スキンケアなんて、とかいって

ここでは光が強い。赤道付近であるからなのか、標高のおかげか30度以上あっても滝汗をかくようなことはありませんが、日焼けはどこよりも強く襲ってきます。今までの4カ国では雨季だと教えられましたが、ケニアは夏のようです。長年炎天下で野球をしていた経験から、一度鼻の皮膚がめくれると皮膚は黒さを増し、しばらくは日光に耐えられるものだと思っていた。それは間違いだったようです。なんとなく孤児院から歩いて帰ることが習慣になって5日間、僕の鼻は道中で4度目の脱皮をしました。こうなると気になって、どうしても爪で剥がしたくなるのが心情ではないでしょうか。地の色ではさして変わらない僕と白人の決定的な違いは、長く太陽光を浴びた後に明らかになります。彼らは赤くなることはあっても、浅黒くなるには更に日向の中を歩く必要があるようです。別に羨ましくもありませんが、鼻の頭の皮がむけている最中はどうしてもルックスが悪いので回避できたらと思うわけです。かと言ってナオミをはじめ多くの人に勧められる日焼け止めは、なぜか使う気にならないのでした。きっと旅人としての自分への理想像、長髪、髭、黒い肌への憧れが勝っているのでしょう。あとになって後悔するのは手に取るようにわかり、得するようなことは1つも思い当たらないのに、我ながら自分の頑固さに呆れます。それでも日本に帰ったらすぐに白くなりたい。矛盾ばかりです。


子供たちがどんな境遇でこの施設にやってきたのか。やはり自分から積極的に尋ねることはできません。5歳ほどの子らはそれがわかってか、わからずかいつも明るい笑顔を振りまいてくれる。ここで暮らす18歳の女の子と2人でお遣いに出たとき、彼女に過去何があったかを話してくれました。生後2週間で母親は家を出ていき、父親と生活をしていましたがこの人がひどい酒飲みであったこと。そしてこの施設に預けられたものの、彼女は現在学業を続けることができていません。「やりたいことはたくさんあるんだけど。」今はここで暮らし続けながら、幼い子供達の授業も引き受けています。常日頃は心の中にあまり多くの人間を入れないようにしています。褒められたことでは決してありません。過去にはそこに門戸を設けずにいたこともありましたが、それでは自分が保たないことがわかりました。しかしここにいる間は可能な限り彼らに寄り添えるように心がけています。自分なりにも相手の感情を追体験し、何かしてあげられたらいいと思う。でもただの学生の僕には物や機会を与えることはできないし、こういう環境にいる人々は世界中にたくさんいるでしょう。人生の中でそんな人々に直接会えば会うほど、生活に触れれば触れるほど自分の無力感が増すばかりです。その数にも限りがあるから、1人の人間のキャパシティを考えて、人に出会えることの尊さもある。そう思わないと、とてもやりきれません。


ここでは闇が深い。リビングを出ると右手にはキッチンとお手洗い。左手にはナオミとカナダ人の女性の寝室。僕とエリックの部屋はその真ん中にあります。この部屋には窓があない。今までの人生で四方がドアを除いて壁である部屋に滞在したことがあるか、記憶にはありません。必ず窓があって、外の光が入り込んできた。なので目が慣れるとある程度のものが見えるようになることが普通でした。1年半暮らしていたアパートは、ローソンの上だったこともあり、青い看板がベランダのすぐ前に設置されていたので電気を点けなくても本が読めた。通りに面していたので、車の音も一日中聞こえていました。夜、家中の明かりが消えると文字通り真っ暗になります。いくら待っても、何も見えるようにはならない。目を開けても、閉じても何も変わりません。音楽を聴いていると、自分の存在が消え、歌声だけがそこにあるような気がしてくる。エリックが外泊した際は、普段はそこにある寝息の音さえ聞こえない。僕以外が寝静まってしまうと懐かしい無の中に自分が浮かんでいるような心地に浸ります。不気味でありながら、同時に神秘的で安らかですらある。思わぬところで非日常を味わいました。ここで誰かと抱き合ったら、きっと特異な経験ができるだろうと変な妄想をしてみたり。日本で光と音から閉ざされるような場所はあるだろうかと考えてみたり。またエリックが外泊することを望んだり。ちなみに僕が最初の1週間で子供達の施設を5日間訪れたのに対し、彼は2日。市内ツアーへの参加と週末にはかなりのホームシックに襲われたそうです。対比として自分が、なかなかに頑張っているかもしれないと思うのでした。


f:id:GB_Huckleberry:20170109234032j:plain


子供たちがアパートの廊下で四六時中騒いでいる。ここは2階、それなりに広いスペースが部屋と部屋の間にある。朝も早い時間から、その音に起こされることも少なくない。週末は大人の声も混ざっていたりするから、よっぽど文句でも言ってやろうと思うが、そういえば近くに公園を見かけない。彼らが安全に遊べるような場所はほとんど限られてしまう。とっさに起こった感情も、少し考えたら納得できてしまうのが僕の性分らしい。中にそういう名前の子がいるのか、空耳か「リンダ、リンダ、リンダ」と聞こえてきたから、少し元気付いて許そうと思う。ああ、やっぱり喧しい。


この旅を続ける中で何人かのベジタリアンという女性に会いました。そのうちの1人でサファリで3日間ともに過ごしたエリザベスは、実家が牧場を経営していて、歩けなくなった家畜を殺して食べることに我慢ができなかった。家族である牛への想いから、4歳で自らベジタリアンになることを選んだそうです。幼い年でそんな決心をできることに、自分と比べ感心させられました。それでも車内でお菓子を食べ続ける彼女、他も綺麗な体型をしているなんてことはありませんでした。ストイックでスマートなベジタリアンへのイメージは崩れるばかりです。