平成29年だっていうじゃないですか!

思えば僕はたくさんの遊具に囲まれて生活をしてきました。幼稚園にも、大小たくさんある公園にも。何も持っていなくても、すでにそこに用意されていたもの。そう思った時、ここは自分の人生の中で極限の場所になります。学校の庭にはかつて使われていたのか、今は椅子も無くなったブランコの残骸が横たわっている。本当に何もありません。絵を描いたり、勉強をしたノートを切り取って、日本人の紙飛行機を求めた長蛇の列ができます。一室にだけテレビが置いてある部屋があり、外で遊ぶ他はここで椅子に座り熱心に映画やアニメを観ています。しょっちゅう途切れてしまう電波を、年長者が必死にアンテナの角度を調節して復旧を試みます。中学生や高校生の年頃にあたる子達は、幼い子と同じように外で走り回ることはもちろんありません。身の回りの仕事をする他はテレビを見たり、ベッドに横になりスマホをいじったり。多感な時期を大部屋で過ごさなければならないのはとても不憫です。それぞれの学校は近く新学期を迎え、デイスクールに通う子は毎日ここから通い、ボーディングスクールに通う子らは一度離れると2、3ヶ月はずっとそちらで寝泊りをします。中にはこれらを終え、先の学校には授業料の問題で通えず家事の他にはすることのない子もいる。気軽に学校のことを聞き、通っていないと返答を受けるととても後悔します。特に女の子は学業を続けられていないことが少なくありません。学べることのありがたみを、これを読んで数分は味わっていただけたらと思います。


授業の開始とともに、施設での生活にリズムが生まれました。着くと制服をまとっている子供達。黄色いシャツにグレイのセーターとパンツ。破れたり汚れたりはしているものの、制服を纏った子供って本当にかわいいですよね。この場所では5歳から8歳までの4学年に別れ、次のステップに進むための教育を受けています。公的に運営されているこの年齢の子供たちが通う学校は授業料が安くなく、彼らが通うことはできないのでここは無償で営まれています。施設に住んでいる子供の他に、近所からも何人かが通っている。いきなり授業を受け持つことになり戸惑いを隠せない。お手本を見せてほしいと頼みましたが、挨拶の仕方を教わるばかりですぐに去っていきました。中学入学早々、5段階の成績で2をとった僕の英語力を劇的に改善させてくれた5年以上通った教室の恩師。今でも時々お会いし、会うたびに指針を示し直してもらいます。自分も学び続け、教えることにストイック。数少ない心から尊敬する1人である先生の姿に触れた僕は、自分が人に教えることに抵抗があります。生半可な気持ちですべきことではないことを見て学ばされたからです。同時に非常に魅力的ではあります。何より未来を建設するための仕事の1つだと思います。教師の数が十分でないここでは、ただ突っ立って見ているわけにもいきません。英語で算数を教えることに。受け持ったのは2年生の7〜8歳児4人。環境と幼さがありながら、母語の他に英語をしっかり理解できる彼らは大したものです。数学は苦手ですが、算数ならなんとかなります。簡単な数式でも英語だと少しはハードルが上がるものの、なんとかなった、かな?11から19までの英語でのスペルに苦労するのは自分にもよくわかります。なかなか持たない集中を切らさせないことに必死です。45分と聞いていた授業は1時間半ほど経過したところで終わりになりました。それほどきっちりした時間割やカリキュラムがあるわけではありません。2時から始まると言われた午後の授業は昼ごはんの準備が遅れたのもあり3時からになり、定刻通り3時15分には終了のベルが鳴らされました。この短時間は英語の授業と称しながら、役に立つとは思えませんが日本語を。カタカナで名前を書いてあげると喜び、他のクラスからも集まってきて、ひたすらにノートに書くことに追われました。僕の名前も求められて、なんだか偉そうにサインをしているような気分でした。そこにはいない子の名前も頼んでくる、やさしさを無下にはできません。教鞭をとっているのは同じくここで生活している人たちです。その1人、ダンは自分は学校に進むことはできませんでしたが、ここでもらう給料で双子の妹を学校に通わせているそうです。美談であることを伝えたいのではなく、これが現実です。彼は細やかに気を配ってくれて、自分で選んでここにいる僕にはありがたく、申し訳ありません。必要なことは何でも頼んでくれるようお願いしました。役に立てずとも、迷惑をかけるようなことだけはないように努めます。


元気なことは何より大切なことですが、裸足だったり生まれながらの運動神経のため動きがアクロバティックなので、こちらとしてはひやひやさせられっぱなしです。特に年少のクラスでは油断するととんでもないことをしでかす。様子を見にいったらチョークの粉を顔に塗りたくっている男の子。サッカーを始めると、ボール以外は視界から消してしまう彼ら。2010年代生まれの彼らと過ごしていると、ましてこうしている今も2017年生まれの子供たちが生を受けていることを思うと、自分も着実に年を重ねつつあることがわかります。平成29年ですよ。アンビリーバボ。


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ここにいると、恵まれた家庭で育っている子らが自分も含めいかに強欲であるかと思わさられますが、彼らもそれを自ら選んだわけではなく当たり前としてその環境で成長していく。しようがないことです。あるところで気さくで親切に日本語を話しかけてきたケニア人は日給が200円だと言っていました。いつか日本に行きたいと言う彼は、まず飛行機代を稼ぐにも1年以上の労働が必要になります。海外にいると貧困が目立つのではっきりと意識することができますが、同様のことは日本国内でも無関係ではないことを忘れてはいけない。去年の夏、住んでいたアパートの1階で音楽を聴きながら煙草を吸っていた時のこと。特に何かを見ていたわけではなく、ただ前方に視界を置いていました。横切った自転車と直後にした大きな音。それが倒れたことはすぐにわかりました。乗っていたのは年をとった男性。咄嗟に自転車を拾い起こして「大丈夫ですか?」と尋ねる。弱い声で大丈夫と答えるその人の足は、僕の腕の太さしかない。頼りない足取りで背後にしていたコンビニに入っていく。荷物はなく、財布の有無すら確認できませんでした。この時には既に海外に行くことは決めていたのですが、改めて遠い地の問題ばかりではないことを認識されられました。粗末な想像力では実際に目の前にしないと実情を掴めないことばかりです。新聞やニュースで知る事実はどこか遠く、他人事のようにしか捉えられないのがなんとも情けない。それらを真に受けていたら朝から暗い気持ちにしかならないのも事実です。当事者意識とは得るのが難しく、なんとも怪しい言葉に感じます。


同じ家に滞在しているカナダ人の女の子と通りを歩いていたところ、すれ違いざま男に「いい妹を持っているな」とキザな声で言われました。どちらをどう勘違いしたかのか、実に興味のあるところです。ここのところ真面目な文章ばかりになっている気がします。堅苦しすぎなければと願うばかりです。