再出発へのカウントダウン

もうあと少ししかないと思うとミスユーという気持ちも働きますが、正直安心感も小さいものではありません。教えることの大変さはかなりこたえます。たまにはそれくらい神経の使うことをした方が、後々いいような気もしますが。またしばらくさすらいたい。教師不足が深刻な状況を目の前に去るのは心苦しく、なんならもっと残ってもいいのではないかと思うこともあります。それでも極力省エネに営まれる生活好きの僕には、教師というエネルギー消費量の激しい毎日はもう満腹寸前のところまできています。


子供達を見ていると、日本とあまり変わりがなくておもしろい。「そういえば小学校ってこんな感じだったな」と懐かしい気持ちになることもよくあります。先生に友人を売る。細かいことをチクっては、自分が気に入られるようとする男の子。本気でやり返されないことをいいことに、男の子を憎たらしい顔でからかう女の子。相手にされないから、下手くそにちょっかいを出すことで自己表現をする男の子。いつまでも涙は溢れず、相手にされなくなったらすぐに止む嘘泣き。でもそれらはどうしたらいいかわからないことがたくさんある裏返し。悩むこともたくさんあるよね。悔しかったことや、数々の失敗がより鮮明に思い出せれる。「これが青春だ」で片付けられる今の方がよっぽど楽です。


施設の暮らしの中で、大人が側にいるわけではないから"しつけ"も十分にされていない。だからこちらの仕事はより難しくなるけれど、それを解決するのはそれ以上に難しい。専業主婦だった母がいつも側にいてくれた子供時代。母や祖母のそれを当時はただやかましく思っていたけど、今になってみると当時の教えに日々助けられてばかりいる。一例を挙げると、小学校時代遊びに出かけた後、家で口に入れたガムを外に吐いて帰ったことがあった。それに気がついた母は「戻って拾ってきなさい」と僕を一喝した。どうしようもなく、戻ってみたもののそれを発見することはできなかった。それからは、ガムを捨てる際にはこの出来事が思い出される。今でもそれは僕のストッパーとして機能する。小さなことだけど、自分はこんなことの積み重ねだ。恵まれた境遇にいたことをつくづく思わされる。まあとは言っても、恐ろしくだらしないところもたくさんあるのですが。


この日は各々の活動を終わらせた後、ナイラの発案で3人でディナーを食べに出かけました。「私たちは一緒にご飯を食べなきゃいけないわ」こういう人間が1人仲間内にいると、僕らは綺麗な思い出を残すことができます。元旦にこのブログを更新したモールにいきました。すでにそこから3週間近い時間が過ぎていることに驚きが隠せないのですが、やっぱりとても快適な場所でした。自分の食べたいものを食べるということがほとんどなかったので、メニューを前にいつも以上に優柔不断になる。というか、もう全て食べてしまいたい。無難にチキンカレーを、苺のシェークと一緒に。ナイフフォークしか出されず、最後お皿に残ったルーがもどかしいほどに掬えないのだけど。何度も何度もフォークで必死に口に運ぶ。人目がなければ、皿を舐めたかもしれません。熱い会話を繰り広げられること思いきや、思った以上に2人はスマホをいじる。どの内容もあまり掘り下げられることもなく、写真を撮ったからオッケーといった雰囲気。北アメリカ大陸は日本と同様、もしくはそれ以上にスマホに蝕まれているようでした。それでも元旦から共に過ごしたこの2人は、友達という言葉を使える数少ない人間です。エリックは金曜の夜に。そして僕が土曜の夜に。お互い母国から遠いこの地に吸い寄せられて、出会った。エリックの夜中まで続く長電話。ナイラの「日本はアフリカと比べて発展しているの?」という日本軽視。そりゃあ長くいればいるほど、目につくのはいいことばかりではないけれど。きっとそれはお互い様で。それにしては大した問題もなく、冗談を言い合いながら過ごした日々でした。彼らとなら、またどこかで再会してもいいと思う。帰国を間近に、寂しさもありながら喜びの方が大きいような彼らを見ると少し羨ましくなったりもして。こちとら、まだ半年以上もあるって言うじゃないですか。


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気がつきました。日本食はどうにも頻繁にうんこを催おさせる。ここでの生活の質素な朝食では、特に朝からしたくなるようなことはない。日本の白米、味噌汁、そしてトイレに直行という一連流れとはかけ離れている。アフリカでのそれは、小便のために便器に腰を下ろすと「ああ、お前も待っていたのか」というように訪れる。この日、久しぶりに食べた好物のカレーは見た目も相まってか、スパイスのいたずらか、食べた直後に排便したくなった。恋しさを語り出したら止まらない二郎系のラーメンは、満腹感とトイレがセットのようなものである。思い出してみると、どうも美味しい日本食には常にうんこの陰がちらつく。だからこそ、どの国にも負けないトイレが日本にはあるのではないか。そう間違いなく日本のトイレは世界一です。ここに僕はまた一つ偉大な発見をしたのでした。


なぜだか、普段の生活の中で思い出すことのなかった不登校だった同級生たちの顔が、長い年月を経てアフリカの地で浮かぶことがあります。すでに苗字と名前の片方しか思い出せなかったりはしますが、顔ははっきりと。理由は全くわからず、ただ自分の意思とは別のところでそれが呼び起こされているような感覚です。だからどうということもなく、元気でいてくれたらと無責任に思っています。お互い、いい歳になりましたね。


まだ出会ったことのない人々。出発まで側にいた友人たち。それらの人にこれを読んでいただいていたら大変嬉しいです。しかし何年も会っていない古い友人たちが何かのきっかけでこれを見つけて、「あいつもそれなりに何かやってるんだな」と思ってくれることがあれば、それはより素敵だなと思ってしまいます。しばらく子供の相手をしていたからかもしれません。


頭の中で再出発の鐘が鳴りはじめている。