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Do you have a weapon?

イスラエルからの帰路は平穏に。出国場に入る前、IDチェックのためにバスに乗ってきた金髪美女のお姉さんに言われた一言。「いや、持ってないです」ただ非日常、人生で初めてもらった質問に、それも綺麗な人からという状況が笑えて。「はい、ここにマグナムが」でも相手は軍人なので、結局ボケる勇気も湧かずに通過。ヨルダン側からのバスが1時間ほど待ってやっときた以外はストレスもありませんでした。心配していた、押されると中東他国への入場が難しくなるというイスラエルスタンプも、出入国とも別紙にもらうことができました。緊張のキングフセイン橋、往復の完了。そして5日ぶりのヨルダンに帰国。前に宿泊していた場所から少し離れたところにある別の宿に。受付を済まし、1つ上の階のドミトリーの扉を開いて「あ、こんにちは」日本人、同い年で同名の方と出会い、ここからベトナムへのフライトまでの3日間、アンマン暮らし再開。イスラエルに行くまでの滞在は体調不良により、ほとんど観光もできなかった。少しレストランの知識あるばかり。この新しくできた友人のおかげで、アンマンでの日々は一気にスピードを上げて。いつもは原付ぐらいの速さで送られる生活が、引っ張られるように特急に乗って進む。


9日の昼ごろアンマン到着。10日は1日フリー。11日の夜には空港という中で、初日は夕方から近くにあるローマ劇場、アンマン城。2日目は朝からケーキを食べ、人気のシュオルマの店に行き、そこから有名なモスク、昨日閉まっていたアンマン城へのリベンジ。最終日は朝からバスに乗って死海へ。1人ではありえなかった日々を、充実感と共に過ごしました。ヨルダンでやるべきことは、ほとんど済ませた自負があります。特に存在はハッキリと知りながら、まさか自分が死海に浮かぶなんて考えてもいなかった僕は、このもう1人のゆうたへの感謝が尽きないのでした。


ローマは威厳を示すためなのか、今まで見てきたその大国の痕跡はいつも辺鄙なところにあります。ペトラにしても、このアンマンのシアターや高台にある神殿跡も。そんなことのために、多くの奴隷が酷使されたかと思うと気の毒でなりません。ジャバル・エル・カラと呼ばれる神殿から見る景色はとてもいいもので、近所にあったら入場料3JOD払ってでもしょっちゅう来てしまいそう。没個性の建物が並び、自分のいる街がとても小さなものに感じますが、ここから見るとさすがに首都は広い。登ったり下ったりの地形に、無数の家々がぎっしり敷き詰められています。そして個性を放つ、いくつかのモスクが頭をのぞかせる。


まさか自分が死海に浮かぶことになるなんて。1人でいき、浮いていることに喜ぶのは寂しすぎるので、名所の一つでありながら行こうと思うことはありませんでした。それに寒そうだし。それも2人となっては心境も変わる。ヨルダン最終日は、朝からホステルを出て歩いてバス停へ。途中朝ごはんをほうばりながら。こちらのバスは時刻というよりは、定員に達したら出発。ラーマというところで降り、スイス人、インド人と割り勘でタクシーに乗る。片道1.8JOD(約300円)で行くことができました。ヨルダンはコンパクトで移動しやすいのも長所の一つです。海パンなんて持っていないのでパンツ一丁になって入水。塩分濃度が高すぎて生き物が住めない死海、思った以上に体は簡単に浮かびます。これが結構楽しくて、22歳2人軽くはしゃぎました。ただ体の力を抜けば簡単に並みになったような気分を味わえる。泳げない、でも人生で1度くらい泳いでみたいという方は今すぐこの場所へ。10分もせずに満足できます。2JODで小屋から伸ばされたホースを伝ったジョウロ程度の勢いの水で行水。死海の水は晴れ間の中、心地よいくらいでしたが、これが寒かった。おっちょこちょいは替えを忘れ、帰りはフルチンでアンマンに戻る。楽しもうという気持ち次第で、いくらでも機会はやってくる。


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これほど現地の食事を堪能することもなかったと思います。肉を何かで巻くのが基本の基本。シュオルマは計7日ほどの滞在で10回は食べたと思います。基本的にはどれもテイクアウト。そうすると少し安くなって、ホテルで食べることがほとんどでした。うまさ以上に安さから。そしてフレッシュジュースにはまりました。これも後半は毎日飲んで、きっと知ったら恐ろしい砂糖が潜んでいるのでしょうが、栄養もあると信じて。歩けばいくらでも見つかる、ヨルダンの定番です。種類も豊富で飽きません。スイカ、メロン、カキなんかもあります。柿は英語でもカキなんですね、驚きました。このクォリティ、日本にあっても必ず人気を集めると思います。きっと価格は倍以上するんでしょうが。


この間滞在したのは、マンスールホテル。前記のクリフホテルで日本人にイラク行きのチケットを手配した方が彼を偲び、オープンした通称コーダホテル。南京虫が出るとの噂もあってか、僕たち以外はほとんど客がいないようでした。もう心配になるくらい。朝ごはんもなく、綺麗なところではありませんが、価格からしてそんなことは期待していないから。一部屋にコンセントが1個しかなかったのはちょっと不便でしたが。シャワーのお湯でたら、他には何もいらない。虫に襲われることもなく滞在を終えました。


日本人の方といると、なかなかブログを書けない。思ったことを、しっかり伝えられる相手がいる期間はそれだけですっきりしてしまいます。きっと普段は人に伝えられない想いのはけ口をこのブログが担ってくれているのだと思います。書くことも好きだけど、やっぱり直接伝えられるというのはいいものですね。


そして京都出身の連れのおかで、まさかのヨルダンで関西弁をもらうという。たぶんしばらく抜けないと思います。これから飛行機に乗って、ベトナムへ。実は毎年行っているこの国は、これで3回目になります。歩いたことある道を歩く、こんなことが今はすごく楽しみです。エジプトからのアラブ世界と、イスラエルで過ごした日々。心配をよそに危険な目にあうこともなく、アフリカと比べれば目に見えて発展している。独自の文化を持ち、身近にイスラームを感じる毎日でした。それでも何かがガラッと変わるわけではありません。人間の暮らしは違いよりも共通点の方がたくさんある。周辺には現在入国の叶わない国もあります。それらの国々が抱える問題が解決されていき、安心してこの地域が持つ魅力を楽しめる日がくることを願います。僕が訪れた国々は、場所を選べば心配いりません。観光資源にも溢れています。アフガニスタン、シリア、イラクなどなど。いつかその地を踏むことができればいいなあと。この地を、この時代に歩いたこと。これからの情勢は、それにどんな意味を持たせてくれるでしょうか。


マッサラーマ、アラブ世界

マッサラーマ、中東


まだ足りない心持ち。