不思議な気持ちで目覚めた朝は

最初に目覚めた時、スマホの時刻は6時半だったと記憶している。起きるか迷いながら尿意を堪えかねて、トイレに向かう。ナイラが当たり前のようにリビングにいることを変に思い、再び確認すると8時40分。すでに家を出る時間だったので朝食を摂りにリビングに戻るとナイラはすでにいなくなっている。ナオミの姿も見えない。9時ごろに起きたエリックの姿で多少落ち着きを取り戻したものの、この日は朝から捉えようのない不思議な気持ちに満たされている。窓からの光を受けて紅茶を飲みながらも、自分がぼうっとしているのか冴えているのかもよくわからない。家を出てみると、いつもより世界が明るく光っている。それでもいつもと同じマタトゥに乗って学校を目指す。少し遅れての到着で、ちょうど休憩の時間だった。相変わらずの子供達の笑顔と元気に囲まれて、体調にも問題はないようだ。英語の授業をする。学校の日本人教師の英語の授業には、発音に呆れていた僕は生徒たちが同じ気持ちを抱いていないかと冷や冷やさせられる。「英語で詩を読んでみよう」と題されたページ、慣れもあってかうまく授業できた気がする。最初はスワヒリ語を勉強したいと言う声に押されて、教科書をめくってきたものの、考えずともできるわけはなかった。とても素直に「疲れた」と訴えられるのを、「これで最後にするから」となだめる。昼食の時間だ。ボランティアの身分で大食いするのもはばかられ、食べ過ぎると午後の授業が眠いばかりだから、いつもは子供と同じ量でよして3時には腹を空かせる。この日もお代わりを尋ねられて断ったつもりが、たっぷりもう一杯もらってしまった。満腹になり、遊び相手を努めながらふと空を見上げる。金魚の尾ひれのような、絵に描いた温泉の煙のような雲が伸びている。太陽の周りには青地に白い絵の具でドットを入れたような奇怪な雲。朝の気分とともに、不吉な予感を感じざるえない。嫌な胸騒ぎがしてくる。食後、ダンの合図で生徒たちは自分の教室の掃除を始める。これが机を外に出しての入念なもので、なかなか時間がかかる。手持ち無沙汰で職員室にいくとケロが涙ながらに、同じく施設で暮らすリンダに話している。スワヒリ語での会話で真意は掴めない。おまけに僕の声は人の心を癒すには頼りなさ過ぎるように思えて、その場を離れる。近くを散歩しながら、今まで目にしたことのない雲の姿を心に留める。金曜の午後の授業は全学年、狭くて石でガタガタな校庭でゲームをするみたいだ。途中から手を引かれて参加したけれど、言語からして難易度が高すぎる。それでもいくらか心が晴れて、楽しむことに専念する。学校が終わり、そのまま帰ることが多かったけれど、今日はひさしぶりに施設に残ってみる。着替えるや否や、子供達は自分の制服を洗濯している。何か考えるでもなく、話すでもなく、ただ疲労を感じる。みんなそれぞれの遊びに集中しているから、30分ほどでやはり帰ることにした。それでも何かが身に降りかかるような恐れが頭を離れないまま、砂埃舞う砂利道を歩いていく。なんとなくマタトゥは使わないことにした。エレカシをシャッフルで聴きながら、大方足元に視線を置いて30分以上の道のり。左側通行の道路の左側の側道を行く。途中で遅い前の車を追い越そうとした車が側道に飛び出し、死角に入っていたのか、僕のすぐ横をクラクションを鳴らしながら走り抜けていった。あと少しのところで不安が現実になっていたかもしれない。何か明日が来ないような気持ちから、インターネットカフェで誰かに連絡を取ろうと思ったが、10分も使うとどうしてもネットに繋がらなくなってしまった。肝心な時に、昨日からここのWi-Fiは調子が悪い。特に店主に文句を言うでもなく早々に後にする。そして家に帰ると、僕を待っていたのは見知らぬ男。そして、その手に光る刃渡り20cmほどのナイフ。なんてことはまるでない。


どうやらただの予感だったようです。この日も無事に眠りにつけた。ただ車は本当に危ないところでした。それでもその瞬間は恐怖を抱くでもなく、これで1日の難を逃れられたかもしれないという思いでした。人が泣いている姿は、昔から理由も知らずに感情移入してしまいます。その後のゲームに手を引いてくれたのは彼女で、笑顔も見れたので少し安心。そんな僕の声ですが、幾人かが僕の声を聴くと安心できると言うよな言葉をかけてくれたことが過去にあります。人生で言われた中で嬉しかった褒め言葉の1つです。エリックはこの日早退し、夜から月曜日までの3日間モンバサというビーチに出かけて行きました。彼のいない間に、整理下手な彼に散らかされた部屋を片付けたいと思います。静かな暗闇をまた味わえるので寂しくも、嬉しさもあります。学校で見た雲は、本当に不安に駆られるような、何かの暗示でもあるかのような文様を空に施していました。そういう知識は皆無なので、ケニアではよくあることなのかもしれません。そんな中でも今日は、子供が1人で遊んだり、動いたりしているのをじっと観察していました。これほど理解が難しく、おもしろく、見ていて飽きることのないものもそうないと思います。


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一時期凝っていた心理分析の結果で、平凡な生活、交友関係をよしとする考え方を身につけるべきだと言う判定が出たことがあります。その通りだと当時思わされたのですが、今帰ったら文字通りのことを最低でも1ヶ月は実践できる気がします。前は惹かれた国際やグローバルと言った言葉にも、今はあまり強い思いもありません。こちらに来てから、日本での境遇、友人に恵まれていたことを強く実感しました。常に日本を恋しく思いながら、すぐに帰るような気持ちも起きません。それでも変な予感のせいでプチホームシックです。特に複数人の友人と同時に会話したい欲が強くなっている。インターネットカフェの調子次第で近いうちにラインのグループ電話のお世話になるかもしれません。携帯やスマホの普及もバックパッカーの増加に大きな役割を果たしているでしょう。一昔前、それら無しに世界を歩いた旅人は僕なんか足元に及ばないほどの精神力、行動力の持ち主であったに違いありません。拝まれてもいいほどの人々だと思います。同時にスマホの開発者の方々も拝みたいような気分です。


今まで少人数の友人だけに話していたような思考も、こうして誰にでも触れられる形にしていることに少なからず照れ臭さと、緊張感もあります。しっちゃかめっちゃかなことを言っていたら、ぜひギャグかなんかだと思って笑ってください。笑えもしなかったら、そっとページを閉じてください。よろしくお願いします。