お尻が大きくても白パンを履ける勇気が僕にあったなら

チェンマイからアユタヤに向かうため駅に向かい、チケットオフィスに並んでいました。こういう場所で、おばさんという存在が必要以上に手間取り、後ろの人間にじれったい思いをさせるのは万国共通なようです。磨かれていると思った忍耐力もまだまだ、今回のおそらくタイ人であろう女性は時間とともに、お尻を後ろに突き出し、白いパンツを履いたそれを上下左右に振る。視覚的にも試練を与えてくる。スタイルをもろにさらけ出す必要のある明るい色のパンツ、僕はどうしても敬遠してしまい、クローゼットの中には暗いものばかりが並びます。周りの声を気にすることは大方意味のないことだと思いながら、やはりこんな小さなことに踏み出せない自分がいる。好みもあるでしょうが、下着の形も剥き出しにしながら、自信満々にお尻を振る勇ましい姿に、かっこいいとはこういうことかもしれない。


前日の疲れを癒すため、と思いつつ電車のチケットを取るために4kmの道を往復して駅まで行きました。18時発、そしてアユタヤに着くのは朝の5時前という電車。それにしてもチェンマイもいいところでした。歴史的な建造物と人が暮らすスペースの調和がうまく取れている。飲食店に困ることもないし、満腹を望まなければ一食100円台で大丈夫。そして口にあうからありがたい限りです。価格にこだわらなければ簡単に洋食も日本食だって食べられる。寿司という提灯を下げた焼肉屋がありました。一歩国境を跨いだ文化は、手を替え品を替え、現地の文化と融合した新しいものになる。「サワディーカップ」「コップンカップ」笑顔で言ってくれるこの環境が好き。アフリカや中東はある程度お金を払うところでないと笑顔の接客なんて得られない。屋台でも笑顔を見せてくれるタイ、自分の精神的にも優しい国です。


17時には駅に戻って列車を待っている。もらっていたチケットを受付で見せたのだけど、僕がそれをポケットに入れていたためにちょうど列車番号が消えてしまっていた。これはなかなか騒ぎになって、ドミノ式に偉い人が出てくる。最終的に乗る電車の長が登場し10人ほどを巻き込んで事態は収束。この人がタイ人には珍しく長身で60前後だろうという年の、制服の似合うかっこいい人でした。親身に解決へ導いてくれて、車内であっても微笑んでくれる。やっと乗り込めた電車は予想に反して、とても快適なものでした。汚いのが当たり前と散々刷り込まれてきたので、清潔な寝台車は夢のよう。どの程度かというと、もうここに住みたいと言うくらい。2等車で、両サイドに対面式の椅子があり、暗くなると上からベッドを下ろし、座席は変形式で2段ベッドになる。向かいに人がいなかったので、のびのびと満喫。早くも強い眠気に襲われて、21時前には就寝。朝も4時ごろに目がさめる。普段ではありえないことなので、やはり体も緊張モード。日本でもこれほどまでではなくても、もう少し緊張感を持った生活を送りたい。定刻を少し過ぎて、5時過ぎにアユタヤに到着。だんだんと明るくなる空。この時間でも駅前には屋台があり、レストランも空いていたりする。空腹だったし、きっと宿にも入れないだろうと、朝食を食べる。日本語で話しかけてきたおばさん、炒飯を頼むと「とり?」と聞かれ、うんと答えて待つと、シーフードの炒飯が出てくる。20バーツ多く取られ、釈然としないまま、どこか居座れる場所を探しに歩く。朝日を浴びて、たまにする度に朝活とはいいものだと思う。そんな時は明日から朝型になりたいと考えたりもするけれど、結果はご存知の通り、続かない。早起きはそのまま中高の朝練を連想させて、寝起きに吐きそうになりながら走ることがセットになっていた時期の、もうだいぶ前のことを未だに引きずっている気がする。言い訳です。そろそろ、そんなことともおさらばしたい。


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結局8時ごろには荷物だけでも置かしてもらおうと宿に行く。14時チェックインにも関わらず、親切に部屋へ案内してくれる。「今晩はあなたしかいないの」12人部屋に1人。2つのトイレと2つのシャワーが全部僕のもの。それなりに寝られていたので、昼前から街の散策に出かける。ここらは野良犬もちらほらいて、情報ノートには歩かない方がいいと書いてあったけど、気にしない。1度だけ、目がいってるという言葉に合う、狂犬病の疑いがある犬に遭遇して恐ろしくなった。今日は舐められず、吠えられもしなかったので。鋭い眼光で対面するとか、そんなことに意味があるのかはわかりませんが、ようは気持ちの問題です。


世界史で習ったアユタヤ朝。その遺跡は街のいたるところにありました。1つ1つ規模が大きくて、5つ回ったらそれなりに時間も経つ。石ばかりでできた古い寺院の中に入る。高さもあり、当時の壮麗さは考えつく。でも、実際にここに王朝があり、営まれていた生活はどうも想像しづらいものがあります。それだけ現代とは異なって、なおかつ立派なものばかりだったので。戦争の中で、寺院の破壊が相次ぎ、ほとんどの仏像は原型をとどめていません。中には首だけないものもある。これらは見ているだけでも感じるところがあり、顔のない仏像が並ぶ光景は、日本でもこれほどはないような諸行無常の響き、盛者必衰の理を帯びています。落とされた首が菩提樹の中に埋もれ、持ち上げられるようになっている、有名なものも目の前にしました。圧倒的に人だかりができていたので、遠くからもあそこにあるだろうとわかるぐらい。観光客はとても多く、地理的にも、時期的にも、学生とおぼしき日本人の姿もたくさん見かけます。ほとんどが複数人できているので、付け入る隙はなかなかないのですが。国籍関係なく、基本的には話しかけられたら話すスタンスでやっていきます。ここの規模は、アンコールワットと比肩できる、東南アジアでは数少ない場所だと思います。早起きのため、途中から眠たくなって、220バーツのチケットで入れるところだけ入って帰ってきたのですが、この地域の歴史に強い興味がある、遺跡好きという方にはたまらないスポットに違いありません。お寺疲れの溜まった僕にも、この遺跡群は他と一線を画す、かなり興味深いものでした。それでもそろそろお寺めぐりと休憩ばかりの生活から離れたい思いも強く、カンボジアを最後にインドでは違う楽しみ方をしたい。仏教のお膝元に他のものを期待するのは間違っているのかもしれませんが、面倒臭い人の絡みなどがエジプトから1ヶ月、また恋しくなっています。ましてや英語の使える地域にまた入られるのは嬉しい限りです。ヒングリッシュ理解できるだろうか。


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これからバンコクにバスで向かい、数日後カンボジアへ。カオサンロードは僕をどんな気持ちにさせるのか。パリピならともかく、今の自分、タイひとりぼっちの僕には風俗に舞い込む気力もないですし、何かしら別ところで魅力を見つけらたらと思います。困ることのない食は、最近は生活の大きなベクトルを占め始めています。美味しいものを食べられる。結局幸せは単純なところにあって、それを感じられるか、られないか。


アフリカの植物は鋭いトゲを持っているものばかりでした。よく歩いていて引っ掻き傷をつけられた。アジアにいる今、それはわずかな種類に限られています。近頃は植物、自然の話が続きますが、やはりそれぞれの環境において作り上げられたものがあるのだと思います。東南アジアの豊かな水に育まれた自然の中、種を残すことが容易な大地。一方で荒野の中で、少ない植物は動物にとっても貴重な食物。種を残していくには自らの身を守る必要がある。植物学を全く解さない僕ですが、1つの命を遥かに凌駕した時間の流れの中で、生きようとした、生き抜いた証ではないかと推測してみます。



"海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに

わたしのなかに みつけられたから"

木村弓「いつも何度でも」より


この曲をかなりしみじみと聴ける今の心情は、かなり恵まれたものであり、覚和歌子さんの言葉は胸に刺さるものがあります。近いところまで来ています。でも何かまだ、あと少しはっきりと呑込めるところまで持っていけたら、そして絶やさぬようにできたらと思います。求める形は、「日本最高」というラスト、そのスタンスは今のところ変わっていません。ご安心を。