3年連続3回目

ベストナインみたいになりました。ベトナムホーチミン3回目。2年前、はじめて日本を離れていったのがこの国、この街でした。一昨年も、去年も、この2月に。日本の寒い時期に、この暖かさは現実味がなくて、それでいて嬉しかった。今年も同じように、寒かったヨルダンから。異国の地を踏んだ、その時の新しい感情、感動を思い出す。相変わらず派手がお好きな国民性。正月を祝う街は、まばゆいばかりの電飾でただの道路がテーマパークにいるようだ。その数は増えたかもしれない。タクシーに乗って、それが左ハンドル、右側通行であることを思い出した。というよりは憶えていませんでした。僕の記憶はとても曖昧で、やはりしっかりと記録を残しておくべきです。もしくは、他のものに完全に注意を引かれていて、このことは当時の僕には些細なことだったのかもしれません。窓から見慣れた風景が流れていくのは、安心を得られます。「帰ってきた」と言える場所。僕にとっては数えきれるほどしかない、その一つです。


そして変化に気がつきます。街にも自分にも。はじめていった時は対比に日本しか持ち合わせがなかった。おびただしいバイクの数は貧しさの象徴であると思った。清潔感のなさも同様に、20年間母国から出なかった僕にはイレギュラーなこと。人々が営む生活を見ていると、いかに自分が恵まれているかを思い知らされるような気分に浸って。話は飛躍して、長生きしようと思いました。他の国も自分の目で見てみたい。直に触れないとわからないことばかりだったから。その半年後にいったネパールで、僕の思考は幅を増しました。最貧国と呼ばれるその国に行ったことで、今まで2国間のみながら1番低いところにあったベトナムはネパールと日本との中間に移動した。「ここに比べたら、ベトナムは断然栄えている」そして3度目の今回はアフリカ、中東9カ国を周った直後の視点から。この国が今までに増して栄えて見えます。このことはデータとして起こされた経済水準からしても当然のことですが、明確に理解できるようになってきた感覚があります。前述のイルミネーションも、国によって異なる装飾が文化として培われているのも承知で、これだけの電力を供給できる国は一体どれくらいあるだろうかと。少なくとも今回の旅で訪れた国々の中で、自信を持って可能だろうと思えるのはイスラエルくらいです。あとは南アフリカなら大丈夫かな。


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僕の中の変化と同様、この国も確実に姿を変えている。日本ではもう見られないスピードで、この街は今も新しくなっていく。2年前とは歴然と、1年前とは漠然とながら、その光が強くなることは留まるところを知らないみたいに。多少自分の感覚が麻痺しているところもあるかもしれませんが、イルミネーションの数、未完ながら範囲の広がっている日本が協力している地下鉄の工事。こう言った目に見える成長を母国で見るには、生まれるのが遅すぎた僕にとっては、一国が伸びていく姿を見守ることは新鮮です。きっと自分の親や祖父母が体験してきたものと類似点はたくさんある。しかしそんな状況も、先を思って希望ばかりを持てないのも日本人であるがため。ましてや以前現地の方との会話の中で、都心の超高層ビルやマンションなどに住まうことができるのは、一握りのベトナム人と大多数の富裕な海外からの人々。そしてベトナムの中心の中心に限ったことばかりを話しているのみで、15分でも離れれば、そこにはほとんど変化が見受けられないはずです。


過去2回とは趣の異なった今回の滞在では、異国を見て肥やしにしたいと思って歩いた今までとは真逆に、この街で旅中一番母国と近くにいる証を探して歩きました。前回よりも中心に近いところにいたのもあり、そこには驚くほど日本という国があります。目にすることすら難しかった日本食は、望んだ以上、飽きすら催すほどに溢れていました。待ちに待ったラーメンを続けてお腹の中に収めてしまうと、心境は豹変し、せっかくの海外でそれらに触れることに嫌気がさしてくるのでした。またしばらく経つとそれらへの想いは膨らんでいくのでしょうが、東南アジアいる間は困ることもなさそうです。少し奥まった通りで、「カラオケスナック」という看板が5店も並んで軒を連ねているのを見たときは、もう自分がどこにいるかも見失ってしまいそうで。


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自分が2年前にこの地に降り立って得た経験、昨年再びのホーチミンで考えたこと。過去の自分と同じ境遇にいる友人たちのそばにいて、風景以上に彼らの内を見つめた5日間。違ったところもあるにせよ、当時の自分を引き合いに、頼もしく映った彼らの姿。修学旅行で行く原爆ドームひめゆりの塔は、感じるところもあるにせよ、大勢のクラスメイトに囲まれて暗い表情ばかりが続くわけではありません。16人、今回はそんな様相もありながら、個々に何かを掴もうとしてくれているのは明らかでした。ドクさんとも対面した彼らの経験は純粋に羨ましい。孤児院を訪れたときの行動や表情。感受性を剥き出しに、年齢など関係なく、それを高く持つことの大切さを教えてもらいました。これまで通ってきた施設で、今までよりはるかに多くのボランティアが活動し、設備もいくらか改善が見えて嬉しかった。何はともあれ、また来られて良かったと思うことができました。


あっという間に過ぎた日々。最終日は午前4時に彼らを見送って宿までの帰路。安心感とブルーな気持ちに揺れながら、バイクに乗った2人組のゲイにつきまとわれ、触られ、感傷に必要以上の感情を加えられました。2017年最初の予定。本旨とは離れたところで友人たちに静養できる環境をもらって、純粋に楽しい時間でした。感情とは別に、行動はいたって無私なものでしたが、そうできることが嬉しかった。そして会った数だけ寂しくなって。次に誰かと会う約束はまだありません。いつになるのか。接する大多数の人々が日本語を操るホーチミンでの生活。活力とともに、それにはしばらく触れなくていいような。コミュニケーションに苦労する日々に覚える奇妙な心の躍動。簡単なことが簡単に運ばない楽しさ。表情の機微や声のトーン、選ぶ言葉から相手のことがわかりすぎるのはここに居て嬉しいばかりではないことだと思う。わからないくらいの方がいい時もたくさんあるように思います。


日本に帰りたいと思う気持ちは薄れて、しかし明確にいきたい場所があるわけではない。改めて出発時の多くのものを自分の目で見たいということだけが、今はまた大きくあります。3度目とは言えど、ホーチミンを出たことのなかった今までから、他の街にもいってよりはっきりとしたベトナムを探していきたいと思います。