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少年時代への巡礼

今僕が泊まっているホステル。部屋は入ると縦長で、両サイドに3つずつベッドが並んでいます。ドアにに近い2つのベッドは、やたらとフ○ックを連呼するお姉さん2人組が使っている。朝起きてトイレに向かった時、彼女たちはまだ寝ていました。その寝姿が、うつ伏せの顔の方向、手足に至るまで綺麗に対称になっていたんです。なんというシンクロ、よっぽど深いつながりを持つ2人なのか。僕には純粋に面白くて「今日は絶対にいい1日なる」と確信しました。


充実したけど、ハードだった。明日は歩けないかもしれない。


そんなことから始まった日は、前日たっぷり休んだぶん、しっかりチェンマイを見ようという心意気でした。ただ調べると出てくるのは寺ばかり。他のアクティビティは距離があったり、料金が高かったりと、決めることに苦戦する。有名な首長族には興味があったのですが、上の2つの理由に阻まれ断念。実際に見たら多少気味が悪いという表情を出さない自信もありませんし、それが相手に伝わるようなことになればお互いにやりどころがなくなってしまう。テレビで見るくらいがちょうどいいでしょうと自らを納得させてみました。ここには日本と同じように自然があります。到着した時からそんなところで過ごしたいと思っていました。そんなところはないか、どうか、あら、見つけた。ステープ山の1000m地点にお寺があるらしい。その途中に滝などもあるということだったので、森林浴ができたらとそこに決めました。


9時ごろに宿を出て、帰ってきたのは16時ごろ。7時間、いったい何をしていたのか。


まずは当然ですが山の麓まで、途中朝食を摂りながら、4kmの道のりをこなしました。久しぶりの缶コーヒーを買って飲みながら。明確な入り口などがなく戸惑いましたが、観光客はそれなりにいて、みなさんバスやトゥクトゥクで上がっていくようです。ここで1つの選択を迫られます。便乗して乗り物にお世話になるか、我が道を歩いて進むか。来た目的からして後者だろうということになったのですが、これが正しかったのだろうか。まずは1つ目の滝へ。ラオスでクアンシーの滝に行ったから、僕の目は肥えてるぞ。やはり大したことはない。ルートがよくわかっていなかったのですが、滝の脇に道が伸びていて上まで続いているようでした。その道を進むことにして、勾配を登っていく。息は早くも切れてきましたが、既になかなか眺めがいい。これは序の口で、しばらく登ると開けたスペースに出て、相変わらず上流からの小川が流れる場所にたくさんの蝶が舞っている。虫取りを一生懸命にしていた昔を思い出して、日本にはいない鮮やかな羽の色を見ているだけで安らぐ。トンボも多く、シオカラトンボよりもさらに濃い、紫に近いような青を持ったものが目の前にとまる。小川にはよく見ると、メダカやオタマジャクシ、アメンボの姿。生き物が好きな少年時代でした。いつからか、触らないものが増えたり、目もやらなくなったり、そもそもそんな場所に行くこともしない。当然といえばそうかもしれませんが、忘れているだけ。今もそれらをゆっくり見続けられる自分を再発見。


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そこからはより緑の深まった道を、汗をかきながら登って行きました。ずっと住んでいたマンションの裏が元々山だった名残から、雑木林というのか、勾配に木が茂っているスペースがあるんです。今は立ち入りが禁止されていて入れないのですが、いやもしかしたら当時から禁止だったのかもしれません、小学校から帰ると野球をするかここに入って探検するか。自分が小さかったのもあるでしょうが、それなりの広さがあって秘密基地を作ったりもした。あれ見つかるとすぐに壊されてしまうんですよね。そんな時の記憶が強く蘇ってきて、ワクワク、1人で楽しんでいました。社会に求められるものに対応しようと、変わった気になるけど、根本は変わらない。ましてや、つい10年前までしていたことです。今回のこれが無ければ、遠からず消えてしまったのかもしれませんが、行動が伴わなくても持っててもいいもの、情景というのはあって然るべきだと思う。そんなことをタイで考えるなんて思ってもいなかったことです。


中山道は無くなって、道路を歩いたり、また山道に入ったりしながら、だんだんと足は悲鳴をあげ始めます。一度はじめてしまったからには、やりきりたい。疲労感もありながら、とても楽しんでもいました。こんなことしている人は、僕のほか3人しか会いませんでしたが構わない。2つ目の滝はお寺が併設されていて、古い石像が並んでいたり、小さな滝の上に仏像があったりと素敵な場所でした。しかしここで間違いを犯します。地図アプリも山の中で多少の誤差があり、道だと思ったところは道ではなかった。手も足にして進んで気づいた時には引き返すのも大変なところにいました。小さな滝を登るような具合だったので、もっと早く気がついてもよかったかな。最後は草をかき分けるようによじ登り、体にいろんなものを付けながら、道路に出ました。もし上に人がいたら、ガードレルから這い出る手と僕はホラーだったと思います。


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ここを這い上がりました、、


そして最後の山道へ。ここはかなり急で、木だけのけてあるようなところでした。普段は絶対に思わないことですが、この時ばかりは思いました。自分はすこし変かもしれない。汗と虫にまみれながら、タイでこんなことをしている自分がおかしくて笑えました。スピッツを聴きながら、水もなくなる。目的地を前にカメラの電池も切れる。何とも自分らしい。飼い犬だったのか、野良犬だったのかはわかりませんが、生まれて初めて犬に追いかけられるという経験もさせてもらいました。やっぱり犬は怖いもの。ルートを変えながら、ようやく目的地に到着。コーラをがぶ飲みして、昼飯をほうばる。


お寺へ続く階段はもう足も言うことをきかないなか懸命に。苦労が報われるように、金ピカに輝く仏塔と多数の仏が安置されたドイ・ステープ。その仏塔の周りにたくさんの風鈴のようなものが吊られていて、人の流れが途絶えるとすぐに美しいおとを届けてくれました。これが癒してくれる。一画は見晴らし台になっていて、そりゃあ疲れるわと言うほど綺麗な景色がありました。運動不足の今、人工物ばかりだったこの頃にアクセントの加えられるいい計画だった。


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これほどのことを経て着いた場所から、元の宿に帰るのはたった60パーツ(200円以下)。すこし虚しい気持ちにさせられる。前に座っていた男性はどう見てもアジア人。聞くと100%日本の血を引く、日系4世の方でした。タイの前は日本で広島を訪れたと聞き、アメリカ人でありながら、その体を流れる血と、彼がどんな風にそれを見たのか想像の及ばないことですが、とても興味深いことであると思いました。そしてトゥクトゥクの車バージョン、形はまるで霊柩車の乗り物は、しっかり宿まで送ってくれました。山を下り切るのに20分ほどかかったので、自分のしたことを少し誇らしく思う。


この想像は易いと思いますが、この後は休むばかりで終わりました。運動後の美味しいビールを1杯飲んで、8時頃にはチェンマイ名物カオサーイを屋台で。なぜだか、山を登る前から小学校時代を思い出し、登っていてもそれが深まっていく不思議な1日でした。


"いつまでも絶えることなく友達でいよう"

「今日の日はさようなら」より

"何年会わなくなれば他人になるともだち"

斉藤和義Summer Days」より



卒業シーズンでもありますが、思えばほとんど会っていない、当時の友人たちは今どうしているだろうか。タイにいながらとても気になって、あれから10年、変わらないところをお互い見せ合えるような機会があればいいなと思います。明日から場所を変えようと思っていますが、もう頭もあまり働いていないので、起きて考えます。また慌ただしい日が待っている。


今日の日はおやすみなさい。