あの日と同じメコン川

備えあれば憂いなしとはよく言ったものですが、あまりの物質的な備えは起こるかもしれない事態を暗示しているようで、気持ちの上に重力を強めます。例えば、船の座席にむき出しのまま備えられた救命胴衣。


人は川や海を前にして、船を彫ることを覚えた。詳しいことはわかりませんが、人間が生み出した最初の乗り物ではないでしょうか。それでいて今では多くの人にとって、1番縁遠い乗り物かもしれません。僕はテーマパーク別にしたら、数えられるほどしか乗ったことがない。そんな船が今でも生活に欠かせないこの街、ルアンパバーン


2日目は朝からパクウーの洞窟にいきました。船でしかいけない断崖絶壁に建てられた寺院。朝早くからトゥクトゥクが宿まで迎えに来てくれる。そして川辺にあるボート乗り場まで。そこでチケットをもらい、出発を待つ。朝晩はいくらか冷え込む、この時期の東南アジア。寝起きの僕には気持ちがいい。そして乗船。大河メコンはアジアの複数の国々にまたがって、人々の暮らしに恵みを。そして交通のためにも役立っています。去年までの2回のベトナムではメコン川のクルージングツアーに参加しました。初めはその大きさや、水上で生活する人々の姿に驚かされたのを覚えています。


1度のトイレ休憩を挟んで舟は進んで行く。水上のガソリンスタンドやレストラン。両岸には牛や水牛の姿が見受けられます。小舟に乗って釣りをする人。洗濯をする現地の人々。とにかく穏やかなんです。思った以上に長い道中、寝てしまう人も多い。油断すると水を浴びたりもする。理由はわかりませんが、途中もう一艘の船から乗客が全員移ってくる。故障でもしたのでしょうか。6人でゆったり使っていた船内は、ほとんど満帆になる。それに加えて移ってくだ人々は人種は様々なれど、体躯はヘビー級。水にかなり沈み込むようになりました。結局1時間半ほどかかって到着。40分後に再び船にという意外とタイトな制限付き。


入場料20,000キップを支払って入場。着くなりすぐそこに1つ目の洞窟があります。階段を少し登って内側に入ると、そこには無数の仏像が並んでいる。一方にではなく四方、囲むようにして、大小様々な大きさの神様の目を浴びて。ただビエンチャンではより多くの数を一度に目にする機会があったため、それ自体に大きな感動はありませんでした。ただ何でこんな場所、断崖絶壁に建てられているのかという不思議。さらに上に続いていく階段があり、もちろん登ったのですが、10分程度の道中、20人ほどいるお菓子を手に売っている子供達の姿が痛ましくて。自分が置かれた状況理解してでの顔なのか、大人に教えられた、見よう見まねで作る表情なのか。子供は本当に好きなんですが、自分の意思で立っているはずがなく、その裏にあるものへの怒りに近いものを覚えます。最初は単に親たち、しかし考えれば考えるほど、その背後にいるものは大きさを増し、得体の知れない黒い影が現れます。そんな気持ちでついた頂上には、懐中電灯がなければ歩けないほど暗い洞窟の中に、やはり仏像が並べられていました。思ったほどの眺望もなく、決められた40分の滞在は、階段を降りて終了。何でこんなところに?という面白さは、もう何遍も味わってきたので印象は薄く。ただ目的地以上にメコン川で揺られたことの方が大事に思うツアーでした。


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概してラオスの仏像は目が細く、離れているのが特徴的です。細いのは一般的だとは思うのですが、眉間が広いのは何かしら尊いイメージを与えます。ケニアの学校にシャリーンという女の子がいて、ちょうどこんな顔をしていた。10歳程度ながら、どこか落ち着いた印象を与える顔。彼女のことを思い出しました。ラオスに連れてきたら、人々に拝まれるようなことが起こるかもしれません。ああ、恋しい。


昼食を摂ってから宿に戻りました。さすがにここで詰めてきた予定も終わり。大事なポイントはかなり押さえたと思います。翌日に弟は日本に帰ることになっていたので、荷物を準備。お互い昨晩はシャワーを浴びていなかったので、昼過ぎに順に済ませる。それなりに疲労も溜まり、ベッドで休憩。そしてカフェに行きマッタリ。僕自身、次の行き先も決めていなかったので悩む。挙句、タイのチェンマイに決めました。夕暮れ時になって、2日連続、この日は川に近いところから夕陽を見ることに。


前日とは打って変わって、人は僕たちを含めて数組しかいない。相変わらず夕陽のよく映える空。色味を刻一刻と強い暖色に包み込んでいく太陽。人の動きによる感情も心に入り込んできたのとは違い、ほとんどその美しさで満たされる。視界の両端には木々があって限られた構図の中に、タイミングよく船が入り込んでくる。陽を受けて形ばかりが黒く浮き上がっている。考え事も吹き飛んで、理由もなく涙が零れそうになる。いつまでも、いつまでも見ていたいと思う。黄昏のこんな時間が僕は何より好きです。


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その近くにあったレストランに入って、2人で最後の晩餐。焼き魚をこれでもかと言うほど綺麗に平らげる。兄弟の間にあるのは、切っても切れない血の絆。決して趣味が一緒だったり、同じものを同じように見るわけではない。友人はもう気の合う仲間ばかりになった今、ただ1人の弟との関係は面倒臭くもありながら、有難いものだと思う。高校生なのに思いつきで会いにくるあたりは、共通しているところも強く感じます。いや、むしろ大物かもしれない。宿に帰って、この日は早いうちに眠りにつきました。


翌朝は12時前に空港に向かう弟と宿で過ごす。オーナーの娘さん、5歳ほどの女の子に気に入られ、遊ばれる彼。最初は清潔感とはかけ離れたこの場所がきつそうだったのも「住めば都だね」と言い残して去っていきました。慣れとは恐ろしく、頼もしい。再会は3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月、どうなりますやら。どうか元気で。


人のことばかりではなく自分自身も。6時に迎えがくるということでゆっくりカフェで暇を潰しました。体の力を抜いてリラックス。思えば最初の2ヶ月とは180度変わったかのように、この1ヶ月はきっと日本語を1番話しました。そういう縁に恵まれた期間。そしてせっかく溜まったはずの国籍を超えるための経験値も、リセットに近いところまで行ってしまっている。それでも0でなければ、もしくは上がるスピードが速くなっているのであればいいです。そのカフェの壁に中学に進める12歳から18歳の子供は46パーセント。識字率は30パーセントと僕を現実に引きもどされるポスターがかけられていました。先日この街に団体で学校を作りに来ているの日本人に会いました。年下がほとんどで、立派なことだと思う。それが継続される道筋がしっかり見ているのかは気になるところですが、頑張ってほしいです。これから状況が改善されることを祈って、最終日も夕陽を、トゥクトゥクから見ながら別れを告げる。


社会の荒波に揉まれた日本人にとって、すでにここは桃源郷のように思えます。それだけの雰囲気を感じる、穏やかな時間を過ごすことができました。最近のハードなスケジュールで疲れたので、次の街ではとにかくゆっくりしたいです。東南アジアに来てからは、ハリケーンのように速く動きすぎた。充実はするんですが、保たないです。


次は「微笑みの国」タイからお送りします。