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進めなまけもの

 救急車や消防車のサイレンは苦手ですが、ああする他ないというのはわかります。運転免許を持った今はより強く。それでいてこのご時世、あれほど都会の中で原始的なものはないのではないか。内装においては、きっと現代の科学の結晶が詰まっているであろうに関わらず。兎にも角にも、大きい音を轟かせ、周りに緊急を伝える。それに応じて周りは道を開ける。僕の発想力では、これに取って代わるようなものは思いつかない。きっとこれからも長く続いていくことだと思います。そうなればますます、緊急自動車の存在感は面白さを増すはずです。役割自体が面白さとは対極にあるものなので、少し抜けた人間たちが、穏やかな昼下がり、時代を超えてきっと今の僕と同じことを考える。


近づく帰国日が、流れる時の早さに推進力を加えます。ブレッドを後にした僕は順に


オーストリア(ウィーン)

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チェコ(プラハ)

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ドイツ(ベルリン、ブレーメン)

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オランダ(アムステルダム)

   ↓

ベルギー(アントウェルペンブリュッセル)

   ↓

フランス(パリ、リヨン)

   ↓

スペイン(バルセロナ)


と来て、明日にはマドリード、明後日にはポルトガルリスボンへと向かいます。


 日々思ったことは書き留めてあるのですが、単調さ、毎日場所を変える生活の中長い文章にできずにいます。目標の100投稿を前に、足踏み、歯がゆさもありますが、これらは1度置かせてもらって時間ができた時に改めて書かせていただきたいと思います。帰国後になるかもしれません。よって順序にも狂いが出て来てしまいますがお許しください。日曜日には飛行機でロンドン。1週間の滞在後、メキシコ→キューバ→南米。ここらに差し掛かれば、自然とまた書きたいことが溢れて来るのではないかと予想しています。


 その中でも素敵な経験をさせてもらう日常は続いています。治安も安定した地域ということもあって、気を緩ませながらその喜びと、少しの物足りなさを感じる日々です。クリムトの「接吻」、「フランダースの犬」でネロとパトラッシュが最後に前にしたルーベンスの絵画。ベルリンではホロコーストに関する展示。残されたベルリンの壁、絵の数々。つい昨日はサグラダファミリアを。そして日々、数えられないルームメイト。道行く人。世界中から集まって偶然出会えた人たちとの交流も続けています。枚挙に暇のないほどのないものを自分の経験に入れながら、記憶に残して。あのダヴィンチ「モナリザ」も僕の目の前にあったんです。膨大な感情に揺さぶられながら、揺れながら、毎日取り留めのないこと、一貫して自分の中で大事だと思うこと、いろんなことで頭はいっぱい。行き詰まって動かなくなるとふとしたものに頭の中を空っぽにさせてもらう。答えの出せないこともまだたくさんあります。残りの時間も、帰ってからも。割り切れないことは、明るさを添えて受け入れられるか。自分の調子がいい時にはできるこの心境を、どれだけ持続できるようになるか、なのかな。


 テロの危険のある今日この頃。髪も髭も伸ばし放題。大きなバックにフードを被った僕は怪しまれることも少なくなく、地下鉄に乗る際は止められてチェックが入ったりすることもありました。そんなこともあり、ある日ふと思って3ヶ月ぶりに髭を剃りました。野球をしていた頃の散髪で出る毛よりも長いものが洗面台に落ちていく。汚く伸びた無精髭は、なんだか自分の年齢を上げ、大人になったような気にさせてくれていたのですが、それを失った自分の顔を見て我ながらびっくりしました。自分のルックスはこんなに幼かったこと。むしろ以前よりも童顔であるように見えます。せっかく美しいものばかり観させてもらう毎日、その恩恵が身体に現れてほしい。違和感のある表現ですが、少しばかり綺麗になれたらなんて思うこともありました。もしかしたらそれが本当に起きているのかもしれません。読んだ方は帰国後の僕を見て「よくそんなこと言えたな」と突っ込んでもらっても構いません。一種フリでもありますので。


 隠すことなく疲労も相当溜まっているところがあって、たまにしんどいと思って電話をかけさせてもらったりもします。相手には迷わず、すぐに応答をもらいます。就活中にも関わらず申し訳ないけれど、気軽に連絡できる相手なんてたくさんはいません。話しているうちに、もう一度、その街に輝きを取り戻させてもらうこともあります。人の存在を強く求める。穏やかな日は、それに希望を見出せます。「なんだ、1人で大丈夫じゃないか」と思うことに怖さを感じます。僕はそれを必要としている。他人との関係をまた創っていきたいと思う。上手くできるかはわからないけれど。これまで近くにいてくれた人も、この月日に全くそのままということはありません。はじめて考えたこと、思い出した過去、遠いところで得た経験。それは僕も同じ。その中で再会に何を思うかなんて、何が起きるかなんて、想像はしてみるけれど当てにはできません。ただ出発から5ヶ月以上が経ち、もうすぐで半年。4ヶ月と何日という日から、5ヶ月になるには1日しか変わりませんが、急に重みが加わります。なんだか、なんだかんだ長くなった。自分の一つの基準で、これはもう長期だなと。未だに五体満足、無事でいられることへの感謝。アフリカにいた頃がどんどん遠ざかって、自然とではなく、努めた時にだけ思い出すことが増えています。一度そうすると当時の感情というのはまだ克明に残っていて安心する。


ドイツで、第2外国語として取ってたけど"ダンケ"しか言えない事実が自分の大学生活をよく表してると思ったり。先進国と呼ばれる西欧の国にいては、日本と同じく2次大戦を起点に新しく、21世紀には少しくたびれているように見えたり。フランスパンにハマって、さすがは本場。宿への帰り道、夕食にと一本。味見に一口、温かくて、思いの外おいしい。宿に着くまでに半分以上食べてしまって。これはさすがに行儀が悪いのかと思いきや、すれ違ったヒジャブを被ったおばさんの口がもぐもぐ。よく見ると2本持ったフランスパン、片方の上部がなくなっている。そんな微笑ましさに穏やかな気持ちになったり。移民問題が叫ばれるこの頃。大都市、いくら綺麗な場所でもゴミ箱を漁る人。路上に暮らす子供連れの家族や、犬を連れた人。いつまでも頭を下げたままコップを前に差し出し続ける人。隠すことのできない光景に、その前を通るだけ闇に入り込まれたり。あるいは目を背けたり。


 ひとつ最も残っている瞬間。ベタではありますが、深夜バスを待つために過ごした。ルーヴル、コンコルド広場。9時を過ぎてやってきた夕陽。広場にある凱旋門のちょうど間に見えた満月。少し経ってからの眩いくらいのまんまると一緒に見られた美術館は、再び自分を奮い起こして、送ってきた中であった得難い経験、場面と一緒に僕を満たしてくれました。こんなものが観られる人生です。幸せです。少しロマンチックが過ぎて、隣にいたお姉さんに求婚したいほどのテンションでした。2人でいれば、告白する、されるにこれだけ相応しい場面はない。誰でもイェスと言ってしまうでしょう。それでノーと言われれば、それこそ最高の語り草です。千の言葉でその場面を美しく描いてから「振られたんだよね」爆笑間違いありません。笑えれば。


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 そんなこんなでやっています。次の更新はいつになるか。今はバルセロナの港で海を目の前に、後々に回すことにも限界がきたので一旦線を引かせてもらいます。きっと書きます、何かが僕に書かせます。その時まで、グッドバイ。

いつもながら、癒しを求めて

 スロヴェニア。名前を聞いて、その場所がわかるでしょうか。リュブリャナ。この国の首都。僕は先生が、この音を口にするのを聞いたことがない、はずです。初耳だ、と思いました。イタリアの東。ビッグネームのチカラを借りれば、あの辺か、とわかってもらえるでしょう。僕もしっかり把握できていなかった小さな国。なんと人口な200万人ちょっと。横浜市大阪市名古屋市。これらの1都市の住人を下回る国。予想していたよりも早く、予想していた通りにやってきた都会疲れ。ハードなスケジュールの後遺症。人のいない野原を笑顔でスキップしたい衝動。ゆっくり動くものに囲まれて、それらの色を捉えることだけをしていたい願望。僕は救いを、この国に求めました。イタリアのミラノからバスで揺られ、まずは首都、先述のリュブリャナへ。


 「これがキャピタルなのか」というような穏やかな風景、雰囲気。バックパックを背に宿へ向かう間に、名所はほとんど見られてしまう。今の自分に、これほどもってこいな環境はありません。鳥のさえずる整備された川辺を歩き、弾んだ気持ちは僕を久しぶりの自炊へいざなった。とは言っても簡単なものがいい。体はお米を欲している。スロヴェニア語は一切読めませんが、パッケージからどう見ても炊き込みご飯だろうというような物を選んでカゴに入れる。まさにこういうものを欲していた。到着後、部屋ごとにキッチンのついたオープン間もないホステルで、早速調理に取り掛かる。お米の入った箱の中身を鍋に移す。溢れ出す、輝いて見えるような一粒一粒全てを見送って、気がついた。ただの米であること。パッケージは嘘八百、具材など何も入っていない。この商品は数種類並んでいて、表面の絵が違っていたことから、どれにしようか悩んだ末に、ただひたすらにお米。悲しい1人ツッコミ。翌朝には出発したため、一国の首都でありながら、これが残した1番の思い出です。同部屋だったカザフスタン人に、日本人だと伝えると「おおー、同じアジア人じゃん」と言われ、その圧倒的にヨーロッパなルックスにしっくりこず、アジアというのは広いものだと思わされる。なんてこともありました。


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 目的地がありました。ブレッド。有名な湖のある街。バスに揺られること1時間ほどで到着。早くも来て正解だったと思う。そしてこんなところにいて、宿で最初に話し、親しくなったのは日本人の女性でした。聞くと、同じように都会から逃避してきたみたい。ビッグシティへの愚痴に花を咲かせる。寒いのは難点ながら、早速湖の外周を回る。ぽっかり浮かぶ小さな島に、教会が建っている。この画はおとぎ話の世界、人の頭の中だけのものではなかったんだ。そして、古い映画の背景のように、堂々と動くことのない、雪をかぶったユリアンアルプスを背にして。絵画にしても贅沢な構図が目の前に。湖面はゆっくり揺れて、心もゆっくり漂う。人波から生還した週末に触れる自然は、いつも変わらず、誰かといれば今にも泳ぎたいほどの喜びと興奮を与えてくれます。1人でいる今は、自分には目視できないながらも、ひたすらに穏やかな笑顔をしているはず。湖のほとりにあるベンチに座って、理解はできない水の動きを見たりして、ぼんやりと。生まれてからそれなりの建物に囲まれていた。それなのにやはりこういう自然に囲まれたところにいると落ち着く、何か帰ってきたというような気持ちになります。それがどこから湧いてくるものなのか、どうもよくわかりません。


 旧ユーゴスラビアの一国、EUに加盟したのは2004年。他のユーゴ圏が自国通貨を使い続けているのに対し、スロヴェニアはユーロを導入しました。それによって物価は上昇、給料は停滞気味。旅行者の僕も、都会を離れた=物価安という恩恵はそれほど被らない。それでも店は十分にあって、必要なものには困らない。そしてどれも清潔に保たれている。一概に田舎と言っても、ヨーロッパの田舎というのは、僕にとって初めてのもの。それでいて木材を使用した電柱など、絶妙なバランスで僕を大いに安らかでいさせてくれる。食事はスーパーで買うパンと1日1回の外食、ケバブ。少ない人、静かな環境、豊かな自然。すっかり気に入り、4泊5日。これほどゆっくりできたのは体調的な原因もあったバラナシ以来です。


  2日目は歩いて4、5km、川へ。ここは近くでは有名な観光地になっていて、街を訪れた人は必ずいくところ。5ユーロの入場料。高千穂を連想するような、両側を石むき出しの壁に囲まれて、間を流れる川。水面から少し高いところに作られた通路を歩いていきます。チケットを買うにもほとんど並ばない。違うのは、こちらは流れが激しいところ、オフシーズンなのもあってかそれほど人もいないところ。春らしいが泳ぐにはまだ随分肌寒い。透明度が高く、柔らかなブルーに映る水の色を形容するのが難しい。イチゴにかけたシロップが、下に垂れていったように、覗くアルプスの雪は頭頂部には少なく、少し降りたところに集中している。どういう条件下でそれが起こるのか、知識はないのですが、雲ひとつない青空に、この日は見たことないくらいたくさんの飛行機雲が空を駆けていました。


 僕が到着した時から同部屋には、日本人女性。彼女は僕より2日早く到着し、1日早く去って行きました。間に日本への愛を片言に語ってくれる台湾人のおばさんが2泊。そして滞在中、もう1人。オランダ人のルーさんがずっと一緒でした。僕よりも一回り上の年齢に関わらず、これ以上ないほどフレンドリー、少年のような笑い方をするすてきな人でした。3日目「今日の予定は?」と問われ「何もないよ」と答えたところ、「それは最高だな。ハイキング、一緒に行くかい?」と誘ってもらう。せっかくの機会と快諾。彼の型の古く、車体の低いベンツの助手席に乗せてもらいドライブ。日本ではハンドルがあるはずのところに座っている違和感。久しぶりのことで、乗っているだけでも楽しい。EU加盟国間では、特別な手続きもなく来るまで国境を越えることができるらしい。最近では"Brexit"のニュースなど、瓦解の懸念も叫ばれる集合体ですが、その取り組みとしての先進性は実際にいて強く感じています。30分ほどで目的地。「ハイキング」というと、どういったものを想像しますか?僕としては、高尾山程度の高さ、ある程度整備された道。2、3時間で終わりを迎える。それがハイキング。この日、結局宿に帰ったのは出発から8時間ほどのち。休憩を挟みながら、往復7時間ほどの、完全に登山でした。道も険しく、木や石に等間隔で印されたマークを頼りに、何度か見失い引き返してはまた進む。ぬかるんでいるだけならまだしも、ところどころ喜んではいられない程の雪が積もっている。断崖絶壁、落ちたら終わるというような場所もある。まさか、あのフラットな会話からこんな急勾配を進むことになるとは思ってもいなかった。何度も転けそうになりながら、足を何かにぶつけながら。たどり着いた風景もまた、予想だにしていないものでした。一つの山の頂上にいて、見渡す限り360度のうち8割を占めるアルプスの山々は遥か彼方まで連なっている。返ってくるやまびこ。時折上空を通過する飛行機以外の人口音は一切謝絶された場所。日々溢れて止まない雑念はどこかへ、頭の中はその綺麗さだけで埋め尽くされる。旅の中でもハイライトの一つ。この先も忘れないであろう光景でした。この場でも、帰ってからもすてきな体験を与えてくれたルーさんに何度もお礼を言わせてもらいました。それは登山中にさせてもらった様々な会話に対しても。就職、結婚、日本との共通点も多いヨーロッパの現状、移民。実際にそこで暮らす人の話は、何よりもリアルに飲み込むことができる。晩はブレッド最終日の日本人女性も交えてビールに食事。それも含めて、なんといい1日であったことか。


 ブレッド4日目は少し散歩した程度。翌日から再開する、しばらく休憩もない激動への調整日。ただ休むことのできる幸せ。筋肉痛で動けない側面もありながら、今後の予定を詰め切る。そして覚悟を決める。ヨーロッパはあと1ヶ月、9カ国。大きな楽しみもありながら戦々恐々、頑張っていこう。ずっといてみれば退屈かもしれませんが、この時の僕の求めていたものにこれほど合致する場所もありませんでした。滞在したユースホステルも居心地抜群で、体力のチャージも、心も満タン。よく言ったものです。

規則正しい生活と感受性

 ヴェネチアの朝は遅い。数少ない開店しているカフェでコーヒーとクロワッサン、1日のはじまり。寝起きは脳が働くゴールデンタイム。お釣りが10ユーロ少なかったことにしっかり気がつく。肌寒い気温に対して、日向ぼっこの対抗策。広場のベンチに座って、他人の目覚め、アラームが鳴り響く音に耳をすませる。自分の1日の方が長いという得した気分になる。石畳が敷き詰められ、車の走らないこの街では、目を閉じても人の動きがわかる。人の多いところは同じ音しかしないと思う。9時近くになって、その音は少しずつ賑やかに。ヒールが進む音がよく響く。僕の前では黒いスヌードを巻いたような鳩が遊ぶ。綺麗なのか、汚れているのか。あまり特徴のない風景に視線を置いていたけれど、振り返ったり、上を向いたり。そこには自分を満足させてくれるものがあるかもしれない。


 出発直前に地図を見て、「水の都」本当に海の上にあるのだなという再確認。バスも橋を渡った入り口と言えるようなところまでしか入らず、街には車がありません。移動は水上タクシー、ゴンドラなどが一般的。このタクシーがもうハリウッド映画の主人公が乗りこなすような格好いいものばかりです。到着すると雨がポツリと降り始め、間も無く激しい雷雨に変わりました。最初は大丈夫だろうと進んでいた僕も、勢いを増す相手にお手上げ、雨宿りして傘を取り出す。4kmばかりの道のりのはずが、ここは迷路です。細い通りが入り組み、いくつかの島を掛かる橋によってなっているこの街は、行き止まり、一歩間違えれば遠回りと簡単にはいきません。休みながら、何度も引き返すようなこともありながら。イタリア語で道を尋ねられる。僕がそれを解すると思いますか?ただ、いい気分です。悪いことばかりではありません。これだけの観光地も雨のおかげで人のいない風景を満喫することができました。ずぶ濡れになりながら。翌日、晴れると簡単には前に進めないほどの人がいる。21時ごろにようやく到着。本土にある宿なら多少安いところもあったのですが、どうしても島に泊まりたくて、普段より奮発。他にどうしようもなくドミトリーながら一泊3000円ほどの宿でした。なので期待もする。この価格ならと。あっけなく裏切られ、ただ立地がいいというだけ。綺麗とは言えない、ありきたりのドミトリー。ここには2泊、いられるだけで嬉しく笑えてしまうような街シリーズの続きです。


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  翌日朝起きて、完璧な朝食への流れ。その時の心境をはじめに置きました。ここも歩いていける範囲に名所が固まっているから、移動を歩きだけで済ませられるのが嬉しい。ただまっすぐばかりは進めないのが、少しもどかしいところです。長いこと時間と距離の問題で、1日ひとつの名所をこなせば終わりな日々を過ごしていました。そんな生活はガラッとかわり、1日のうち、ひとつを終えれば次へ。そしてまた次へ。24時間には収まらないだけのものが徒歩可能距離にあり、多く入場料が必要。交通費の代わりに、これがかさみます。重要と思えるポイントにはとりあえず行ってみて、そこからひとつ、ふたつは中まで見学していくというのが今のスタイル。さすがはイタリアは、ここにもやはり美術館が充実していますが、今は満腹。しばらくは遠慮したい。まずは寺院のあるサン・マルコ広場へ。人の数に驚かされます。モザイク画の施された寺院は、シンボルとして強い存在感を放つ。美術館やレストラン、ショップが並び、限られた土地の中にヨーロッパ、イタリアらしさが凝縮されています。マスカレード、仮面舞踏会でも知られたヴェネチアでは、露店にもマスクが飾られていたり。ショーウィンドウの奥に並ぶガラス細工たちと、他にはない"らしさ"、"個性"を与えられています。悪ふざけで、被って驚かされた日には、トラウマになりそうです。やめましょう。


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 近頃は見た目なんか二の次で、スーパーの袋に食パンをいれ、それをバッグに掛けて移動しています。1日のうち一食はこれをお腹に入れる。安価なプルーンのジャムと一緒に。この日も人通りのある広場、名も知らぬ人間の銅像、土台に腰を掛けて昼食。22歳というのは、こんなことができるギリギリの年ではないかと思います。三十路になってからは、あまりのプアーさは心のうちに葛藤を起こしてしまいそう。そんな変なプライドがあります。誰が見ているわけではありませんが、今の僕には節約しているという事実は気持ちを軽くしてくれる効果もある。それに、極端なところまではせず、しっかり三食は食べさせてもらっています。景色を楽しめる街。運河を見下ろす橋の上から流れる風景なんかは、もう絵画の中に入り込んだようです。次なる目的地はサンタ・マリア・デル・サルーテ教会。ボートに乗ればすぐ、歩いていくと距離がある。白を基調とした建物に、大きなドーム。最近観てきたものとは違い、表面は文様などは施されていません。綺麗に維持されたいくつもの像に飾られています。ペストの流行が去り、マリアへの感謝を込めて1630年に建設。その外観だけでも十分に楽しめますが、内部は格別です。壁には絵画が飾られ、奥にはパイプオルガンが設置されていました。前にするのは、小学生の時に学校行事でいったコンサートが最後です。演奏される教会音楽。控えめに隅に座った僕の地面は、低い音が響くたび、ゆっくり揺れました。自分が無くなって、視界だけがそこにあるように。祈りたくなるような気持ちが湧き上がるのは、教会としては大成功でしょう。3曲ほどで後に、歩き出す足が軽くなっている。明らかに胸が空いている。音楽の力は偉大です。その発展には宗教の存在も少なからずある。絵画の発達にも少なからず。そう思うとその存在が社会の中で果たしてきた役割に感謝したくなります。一度頭を空にしてくれるような瞬間の後には、普段は考えないようなことがふと浮かぶ。例えどこにいても、いつも通りのことです。あらゆることを短い間でも頭の片隅にしまうことができれば、目の前にあるものをただ「ああ、綺麗だ」と思える。イタリアでは、この教会が1番強く残っています。名前は長くてすぐ忘れるだろうけど、そこにいたことはきっと忘れない。


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 全てを見尽くすことはできません。選ぶのは自分です。帰国後にテレビで行った国の特集をしていて、訪れなかった素敵なところが映し出されたら、どう思うかなんて。分かりっこない。それでも「しょうがなかった」と想えるように行動しているつもりです。度の過ぎない諦念と、足るを知ること。これがけっこう大事だって、前から思ってはいるのですが、何か上手いこと、そのトレーニングでもしているような体を今の状況にこじつけます。この思考は己の定まっていないことの結晶のように映るのですが、歳をとったら変わるのかな。パッと割り切ることができる、せめてそんな風を装えるようになればいいなと。夕陽、海、ヨーロッパらしい街を同じ視界に入れることができる贅沢な場所。海のあるところはしばらくお別れです。


 こうしてイタリア3都市目を翌日のバスで後にします。次なるミラノにはたった一泊。睡眠時間も含めて、24時間ほどの滞在。フィレンツェと同じく、ドゥオーモと呼ばれる建物がありました。こちらもかなり壮大な建造物。そして近くにはディズニーランドの入り口から進んだところにあるワールドバザール。そのモデルになったという通りに行って来ました。やっぱりなんでもモデルが存在するんだなと。オシャレの発信地でもあり、好みの服を着こなす人に羨望と、帰国後へのヒントをもらいながら歩きます。短いながらも、できる限り歩き回って、代表的な建物は観たのですが、どうも4都市目、感動の減少が避けがたい。来たからにはそれを観なければならないというのが強すぎて、半ば作業のようになってしまったことも正直に告白します。アジアではあれだけ受けた勧誘も、周りが綺麗な身なりをしたヨーロッパでは、僕はほとんどスルーされます。楽だけど、悔しさもある。髭も剃らずに2ヶ月近く、上下デニムの僕。旅をしている雰囲気はピークに達しているはずです。そんな中で久しぶりに声をかけられたのが嬉しくて、たまにはとレストラン。ミラノに来たからにはと、リゾットミラネーゼをいただきました。イタリア最後の夜は、形を変えて食で満足を得られました。食べ物の最後の一口ってはかないですよね。その値段が高ければ高いほど。さっきまではっきりあったものが、もうなくなってしまった。


 こうして僕のタイトなイタリア旅行は終了しました。本当に1週間しか経っていないのかというような、行っても行っても歴史、規模共に大きなものに出くわす。ミラノをおまけのように書いたしまったことから、僕の感受性が追いつかない怒涛の日々であったことがわかってもらえたらと思います。イタリアは想像していた以上に、その斜め上を行くだけのものがあって充実と疲労。ヨーロッパの真髄を見せられた格好になりました。しかし心底楽しむには、バランスが肝心。都会の連続が、自分に向いていないことを早くも察知した僕は、スイスのチューリッヒに行く予定をスロヴェニアに切り替えました。次は首都でものんびりした雰囲気を醸し出すこの国、自然に囲まれて過ごした日々について。

ヨーロッパの花束

 朝早くのバスに乗るため、前日の食中毒らしきものの吐き気を残したまま歩く。バックパックを背負って、30分ほどの道を。僕が確実に毎日していると言えること。世界のどこかをもらった足2本で歩いている。そして清潔、不潔のバリエーションは豊富ながらベッドで眠りにつく。もしくは何かに揺られて越す夜に、難易度の高い眠りを獲得しようとする。これから向かうのは「ヨーロッパの花束」、ルネサンスの中心地として知られるフィレンツェ。前回と同じバス会社、ありがたいことに無料のWiFiが付いている。これはアフリカのバスにもあったことなので、まさにヨーロッパだからということではありませんが、快適さ、運転の質、時間の厳守ということも相まって、乗ることが嬉しいと感じられる、幸せな移動です。途中、バスの正面から白いものが降りかかるのを見て、自分は北に向かっているから寒さは増すはずである、もしかして雪か?などと、寒いことが苦手な僕は暗い気持ちになっていました。休憩で泊まったところでバスを降り、寒くないことに違和感を覚える。道路脇に溜まったものを見て、正体に気がつきました。綿が降る。と思ったら、後で調べたところポプラの綿毛のようです。大きさからも、こんな綿毛があるのかと。量から、相当な生えているということなはずなので、群生を見られたらと思いましたが機会には恵まれませんでした。


 到着した昼過ぎ。宿に向かう。ヨーロッパのゲストハウスは並んだ建物の数フロアが当てられているのが大抵で、一戸建てというのはまだ出会っていません。防犯の面から、通りに面した入り口にインターフォンが付いていて、それを押してコンタクトを取ることになります。入り口が複数個あったり、同じ名前の建物が並んだりと、探す時点で苦労することもあります。今回は、地図で示されていた位置が正確でなく、たどり着くのに時間がかかった。そしてインターフォンを何度押しても反応がない。そういえば、何か特殊な順序を踏むと注意書きにあったホステルがあった。計画性のない僕も、早期予約せずには安宿を得難いヨーロッパで、1ヶ月近く先までのホテルを10カ国近くに跨って予約してあります。この作業には相当苦戦させられました。そしてメールボックスにはそれらのホステルや予約した交通手段から届く確認メールでもうすごい量になっています。近くでネットの使えるファストフード店を探し、遡ってメールを探す。なるほど短いスタッフ在中時間以外は、メールに示されたパスワードを入り口で入力するらしい。先ほど開けることに苦戦して、向かいにあったレストランのオープンテラスの客から注目を集めた所にトボトボ戻り、今度は迅速に解錠に成功する。鍵などは名前の書かれた紙と一緒に無人の受付に置かれ、誰も管理人がいない宿。これはしっかりとした設備がないとできないことだ、さすがはイタリアと感心する。


 ここには一泊、翌日には移動をすることにしていたので着くなり観光。まずはドゥオーモ。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。長くて覚えられない。あのレオナルドダヴィンチが設計に携わったと言われています。僕が高校生時代に使っていた世界史の資料集、その表紙も飾っていました。白地にシンプルな緑の模様。オレンジ色の屋根。四角さが目立つ土台に乗っかるドーム。建築様式などに通じていれば、ヨーロッパの街散策はより楽しめると思いますが、僕の習った知識はもうどこへやら。他に見たことのない形をしていました。高さもあり、立派ですが、周りの建物との距離が近く、上手く写真に収められません。さらにもう慣れたものですが、ここも工事中というおまけ付き。世界の遺産の3分の1ほどが改修中なのではないかというほど、殊にヨーロッパに来てからのツキのなさは悲しいばかりです。まあ僕1人ということではなく、周りにいる人全てと共有できる残念さなので、少し気は楽ですが。


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 続いて宝石店が並ぶヴェッキオ橋へ。場所と名前を旅行前から把握していたわけではありませんが、イタリアはどこも見たことがあるんです。きっとテレビ番組を通じてだと思いますが、そういう所に自分がいるということにまだいまいち馴染めていません。橋の手前から見る橋全体も、橋の上から眺める景色も素敵でした。フィレンツェで最古の橋、700年近く前に作られたものであり、第二次大戦で唯一残った橋でもあります。イタリアは日本と同じく敗戦国であり、同じように戦時中多くの建造物が破壊されています。日本は焼け野原の中に全く新しい都市を生み出したのに対して、ヨーロッパでは元の形に戻そうと試みる決定的な違いがあります。特に旧市街と呼ばれるかつて栄えた場所はそのままに、離れた所に現代的な建物が建てられています。日本だとパッと思いつくのは三菱一号館や東京駅といったところでしょうか。僕としてはヨーロッパの都市にあまり違いを見いだせず、早くもマンネリ化しつつあるのですが、やはり屋根の色、高さ、窓のつくりなどによる統一感は何とか美しいものに移り続けています。次は水の都ヴェネチアなので差を期待です。帰ったら改めて東京を見たいという気持ちにもなっています。


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 この日はこれらの近場の観光で終え、翌日は美術館。3時にはバスに乗らなければならなかったので、数ある美術館の中でメディチ家のコレクションを展示するウフィツィ美術館展へ。悩んだ挙句ミケランジェロダヴィデ像はスルーしてしまいました。こちらにはサイゼリアの壁紙などでも見る、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が収蔵されています。カップヌードルのCMでもありませんでしたっけ?その他にも「春」などを始めとする彼の作品、好きな画家の1人だけに僕はふざけた踊りを踊りたくなるような陽気な気分。本当に立て続けにこれらを前にできる日々というのは、何とも贅沢です。イタリア人、贅沢です。もう当たり前のように、当日券の僕はここでも2時間並びました。たまには有益なことを言います。短期の計画された旅行をする際は、ぜひ早めにネットでチケットを予約しましょう。説得力はありませんが、絶対にするべきです。彼の作品を前にするということを、1年前まで全く予想もしていなかった中、実際に前に立っている自分。「春」の右端に配された女性のまとったヴェールの巧みに描かれた様に1番目がいきました。レオナルドダヴィンチ「受胎告知」も展示されています。僕の女性画を観る基準はタイプであるかどうかということです。そんなことでいいのか、自分なりに楽しめればいいと思います。その中で歴史的に評価されている画家というのは、やはりどれだけ多くの人が顔、体を綺麗だと感じるか、好きかということだという持論。時間に余裕もなく終盤はタイプの顔があれば足を止め、作者をチェックなんてことになってしまいました。規模が、必要ない時間が日本のものとは比べのものにならないほどです。


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 そんな中で足早に次の街へ。7日間で4つの都市。避けられないことですが、早くも人の多さ、都会への疲れもあります。1ヶ月以上、都市を詰め込んだ計画。変更へと心が動いています。楽しみながらもヨーロッパ、のんびりさを望んでしまうのは僕だけではないはずです。

天国と地獄

 ローマ2日目。この日はイタリアにいながら、新しい国。世界で一番小さい国家、バチカン市国に行ってきました。集めた情報から、予約等していない場合、相当並ぶ必要があるらしい。ここ最近は早起きの毎日です。ドミトリーは8時、場所によっては10時ごろまで他の客が寝静まっていたりするので気を使うのですが、付き合っていては時間がもったいないので失礼して。みなさん夜型の人ばっかりです。僕がベッドに入る時間から、街に繰り出して行ったりする。中にはそれでいて、自分よりも早起きの方もいらっしゃる。とてもタフです。太刀打ちできません。7時過ぎに起きて、ヨーロッパでは珍しく朝食付きの恩恵を受ける。食パンにジャム、クッキー、シリアルがある程度ですが、かなり助かります。空腹の寝起きから、すぐに食事がある喜びは、例えどんなものでも母の味。ご飯と味噌汁っていうのも、もうそんなに遠い話ではない。一度出かけて、走るように進み、ちょっとして忘れ物に気がつく。大事なものだったので、放っておくと後々目の前にあるものを楽しめない気がしたので、しぶしぶ引き返す。そしてまた早歩き。1時間ほどあるいて、バチカン市国の側面から入場できる美術館についたのですが、すでに長蛇の列でした。通常の梅の価格のファストパスを勧誘するお兄さんたちの話では、1時間、2時間、3時間。要するに結構待つらしい。着いたのはまだ8時半ではあったのですが、甘くない。イタリアの観光地はどこもディズニーランドにいるような心地、雰囲気からも国そのものがテーマパークのようです。2列あって、右側は既にチケットを持っている人の列。瞬く間に進んでいく彼らを横目に、羨望の眼差しの日本人。目にできるものは変わらないので、辛抱あるのみ。控えている大物たちを想えば、明るい気持ちでいることができます。


 いざ中へ。持っていた国際学生証が3月いっぱいで期限切れになってしまい、有効であれば半額という事実に少し納得がいかない。運頼みと、一度提示してみようかとも思うのですが、どうもルールを守らなければならないという強迫が胸にこみ上げる。日本の美術館の内部で写真を撮った記憶はありません。禁止だったのか、自分がそれをしなかったのかというのは定かではありませんが、周りにいる人も一様に絵画、彫刻に集中していた記憶があるので、おそらく禁止だったのでしょう。ここは世界的にも相当貴重とされ、貯蔵数でもたいへん立派な美術館ですが、一部を除いて撮影は許されています。じっくり眺める人も、写真を残して足早に去っていく人もどちらもいます。記憶に残せばいいし、写真など撮ればそれに甘えて薄れてしまうとは思いながらも、ぼくもシャッターを押します。それが終わってからゆっくり観る。他人がどれだけの想い出をそこに残すのかはわかりませんが、記憶力不足か、僕は大抵2、3の作品が胸に残り、それ以外は遠からず見たことさえも忘れていってしまいます。それに、有名である作品や、芸術家のものにはより惹きつけられるので、かなりアマチュアな楽しみ方をしているのでしょうが、そんなところです。


 そんな中で、特に僕が見られて嬉しかった作品。まずは「ラオコーン」。世界史の資料集などにも載っていた像ですが、大蛇に襲われ、苦悶の表情が何ともリアルに表現されていました。この作品はその完成度と保存状態から、ルネサンス期の多くの芸術家にも影響を与えたと言われています。僕も何かを与えられたいものです。そしてラファエロの描いた天井画。これは一間だけではなく、館内を進むと彼が手がけた画が残された部屋が続きます。その中でも「アテネの学堂」は生で観られたことに大きな満足がありました。これらはもともと作品の名前や、背景を多少知っているのも大きい。初見のものは、イタリア語と英語で書かれた紹介カードでは誰のものかもわからないことが多々あります。その向かいにある、同じくラファエロの作品で、戴冠式のような場面を描いたもの。階段の途中にいる子供が他の人物とは違い、観賞者の方を向き、目が合うように描かれていました。しっかり向かい合ったのもあり、彼の顔は鮮明に覚えています。


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 そして何よりも楽しみにしていた場所がやってきます。この時はすでに2時間近くが経っていたはず。とにかく展示物が多く、一つの廊下をとっても、無数の彫刻が所狭しと並んでいます。その彫刻の上にまで絵画が掛かっていたりしますが、もうここまで注意を払っている人はいなんじゃないか。教皇が望んで収集したものもあるのでしょうが、贈られたものも多いのだと思います。もちろん、西欧の歴史の中でそれだけ重要であり続けた地位であるということは百も承知。体力勝負になります。これだけのものを、価値のあるものを次々に突きつけられると、だんだんと脳が糖分を欲しはじめるのがわかりる。まだか、まだかと作品をこなしていき、辿り着いたシスティーナ礼拝堂ミケランジェロの「最後の審判」の描かれているチャペル。"万能の人"によって描かれた前面、壁面、天井と広がる大作。ここだけは写真が禁止され、おしゃべりも注意を受けます。バスケットコートくらいの広さに、学校の集会のように人が詰め込まれている。胸に何かがこみ上げてきて、口から息が漏れる。今更評価を述べるようなものではありませんが、力強く、それでいて細かかく描かれた肉体、表情。その大きさも少なからず圧倒的である要素であるはずです。1人の人間が完成させるまでにかかる時間、苦労は誰もが想像できる。そして僕は、描いた本人の実在はもちろんですが、今までにこの画を前にしてきた数えられない人々の存在にも想いが向かいます。どんな人でも、地位や人種を超えて、感嘆の声をもらしたであろうこの場所。無数のその囁かな声が時代を経るごとに、この作品を偉大にしているようにも思います。逆にここにいられたことは、自分が存在できたことの喜びを優しく撫でてくれる。


 狭い出口には詰まった排水溝のように、人が流れなくなっていました。隠れて写真を撮る人も少なからずいましたが、僕ならそれを見返すたびにルールを破った罪悪感に苛まれてしまいそうです。そしてそれが許されなかったことが、よりこの場を強く記憶に留めてくれました。留めようと一生懸命でした。そこからもまた展示が続いたのですが早足に。最後は現代の抽象的なものが展示されていました。写実的なものは、よっぽど作者の腕がいいか、画風が好みでない限り、僕はこっちの「なんだこれ」と半ば笑いながらも観られるようなものが好きです。そして出口へ。


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 美術館だけで入国したと言えるのか、パスポートチェックはないので実感が湧かず、昼食を食べて、今度は正面から入ることにしました。言うまでもなく、ここでも1時間以上の待ちが発生する。自分が望んで列ぶけれど、これが何日も連続になると保たないだろうとわかる。そして残念なことに、待った挙句、正面の広場に入るだけ入り、この日はサン・ピエトロが閉館していたので、何をするでもなく退場。ピエタを拝むことはできませんでした。サバンナの夕陽にはじまり、見ることを願いながらその場に行き、叶わなかったことも少なくありません。残念ではありますが、長生きを望む理由にはなってくれるかなとポジティブにいきます。昨日と同じ、広場を通りながら帰りました。それはもう、とてもいい気分で。途中スーパーで、野菜不足の僕は先進国ならではのカットされた野菜を買って、夕食に。気分が良かったのに加え、久しぶりに摂取できるビタミンに天にも昇るような。


 しかし大きな喜びは、バランスをとるかのように直後落とし穴が待っています。サラダは皿に盛ると思っていた以上にボリュームがあり、そして思った以上にセロリが多い。僕は美味しいとは思わないまでも完食して、それなりに満腹に。キッチンに洗い物をしにいくと、宿の従業員の人たちが夕食を食べている。気さくな彼らは、「お前も一緒に食べろ」と招待してくれる。ご飯に肉、お腹が一杯だと言っても、いいから食べろ。ありがたいことに久しぶりに動きたくないほどの満腹に。ただ少しすると体調に変化が現れる。僕の胃袋が旅の間にかなり小さくなって、耐えられなかったのか。もしくは食品に問題があったのか。僕の推測では、人生で最も口に運んだセロリが合わなかったのか、黒くなっていたので、品質に問題があったのか。どっちにせよ、犯人はセロリだと思っています。人類の宝物。綺麗な芸術作品に満たされた1日は、トイレで嘔吐、美の全く反対側にあるものを前にして終わりました。こちらの描写は割愛。概して、いい日であったと締めさせてもらいます。




 

Italy! WHOOOO!!

 LCCとは言え、座席にポケットすらついていないのは初めてでした。安いから文句は言えないけれど、色調がもう安さ丸出し。もっとシンプルにすれば、マシに見えそうなものです。濃い青、ネービーと黄色の組み合わせ。100均で売っている安い工具みたい。機内で当たり前のように電子タバコを吸う人がいて、甘ったるい匂いに包まれる。安さを理由に振る舞いも適当だったりするCAさんたちですが、誠実な姿をみると好感が跳ね上がる。もちろん水ももらえないまま、あっという間にイタリアに到着。引っかかっていたことは出国の際にパスポートコントロールがなかったこと。到着しても、それらしいもののないまま出口にたどり着いてしまう。不安になって受付で尋ねると、EU諸国からの入国では必要ないとのこと。便利だ。パスポートに判子が増えないのは残念だ。そんなことはどうでもいい。僕はイタリアにいる。建物を出て少し歩くと、自然と笑みがこぼれてきて、「Italy! WHOOOO!」とそれなりにいい発音の英語で勝手に声が出ました。キャラ崩壊、恐るべしイタリア。これまでアフリカ、アジアと先にやってきましたが、半ば修行のようなところもあって。贅沢なご褒美をもらっているような気持ちです。アフリカにいられた時とは違う喜びを噛み締めています。


 道を間違えたのか、そもそも普通は使うものではないのか。空港の周りをバッグを背負って3km歩いて駅へ。歩道もないような道路だったので、きっと間違えていた。途中でバイクのおじさんが横に止まって、「乗っていくかい?」と言ってくれる。断ったものの、イタリア人のかっこよさに惚れかける。一層明るい気分になって進み到着。報われて、安い価格で中心部まで行けたので、よし。トルコからすでにその兆候はあったのですが、さすがはヨーロッパ。かなりの割合でオシャレな人ばかり。旅中の少ない荷物で対抗することはできません、自分のクローゼットがここにあったなら毎日服を考えて出かけたい。今はもちろん叶わないことですが、いつかできるなら、そういう旅行を大切な人と一緒にできたらいいななどと純粋に思ったりする。今は着古したシャツで、人を気にかけない単独行。


 宿が近づいて、一つ驚いたことがあります。立地はかなりいい。有名な闘技場、コロッセオには10分ほどでたどり着くところにある。それなのに、駅に近い区画、店を営んでいるのはほとんどが中国人。イタリアではあるけれど、彼らは当然のように中国語で会話をしている。思っていたなかった光景に、いる場所の実感は少し薄れる。移民を受け入れるイタリアは、それ以外にも通りにはアフリカ系、アジア系の人がたくさんいる。純粋な白人よりも多く。こういうことか、少しわかった。ゲストハウスのオーナーもアジア系。従業員もみんな。部屋はまだ使えないから、荷物を置いて夕方まで出かけてくれと言われる。慌ててロビーで情報収集。おかげで初日からローマを満喫することになりました。


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 世界中の観光地の中でも、この街はトップに近いところに位置するということは知っていた。でも、だからどういうことになっているかというのは想像が及んでいなかった。昼過ぎのピークタイム。もうどこも人で溢れていました。まずはコロッセオに向かったのですが、もちろん予約してない僕は、かなり長い列に並んでチケットを購入できるのを待たなければならない。列に並ぶのが好きではない僕も、やっぱり中は観たいので。それにiPodで音楽が聴いていれば、そんなに苦痛ではない。間に次から次へと割り込んでくる人がいないぶん、かなり気持ちは楽です。そして入場。ここはかつて人が殺しあい、それを観て人々が熱狂した場所。僕が今まで触れてきたものの中にも、ここがモチーフであったり、まさにここが舞台であるという作品が少なからずありました。今は崩れてしまっている部分はたくさんあるものの、スタジアムの3階席、4階席と言えるような高さまで、当時は席が並んでいた痕跡が残っている。人が多い、自撮り棒の数が多い。この今では世界的に人気のある商品は日本が発祥であることを知り、複雑な気分になりした。順路がよく分からず、何度も同じところをグルグルとまわりながら、ローマ時代を光景を浮かべる。外周からも、内部も石造り。この大きさは他に比べるものがないくらい。


 後にして歩いていったのですが、これはもうなんというか、数の暴力です。あまりにも有名なスポットが多すぎる。歩けば歩くほど、画面越しに見たことのあるものの実物が現れる。まずは真実の口。皆さんご存知「ローマの休日」で登場するあの石像。どこにあるかは遠くからでもわかりました。教会の前に設置されたそれと記念に写真を撮ろうと、かなり手前の地点から行列ができている。1人で並ぶわけはないので、人が入れ替わる、前が開いた瞬間に一枚パシャり。角度を変えてもう一枚、今だ。そのタイミングで、アングルにスマホの画面が割り込んでくる。考えることはみんな同じです。一度川沿いに出て休憩。一生懸命撮ってきた写真も、ここにいたらどんな角度を切り取っても、きっと誰が撮ってもしっかり画になる。激しい流れの川で、釣りをしている人がいる。釣れている様子は見受けられない。


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  そこからは方向を東に変えて、宿まで戻るついでに有名な広場を巡る。水を売っている店以上に、ジェラート、アイスクリームを売っている店の方がたくさんあると思う。この誘惑に堪えるのは大変だ。行き交う4割程度の人が、それを舐めながら進んでいく。ナヴォナ広場。スペイン広場。楽器を演奏する人、ダンスを踊る人。絵を描く人。それらを眺める観光客。パフォーマンスが終わると温かい拍手が送られる。同じ都会であるけれど、日本にはこういうスペースはあまりない。あっても休日以外、立ち止まることもほとんどないだろう。無知もあって、名も知らない建物たちがいちいち立派である。もう叶わないと思う。これが綺麗だと、生まれた時から刷り込まれてきたのか、これが人間にとっての純粋な美しさなのか、よく分からないなる。日本でもお馴染み、トレビの泉。後ろ向きにコインを投げ入れると、またローマに来られるという。前はぎっしり埋め尽くされて、投げるには遠投をする必要があったのでこれもお預け。また来られたらいいと思う。今度は絶対1人ではなく。


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 リンゴを一つ買って帰る。途中で我慢できなくなって、道端で食べる。ピザを一切れ買う。その場で食べる。"When in Rome do as   the Romans do."いつからか道で鼻をほじる事に抵抗を覚えないようになっていた。そんな事は、他の事に比べてとても瑣末なことだった。今、己自身を鑑みるに、その悪しき習慣は環境に合わせていつの間にか消えて無くなっていた。育った環境だけでなく、日々いる環境によって人は変わる。定まってないからなのか、僕は変わる。南米に行ったら、またほじってしまうかもしれない。そして日本に帰ったら、間違えなくそれを止める。体得したことが、元の生活に戻って悪目立ちしないかという心配もあったけれど、そんなことはきっとないだろう。もうすでに1週間前までインドにいたことが信じられない自分がいる。

やって来ました、神話の国

 イスタンブールを夜9時に出発したバス。運転手を含め、フロントではおじさん3人組が一晩中談笑していました。ここでもそれなりに荒々しい運転が繰り広げられるながら、途中1人が孫らしき子供を相手にビデオ電話をはじめ、ハンドルを操作しながらそれに参加するドライバー。こういうのも日本なら大問題になりそうなものですが、この旅ではこんなのは序の口。心配がすぎると思いますが、バスになるときも、ここで自分の生が尽きるのではないかという不安は片隅にあります。12時ごろ国境につき、いよいよEU圏に突入します。アジア系と思しき、僕を含めた数名はそこで荷物チェックを受ける。ちょっとモヤモヤしますが、協力しないわけにはいかないので。ギリシャと言えば、やはり神話の舞台というのが大きく、それに近年の経済危機。ユーロ離脱なんかが叫ばれていたこともありました。その先は追っていませんでしたが、通貨はユーロのまま。これから1ヶ月以上、国は頻繁に変わるけれど同じ紙幣、硬貨を使っていける。今まで各国のそれらを1枚ずつ記念に残していくという喜びはなくなりますが、やはりこれは便利です。3日おきにそれが変わっていたら、下ろす額、使い方もかなり面倒臭くなるのでありがたい。6時ごろに一度下車し、7時半発のアテネ行きに乗り換える。明るくなった世界、窓からは頭に雪の着物を着た山々が見える。到着したのは1時過ぎでした。


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 そこから宿までは3キロほど、最近ハマっている曲の英詞を記憶しようと努めながら。少しすると4、5階ある建物が並ぶ中心部に近づいてきたのですが、シャッターを閉じた店が多く、活気を感じられない。金融危機から来たものなのか、元の姿を知らないので判然としませんが、全体が少し落ち込んでいる。ヨーロッパというだけで華やかなものばかりを想像してしまいますが、そうとばかりもいかないこのご時世。主食はケバブからパイに代わりました。知らなかったのですが、そんなに多くない飲食店、見つけると大抵パイばかりが売っている。ギリシャ語を読めず、英語なんか書いていないので甘いものを期待して買ったら、しょっぱかったり。肉入りが欲しいと思っても当たらなかったりと難しい。


 そしてイスタンブールからそれなりに西へ移動したものの、日本との時差は変わらず6時間。なので日の出の時間が遅く、空は夜の8時近くまで明るい。違和感があります。沈む夕陽を眺めて、気がつくと遅い時間になっている。少しリズムが狂ってしまう。そして、これはかなり真剣に、夕食に何を食べればいいのかがわからない。昼時にはわりと目に入る飲食店は日の入りを前にほとんどがシャッターを下ろしてしまいます。数少ないスーパーと道にある小さな売店が開いているばかり。現地の方々は夜は家で食べるのが当たり前ということでしょうか。なんとか菓子パンを買って済ませていましたが、不思議でした。これからが勝負という時間もするのですが。気をつけていないと食いっぱぐれる。コンビニ文化に慣れきった僕は、困ったら頼るところがある。24時間営業、本当にありがたいです。ギリシャでは「バングラデシュ人だろ?」と言われました。


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 初日は荷物を置いて少しの休憩。夜行バスでほとんど寝られていない状態、出歩くと回らない頭が簡単なことに躓いてしまいそうな不安。かといって部屋で横になっているのももったいない。傾向として、夕陽という言葉に弱い。それを売りにする場所があると必ず向かってしまう。特にこの日はそれを見たい気分だったので海をバックにアクロポリスを見られる教会のある丘に登りました。暑いというほどではないけれど、急勾配になると汗が出るくらいの気温。今のギリシャはとても過ごしやすい。日本ももう20度になったりするようですが、自分のいない間に一つ季節が巡る。これも初めての経験です。斉藤由貴の声をした王子様の"夕ぐれが大すきなんだ。夕ぐれを見にいこう"という台詞がよみがえる。セント・ジョージ教会。頂上にはちょうど座れるスペースと同等の人がいました。クーラーボックスに飲み物を入れて売っている人が声をかけてきて「ビールはどうだ?」「いや、いらない」「水は?」それも断ると、変人を見るような目を向けられる。インドからは極端に水分摂取量が減っています。いい眺めでした。遺跡群と整備された、これぞヨーロッパというような街並みを一望できる。上記のズレから、6時過ぎに登った僕はベストタイミングまでに2時間近く暇をつくってしまい、結局待ちきれずに半分ほど下ったところでそれを眺めました。今までとはまた違った植物群の間から見る、やはりどこにいても変わらない太陽はこの日も何かと励ましてくれる。フジファブリックの「茜色の夕日」が聴きたくなる。1日が24時間でよかった。


 翌朝はそれなりに早起きをして、"小高い丘"アクロポリスに行きました。入り口を前にギリシャ人のおじいさんに日本語で話しかけられる。どうも反射的に警戒してしまうのは、これまでの経験からとは言え、申し訳ない気持ちにもなる。結局言い人で、昔日本で行ったことがあるということなどしばらく話しました。この人が頻繁に使う「あべこべ」というワードがツボに入る。このご時世、日本でもあたり使われない。使い方はあってるのだろうか。「ぎりしゃ、けいざいあべこべ」不謹慎だとは思いますが、笑いを禁じ得ない。別れてチケットを買うために列に並んだのですが、早い時間に関わらずすでにかなりの長さになっている。ヨーロッパではきっとこれが続くのだと思います。周りはほとんどが複数人なので、途中交代で何かを買いに行ったり、休んだりしているのが羨ましい。抜けてしまえば、はい、はじめからな僕。ようやく順番になり、疲れてはいたものも、受付のおばさんの感じが良かったから少し救われる。入場し、もちろん坂。途中の地点からは競技場などの遺跡が見下ろせる。神話の舞台。結局ギリシャ神話は読破できないまま、先に日本に帰してしまった。何と言っても、パルテノン神殿。階段がはじまり、門をくぐってこんにちは。あれ、工事中。ついていないのか、人類のため、世界中の遺産の多くは今日も工事中。反対側はそのままの姿だったのでセーフ。さすがに観光客への配慮はあります。置いてあるパネルと比べれば、原型はかなり崩れてしまっている。たくさんの像が並んでいたはずの上部に、一体だけ完璧な形で残った座る男。彼の放つ哀愁、そこに留まり続けた力強さ。石に普遍性を見出した昔の人々の考察は、時代を超えて子孫たちに恩恵を与える。この文化が生み出したものは、今でも確かな影響を様々な国、分野に有する。美の概念、創り出す技術の先進性。現在でも幸か不幸か、ここから脱却できていないと思う。恐縮ながら、賛辞でもあり、悲しみも含む。古いというのはそれだけで武器になり、チャンスも多い。現在が昔になった時に、何が賞賛されるのだろうか。何が残っているのかな。人の歴史の中で、またひとつ凄いところに来ることができました。せっかくの知識、それにイメージを持てることは幸せです。


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 歩けばすぐにギリシャ、ローマの遺跡群が現れる。またアテネと言えばオリンピオン。オリンピック。第一回の開催地であり、僕の中で年齢的にもっとも色濃く残る2004年大会の開催地です。それらに関連した施設もあります。外部からはいくつか眺めましたが、入場したのはパルテノン神殿だけ。そして2泊で次の国へ。タイトなスケジュールは管理が大変で、ちょっと疲れる。まだ始まったばかりなのに。次はイタリア。それでも自分がイタリアに行くことを思えば、非現実的で、嬉しさがこみ上げます。最終日は6時起きで、地下鉄に乗って空港へ。奇妙に思えることは、アジア各国の方が英語の表記が充実していること。近いからこそのライバル心があるのでしょうか。ギリシャ語なんて一つもわかりません。便利な地下鉄は、慣れてきた不便さと真逆のところにあって、当たり前だけど、すごいことに思えます。便利だけどギリシャはあらゆることが少しずつ緩いイメージ。地下鉄はチケットをチェックされることも、降りた空港の駅には改札もなかったので、知っていればやりたい放題です。


 ようやく座席に落ち着いて、コーヒーを飲みながら、搭乗後2時間もせずにローマ。この地域に来てから、いつも、どこでも口づけを交わすカップルばかり。ルックスもさまざま、文化の違いをまざまざと。