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ちょっと泣いてもいいですか?(下・インドのはずでした)

そんな最終日の夜も、ここには入れ替わり日本人がやってくる。新たにやって来た5人ほどと知り合い、最初は日本人とは思ってもらえてなかったようですが、夕食を食べに行くことになりました。カレーを食べながら、少し会いすぎた日本人も、この先合わなくなればまた恋しくばかり思うだろうと。最近は観光にしても、日々の生活にしても、ある程度自分が後に抱くであろう感情がわかるようになって来ました。きっと旅の中にサイクルのようなものができてきた証だろうと思います。海外にいても、僕らは共通点を探して、見つかると盛り上がる。そして、そんな共通点は探せば探すほど、驚くくらいにたくさんあります。実家の距離であったり、バイト、大学。僕らは沢山のものに属しているから、それを伸ばしてみると、普段はみえないかなり大きなコミュニティがあることがわかります。日本にいながら何かを探している人も立派ですが、海外に飛び出すという行為はそれが見えやすいからありがたい。いろんな考えに触れる1ヶ月間、飲んだアンコールというビールの味。忘れません。この時は、なんだかいい終わりに思えていたのですが。


翌朝も昼過ぎに空港にということでカフェにいき、予定の整理をして準備万端。そしてしばらく綺麗なところでの食事はないだろうと、少し奮発したランチを食べる。サンドイッチが好きであれば食べます。海外では、日本でもしっかりとしたレストランだとナイフフォークが出されます。僕はそれを見るたびに、「サンドイッチをナイフフォークを使って食べるような大人にはなりたくない」そんな訳のわからないことを考えます。自分にはそれが過剰に行儀が良すぎるように思えて。これも、とは言ってもほとんどのものが、美味しくて、幸せな気分を整え宿でトゥクトゥクが来るのを待っている。


子供たちは親以上に綺麗な英語を話します。それを聞くと、日本ではボランティアの対象国、貧しいというイメージのあるカンボジアの大地で、芽吹くことを間近に控えた大きな蕾を前にしたような気持ちになります。識字率といった数字を見ると、ただ後進国に留まっているという思いが多く心を占めますが、確かにそこには成長があること、それを体感として得られた喜びがありました。ポルポト独裁政権下、多くの人々、特に豊かな知識を持った人々は信じられないような歴史の中に葬られてしまいました。実際に街ごとにキリングフィールドと呼ばれる、それらの犠牲者を祀る施設が設けられています。積み上げれた、普段目にすることのない数の頭蓋骨を前に、この国が隣国と比べて低い水準の中に低迷している理由の根底を見る。それでもこの国では確実に新しい力が花開こうとしています。


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カンボジアからインドまで、シェムリアップの国際空港から飛行機で。その場所には出発2時間以上前に着きました。良かったのはここまで。チェックイン手続きがはじまり、僕も列に並ぶ。実はインド入国の際にアライバルビザを取得できるのは日本人だけなんです。今回はバンコクでの経由、そんな細かいことまで係員も把握していない。「ビザを持っていないと乗せることができない。」と言われ、列の端に追いやられる。次々に上役が現れ、心細さの中待つことしかできない。笑顔で帰ってきた係員、答えはオーケー。すぐさまチケットが発券され、何度も謝られながら出国手続きで。一度得た安心感はここですぐに折られる。係員にパスポートを見せたところ、聴き取れない言語でまた別の所に連れていかれる。何かと思うと英語を話せる人が現れ「あなたのパスポートには出国のスタンプが押していない」ビザを取得した時点で押してもらったと思っていた入国スタンプ、どうやら僕はもらえていなかったようです。かなり長い話し合いの末、「国境に戻ってスタンプをもらって来てください」。ここで係員の人たちはかなり一生懸命に僕を通そうとしてくれて、何度も謝ってくれた。予期せぬ状況に言葉を失い、インドへ高まる気持ちはどこか深いところへ消えていってしまった。国境への往復はタクシーで50ドルと言われる。再びチェックインカウンターに戻り、事情を説明すると提案されたのは、もう一度バンコクまで行って、そこから飛行機に乗った方が安いということ。どのみち今日中に飛行機に乗ることは叶わない。そして別れたみんなのいる街に行くのはなんとも情けない。失意の中、トゥクトゥクに乗り、道中ほとんど泣きそうになりながら旅行会社に行き、深夜バスのチケットを予約しました。資金が少なっていく中で、節約しようと思っていた最中、消えてしまった2万円。ビクトリアの滝でカメラを落として以来、2つ目の大きな失敗として心に刻まれ、塞がりました。


こうして僕は予想をはるかに超えたところで、再びタイのバンコクに行かなければならなくなったのでした。これまでがあまりにうまく来すぎていたので、インドの前に気持ちを新たにとポジティブに捉えるしかない。それでもやりきれず、深夜12時半発のバスを待つ辛い待ち時間に、やけコーラを一気に飲み干す。もう使わないであろうカンボジアのお札を、少額ながら物乞いのおじさんに渡す。辛い時こそ、人に優しさを。せめてもの救いを求めて。バスを待つ5時間はあまりにも長く、思考もまともであるか自信はありません。もう誰かにこの悲しさを共有して欲しいところですが、ひとりぼっち。この気持ちはどこに行くのやら。(完)