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天国と地獄

 ローマ2日目。この日はイタリアにいながら、新しい国。世界で一番小さい国家、バチカン市国に行ってきました。集めた情報から、予約等していない場合、相当並ぶ必要があるらしい。ここ最近は早起きの毎日です。ドミトリーは8時、場所によっては10時ごろまで他の客が寝静まっていたりするので気を使うのですが、付き合っていては時間がもったいないので失礼して。みなさん夜型の人ばっかりです。僕がベッドに入る時間から、街に繰り出して行ったりする。中にはそれでいて、自分よりも早起きの方もいらっしゃる。とてもタフです。太刀打ちできません。7時過ぎに起きて、ヨーロッパでは珍しく朝食付きの恩恵を受ける。食パンにジャム、クッキー、シリアルがある程度ですが、かなり助かります。空腹の寝起きから、すぐに食事がある喜びは、例えどんなものでも母の味。ご飯と味噌汁っていうのも、もうそんなに遠い話ではない。一度出かけて、走るように進み、ちょっとして忘れ物に気がつく。大事なものだったので、放っておくと後々目の前にあるものを楽しめない気がしたので、しぶしぶ引き返す。そしてまた早歩き。1時間ほどあるいて、バチカン市国の側面から入場できる美術館についたのですが、すでに長蛇の列でした。通常の梅の価格のファストパスを勧誘するお兄さんたちの話では、1時間、2時間、3時間。要するに結構待つらしい。着いたのはまだ8時半ではあったのですが、甘くない。イタリアの観光地はどこもディズニーランドにいるような心地、雰囲気からも国そのものがテーマパークのようです。2列あって、右側は既にチケットを持っている人の列。瞬く間に進んでいく彼らを横目に、羨望の眼差しの日本人。目にできるものは変わらないので、辛抱あるのみ。控えている大物たちを想えば、明るい気持ちでいることができます。


 いざ中へ。持っていた国際学生証が3月いっぱいで期限切れになってしまい、有効であれば半額という事実に少し納得がいかない。運頼みと、一度提示してみようかとも思うのですが、どうもルールを守らなければならないという強迫が胸にこみ上げる。日本の美術館の内部で写真を撮った記憶はありません。禁止だったのか、自分がそれをしなかったのかというのは定かではありませんが、周りにいる人も一様に絵画、彫刻に集中していた記憶があるので、おそらく禁止だったのでしょう。ここは世界的にも相当貴重とされ、貯蔵数でもたいへん立派な美術館ですが、一部を除いて撮影は許されています。じっくり眺める人も、写真を残して足早に去っていく人もどちらもいます。記憶に残せばいいし、写真など撮ればそれに甘えて薄れてしまうとは思いながらも、ぼくもシャッターを押します。それが終わってからゆっくり観る。他人がどれだけの想い出をそこに残すのかはわかりませんが、記憶力不足か、僕は大抵2、3の作品が胸に残り、それ以外は遠からず見たことさえも忘れていってしまいます。それに、有名である作品や、芸術家のものにはより惹きつけられるので、かなりアマチュアな楽しみ方をしているのでしょうが、そんなところです。


 そんな中で、特に僕が見られて嬉しかった作品。まずは「ラオコーン」。世界史の資料集などにも載っていた像ですが、大蛇に襲われ、苦悶の表情が何ともリアルに表現されていました。この作品はその完成度と保存状態から、ルネサンス期の多くの芸術家にも影響を与えたと言われています。僕も何かを与えられたいものです。そしてラファエロの描いた天井画。これは一間だけではなく、館内を進むと彼が手がけた画が残された部屋が続きます。その中でも「アテネの学堂」は生で観られたことに大きな満足がありました。これらはもともと作品の名前や、背景を多少知っているのも大きい。初見のものは、イタリア語と英語で書かれた紹介カードでは誰のものかもわからないことが多々あります。その向かいにある、同じくラファエロの作品で、戴冠式のような場面を描いたもの。階段の途中にいる子供が他の人物とは違い、観賞者の方を向き、目が合うように描かれていました。しっかり向かい合ったのもあり、彼の顔は鮮明に覚えています。


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 そして何よりも楽しみにしていた場所がやってきます。この時はすでに2時間近くが経っていたはず。とにかく展示物が多く、一つの廊下をとっても、無数の彫刻が所狭しと並んでいます。その彫刻の上にまで絵画が掛かっていたりしますが、もうここまで注意を払っている人はいなんじゃないか。教皇が望んで収集したものもあるのでしょうが、贈られたものも多いのだと思います。もちろん、西欧の歴史の中でそれだけ重要であり続けた地位であるということは百も承知。体力勝負になります。これだけのものを、価値のあるものを次々に突きつけられると、だんだんと脳が糖分を欲しはじめるのがわかりる。まだか、まだかと作品をこなしていき、辿り着いたシスティーナ礼拝堂ミケランジェロの「最後の審判」の描かれているチャペル。"万能の人"によって描かれた前面、壁面、天井と広がる大作。ここだけは写真が禁止され、おしゃべりも注意を受けます。バスケットコートくらいの広さに、学校の集会のように人が詰め込まれている。胸に何かがこみ上げてきて、口から息が漏れる。今更評価を述べるようなものではありませんが、力強く、それでいて細かかく描かれた肉体、表情。その大きさも少なからず圧倒的である要素であるはずです。1人の人間が完成させるまでにかかる時間、苦労は誰もが想像できる。そして僕は、描いた本人の実在はもちろんですが、今までにこの画を前にしてきた数えられない人々の存在にも想いが向かいます。どんな人でも、地位や人種を超えて、感嘆の声をもらしたであろうこの場所。無数のその囁かな声が時代を経るごとに、この作品を偉大にしているようにも思います。逆にここにいられたことは、自分が存在できたことの喜びを優しく撫でてくれる。


 狭い出口には詰まった排水溝のように、人が流れなくなっていました。隠れて写真を撮る人も少なからずいましたが、僕ならそれを見返すたびにルールを破った罪悪感に苛まれてしまいそうです。そしてそれが許されなかったことが、よりこの場を強く記憶に留めてくれました。留めようと一生懸命でした。そこからもまた展示が続いたのですが早足に。最後は現代の抽象的なものが展示されていました。写実的なものは、よっぽど作者の腕がいいか、画風が好みでない限り、僕はこっちの「なんだこれ」と半ば笑いながらも観られるようなものが好きです。そして出口へ。


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 美術館だけで入国したと言えるのか、パスポートチェックはないので実感が湧かず、昼食を食べて、今度は正面から入ることにしました。言うまでもなく、ここでも1時間以上の待ちが発生する。自分が望んで列ぶけれど、これが何日も連続になると保たないだろうとわかる。そして残念なことに、待った挙句、正面の広場に入るだけ入り、この日はサン・ピエトロが閉館していたので、何をするでもなく退場。ピエタを拝むことはできませんでした。サバンナの夕陽にはじまり、見ることを願いながらその場に行き、叶わなかったことも少なくありません。残念ではありますが、長生きを望む理由にはなってくれるかなとポジティブにいきます。昨日と同じ、広場を通りながら帰りました。それはもう、とてもいい気分で。途中スーパーで、野菜不足の僕は先進国ならではのカットされた野菜を買って、夕食に。気分が良かったのに加え、久しぶりに摂取できるビタミンに天にも昇るような。


 しかし大きな喜びは、バランスをとるかのように直後落とし穴が待っています。サラダは皿に盛ると思っていた以上にボリュームがあり、そして思った以上にセロリが多い。僕は美味しいとは思わないまでも完食して、それなりに満腹に。キッチンに洗い物をしにいくと、宿の従業員の人たちが夕食を食べている。気さくな彼らは、「お前も一緒に食べろ」と招待してくれる。ご飯に肉、お腹が一杯だと言っても、いいから食べろ。ありがたいことに久しぶりに動きたくないほどの満腹に。ただ少しすると体調に変化が現れる。僕の胃袋が旅の間にかなり小さくなって、耐えられなかったのか。もしくは食品に問題があったのか。僕の推測では、人生で最も口に運んだセロリが合わなかったのか、黒くなっていたので、品質に問題があったのか。どっちにせよ、犯人はセロリだと思っています。人類の宝物。綺麗な芸術作品に満たされた1日は、トイレで嘔吐、美の全く反対側にあるものを前にして終わりました。こちらの描写は割愛。概して、いい日であったと締めさせてもらいます。




 

Italy! WHOOOO!!

 LCCとは言え、座席にポケットすらついていないのは初めてでした。安いから文句は言えないけれど、色調がもう安さ丸出し。もっとシンプルにすれば、マシに見えそうなものです。濃い青、ネービーと黄色の組み合わせ。100均で売っている安い工具みたい。機内で当たり前のように電子タバコを吸う人がいて、甘ったるい匂いに包まれる。安さを理由に振る舞いも適当だったりするCAさんたちですが、誠実な姿をみると好感が跳ね上がる。もちろん水ももらえないまま、あっという間にイタリアに到着。引っかかっていたことは出国の際にパスポートコントロールがなかったこと。到着しても、それらしいもののないまま出口にたどり着いてしまう。不安になって受付で尋ねると、EU諸国からの入国では必要ないとのこと。便利だ。パスポートに判子が増えないのは残念だ。そんなことはどうでもいい。僕はイタリアにいる。建物を出て少し歩くと、自然と笑みがこぼれてきて、「Italy! WHOOOO!」とそれなりにいい発音の英語で勝手に声が出ました。キャラ崩壊、恐るべしイタリア。これまでアフリカ、アジアと先にやってきましたが、半ば修行のようなところもあって。贅沢なご褒美をもらっているような気持ちです。アフリカにいられた時とは違う喜びを噛み締めています。


 道を間違えたのか、そもそも普通は使うものではないのか。空港の周りをバッグを背負って3km歩いて駅へ。歩道もないような道路だったので、きっと間違えていた。途中でバイクのおじさんが横に止まって、「乗っていくかい?」と言ってくれる。断ったものの、イタリア人のかっこよさに惚れかける。一層明るい気分になって進み到着。報われて、安い価格で中心部まで行けたので、よし。トルコからすでにその兆候はあったのですが、さすがはヨーロッパ。かなりの割合でオシャレな人ばかり。旅中の少ない荷物で対抗することはできません、自分のクローゼットがここにあったなら毎日服を考えて出かけたい。今はもちろん叶わないことですが、いつかできるなら、そういう旅行を大切な人と一緒にできたらいいななどと純粋に思ったりする。今は着古したシャツで、人を気にかけない単独行。


 宿が近づいて、一つ驚いたことがあります。立地はかなりいい。有名な闘技場、コロッセオには10分ほどでたどり着くところにある。それなのに、駅に近い区画、店を営んでいるのはほとんどが中国人。イタリアではあるけれど、彼らは当然のように中国語で会話をしている。思っていたなかった光景に、いる場所の実感は少し薄れる。移民を受け入れるイタリアは、それ以外にも通りにはアフリカ系、アジア系の人がたくさんいる。純粋な白人よりも多く。こういうことか、少しわかった。ゲストハウスのオーナーもアジア系。従業員もみんな。部屋はまだ使えないから、荷物を置いて夕方まで出かけてくれと言われる。慌ててロビーで情報収集。おかげで初日からローマを満喫することになりました。


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 世界中の観光地の中でも、この街はトップに近いところに位置するということは知っていた。でも、だからどういうことになっているかというのは想像が及んでいなかった。昼過ぎのピークタイム。もうどこも人で溢れていました。まずはコロッセオに向かったのですが、もちろん予約してない僕は、かなり長い列に並んでチケットを購入できるのを待たなければならない。列に並ぶのが好きではない僕も、やっぱり中は観たいので。それにiPodで音楽が聴いていれば、そんなに苦痛ではない。間に次から次へと割り込んでくる人がいないぶん、かなり気持ちは楽です。そして入場。ここはかつて人が殺しあい、それを観て人々が熱狂した場所。僕が今まで触れてきたものの中にも、ここがモチーフであったり、まさにここが舞台であるという作品が少なからずありました。今は崩れてしまっている部分はたくさんあるものの、スタジアムの3階席、4階席と言えるような高さまで、当時は席が並んでいた痕跡が残っている。人が多い、自撮り棒の数が多い。この今では世界的に人気のある商品は日本が発祥であることを知り、複雑な気分になりした。順路がよく分からず、何度も同じところをグルグルとまわりながら、ローマ時代を光景を浮かべる。外周からも、内部も石造り。この大きさは他に比べるものがないくらい。


 後にして歩いていったのですが、これはもうなんというか、数の暴力です。あまりにも有名なスポットが多すぎる。歩けば歩くほど、画面越しに見たことのあるものの実物が現れる。まずは真実の口。皆さんご存知「ローマの休日」で登場するあの石像。どこにあるかは遠くからでもわかりました。教会の前に設置されたそれと記念に写真を撮ろうと、かなり手前の地点から行列ができている。1人で並ぶわけはないので、人が入れ替わる、前が開いた瞬間に一枚パシャり。角度を変えてもう一枚、今だ。そのタイミングで、アングルにスマホの画面が割り込んでくる。考えることはみんな同じです。一度川沿いに出て休憩。一生懸命撮ってきた写真も、ここにいたらどんな角度を切り取っても、きっと誰が撮ってもしっかり画になる。激しい流れの川で、釣りをしている人がいる。釣れている様子は見受けられない。


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  そこからは方向を東に変えて、宿まで戻るついでに有名な広場を巡る。水を売っている店以上に、ジェラート、アイスクリームを売っている店の方がたくさんあると思う。この誘惑に堪えるのは大変だ。行き交う4割程度の人が、それを舐めながら進んでいく。ナヴォナ広場。スペイン広場。楽器を演奏する人、ダンスを踊る人。絵を描く人。それらを眺める観光客。パフォーマンスが終わると温かい拍手が送られる。同じ都会であるけれど、日本にはこういうスペースはあまりない。あっても休日以外、立ち止まることもほとんどないだろう。無知もあって、名も知らない建物たちがいちいち立派である。もう叶わないと思う。これが綺麗だと、生まれた時から刷り込まれてきたのか、これが人間にとっての純粋な美しさなのか、よく分からないなる。日本でもお馴染み、トレビの泉。後ろ向きにコインを投げ入れると、またローマに来られるという。前はぎっしり埋め尽くされて、投げるには遠投をする必要があったのでこれもお預け。また来られたらいいと思う。今度は絶対1人ではなく。


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 リンゴを一つ買って帰る。途中で我慢できなくなって、道端で食べる。ピザを一切れ買う。その場で食べる。"When in Rome do as   the Romans do."いつからか道で鼻をほじる事に抵抗を覚えないようになっていた。そんな事は、他の事に比べてとても瑣末なことだった。今、己自身を鑑みるに、その悪しき習慣は環境に合わせていつの間にか消えて無くなっていた。育った環境だけでなく、日々いる環境によって人は変わる。定まってないからなのか、僕は変わる。南米に行ったら、またほじってしまうかもしれない。そして日本に帰ったら、間違えなくそれを止める。体得したことが、元の生活に戻って悪目立ちしないかという心配もあったけれど、そんなことはきっとないだろう。もうすでに1週間前までインドにいたことが信じられない自分がいる。

やって来ました、神話の国

 イスタンブールを夜9時に出発したバス。運転手を含め、フロントではおじさん3人組が一晩中談笑していました。ここでもそれなりに荒々しい運転が繰り広げられるながら、途中1人が孫らしき子供を相手にビデオ電話をはじめ、ハンドルを操作しながらそれに参加するドライバー。こういうのも日本なら大問題になりそうなものですが、この旅ではこんなのは序の口。心配がすぎると思いますが、バスになるときも、ここで自分の生が尽きるのではないかという不安は片隅にあります。12時ごろ国境につき、いよいよEU圏に突入します。アジア系と思しき、僕を含めた数名はそこで荷物チェックを受ける。ちょっとモヤモヤしますが、協力しないわけにはいかないので。ギリシャと言えば、やはり神話の舞台というのが大きく、それに近年の経済危機。ユーロ離脱なんかが叫ばれていたこともありました。その先は追っていませんでしたが、通貨はユーロのまま。これから1ヶ月以上、国は頻繁に変わるけれど同じ紙幣、硬貨を使っていける。今まで各国のそれらを1枚ずつ記念に残していくという喜びはなくなりますが、やはりこれは便利です。3日おきにそれが変わっていたら、下ろす額、使い方もかなり面倒臭くなるのでありがたい。6時ごろに一度下車し、7時半発のアテネ行きに乗り換える。明るくなった世界、窓からは頭に雪の着物を着た山々が見える。到着したのは1時過ぎでした。


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 そこから宿までは3キロほど、最近ハマっている曲の英詞を記憶しようと努めながら。少しすると4、5階ある建物が並ぶ中心部に近づいてきたのですが、シャッターを閉じた店が多く、活気を感じられない。金融危機から来たものなのか、元の姿を知らないので判然としませんが、全体が少し落ち込んでいる。ヨーロッパというだけで華やかなものばかりを想像してしまいますが、そうとばかりもいかないこのご時世。主食はケバブからパイに代わりました。知らなかったのですが、そんなに多くない飲食店、見つけると大抵パイばかりが売っている。ギリシャ語を読めず、英語なんか書いていないので甘いものを期待して買ったら、しょっぱかったり。肉入りが欲しいと思っても当たらなかったりと難しい。


 そしてイスタンブールからそれなりに西へ移動したものの、日本との時差は変わらず6時間。なので日の出の時間が遅く、空は夜の8時近くまで明るい。違和感があります。沈む夕陽を眺めて、気がつくと遅い時間になっている。少しリズムが狂ってしまう。そして、これはかなり真剣に、夕食に何を食べればいいのかがわからない。昼時にはわりと目に入る飲食店は日の入りを前にほとんどがシャッターを下ろしてしまいます。数少ないスーパーと道にある小さな売店が開いているばかり。現地の方々は夜は家で食べるのが当たり前ということでしょうか。なんとか菓子パンを買って済ませていましたが、不思議でした。これからが勝負という時間もするのですが。気をつけていないと食いっぱぐれる。コンビニ文化に慣れきった僕は、困ったら頼るところがある。24時間営業、本当にありがたいです。ギリシャでは「バングラデシュ人だろ?」と言われました。


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 初日は荷物を置いて少しの休憩。夜行バスでほとんど寝られていない状態、出歩くと回らない頭が簡単なことに躓いてしまいそうな不安。かといって部屋で横になっているのももったいない。傾向として、夕陽という言葉に弱い。それを売りにする場所があると必ず向かってしまう。特にこの日はそれを見たい気分だったので海をバックにアクロポリスを見られる教会のある丘に登りました。暑いというほどではないけれど、急勾配になると汗が出るくらいの気温。今のギリシャはとても過ごしやすい。日本ももう20度になったりするようですが、自分のいない間に一つ季節が巡る。これも初めての経験です。斉藤由貴の声をした王子様の"夕ぐれが大すきなんだ。夕ぐれを見にいこう"という台詞がよみがえる。セント・ジョージ教会。頂上にはちょうど座れるスペースと同等の人がいました。クーラーボックスに飲み物を入れて売っている人が声をかけてきて「ビールはどうだ?」「いや、いらない」「水は?」それも断ると、変人を見るような目を向けられる。インドからは極端に水分摂取量が減っています。いい眺めでした。遺跡群と整備された、これぞヨーロッパというような街並みを一望できる。上記のズレから、6時過ぎに登った僕はベストタイミングまでに2時間近く暇をつくってしまい、結局待ちきれずに半分ほど下ったところでそれを眺めました。今までとはまた違った植物群の間から見る、やはりどこにいても変わらない太陽はこの日も何かと励ましてくれる。フジファブリックの「茜色の夕日」が聴きたくなる。1日が24時間でよかった。


 翌朝はそれなりに早起きをして、"小高い丘"アクロポリスに行きました。入り口を前にギリシャ人のおじいさんに日本語で話しかけられる。どうも反射的に警戒してしまうのは、これまでの経験からとは言え、申し訳ない気持ちにもなる。結局言い人で、昔日本で行ったことがあるということなどしばらく話しました。この人が頻繁に使う「あべこべ」というワードがツボに入る。このご時世、日本でもあたり使われない。使い方はあってるのだろうか。「ぎりしゃ、けいざいあべこべ」不謹慎だとは思いますが、笑いを禁じ得ない。別れてチケットを買うために列に並んだのですが、早い時間に関わらずすでにかなりの長さになっている。ヨーロッパではきっとこれが続くのだと思います。周りはほとんどが複数人なので、途中交代で何かを買いに行ったり、休んだりしているのが羨ましい。抜けてしまえば、はい、はじめからな僕。ようやく順番になり、疲れてはいたものも、受付のおばさんの感じが良かったから少し救われる。入場し、もちろん坂。途中の地点からは競技場などの遺跡が見下ろせる。神話の舞台。結局ギリシャ神話は読破できないまま、先に日本に帰してしまった。何と言っても、パルテノン神殿。階段がはじまり、門をくぐってこんにちは。あれ、工事中。ついていないのか、人類のため、世界中の遺産の多くは今日も工事中。反対側はそのままの姿だったのでセーフ。さすがに観光客への配慮はあります。置いてあるパネルと比べれば、原型はかなり崩れてしまっている。たくさんの像が並んでいたはずの上部に、一体だけ完璧な形で残った座る男。彼の放つ哀愁、そこに留まり続けた力強さ。石に普遍性を見出した昔の人々の考察は、時代を超えて子孫たちに恩恵を与える。この文化が生み出したものは、今でも確かな影響を様々な国、分野に有する。美の概念、創り出す技術の先進性。現在でも幸か不幸か、ここから脱却できていないと思う。恐縮ながら、賛辞でもあり、悲しみも含む。古いというのはそれだけで武器になり、チャンスも多い。現在が昔になった時に、何が賞賛されるのだろうか。何が残っているのかな。人の歴史の中で、またひとつ凄いところに来ることができました。せっかくの知識、それにイメージを持てることは幸せです。


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 歩けばすぐにギリシャ、ローマの遺跡群が現れる。またアテネと言えばオリンピオン。オリンピック。第一回の開催地であり、僕の中で年齢的にもっとも色濃く残る2004年大会の開催地です。それらに関連した施設もあります。外部からはいくつか眺めましたが、入場したのはパルテノン神殿だけ。そして2泊で次の国へ。タイトなスケジュールは管理が大変で、ちょっと疲れる。まだ始まったばかりなのに。次はイタリア。それでも自分がイタリアに行くことを思えば、非現実的で、嬉しさがこみ上げます。最終日は6時起きで、地下鉄に乗って空港へ。奇妙に思えることは、アジア各国の方が英語の表記が充実していること。近いからこそのライバル心があるのでしょうか。ギリシャ語なんて一つもわかりません。便利な地下鉄は、慣れてきた不便さと真逆のところにあって、当たり前だけど、すごいことに思えます。便利だけどギリシャはあらゆることが少しずつ緩いイメージ。地下鉄はチケットをチェックされることも、降りた空港の駅には改札もなかったので、知っていればやりたい放題です。


 ようやく座席に落ち着いて、コーヒーを飲みながら、搭乗後2時間もせずにローマ。この地域に来てから、いつも、どこでも口づけを交わすカップルばかり。ルックスもさまざま、文化の違いをまざまざと。

東西に架ける橋

 つい先日までインドにいた僕にとっては、イスタンブールは「なんて綺麗なんだ」。踏んでブルーになるようなものも落ちていない。野良犬にさえ品を感じる。一定の秩序がある。人に助けを求めると、丁寧に手を差し伸べてくれる。そんな環境ながら、近年テロが頻発している地域でもあります。エジプトのカイロに行った時と同様、目に見えないものに対する緊張感はあります。治安がいい、穏やかに流れる時間に潜むその可能性は、絵に描いたような街並みで満たされた自分の視界に一つの黒点が入り込んでいるように、頭から離れない。そして離さない方がいいとも思う。


 ガルフエア。デリーから乗る予定だった飛行機ですが、フライトスケジュールの電子掲示板になぜか記載がない。4時55分発。4時45分と5時発の飛行機の間には何もない。これにはかなり不安になって、何度もインフォメーションに行き確認する。待てば大丈夫だと言われても納得できない。デリーの他の空港なのではないか。落ち着けないまま、ざわめきを抑えようとサンドイッチを食べる。深夜1時、数あるカウンターの隅っこに開いたガルフエアのカウンターを発見して、ようやく存在を確信できた。安さだけで選んだ、聞き覚えのないこの航空会社はバーレーンのナショナルキャリアでした。もしサッカーが無ければ、その国があることさえ知らなかったかもしれません。バーレーンで一度の乗り継ぎ。地は踏んでいないものも、僕はこんなところにも来ています。空港の清潔感、窓から見る景色はイメージの皆無だったこの国に、偶然知る機会を与えてもらう。待合室にはたくさんのカフェと種類豊富なパンが列をなしていて、空腹をくすぐられる。きっといい国だろうと思う。そんなことを経てついたのがトルコです。とはいえイスタンブールは極西に位置し、他の都市に行くよりもギリシャに行く方が早い。トロイやカッパドキアなど有名で魅力的な場所もありますが、今回はスルーします。気球に乗るカッパドキアは旅中おすすめもされましたが、何度目の主張か、高所恐怖症。それはもちろん、事故がたびたびニュースになるからと思っていると、つい先日も旅行者の方が亡くなったというニュースが舞い込みました。その土俵に立つ勇気もなかったけれど、やっぱり行かなくてよかったと思う。


 空港からの移動に地下鉄を使える、その時点で既に今までとは違う。ICカードを購入してから、チャージ式の移動。日本と違うところは価格が10分の1以下であるところだけ。欲しいものがすぐに手に入るスーパーなども、簡単に見つけられる。新しいところに来たという実感は、到着後すぐ確かに押し寄せてきました。コンスタンティノープルコンスタンティヌス帝。ローマ時代の強い名残のある風景の中に、オスマン帝国、数え切れないモスクが点在する。それも一つ一つがかなり大きく、立派なものばかりです。全貌は見えなくても尖塔が何本も生えている。ヨーロッパとアジア、東西の架け橋。学校で習った通り、その混合の中にありました。ヨルダン以来の中東でもあり、食はもっぱらケバブ。2日とちょっとの滞在、売店のパンとトウモロコシ以外は全部これ。インドではほとんど食べられなかった肉を摂取できる上、炭水化物に野菜。これほど完成されたファーストフードは他にないのではないか。頬張りながらそんなことを思っていました。


 1番の目当ては何と言ってもブルーモスク。初日から路面電車の中から見て興奮しました。外装は白がメインで、6本ある尖塔が特徴的です。こればかりに目がいって、背後にあるこちらも有名なスルタンアフメトモスクには内覧を終えるまで気がつきもしませんでした。ハードな移動もあってか、最近視野が狭くなっていてならん。ブルーモスクと言われる所以はやはり内部です。青を基調としたステンドグラスが前面に配置され、壁も一面イスラム文様が敷き詰められている。一つの柱を取っても、飽きるまでには時間がかかる。入場時間に制限があるので、それがなければいつまでも座って眺めていたいくらいでした。数あるモスクへ行ってきたけれど、今回の旅ではこれで最後になるかもしれません。その中でもここの荘重さというのは、エジプトのムハンマドアリーモスクと並んで記憶に残りました。これまで21年間、モスクというものに入ったことがなかったし、内部がどうなっているかというのも全然わかっていなかった。その魅力に取りつかれるばかりです。遠かったイスラム教のイメージに、今ははっきり美しさが加わっています。エジプトのものほど自由にはできず、信者以外は後方の部分にしか入れないのが残念ではありました。それと木や建物に邪魔されて外観をうまく写真に残せなかったこと。上から見下ろせるようなところを発見できていればというように、外観もかなり見応えのあるものでした。


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 他の名所も場所は抑えていたのですが、それよりも街そのものに興味を惹かれて。先に述べたように、ヨーロッパのような造りは僕に取って初めてのものだったので。歩くこともウキウキ。それにゆっくりしたくなるようなカフェやおしゃれな小物屋など、しばらくご無沙汰していたものが、日本以上にいい雰囲気の中に構えている。最終日はバスが夜だったのもあって、昼間はそれらをめぐって楽しみました。エジプトからヨルダンへのフェリーでは紅海の上に浮かびましたが、今度はエーゲ海を橋の上から眺める。船がたくさん浮かび、交通網も陸上同様に発達しているようでした。そして何と言ってもイスタンブールは猫がたくさんいます。インド北部は全域でその数が少なく、圧倒的に汚い犬たちが優勢を保っていましたが、ここではむしろ猫。猫派にはきっとたまらないと思います。人馴れもしているのか、近寄ってくる子たちも多いし、数頭で群れをなしているようなことも見かけました。彼らは本当にいいですよね。こちらまでのんびりした気持ちにさせてくれる、ありがたい存在です。それに僕に取っての中東圏はいつも寒い場所でした。それ以上に暑いところにいたのもありますが。ヨルダン以来だろうか、また久しぶりに靴での生活を再開させています。これがもうひどく臭くなってしまっているので、一度洗わなければ。温度管理できるだけの設備があるので、体調はむしろ上り坂です。お伝えしていたように、足早にもう次の国を目指します。イスタンブールのスポットは基本的に密集していて、どこも徒歩圏内にあります。この日程も正解だったと思えるような、コンパクトさは僕にはちょうど良かった。


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 思い通りにならなかったこと、自分でも誤りだったと思うこと。そんなことは道中たくさんあります。普段の生活の中でなら、誰かの存在に甘えて言い訳をつくってしまったりもするのですが、ここでは原因も結果も全て1人で受け止めなければなりません。側で泣き言を聞いてくれる存在もいないことは、かえってそれらがいる場所を懐かしく、かけがえの無いものだと意識できるようになります。もうどうしようもなく落ち込んだりすることもあって、後に引きずりつつ、なんとか消化していく。生きていく強さも学べているのでは無いかと思います。うまくできない時もあるけど、どうにかもがきながら。これらの溜まった愚痴は、後々の酒のつまみにさせてください。そしていつもありがとうございますって、改めて。これからどんどん、どんどん深くヨーロッパに。その見た目の優しさに油断しないように。

インドは広かった、大きかった

 晴れ間が見えてきた。無数の水滴が光を浴びて光る。雨が降りました。何ら不思議なことではないけれど、僕にとっては2017年初めての雨。もう気がつけば4月にいて、単純計算100日以上、10ヶ国の違った大地にいながら、無縁のものになっていた。ご無沙汰です。最後は確かザンビアだったはず。梅雨を楽しめるだけの心の大きさはありませんが、時間のおかげ。とても綺麗なものですね。起きた時にはすでに降っていたので、寝泊まりだけのゲストハウスには、ドミトリーもたくさん、多くの人が泊まっている。同じ考えを共有して、出かけるのをやめた人でカフェのスペースはかなり人口密度が高い。途中弱くなった隙に出かけたりもしたけれど、夕方まで黒い雲は僕らの頭上に居座った。

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 この間していたことといえば、スマホと地図、メモ帳を手元に予定を組む。これがかなり難しい作業になって、まだ決められていないことはたくさんあります。当然これから先進国と呼ばれる、きっとハイテクに満ちた所にいきますが、これまでとは比べものにならないほど、何をするにも価格がネックになる。染み付いた金銭感覚では、もう恐ろしいくらい。それに人気もあって、1ヶ月先のこのでも安い宿は埋まっていたりする。まあ日本で考えてみれば1000円で宿泊なんて、カプセルホテル以外ほとんど不可能に近い。それと同じことですね。前日に決めた予定も、かなりすんなり進んでくれたことで、計画性は培ってこなかった。いろんなチケットは当然早くとったほうがお得だけれど、それ通りに事が運ぶ、色々な要素を頭が処理できているのかは自信がありません。それに先の感情はわからないから、チケットの確定ボタンを押すことには怖さもある。どこかで必ずしなければならないことだったので、考える余裕をくれるリシケシに来たことは正解でした。やってこなかったからこそ、緻密に考える必要を求められたからこそ、もしこれがうまくいったら、嬉しいだろうなというのもわかる。結局3日がかりで考えをまとめ、7つのフライトを予約しました。本当に順調にいってくれますように。ちなみに帰国日も決めましたよ。

 自分でもちょっと大丈夫なのか、というような日程になりましたが、体力を振り絞っていきたいと思います。飛行機以外のところは簡単に変えられるので力まずに。途中悩んで変更を重ねましたが、四大陸周遊は果たせそうです。帰ったら日本食の反動で太るのは目に見えているので、少しばかり痩せても、まあパーくらいになるでしょう。今晩から2日間、僕は宿無しです。この後デリーへの夜行バス。明日、正確には明後日の朝4時の飛行機でイスタンブールへ入ります。ということで、これがインドでの最後の投稿になります。25日間経ってみれば瞬く間。腹痛や鼻水に悩みながら7箇所を巡りました。インドは広く、大きくて、行きたかった南へは時間が許さず、全く異世界の中で揉まれてた。より自分をタフに、あらゆるものへの耐える力を与えてくれた気がします。都市部にはもう2度と行かなくてもいいけれど、溢れんばかりの歴史を持った国、完璧に知るには旅の全てをここに捧げる必要があったかもしれません。噂ほど人に騙されたりということは少なくて、さほど悪いイメージはないのですが、彼らが当たり前とするマナーと僕の普通との隔たりは大きく、苦しめられました。また来ることがあるならば、きっとかなり追い込まれた状況。四方が行き止まりになった時、僕はこのカオスに救いを求めるかもしれない。何でもたちどころ、どうでもよくさせてくれるかな。

 一度は晴れ間も見ましたが、この3日間天気が悪い日が続いて。最終日はこれでもかと言わんばかりの雷に襲われています。昨日の胸にしみる夕陽は今日の天気を約束してくれているような気がしていましたが、そんなことはなかった。今の僕の頭の中はこれでもしっかりバスは走るのかということだけです。デリーに着けなければ、飛行機さえ逃しかねないので。強い風にルーフトップカフェの安く軽い椅子たちは四方八方に散らばってしまいました。山と雷、この組み合わせの恐ろしさもしばらく頭から離れていて、いや本当に大丈夫かしら。大雨まで降り始め、出発を1時間前。変わりがちな天気が僕の味方をしてくれること、祈るしかありません。

 そんなわけで、ヨガ、瞑想に励むこともなくリシケシでの日々は終わります。あまりにもそんな場所がありすぎて、選ぶ気にもならなかったというのが正直なところ。宿も清潔感があり、居心地がよかったので、あまり外にも出ていません。ここにはインド人と白人しかおらず、東アジアバンザイと盛り上がれる相手もいませんでした。ここに引き寄せられるような人は、やっぱりルックスからディープそう。日本人の旅行者は大抵、学生であるか、職を辞してきたか。世界旅行となると、ワーキングホリデーをし、貯めたお金でそのままという人が多いように思います。学生で休学してというのは、3人しか出会っていません。これから僕は彼らの本拠地へ。宿にはどんな人たちが待っているのか、まったくわからない。ヨーロッパ内でも、旅をする人がたくさんいるのだろうか。また新たな環境を楽しんでいきたい。間違いなく今までより衛生的な綺麗さは待ってくれているはずだから。1000円以下、時には170円ほどで一泊できるこの環境は、そういう面ではかなり名残惜しくはあります。

 「お前ネパール人だろ」。話したインド人たちによく間違われました。1度や2度ではありません。何が彼らにそう思わせたのか、自分ではまったくわからないのですが、それだけ日本人から離れていっているということでしょうか。複雑な心境ですが、よしとします。過去に見たネパールの人々はイケメンが多いという印象だったので。ここはポジティブに。

 これで13ヶ国目、インドは終わります。終わるはずです。ここからはかなり頻繁に国が変わると思います。ブログも次々に舞台を変えていくので待っていてください。そして、俺はまだ死んでないぜ。

あなたへと続く道

 同じゲストハウスに宿泊しているお姉さんの腕にタトゥー発見。これ自体は珍しいことでもなく、むしろ当たり前のような光景。掘られているものは、遠くからだと、一見「人」という文字が隣り合わせに4つ並んでいるよう。わかる人ならわかる。アビーロードを横切る"あの4人"の姿です。今僕が滞在しているリシケシ。ビートルズのメンバーたちが50年近く前、マハリシのもと、瞑想に励んだ街。単純な僕も、それだけの理由で吸い寄せられて、より上流の、汚くはないガンガーを見下ろしながら生活をしています。


 ジャイサルメールでのキャメルサファリを終え、その日のうちに列車でデリーに移動しました。首都ニューデリーもすぐそこに。都会に戻ってきた僕の感情は想像してもらえると思います。煩い、臭い、疲れる。幸い砂漠から暑さだけは少し和らぎましたが、それでも40度近い。駅を出るなりに見慣れたはずの人の数に、改めて圧倒される。この国の中でも特に詐欺師が多いと言われる街。やっていける自信は全くありません。駅から出るなり、すぐ近くのところで30ルピーのボリューミーなカレーをいただき、そのまま翌日のバスを予約する。直接は電車がなく、経由せざるを得なかった。今すぐに抜け出したい。インド経験者の友人と意見が一致したこと、北インドの都会にいると自分の性格が荒んでいくのがよくわかります。そうさせる街も、そうなってしまう自分も気持ちいいものではありません。1泊予約してあったゲストハウスは"ママ"と呼ばれる、ここでは絶対的な力を握ったおばあさんが青年たちを働かせ、自分はほとんど1日中ベッドの上。腕なんかにも、考えられないほどの贅肉を蓄えています。着くなり軽い面接のようなものがはじまり、ドミトリーを予約していたのに空いていないと言われる。ほぼ同額でシングルになったので文句は言えませんが、完全に上からの一方的なものいいに「もうむちゃくちゃ」日本語でツッコんでしまう。


 翌日のバスは午後9時発ということもあり、荷物を置かせてもらい昼過ぎから街散策。と思って出かけたのですが、足元がなんだかフラフラ。肉、タンパク質が足りてないという安易な原因推測、マクドナルドに入って栄養補給。気温のおかげか、日中はそこまで人は多くない。多くなくてもクラクションは静まらない。歩きやすくはあったので、またもやシャー・ジャ・ハーンによって建てられた通称"赤い城"へ。時間がかかったわりに、近くに着くと全貌が見渡せるところがあり、腰を下ろす。地元の青年たちが近寄って来て、囲まれる。全く言語の通じない中、戯れているうちに「帰ろう」と思いました。結局中にも入らずに退散。ネットに載っている写真はどれも外から見られる部分のものだったので、内部はたいしたものがないと信じて。宿の近くでジョッキ一杯のミックスフルーツジュースを飲む。もう満足。まだ時間もあったのですが、のんびりと椅子に腰掛けて。先のことを考えながら、暇つぶし。考えると目前にヨーロッパが待っています。途上国ばかりの4ヶ月から、あと少しで違った世界の中に入る。金銭的な心配は付き物ですが、楽しみになってきました。どう辿るか、今まで以上に悩ましい。決めいるのはイタリアでミケランジェロピエタを必ず観る。それだけです。


 やっとの事で時間が来て、トゥクトゥク移動、駅そばへ。トゥクトゥク移動、バス停へ。このバスが端から時間を守らないことから始まり、本当に酷かった。流石にどこにでもあったシートベルトさえ付いていない。悪路を高速で、何度もガタガタ揺れて寝られるはずもない。エアコンの温度がかなり低く、凍えるほどなのに壊れて止まらない。これらの悪条件に疲労の溜まった体は悲鳴を上げていました。そして直行のはずが途中で降ろされて、待たされ、乗り換え。自分自体を落ち着かせるしかないのですが、朝6時頃到着した新しい景色に、早くも助けられる。川に大きな橋が2本かかり、両岸に造られたから小さな街。ヨガの聖地として有名なこの街は、インドとは思えないほど穏やかな空気が流れている。


 とは言え、寝不足。部屋は12時からしか使わせてもらえず、それまで上階のカフェで時間を潰す。幸い何冊か本が置いてあったので、辞書片手に程よく時間が過ぎました。シャワーを浴びて一眠り。2時半ごろに目覚めて、出かけました。目的地は初日から、他にないのもあってビートルズが過ごしたアシュラムへ。今は廃墟と化して、国立公園の中、50ルピーほどかかるという情報を持っていたのですが、いざ30分歩いて着くと600ルピーと書かれている。きっと最近変更されたのだと思います。国立公園に約1000円というのは、決しておかしくはないけれど、インディアンプライスからすると、本当にふざけている。されども、これをメインに来ている僕も、簡単に諦めることはできない。「高過ぎないかー」相手が何人だろうと、不満は日本語で口をつく。何を隠そう結局入りました。


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 入り口で引き返す外国人がほとんど、ほとんど人のいない中坂道を登っていくと、早速ジョンが瞑想に使ったという9番と描かれた建物がお出迎え。さっきまでの不満は何処かへ行って、不思議な高ぶりを覚えて入ってみる。かなり狭い中にトイレもあって、2階建。ジョージとジョンは特にインドの文化に傾倒し、長期滞在。ここでの成果から創られた曲はたくさんあると言われています。彼らが200近い人を連れ、ここにいたのは1968年の出来事。50年。後にマハリシも手放して人出の入らなくなったこの場所は、噂の通りの廃墟。彼らの背中を追いかけて、ここを訪れたビートルズファンなどによりたくさんの落書きがされています。この部屋も同様に。それでも彼が当時確かにここにいた。同時代の人間にアイドルを持たない僕には、ジャニーズ、AKBなどに熱を上げる人たちと、きっと少し似た想いで、生まれた時にはこの世にいなかったその人の存在を確かに感じる。先にもいくつかの建物があって、どこも入り放題。敷地に5人ほどしかいない中、一生懸命、上ったり下りたり。知り合ったインド人の青年と2人で進む。展示などはありません、ただそこに感じる。馬鹿かと思う方もいるかもしれませんが、嬉しかった。


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 沈みゆく陽を受けて、同じ道を歩いて帰る。聖地になるだけの雰囲気を感じて、平衡を取り戻した感情は優しく。帰ったら続く日本での生活、今だけのこの日々に。とにかく今を楽しまなければと、一番大事なところに帰らせてもらう。ただ先ほどの出費は少し引きずって、屋台でりんごを一つ、ガンガーのほとりに腰を下ろして晩ごはん。3泊することにしたので、また明日から。近くにはヨガや瞑想の教室がもういくつもあって、当日数時間の参加もできるらしい。そんなことをしてもいいだろうし、今の気持ちを保ちつつ、たまには頑張らなくてもいいでしょう。ただ感じるだけでもいいでしょう。インドで一生懸命ヨガをしている僕を、想像したら笑える人もいますよね。


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空を見上げれば

 ジョイプールのホテルで予約し、6時ごろと言われていた電車は実際には5時20分発だった。起きられないかもしれない不安は、眠りを妨げ、自ら起床の難易度を上げていく。我慢比べ。高校時代の友人、旅で出会った人、松本人志というまさに夢でしかありえない組み合わせ。素のままの指をバナーで指を炙り、何度まで耐えられるかという、恐ろしい我慢比べ。僕は現実の如く一瞬で手を離してしまうのだけど、対戦相手たちは各々違った表情で挑み続ける。止まることなく上昇していく温度と苦悶の表情に目を背けたくなった時、スピッツの「空も飛べるはず」でこの世界から解放された。4時40分。ここはドミトリー。思っていた以上に高音で鳴ったアラームに、眼が覚めるとほぼ同時、申し訳ない気持ちになる。2段ベッドの上段にいて、軋み方から下の人を起こしてしまったことがわかる。昨夜あなたのいびきに悩まされたこととで、どうにかパーにしてほしい。着替えて、部屋を出、寝間着をバックパックに詰める。スタッフも寝たままだったけれど、親切なのか、不用意か、ドアと門はしっかり開いていた。


 人通りが少ない時間は、いつも以上に野良犬に気を使う。遭遇し吠えられる嫌なイメージを抱きながら、幸い無事に大通りに出られた。インド5時の空は夜のもの。空は限りなく深い青に覆われている。駅までは歩いて15分。苦痛の伴った早起きした甲斐は、電車の2時間近い遅延のために薄れていく。普段はプラットフォームに入ってくる列車の番号が電子掲示板に表示される。それを唯一の頼みに乗車する。遅れた場合はそれが映らないことがもっぱら。東西へ向かう自分とは無縁のものたちを3本ほど見送った後、やってきた自分の目的地に向かうと思しきものに、半信半疑で大量に人が乗り込む中、走り出した電車に何とか体を半身だけねじ込むような形で乗車。指定席のはずが、夥しい数の人で溢れた車両、自分の席であるはずの場所も何食わぬ顔で先客が居座っている。幸い、あっけないほど素直に空け渡してくれる無血開城。ようやく横になることができた。寝起きでこんなことができるようになた今の僕は、きっと何にでもなれるだろう。これが本当に自分の乗るべきものなのか、そんなことにすら確証は持てなくて。ただそう信じて、きっと電車は砂漠へ向かう。


 ジャイサルメール。知っている人は知っている。そんな街は砂漠のオアシス都市です。プラットホームに降り立った感想は、暑い以外にはありませんでした。当然砂漠ですが、これはもう人生で最も暑いところにいる瞬間ではないかと思います。そんな環境を生かした環境業で回るこの街は、駅を出るとたくさんのホテルのスタッフたちが待ち伏せ、勧誘。無料で連れていってくれる。その中に僕が予約していたところもあり、スラップと知り合う。同じジープには声が出そうなほど可愛い韓国人が乗っていて、同じところと期待したものの、スラップと僕だけ先に降ろされる。そう上手くはいかない。彼に「あの子すごく可愛かったけど、違う宿なのか」と落胆を見せると「確かに可愛かった。もう1人はデブだったな」この正直者を僕は信じようと思った瞬間でした。


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 灼熱、その中である人は言いました「40度なら、まだ涼しいほうだ」それでも日中は何をする気も起きない。部屋にいても、エアコンなどは一切なく、汗が止まらない。寝ることもままならない。開き直って日光浴をしてみても続かない。ただ屋上からは見晴らしがとてもいい。そして洗濯物が瞬く間に乾くという利点もある。洗わずに放っておいたシャツたちを、砂漠特有の塩の効いた水道水で。フォリーでピンクに染まったものは、まだきれいになりません。恐るべしピンクの塗料。ここでの目的は1つ、キャメルサファリに参加すること。他の観光地とは違い、低価格で一晩砂漠で過ごすことができます。あの正直者にお願いすると、親切な説明の後「サハラ砂漠を想像するな」やっぱりこの人は正直だ。もう笑えるくらい。要するに、全く草木がなく四方砂だけということを望んではいけないみたい。タール砂漠。そんなに聞く名前でもないし、しょうがないよね。翌日の昼から、この日は日没後に少し散歩をしたくらいです。この街にも砦、フォートと呼ばれるものはあるけれど、さすがにこうもあったら見飽きます。


 昼過ぎから別のホテルへ連れていかれ、ここからジープは出発します。幸いにして、日本人の方も2人参加されていました。他にアメリカン美女2人、カナディアン美女1人。計6人で。思ったよりも近いところで降ろされて、そこからはラクダに乗って。乗ってやるかと思っていたこの巨大な生き物に2度までもまたがって。ここで合流した添乗員、はっきりとした見覚えが。え、スラップ。なんと弟さんでした。少し気持ち悪いくらいに似てる2人。兄弟揃って女好き、最高でした。隊列を作って進むことしばらく、砂の多いところにきて、休憩だと思ったら今日はここで寝るらしい。ラクダの縄を解くと早速ラッシー、さすがはインド人。手際よく、マキと鍋でカレーを作り始める。広大ではないものの、確かに僕らは砂漠にいて。雲に遮られた夕陽は残念だけれど、それがもたらす美しさもある。僕はこっちの方が好きだと思いました。巻き毛のようにカールした雲が赤に染まり、目を離せない黄昏時。そして徐々に星が輝きはじめる。食後は何時間も1人で砂漠に仰向けで寝て、ただ上を向いている。どの方角にも、人工の光が見えて、季節的にもこれまでで一番というような星の数ではなかった。でも誰にも話しかけられない、そして屋根などなく、それを眺めながら寝られるという経験は素敵でした。流れ星は、日本にいてとても貴重なものだと思ってきたけれど、特に珍しいものではないらしい。既に人生で二桁は見てきたと思うから、特別とは思えないけど、やっぱり綺麗ですね。何故だか頻繁に目を覚ましながら、目覚めれば朝陽が待っている。寒さのおかげでしっかり起きられました。朝食を済ませて、またラクダ。現実世界に戻っていく。もう乗ることは無いだろう。


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 サファリで一緒だった日本人の方に有名なラッシーの店に連れて行ってもらう。インド人もスイーツがお好き。壁にかかったメニューの文字は一切解読不可能だけど、それぞれアイス、ラッシーなどを蓄えた髭につけながら、美味しそうに食べている。ラジャスタン地方でしか食べられないというこのラッシーは、他のものとは違い黄色い色をして、スプーンですくう、濃厚なものでした。これならバケツ一杯でも食べ続けていたのだけど。コップに入っているから、食べるほど目に見えて減っていくのが、これ以上に当たり前のことはないけれど、悔しい。店を出て、お別れ。インドで、パキスタンとの国境付近まで行って、日本語を話すことができるのだから、自分のしていることは全然特別なことではないように感じます。どこにいっても、同じ国からやってきている人はいる。きっといないところなんて無いのでしょう。宿で荷物を背負って、さよならジャイサルメール


 電車の中で知り合ったインド人、クリシアンはそのイメージを良化させてくれました。インドについてたくさんのことを教えてくれて、日本への興味も示してくれる。失礼ながら、これだけしっかりとした意見を語ってくれる人に、初めて出会いました。特に言語について、22の公用語と、数え切れないほどのその他。同じ国民でありながら、話が通じ合わない面白さ。体感として、ピングリッシュなど言われますが、英語を使える人の数も決して多くありません。話題は多岐に渡りましたが、また少しインドを知ることができたように思います。なんて事のない、デリーまでの18時間。彼は地元の料理をと、夕食、朝食まで奢ってくれました。こういう体験の積み重ねが、きっと僕を前に進めてくれる。


 4月1日です。エープリルフール。「ただいま」なんて誰かに連絡しようかなとも思ったのですが、活力は消え入りました。正月なんかよりも新しいもののはじまりを告げられてきたこの日に、今まで学年、境遇は少なからず変化があったのに、今年は何も変わらない。僕は同じところに止まったまま、少し離れたところでふと思う。就職、進級、入学、頑張れ。