旅の意味


 20176月に31カ国を訪れた旅を終え、もうすぐ5年が経とうとしています。

 僕は帰国後学業を終え、就職し、2022年の現在は会社員として働いています。


 この約5年間にはそれなりにたくさんのことがありました。ただそのことはここには書きません。


 最近身近な人から旅することの意味について考えさせられるきっかけをもらいました。


 このブログには帰国後は触れることはありませんでしたが、自分の旅から地続きのこの場所にそれを記すことが適当だと思い、更新します。(久しぶりすぎて、ログインにかなり苦労しました。)



 人生は旅だとかいうことは言いません。ここでは学生にとっての旅する意味について書きます。


「意味」「目的」というものは、それが与えられた義務でなく、自発的な行動に対する場合、やはり自分で与えなければならないものだと思います。学生を終えて就業したのち、職業上、明確な意味、目的を持って旅に出る方もいるでしょう。例えば写真家や登山家の方々のように。そういう場合とは違い、ここに書くのは必要に迫られていない、自発的で衝動的な個人の旅の意味です。そして「意味」としてここにあるのは「僕にとっての旅の意味」に過ぎません。


 また意味は移ろっていくものです。旅を現在とした時に、それを思い立った時の過去の旅への意味付があり、旅をしている時の進行形のそれがあり、またその後の将来に振り返る際も意味は変わっています。最も、今の僕にとっては全てが過去として振り返るものでもあります。また数年、数十年を経た時には大きく変わっているかもしれない、「旅を終えて5年時点の僕の思う意味」です。



 旅するまでの人生、訪れた31カ国、そしてそれからの5年間。僕が旅に出た理由はだいたい100個くらいあって。簡潔にはまとまりませんが、今はこんなふうに思っています。



幼い憧れの成就


 まずは旅を始める前の視点が中心になります。僕が世界一周を思い立った経緯として、中学生時代に父に渡され読んだ山崎豊子さんの小説「沈まぬ太陽」の存在があります。話の本筋は航空会社における人間ドラマですが、それとは別に描かれていたアフリカ・ケニアの広大な大地、動植物、自然に強烈に惹かれていきました。そしていつかは自分の眼で見ることを夢見てきました。私の旅は13歳の頃のこの読書体験に端を発しています。

 

 そして時は流れ大学生活も中盤に差し掛かった時、就職を控え、この念願を今叶えなければならないと思うようになりました。当時、ゼミの先輩で実際に海外を周ってきた方との出会いにも背中を押されました。結果として、1年間大学を休学することを選びました。この選択については、当時よりも今の方が強く正しかったと思っています。

 

 ここでの意味に関しては、「旅」だけに該当するものではありません。それぞれの人が持つ夢や目標。その明瞭度にはきっと個人差があり、とやかく言う僕もこの時期まではいつかしたい事とぼんやりと思っている程度でした。ただそれを達成するためには、学生生活はうってつけの時期です。社会人を数年経験しただけの僕ではありますが、やはり長期を使って1つのことをするということは働き始めると容易ではないでしょう。省庁や大手企業にエリートとして勤める方々の場合は私にはわかりませんが、1年や2年の遅れで就職に不利に働くようなこともありませんでした。

 

 もし私と同じように海外へ行き、憧れた風景やモノを自分の眼で見ることに価値を見出す方は、時間のある学生時代を使うことをおすすめします。またこの時に思いっ切りやりたいことをやった経験は、その後学生生活に何の未練も残さず就職へ向かっていく動機にもなりました。そして社会人になってからも休みの日には自分の好きなことを楽しむ原動力に繋がっていると思っています。

 

 僕にとって旅は、幼い日の憧れを叶えたことの、ささやかな記念塔でした。



拾い集めた視点


 これは旅をしている最中に感じることです。普段日本で生活している時には考えないことを考えること、それが旅の醍醐味のひとつだと思っています。それぞれ訪れた31カ国で感じたことは、それぞれの国の環境の影響を受けていて、その時、その場所でなければ頭に浮かぶこともなかったかもしれません。時々思い出したようにこのブログを開いて読んでは、今の生活でまた新鮮になってしまった自分の言葉にハッとさせられます。


 旅の途中、帰国後、そして今の自分にとっても大切に思っていることがあります。発展途上にある貧しい国も訪れ、貧困を目の当たりにしたことも、ケニアの孤児院に併設された小学校で1ヶ月先生を務めたこともありました。でも思い出すことは辛い、悲しいという感情だけではありません。その国に咲く笑顔と生きる人の逞しさを見ました。


 日本で生まれた僕にとって、やはりこの国が1番心地が良いと思っています。ただこれらの経験から、違う想いも持つようになりました。今の暮らしの中で、幸いに食べるものに困ったことはありません。ただそこに大きな喜びを見出してもいない。生活で抱える悩みは簡単に手に入るようなものでは解消されず、いくら考えても答えのないのような問いを相手に気が塞がってしまうことがあります。幸福は夢物語の中にあるような幻想に追われます。僕が訪れたいくつかの国では、その日の仕事も見つからず、今晩の夕食に困る人々の姿をありました。そんな彼らは仕事があること、食べるものがあることに日本の街角では見られないような満足を見ました。生まれた環境によって感情の尺度には大きな差が生じます。この暮らしの中でももっと純粋な喜びを、幸せを感じること。たまに忘れてしまいそうになりますが、旅をしてこれが僕にとっての目指す姿になっています。


 ひとつの物事に触れる時も、旅の経験がなかったら考えなかっただろうことが頭の中に現れることがあります。何気ない毎日に、それまで気がつかなかった美しさを見る。その解像度の上がった日常に明るさを見出したいと思っています。


 僕はこの旅で拾い集めたすべてで作ったフィルターを通して眺めています。



世界と人への想像力


 これは旅から5年経った今より強く思うことです。旅に出る以前の日本での20年間の経験から、イメージするそれぞれの国、事象、そこで暮らす人々の姿があります。それに対して、実際に旅をしたことで現実と答え合わせをすることになります。情報の多い欧米の諸国を訪れた場合、それは多少イメージに近い姿をしていました。ただそこから漏れた、知らなかった細部があります。


 それが他の大陸なら、イメージとの隔離は尚更大きくなりました。僕が不勉強だったからかもしれませんが、自分の想像とは違うことの連続でした。テレビや学校で覚えたような各国に抱く典型的な国家像、国民像ではカバーできない多様性が内包されています。アフリカではテレビで見るような質素な村々もありますが、都市には日本にも引けを取らない大型のショッピングモールもあって、敷地をセグウェイが走っているなんて思いもよらないことでした。22歳を迎えたペトラ遺跡の広大さ、緊張を裏切られたイスラエルパレスチナ国境の寛容さ、貧しいジンバブエの人々の敬虔さと優しさ、赤痢になるほどのガンジス川の汚さと美しさ、想像の及ばないことばかりです。


 生まれた国、日本の環境が僕にとっての当たり前でした。ただその当たり前は、国境を跨げば全く通用しなくなります。そんな中で抱いてきたイメージと現実を照らし合わせたことは、僕を小さくし、そして助けてくれます。今は行ったことのない国、知らない人を思う時、その対象は仔細なことに向かいます。


 ひとつのことを考えると、そこには新たな視点とともに、経験から来る想像力があります。キリマンジャロに登った人は6000m近い山頂から見ることができる世界を、その道中を、高地に生きずく人と動植物を思い浮かべることができるように。本を読んでいたら、「街」という言葉に、僕は国境を超えた様々な街角を見ます。「子供」という言葉に様々な肌の色を見ます。今はこれを使って世界と人の悲しさや恐ろしさ、楽しさや強さを想う心を持ちたいと思っています。


 僕は醜さと美しさ、残酷さと優しさの混じり合う混沌の世界を知りました。




  


 今は僕の旅にはこんな意味があったように振り返られます。ただこれらを考えた時に、思うことがあります。旅は「意味」とか「目的」といったものより、もっと本来的なもの、大切なものを知るための経験。


"私たちの生命は風や音のようなもの……

生まれ ひびきあい 消えていく"

(宮崎駿ナウシカ7,P.132,徳間書店)



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 私事ではありますが、昨年結婚し間も無く娘が生まれます。明るいばかりではないこの時代にも、社会で生きる上で大事とされること以上に人間、動物本来の喜びを知った子になってほしいという願いを込めて"素音(その)"と名付ける予定です。妻が生まれてきた子の顔を見て、何か閃かない限りは。。笑

 

 これからは3人で生きていきます。


 

 5年前の旅をしていた僕にとっては、このブログが大きな日本との繋がりでした。時に道に迷い、人に騙され、そんな時にこれを読んでくれる方がいることに救われたこともありました。

 今更ではありますが、読んでいただいた全ての方に感謝しています。本当にありがとうございました。


 いつかまた