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僕はインドに立っているよ

直前で一度落とされる経験をしたからか、入国審査を済ませることができた喜びはひとしお。


真っ先にチェックインを済ませたっぷりある時間。たまたま同じ時間帯に成田行きの便があり、日本人の方がたくさんいる。僕は壁際の椅子に座って、そこを通るアジア人の国籍を見分けるゲームに興じ、気がつくと1時間が経過している。コルカタ行きのゲートへ向かうと、先ほどまであれだけ馴染みのある顔立ちが揃っていたのに、ドラヴィダ系の人にほとんどの割合が占められている。他にバックパッカーが何人かいるばかり。ここで早くも、インドに行くという実感が湧いてきました。初めてのエアアジアは荷物に7kgという重量制限があって、確実にオーバーしているのをわかりながら、ゲートまで持ってきてしまっま。いたるところに重量計があって、僕を不安にさせる。気づかれたらきっとお金を取られるだろうと。結局最後まで、明らかにパンパンなバックパックへの言及はされず安心。LCCどんなものかと思っていましたが、特に不便なこともありませんでした。無駄が徹底的に省かれ、座席は普通はビジネスクラスがあって座れない4列目。荷物入れも閉めると企業の広告が貼ってある。イヤホンはもちろん、音声放送、画面もない。救命胴衣などの情報は、CAが実技で説明する。むき出しになったタッチパネルを操作し、凡ゆる必要事項が流され、電気が消され。機長の声を聞くことは一度もありませんでした。そんな中で狭い機内に4人ばかりの客室乗務員は忙しく働き、乗客の要求に応えていく。赤を企業色としているので制服も突然真っ赤。これがけっこう素敵で、1人とても綺麗なCAさんがいたので、電気がついている時はほとんどこの人を眺めていました。着いたのは予定通り深夜1時過ぎ。


心配していた日本人だけが取れるアライバルビザは、24番まである入国審査場の1番隅っこにありました。係員も滅多に相手にすることのないこのビザにかなり時間がかかる。書類は厳格なもので、父はともかく、母親の名前まで書かされたのは初の経験でした。祖父母まで遡ってパキスタンの血は入っていないかという欄も。幸い自分だけだろうと思ったこの手続き、もう1人日本人の方がいらっしゃってお互い話しながら進められたので苦ではありませんでした。僕としてもこの夜遅くではどこにいくこともできないので、ここで時間がかかるのはむしろありがたい。結局1時間ほどかかり、最後に係員に「アライバルビザは大変なんだぞ」というアピールをもらい終わり。この人の手際の悪さもあっての長期戦であったと思います。お金をドルからルピーに替えると、お札にガンディーの肖像が描かれていて嬉しくなりました。空港自体はかなり大きく、綺麗なもので到着ロビーも店は少ないものも十分寝られそう。苦しかったのは喫煙室がないところ。インドならばどこでも吸えそうというイメージは裏切られ、外にはあるけれど一度出たら戻っては来れないよという具合でした。3脚セットの椅子がずらりと並び、すでにここで就寝している人もたくさんいる。もう1人の方も同じようにここで朝まで過ごすということだったので、喜んでお供しました。もちろん快適な睡眠は得られずとも、無事に朝を迎えられた。ただ変な体勢で寝たためか、起きると左足に激痛が走って1人で悶絶しました。この違和感は昼過ぎまで留まる。朝食にさっそくインド料理、名前は忘れましたが生地を焼きながら薄く伸ばしただけのもの、味もほとんどなく、腹にもたまらないこれにカレーなど3種類のソースをつけて食べる。きっとしばらくはカレーばかりの日々になると思います。工夫しながら飽きがくるのを、だましだまし伸ばしていきたい。お互い宿が近かったのもあって、タクシーをシェアして市内へ。


早くもインド、カオスの片鱗をのぞかせる、30分ほど。どの車もというよりは、僕たちの乗ったタクシーのドライバーに問題があったようで、自分が人を轢くことはあり得ないと言わんばかり、クラクションを連発しながら狭い道でも猛スピードで進んでいく。それをバックシートからヒヤヒヤしながら見ているわけですが、恐怖を通り越してもう笑えてくる。街並みはネパールにいた時を少し思い出させてくれるような、あっても3、4階でもろコンクリート、いろんな色彩を持った建物が続く。綺麗とは決して言い難い中に、インドの雰囲気が飲み込めてくる。先に降りた日本人の方が選別と言ってセブンスターを1箱くれたのがなにより嬉しくて、7つ年上で短い間ではありましたが助けてもらい、またどこかで再会することを約束しました。


そのあとは自分の宿までという話はしてありましたが、ここで追加料金を要求される。300ルピー(500円ちょっと)言われ、なら歩いていくと伝える。5km以上あるから無理だと言い張りますが、僕の手元には地図があって確実に1.7kmと書いてある。きっとこれからこんな日々が続くのだろうと思うと、ちょっとうんざりもしてきますが、余計に使わなければならないエネルギーがある日常、わかりませんがすごく楽しい。とにかくインドでは騙されないようにしていきたいと思います。結局100ルピーまで下げてきたのですが、これ以上使いたくなかったので歩いていくことにしました。このドライバーの運転を見ていたら、道路を渡るのも一苦労だろうと想像できましたが、実際にはそこまでではなく。とりあえずクラクションは街を包み込むように響き続けていますが、こういう環境には慣れたものです。人々を見ていると同じアジアでありながら、東南アジアよりはエジプトなどアラブ圏に近い感じがします。噂通りの野良犬の数。犬と烏がこれほど我が物顔で跋扈している姿は新鮮で恐ろしくもあります。道は舗装はされていますが、かなり崩れているし、ゴミは散乱し、さらには頻繁に何かの糞が落ちている。思っていた通りの光景。果たしてこの中で僕は楽しんでいけるのだろうか。宿がわかりにくいところにあったので、近くに着いたところで迷い道を尋ねました。「インド人は尋ねると違う道を答える」という都市伝説は有名ですが、実際は親切に宿まで電話をかけてまで探してくれました。お金を要求されないかと過剰な心配を他所に、お礼を言うとそのまま笑顔で見送ってくれる。やっていける自信がつきました。


Booking.comで一番安い宿を選んだので、期待はしていなかったのですが、2日間ベッドで寝られなかった反動からか、それが目の前にあるだけで嬉しい。さっそく寝てしまい、起きた頃には夕方。寝る前はまだタイの時刻を刻んでいたiPhoneは、起きるとインド時間にシフトしていて、最初は3時頃かと思いましたが、すでに4時半になっていました。それから街を歩いたのですが、人口爆発、貧富の差、階級制度がはっきり目に飛び込んできました。道端で寝ているような、無駄な肉の一切ないような人々、物を乞う子供達がいる後ろには高級車や有名ブランドがびっしりと入ったショッピングモールがそびえ立っています。歩いていても周りには屋台などやレストランなどがあまりなく、どこでご飯を食べたらいいのかよくわからない。とりあえずケバブのような物を買って空腹を紛らす。タイで最後にハンバーガーを食べたのは正しかったと今更ながら思います。ここでは神様の動物である牛は食べることができないし、豚もほとんど口にされない。羊もあるようですが、多くが鶏。カレーと鶏肉縛りというのは、あとあとかなり精神的に追い込んできそうな予感がします。


出発の予定以外何も決まっておらず、広い国土、たくさんある魅力的なプレース。どう回っていけばいいかは本当に悩みどころです。何はともあれ、苦労はありながらも13ヶ国目インドに到着することができました。観光以上にただこの国の発するエネルギーに触れて、自分なりのインド像を描いていけたらと思っています。コルカタは人が多く、栄えてもいますが、これから人の少ないところなどにも積極的に足を運んでいきたい。人の集まるところは世界中、あまり差異がないと思っています。それを離れて昔ながらの暮らし、習慣の残っているところに本当の特色、文化がある。ケニア以来の長期滞在、インドを好きになって次へ進むことができればいいのですが、そんなに甘くない気もします。兎にも角にも命があればいいと思っているので、揉まれる中で発見があればと。そんなことを期待させてくれるのもきっとインドだからこそです。


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クラクションうるさい。