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1月18日

2016年1月18日。皆さんは憶えているでしょうか。この日東京では雪が降り、朝起きたら一面の銀世界になっていたこと。普段は憧れもいだく雪ですが、いざそれに包まれると不便なことばかり。学校のテストのために家を出た頃には雨に変わっていたので、苦労しながら学校まで歩いていきました。寒かった。帰宅後、父親から連絡が入っていて、文体から何かよくないニュースであることは察しがついた。でもその知らせは、全く予期のできなかったこと。起こるはずのないと思っていたこと。


この日、僕の8歳年下の従兄弟がなくなりました。離れていたところに住んでいて、会えるのは年2回ほどだったけれど僕にとっては幼い頃から遊んできた弟も同然な存在。聞いた時には理解できるはずの言葉と意味に乖離があるようで、しばらく動くこともできない放心の中にいました。


優しくて活発。祖父母の家で再会しては、サッカー、野球、いろんなことをして遊びました。幼い頃から、人間性の優れているところを随所に見せ、同じ年頃だった自分と比べてはよく尊敬の念を抱かされました。歳を超えて、自分より優っているところがたくさんあった。どのような日常を過ごしていたのか、知らないこともたくさんありますが、多くの人に好かれる人間だったこと。確信を持って言います。


自分の兄弟を含め、7人いる従兄弟の中で僕は最年長です。愚かだったのか、みんなが僕より長く生きることを疑ったことはありませんでした。ともに成長して、人生の中でいろんなことを語り合えると思っていた。お互いの掴む幸せを祝い合えるものだと思っていた。描いていた未来が、成し得ることのできないビジョンになってしまいました。力強い言葉ではありません、そこに順番なんてないことを知りました。どんなに愛おしく思っている存在でも、他人である以上、その身に起きることは僕の力の遠く及ばないところにあります。自分にも訪れることだけが事実としてあり、いつそれが目の前に現れるかなんてわからない。自分の経験と照らした時、これから本当の楽しさが待っていて。いろいろな束縛から徐々に解き放たれる、その間近に立っていたのに。


繊細さは、誰しもが持っています。その中で人の感情の機微をより鋭く感じとることのできる、他に類をみない繊細さを先天的に持った人々がいます。僕はこれがやさしさだと思う。得難く、素晴らしいこの能力は、世が世なら地球の上にいて燦然と輝いたに相違ありません。彼もそんな人間の一人でした。しかし時代経るごとに複雑さを増すばかりの世の中は、彼らを苦しめるばかりなのかもしれません。人生の中で、この能力に秀でた素敵な人間に何度か出会ってきました。しかし21歳になった今、多くは僕の前からいなくなってしまった。いくら会いたいと願っても叶わない。生活の中で、ふと彼らのことを想うことがあります。居場所もわからない彼らのことを。そんな人々が穏やかに暮らせる楽園が、地上にでも、天上にでもあってくれたら。またどこかで会えたら。死後のことなんて何もわからない僕は、今生の楽園の存在を心の底から願います。


自分が足元に及ばないほど、家族の皆さんや友人の皆さんは大きな感情を刻んで。言葉では足りないところに、今もまだ。悔しく、残念ながら届けられるものは持ちあわせていません。きっと見つけることもできない。そのことを承知で僕もしばらく多くのことが手につかなくて、投げ出したくなって。あらゆることが不確定なことに思えて。その中でやらなくてはならないこともあった。この時期、宙を彷徨っていた心の、僕の側にいてくれた方々への感謝は忘れません。この時から、明らかな明日はなくなりました。やりたいことを、そのまま放っておく猶予は少しもないと感じて。その日に思ったことは、言い残すことのないように。僕が今ここにいること。こうして旅をしていること。全てをそれで説明するつもりはありませんが、やはりどこかにその存在がありました。この決断が自分の意志だけでなされたと思えるほどの強さが、内には見あたらないので。


喜び以上に、辛いこと、悲しいことは僕らを激しく包みます。いつになってもわからないことばかりに溢れた若さは、まっすぐ歩くことさえ難しい。定まらない自我に、それぞれ恐ろしくなるような残酷さを抱えている。そんな日々に、もう終わらせてしまいたくなることもある。


"全てが未確定。春、夏、秋、自分がどこにいるかもわからない。真面目に取り組んだことも、天気一つで馬鹿げたものに思える。心から楽しんだ日の翌日は、大抵悲しくなっていっそ死んでしまおうかと思う。何かを埋めてくれるかとぼんやりたくさんの人の波に呑まれてみるけど、なんだかより虚しくなった。本音なんか語らずに、道化けているのが一番楽だ。人を信頼したところで損をするばかりじゃないか。責任のある言葉なんて言えないよ、そしたらなんで他人に期待できるんだ。明日はあると思っていたけれど、結局今日の繰り返し。過去になった日々は"バカ"の二文字で振り返られる。それでも何か悪くない。信じずとも、疑わず。蝋燭の灯りでもあれば、道を歩くことができる。たまの晴れ間があれば、汚れた服を洗ってしまおう。積み重なる否定は、肯定をさえ大きくしてくれる。凡ゆることが下手くそなのには、もう慣れた。掴んだと思ったものが手をすり抜けていくことにも、もう慣れた。悩まされた矛盾だって、角度を変えればとても愛おしく見えてくる。そんな今日も生きたんだから、きっと明日も生きていく。"

「今日と明日」


こうして歩いている。何かの拍子に思い出しては、誰でもない自分だけの形で静かな祈りを捧げる。陳腐な表現の力を借りますが、僕の存在する限り彼もまた僕の中で生き続けていて。いくらでもこの眼を使って、見ることのできなかった風景を見てほしい。この音を、この匂いを、この想いを。そしてまた逢う日を夢見ている。会えなくなることを何より恐れながら、大切な人たちにもしばらく会えない道を選びました。それでも心はそばにある。少なくとも僕のものはすぐそばに。何があるかわからない、その中で。お願いがあります。生きて、生きてください。その積み重ねの先にまた逢えた時には、新しく出逢うことができた時には一時全てを忘れて、馬鹿なことばかり話しましょう。笑いましょう。人との別れ以外は、笑い話にできる。教えてくれたのは、哀しみなのかもしれません。変わっても、変わらなくても、そんなことはどうでもいいから。


2017年1月18日。僕は絶対に生きて、再び母国の地を踏むことを約束します。それからも、君の声を抱いて。