然の話が続きますが、やはりそれぞれの環境において作り上げられたものがあるのだと思います。東南アジアの豊かな水に育まれた自然の中、種を残すことが容易な大地。一方で荒野の中で、少ない植物は動物にとっても貴重な食物。種を残していくには自らの身を守る必要がある。植物学を全く解さない僕ですが、1つの命を遥かに凌駕した時間の流れの中で、生きようとした、生き抜いた証ではないかと推測してみます。



"海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに

わたしのなかに みつけられたから"

木村弓「いつも何度でも」より


この曲をかなりしみじみと聴ける今の心情は、かなり恵まれたものであり、覚和歌子さんの言葉は胸に刺さるものがあります。近いところまで来ています。でも何かまだ、あと少しはっきりと呑込めるところまで持っていけたら、そして絶やさぬようにできたらと思います。求める形は、「日本最高」というラスト、そのスタンスは今のところ変わっていません。ご安心を。


少年時代への巡礼

今僕が泊まっているホステル。部屋は入ると縦長で、両サイドに3つずつベッドが並んでいます。ドアにに近い2つのベッドは、やたらとフ○ックを連呼するお姉さん2人組が使っている。朝起きてトイレに向かった時、彼女たちはまだ寝ていました。その寝姿が、うつ伏せの顔の方向、手足に至るまで綺麗に対称になっていたんです。なんというシンクロ、よっぽど深いつながりを持つ2人なのか。僕には純粋に面白くて「今日は絶対にいい1日なる」と確信しました。


充実したけど、ハードだった。明日は歩けないかもしれない。


そんなことから始まった日は、前日たっぷり休んだぶん、しっかりチェンマイを見ようという心意気でした。ただ調べると出てくるのは寺ばかり。他のアクティビティは距離があったり、料金が高かったりと、決めることに苦戦する。有名な首長族には興味があったのですが、上の2つの理由に阻まれ断念。実際に見たら多少気味が悪いという表情を出さない自信もありませんし、それが相手に伝わるようなことになればお互いにやりどころがなくなってしまう。テレビで見るくらいがちょうどいいでしょうと自らを納得させてみました。ここには日本と同じように自然があります。到着した時からそんなところで過ごしたいと思っていました。そんなところはないか、どうか、あら、見つけた。ステープ山の1000m地点にお寺があるらしい。その途中に滝などもあるということだったので、森林浴ができたらとそこに決めました。


9時ごろに宿を出て、帰ってきたのは16時ごろ。7時間、いったい何をしていたのか。


まずは当然ですが山の麓まで、途中朝食を摂りながら、4kmの道のりをこなしました。久しぶりの缶コーヒーを買って飲みながら。明確な入り口などがなく戸惑いましたが、観光客はそれなりにいて、みなさんバスやトゥクトゥクで上がっていくようです。ここで1つの選択を迫られます。便乗して乗り物にお世話になるか、我が道を歩いて進むか。来た目的からして後者だろうということになったのですが、これが正しかったのだろうか。まずは1つ目の滝へ。ラオスでクアンシーの滝に行ったから、僕の目は肥えてるぞ。やはり大したことはない。ルートがよくわかっていなかったのですが、滝の脇に道が伸びていて上まで続いているようでした。その道を進むことにして、勾配を登っていく。息は早くも切れてきましたが、既になかなか眺めがいい。これは序の口で、しばらく登ると開けたスペースに出て、相変わらず上流からの小川が流れる場所にたくさんの蝶が舞っている。虫取りを一生懸命にしていた昔を思い出して、日本にはいない鮮やかな羽の色を見ているだけで安らぐ。トンボも多く、シオカラトンボよりもさらに濃い、紫に近いような青を持ったものが目の前にとまる。小川にはよく見ると、メダカやオタマジャクシ、アメンボの姿。生き物が好きな少年時代でした。いつからか、触らないものが増えたり、目もやらなくなったり、そもそもそんな場所に行くこともしない。当然といえばそうかもしれませんが、忘れているだけ。今もそれらをゆっくり見続けられる自分を再発見。


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そこからはより緑の深まった道を、汗をかきながら登って行きました。ずっと住んでいたマンションの裏が元々山だった名残から、雑木林というのか、勾配に木が茂っているスペースがあるんです。今は立ち入りが禁止されていて入れないのですが、いやもしかしたら当時から禁止だったのかもしれません、小学校から帰ると野球をするかここに入って探検するか。自分が小さかったのもあるでしょうが、それなりの広さがあって秘密基地を作ったりもした。あれ見つかるとすぐに壊されてしまうんですよね。そんな時の記憶が強く蘇ってきて、ワクワク、1人で楽しんでいました。社会に求められるものに対応しようと、変わった気になるけど、根本は変わらない。ましてや、つい10年前までしていたことです。今回のこれが無ければ、遠からず消えてしまったのかもしれませんが、行動が伴わなくても持っててもいいもの、情景というのはあって然るべきだと思う。そんなことをタイで考えるなんて思ってもいなかったことです。


中山道は無くなって、道路を歩いたり、また山道に入ったりしながら、だんだんと足は悲鳴をあげ始めます。一度はじめてしまったからには、やりきりたい。疲労感もありながら、とても楽しんでもいました。こんなことしている人は、僕のほか3人しか会いませんでしたが構わない。2つ目の滝はお寺が併設されていて、古い石像が並んでいたり、小さな滝の上に仏像があったりと素敵な場所でした。しかしここで間違いを犯します。地図アプリも山の中で多少の誤差があり、道だと思ったところは道ではなかった。手も足にして進んで気づいた時には引き返すのも大変なところにいました。小さな滝を登るような具合だったので、もっと早く気がついてもよかったかな。最後は草をかき分けるようによじ登り、体にいろんなものを付けながら、道路に出ました。もし上に人がいたら、ガードレルから這い出る手と僕はホラーだったと思います。


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ここを這い上がりました、、


そして最後の山道へ。ここはかなり急で、木だけのけてあるようなところでした。普段は絶対に思わないことですが、この時ばかりは思いました。自分はすこし変かもしれない。汗と虫にまみれながら、タイでこんなことをしている自分がおかしくて笑えました。スピッツを聴きながら、水もなくなる。目的地を前にカメラの電池も切れる。何とも自分らしい。飼い犬だったのか、野良犬だったのかはわかりませんが、生まれて初めて犬に追いかけられるという経験もさせてもらいました。やっぱり犬は怖いもの。ルートを変えながら、ようやく目的地に到着。コーラをがぶ飲みして、昼飯をほうばる。


お寺へ続く階段はもう足も言うことをきかないなか懸命に。苦労が報われるように、金ピカに輝く仏塔と多数の仏が安置されたドイ・ステープ。その仏塔の周りにたくさんの風鈴のようなものが吊られていて、人の流れが途絶えるとすぐに美しいおとを届けてくれました。これが癒してくれる。一画は見晴らし台になっていて、そりゃあ疲れるわと言うほど綺麗な景色がありました。運動不足の今、人工物ばかりだったこの頃にアクセントの加えられるいい計画だった。


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これほどのことを経て着いた場所から、元の宿に帰るのはたった60パーツ(200円以下)。すこし虚しい気持ちにさせられる。前に座っていた男性はどう見てもアジア人。聞くと100%日本の血を引く、日系4世の方でした。タイの前は日本で広島を訪れたと聞き、アメリカ人でありながら、その体を流れる血と、彼がどんな風にそれを見たのか想像の及ばないことですが、とても興味深いことであると思いました。そしてトゥクトゥクの車バージョン、形はまるで霊柩車の乗り物は、しっかり宿まで送ってくれました。山を下り切るのに20分ほどかかったので、自分のしたことを少し誇らしく思う。


この想像は易いと思いますが、この後は休むばかりで終わりました。運動後の美味しいビールを1杯飲んで、8時頃にはチェンマイ名物カオサーイを屋台で。なぜだか、山を登る前から小学校時代を思い出し、登っていてもそれが深まっていく不思議な1日でした。


"いつまでも絶えることなく友達でいよう"

「今日の日はさようなら」より

"何年会わなくなれば他人になるともだち"

斉藤和義Summer Days」より



卒業シーズンでもありますが、思えばほとんど会っていない、当時の友人たちは今どうしているだろうか。タイにいながらとても気になって、あれから10年、変わらないところをお互い見せ合えるような機会があればいいなと思います。明日から場所を変えようと思っていますが、もう頭もあまり働いていないので、起きて考えます。また慌ただしい日が待っている。


今日の日はおやすみなさい。

「微笑みの国」から

このところ食べているものの中に虫を発見することがよくあります。特にスープ系の料理には、それこそ付き物のように。いつまでかの自分なら、発見した後は嫌になって残したかもしれない。今の僕は気にせず完食できるんです。それを喜びはじめたら、ただの変人なんでしょうけど、よっぽど枠をはみ出さない程度に気になるものが少なくなるのは成長でもあるんじゃないかな。大切なものは、なんだろう。たくさんの星を旅した星の王子さまと、自分を重ねたりしています。でも「大切なものは、目に見えないんだ」って。毎日たくさんのものを自分の目で見ているけど、ただ見ただけじゃだめなのかな。見たからこそ、そこにはない大切なものに気がつくのではないかな。そしてバラのことを考えたりします。ありきたりだけど、特別なんです。もともと持っていたのかすらあやしい自分ですが、広く捉えさせてもらうと、やはり大事なものが待っている。僕が帰るのに距離は問題になりません。気持ちです。王子さまよりはよっぽど簡単だろうけど、自分にとってはまだ難しい。それまで、どうか枯れないでいてください。


午後6時に出発したバスは順調に走っていきました。隣の席はJICAの支援で日本にいたことがあると言うおじさん。ラオスではかなりのエリートだと思います。最初は肩や足が当たることに、嫌悪感を抱いていました。なんとも小さいですが、他人と触れるのが苦手なんです。日本語で話しかけられてその気持ちはかなり和らぎました。単純というか、調子がいいというか。何度か目覚めながらも翌朝7時に国境に近いバスステーションに到着。2時間ほど待って次のバスに乗り込む。


タイへの入国。これは今までで最も簡単でした。荷物をチェックされるでもなく、長時間待たされるようなこともない。国境では苦労ばかりで、いい思い出はなかったので、順調にいくということがとても嬉しかった。出国、入国と難なくにスタンプをもらいました。そして3台目のミニバスに乗る。アメリカ人かというような、かなりヘビーでノリのいい運転手さん。かなり飛ばして、頻繁に前の車を追い越していく。怖さから、僕だけシートベルトをしていました。ケニア以来、久しぶりの右ハンドル、左側通行。運転がしたくなる。


途中の休憩所には日本のお菓子がたくさんありました。コアラのマーチなんかは日本語で書いてある。ずっと欲していた「おいしい」と書かれたペットボトルの緑茶。飲んでびっくり甘い緑茶。中国ではと聞いていましたが、タイ、お前もか。日本人は絶対に「おいしい」なんて言わないからな。


車線が同じなのもあってか、田舎道の風景はさながら母国にいるみたいでした。山の麓に点在する民家なんか、神奈川も西の方に行けばよく見かける。このまま真っ直ぐに進んだら、日本に着くんじゃないかなという気持ちになりました。たくさんある畑に備え付けられたスプリンクラーはスタンドがあって、上部が回転して水が撒かれている。これが大きなたんぽぽの綿毛みたいで、綺麗でした。区画の整った田圃が並んで、街が近づくと頻繁にセブンイレブンがあるんです。おにぎりが売っていたら嬉しいな。14時ごろにチェンマイに到着。かれこれ今回も20時間近くかかりました。途中は座っているだけですが、休めているかと言われたらそうではありません。猛暑の中、宿まで歩きました。滞在の評価も高く、なおかつ1泊300円ですよ。天国か。


部屋も快適で心地がいいので横になって休む。チェンマイには、イェルサレムと同様、旧市街と呼ばれる区画があって。あれほどの城壁があるわけではないにしろ、壁で覆われています。そこから歩いてすぐのところに泊まって、夕方ごろ食事を求めて散策。屋台が歩道に並んで、それまで3食はお菓子で我慢していたので、はしごして空腹を満たす。2軒目はSUKIYAKIという料理を50バーツで。日本のそのものではありませんが、おいしかった。"幸せは雲の上に 幸せは空の上に" あとはもう帰って休むだけの日。


翌日も消極的な日にしようと思って、半分はベッドにいました。暑くならないうちに朝から旧市街を散歩。何も調べることなく、行き当たりバッタリで。タイもワット、ワット、ワット。お寺がこれでもかというほどあります。たまたま通りから外れたところに、他よりも古そうなものが1つあったので引き寄せられるように入ってみました。工事中ではありましたが、自然と調和のとれた落ち着けるところ。自然との親和力を持つ、これは仏教の魅力ではないかと思います。建物の中に入ると、お坊さんが3人家族に説教をしているところでした。笑顔で話すこの人がとても感じがいい人で、鶴瓶さんもこんな方ではないのかなという、人の懐に入っていけるような話し方、笑顔の持ち主でした。普段はしないことですが、どうしてもこの人を残したくて写真を撮らせてもらう。別れ際に「さようなら」と言ってくれました。


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微笑みの国。笑うことの大切さを教わるこの旅で、どんなものかと楽しみにしていました。ただ発展する中で、薄れていくこの国の特性。街中でそれを感じる機会は、残念ながら多くありません。その精神の尊さを今に残してくれている人。名も知らぬお寺の境内に1人、この旅で得たものは間違ってなかったと教えてくれる場所。


そのあとはカフェに行って、サンドイッチとスムージー。最近どうも甘いものが欲しくなってなりません。長く人と行動を共にしていたことで、胃袋も大きさを取り戻したみたいです。食後のコーヒーをすすりながら、落ち着いて考えを整理する時間。少し高くつきましたが、おいしかったからよしとします。宿に戻って夕方まで、またダラダラして、日暮れの時に近くのお寺を見て周る。疲れているのか、冴えているのか、変なところに目が行く日でした。赤いものばかりの風景にシャッターを押す。アップで右乳首越しの大仏の顔を撮る。ゾウの置物を見て、あいつらはエロ目をしているなと思う。セブンイレブンで野菜ジュースとあんぱん、カップヌードルを買って帰る。できるうちにしておかなければ、これはきっと東南アジアだからこそできること。そしてまたベッドに入りました。休まった感覚は十二分にあるので、明日はまた動いてみようかな。チェンマイは街並みが整い、緑が植えられ、歴史ある建造物が並ぶ中に不便さはほとんどないに等しい。そんなところです。


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上の出来事。これは今日のことなんです。最近は更新が後々になっていました。せっかくの旅行記は、得た感情に鮮度があるうちに。賞味期限は3日くらいあって、なんとか辿って書くこともできる、食べられないことはないけれど、やっぱりできたてが1番美味しいよね。そんな気持ちなんです。またこれから先どうなって行くかはわかりませんが、気持ちを新たに。今日で出発から3ヶ月がたちました。新しい月のはじまりに、お互い頑張っていきましょう。

あの日と同じメコン川

備えあれば憂いなしとはよく言ったものですが、あまりの物質的な備えは起こるかもしれない事態を暗示しているようで、気持ちの上に重力を強めます。例えば、船の座席にむき出しのまま備えられた救命胴衣。


人は川や海を前にして、船を彫ることを覚えた。詳しいことはわかりませんが、人間が生み出した最初の乗り物ではないでしょうか。それでいて今では多くの人にとって、1番縁遠い乗り物かもしれません。僕はテーマパーク別にしたら、数えられるほどしか乗ったことがない。そんな船が今でも生活に欠かせないこの街、ルアンパバーン


2日目は朝からパクウーの洞窟にいきました。船でしかいけない断崖絶壁に建てられた寺院。朝早くからトゥクトゥクが宿まで迎えに来てくれる。そして川辺にあるボート乗り場まで。そこでチケットをもらい、出発を待つ。朝晩はいくらか冷え込む、この時期の東南アジア。寝起きの僕には気持ちがいい。そして乗船。大河メコンはアジアの複数の国々にまたがって、人々の暮らしに恵みを。そして交通のためにも役立っています。去年までの2回のベトナムではメコン川のクルージングツアーに参加しました。初めはその大きさや、水上で生活する人々の姿に驚かされたのを覚えています。


1度のトイレ休憩を挟んで舟は進んで行く。水上のガソリンスタンドやレストラン。両岸には牛や水牛の姿が見受けられます。小舟に乗って釣りをする人。洗濯をする現地の人々。とにかく穏やかなんです。思った以上に長い道中、寝てしまう人も多い。油断すると水を浴びたりもする。理由はわかりませんが、途中もう一艘の船から乗客が全員移ってくる。故障でもしたのでしょうか。6人でゆったり使っていた船内は、ほとんど満帆になる。それに加えて移ってくだ人々は人種は様々なれど、体躯はヘビー級。水にかなり沈み込むようになりました。結局1時間半ほどかかって到着。40分後に再び船にという意外とタイトな制限付き。


入場料20,000キップを支払って入場。着くなりすぐそこに1つ目の洞窟があります。階段を少し登って内側に入ると、そこには無数の仏像が並んでいる。一方にではなく四方、囲むようにして、大小様々な大きさの神様の目を浴びて。ただビエンチャンではより多くの数を一度に目にする機会があったため、それ自体に大きな感動はありませんでした。ただ何でこんな場所、断崖絶壁に建てられているのかという不思議。さらに上に続いていく階段があり、もちろん登ったのですが、10分程度の道中、20人ほどいるお菓子を手に売っている子供達の姿が痛ましくて。自分が置かれた状況理解してでの顔なのか、大人に教えられた、見よう見まねで作る表情なのか。子供は本当に好きなんですが、自分の意思で立っているはずがなく、その裏にあるものへの怒りに近いものを覚えます。最初は単に親たち、しかし考えれば考えるほど、その背後にいるものは大きさを増し、得体の知れない黒い影が現れます。そんな気持ちでついた頂上には、懐中電灯がなければ歩けないほど暗い洞窟の中に、やはり仏像が並べられていました。思ったほどの眺望もなく、決められた40分の滞在は、階段を降りて終了。何でこんなところに?という面白さは、もう何遍も味わってきたので印象は薄く。ただ目的地以上にメコン川で揺られたことの方が大事に思うツアーでした。


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概してラオスの仏像は目が細く、離れているのが特徴的です。細いのは一般的だとは思うのですが、眉間が広いのは何かしら尊いイメージを与えます。ケニアの学校にシャリーンという女の子がいて、ちょうどこんな顔をしていた。10歳程度ながら、どこか落ち着いた印象を与える顔。彼女のことを思い出しました。ラオスに連れてきたら、人々に拝まれるようなことが起こるかもしれません。ああ、恋しい。


昼食を摂ってから宿に戻りました。さすがにここで詰めてきた予定も終わり。大事なポイントはかなり押さえたと思います。翌日に弟は日本に帰ることになっていたので、荷物を準備。お互い昨晩はシャワーを浴びていなかったので、昼過ぎに順に済ませる。それなりに疲労も溜まり、ベッドで休憩。そしてカフェに行きマッタリ。僕自身、次の行き先も決めていなかったので悩む。挙句、タイのチェンマイに決めました。夕暮れ時になって、2日連続、この日は川に近いところから夕陽を見ることに。


前日とは打って変わって、人は僕たちを含めて数組しかいない。相変わらず夕陽のよく映える空。色味を刻一刻と強い暖色に包み込んでいく太陽。人の動きによる感情も心に入り込んできたのとは違い、ほとんどその美しさで満たされる。視界の両端には木々があって限られた構図の中に、タイミングよく船が入り込んでくる。陽を受けて形ばかりが黒く浮き上がっている。考え事も吹き飛んで、理由もなく涙が零れそうになる。いつまでも、いつまでも見ていたいと思う。黄昏のこんな時間が僕は何より好きです。


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その近くにあったレストランに入って、2人で最後の晩餐。焼き魚をこれでもかと言うほど綺麗に平らげる。兄弟の間にあるのは、切っても切れない血の絆。決して趣味が一緒だったり、同じものを同じように見るわけではない。友人はもう気の合う仲間ばかりになった今、ただ1人の弟との関係は面倒臭くもありながら、有難いものだと思う。高校生なのに思いつきで会いにくるあたりは、共通しているところも強く感じます。いや、むしろ大物かもしれない。宿に帰って、この日は早いうちに眠りにつきました。


翌朝は12時前に空港に向かう弟と宿で過ごす。オーナーの娘さん、5歳ほどの女の子に気に入られ、遊ばれる彼。最初は清潔感とはかけ離れたこの場所がきつそうだったのも「住めば都だね」と言い残して去っていきました。慣れとは恐ろしく、頼もしい。再会は3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月、どうなりますやら。どうか元気で。


人のことばかりではなく自分自身も。6時に迎えがくるということでゆっくりカフェで暇を潰しました。体の力を抜いてリラックス。思えば最初の2ヶ月とは180度変わったかのように、この1ヶ月はきっと日本語を1番話しました。そういう縁に恵まれた期間。そしてせっかく溜まったはずの国籍を超えるための経験値も、リセットに近いところまで行ってしまっている。それでも0でなければ、もしくは上がるスピードが速くなっているのであればいいです。そのカフェの壁に中学に進める12歳から18歳の子供は46パーセント。識字率は30パーセントと僕を現実に引きもどされるポスターがかけられていました。先日この街に団体で学校を作りに来ているの日本人に会いました。年下がほとんどで、立派なことだと思う。それが継続される道筋がしっかり見ているのかは気になるところですが、頑張ってほしいです。これから状況が改善されることを祈って、最終日も夕陽を、トゥクトゥクから見ながら別れを告げる。


社会の荒波に揉まれた日本人にとって、すでにここは桃源郷のように思えます。それだけの雰囲気を感じる、穏やかな時間を過ごすことができました。最近のハードなスケジュールで疲れたので、次の街ではとにかくゆっくりしたいです。東南アジアに来てからは、ハリケーンのように速く動きすぎた。充実はするんですが、保たないです。


次は「微笑みの国」タイからお送りします。

ルアンパバーンはいいところ

ルアンパバーン1日目。朝から周っても周りきれないお寺へ。お寺の名前は省かせてもらいます。大事なところかもしれませんが、来ればわかります、いくらでもあるし歩いていける。ビエンチャンと特に様式が変わるわけではありません。ただこの地域はラオ族ではなく、モン族が多く暮らす地域。モン族の方々は仏教ではなく、土着の精霊信仰を持っているそうです。自然を崇める。何となく日本との共通点も見つけられて、愛着を持つ。東南アジアに来る前、踏んだ中東の大地。様々な宗教の母胎となったその土地では、荒涼、人に牙を剥くのが自然。熱帯地域で生息する動植物に違いこそあれ、日本と同様雄大な川とやさしい緑が広がるラオスでは、時に圧倒的な力に呑み込まれながらも受けた恩恵の方が遥かに大きいのではないでしょうか。人は自然に感謝しながらそこで暮らす。太陽は乾かすものではなく、暖めてくれるもの。人が求めるものは時代とともに大きく、複雑で微細に。根源的にはもっと明確なものにあったのではないか。そう思うと、三大宗教の1つ仏教の源、インドが俄然楽しみになる。そんな場所に引き寄せられている気さえしてきます。


11時に宿に戻る。ここからバンに乗り込み、クアンシーの滝へ。上記のことも相まって、ルアンパバーンには寺院もさることながら自然によって作られた名所も複数あります。片道1時間、公園への入場料も含めて10,000kip(約1400円)。12時半に到着後、15時までの自由時間を与えられます。上部に大きな滝が、下ると泳げるスペースがあります。アフリカにはバックパックを背負った白人がたくさんいました。それは距離が近いからだと思っていました。今アジアにきて、やはり白人がたくさんいる。旅をすることが当たり前のように根付いているみたいです。弟が水着を持ってくるというファインプレーを見せたので、宿から装着して。暑い気温に、想像以上に冷たい水温。慣れてしまえば驚くほど気持ちいい。時々水深がかなり深くなっていて、ろくに泳げない僕は半ば溺れるようになりながら。「泳ぐ」という言葉には、「楽しい」っていう意味も含まれていて。水に浸かりながらもつまらなかったというエピソードは、思ってみれば自分の中には存在しません。他の観光客の皆さんには申し訳ありませんでしたが、全身を洗う意味も込めて。上がった後は、久しぶりに頭がスッキリしたようでした。思い出しました、泳いだ後は眠くなる。宿に帰ってしばし休憩。それでもラオス、自分としてはかなり綿密な計画を持っているんです。


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4時半に再び出発。歩いて5分ほどのところにあるプーシーの丘へ。ここはメコン川越しに夕日の見える観光スポットになっています。なるほど、頂上に着くと日没を30分前に控えて、すでにたくさんの人が集まっていました。ギリギリで座れる場所を確保することができた。既に十分綺麗ではありましたが、フィナーレを迎えるまでは少し暇です。多くの人は自撮りに精を出す。中国から方々が僅かな隙間に入り込んできて、改めて積極性に感心する。余裕のあった自分のスペースは、体育座りがやっとなほどに縮まりました。そんなことはどこ吹く風、隣にきたおばさん2人組も自撮りに夢中。22でも自撮りをすることがむず痒く感じる僕には羨ましく思えます。そしていよいよ太陽は山との距離が短くなっていく。山際になるとよくわかります。太陽は思った以上に速いスピードで進んでいることが。晴天の空のちょうどいいところに雲があって、幻想的な光のアートを演出してくれる。光はあらゆる方向に広がる。人のことなどお構いなく立ち上がり、僕の夕陽を塞いだおばさん、最初は面白いと思って彼女の脇から眺めていました。勿体無くなって自分も立ち上がる。オレンジ色の光に照らされて、同じようにそれを見つめるたくさんの人々。メコン川の水面も暖かい色に染められて、はっきりと1本の筋を映し出す。いろんなことを思い出させるのが夕陽。人の心の汚れは日中の太陽ではなかなか落とせない。それをいとも容易く洗ってくれるのが夕陽。沈んでしまうと人は揃って下山していく。それでも山の後ろで輝き続ける太陽は、以前と空を幻想的な色に染めている。赤みを増した空。僕はこっちの方が好きかもしれない。満足した頃には、あれだけいた人々がほとんどいなくなっている。「よし、行くか」


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丘からの下っていくと、片脚に包帯を巻いた男性がゆっくり、一生懸命に急な階段を降りている。日本人でした。脚を折りながら、ここを登ることを選んだ根性に敬服する。一緒に下まで行って再会を約束する。ビエンチャンにもあったようなナイトマーケットがここにもありました。昼間はただの道路であるところに、日が暮れはじめるとどこからともなく現地の人たちが集まって、気がつくとテントが続く光景に変わっている。これはラオスならどの街でもあることなんでしょうか。歩いていると「こんにちはー」と声をかけられた。その声の方向に目をやると、日本人のお兄さんがジュース屋で働いている。話を聞くと、大学生で休みの度ルアンパバーンを訪れ、これが7回目だというお兄さん。同様に声を掛けられた日本人が店の奥にたくさん集まっている。脚に包帯を巻いた、先ほどの男性の姿も。思った以上に早い再会。せっかくだからと輪に入れてもらう。この時には僕たちを含めて日本人8人。この後入れ替わり立ち替わりしながら、結局11時ごろまでここに居座りました。最初からウィスキー入りのジュースを飲んでやられた僕と、何度もビールを買い足しにいく青年たち。全員が日本語で話せることに喜びを感じているようで、場は冷めることなく時間ばかりが経つ。体育会系なルックスを持った男ばかりで、もやしは僕ばかり。ずっと部活に没頭してきた奴らの会話はわかりやすく、気持ちがいい。最後には夏、東京でラオス会を開く約束をして別れました。自己紹介をすることもなく、名前すらわからない。ただただ楽しい夜だった。


ルアンパバーン1日目終了。アルコールによる頭痛でなかなか寝付けませんでしたが、かなり充実した1日。弟も楽しんでくれているようで安心。ここはしっかりと予定を立てても数日間は確実にいられる街です。近隣のタイ、ベトナムカンボジアなどが日本では有名なように思いますが、この穏やかな雰囲気、穏やかな人々。嫌になる人はまずいないと思います。そしてベトナムよりも可愛い子が多い。それも合わせて、ラオスをお勧めします。