いつもながら、癒しを求めて

 スロヴェニア。名前を聞いて、その場所がわかるでしょうか。リュブリャナ。この国の首都。僕は先生が、この音を口にするのを聞いたことがない、はずです。初耳だ、と思いました。イタリアの東。ビッグネームのチカラを借りれば、あの辺か、とわかってもらえるでしょう。僕もしっかり把握できていなかった小さな国。なんと人口な200万人ちょっと。横浜市大阪市名古屋市。これらの1都市の住人を下回る国。予想していたよりも早く、予想していた通りにやってきた都会疲れ。ハードなスケジュールの後遺症。人のいない野原を笑顔でスキップしたい衝動。ゆっくり動くものに囲まれて、それらの色を捉えることだけをしていたい願望。僕は救いを、この国に求めました。イタリアのミラノからバスで揺られ、まずは首都、先述のリュブリャナへ。


 「これがキャピタルなのか」というような穏やかな風景、雰囲気。バックパックを背に宿へ向かう間に、名所はほとんど見られてしまう。今の自分に、これほどもってこいな環境はありません。鳥のさえずる整備された川辺を歩き、弾んだ気持ちは僕を久しぶりの自炊へいざなった。とは言っても簡単なものがいい。体はお米を欲している。スロヴェニア語は一切読めませんが、パッケージからどう見ても炊き込みご飯だろうというような物を選んでカゴに入れる。まさにこういうものを欲していた。到着後、部屋ごとにキッチンのついたオープン間もないホステルで、早速調理に取り掛かる。お米の入った箱の中身を鍋に移す。溢れ出す、輝いて見えるような一粒一粒全てを見送って、気がついた。ただの米であること。パッケージは嘘八百、具材など何も入っていない。この商品は数種類並んでいて、表面の絵が違っていたことから、どれにしようか悩んだ末に、ただひたすらにお米。悲しい1人ツッコミ。翌朝には出発したため、一国の首都でありながら、これが残した1番の思い出です。同部屋だったカザフスタン人に、日本人だと伝えると「おおー、同じアジア人じゃん」と言われ、その圧倒的にヨーロッパなルックスにしっくりこず、アジアというのは広いものだと思わされる。なんてこともありました。


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 目的地がありました。ブレッド。有名な湖のある街。バスに揺られること1時間ほどで到着。早くも来て正解だったと思う。そしてこんなところにいて、宿で最初に話し、親しくなったのは日本人の女性でした。聞くと、同じように都会から逃避してきたみたい。ビッグシティへの愚痴に花を咲かせる。寒いのは難点ながら、早速湖の外周を回る。ぽっかり浮かぶ小さな島に、教会が建っている。この画はおとぎ話の世界、人の頭の中だけのものではなかったんだ。そして、古い映画の背景のように、堂々と動くことのない、雪をかぶったユリアンアルプスを背にして。絵画にしても贅沢な構図が目の前に。湖面はゆっくり揺れて、心もゆっくり漂う。人波から生還した週末に触れる自然は、いつも変わらず、誰かといれば今にも泳ぎたいほどの喜びと興奮を与えてくれます。1人でいる今は、自分には目視できないながらも、ひたすらに穏やかな笑顔をしているはず。湖のほとりにあるベンチに座って、理解はできない水の動きを見たりして、ぼんやりと。生まれてからそれなりの建物に囲まれていた。それなのにやはりこういう自然に囲まれたところにいると落ち着く、何か帰ってきたというような気持ちになります。それがどこから湧いてくるものなのか、どうもよくわかりません。


 旧ユーゴスラビアの一国、EUに加盟したのは2004年。他のユーゴ圏が自国通貨を使い続けているのに対し、スロヴェニアはユーロを導入しました。それによって物価は上昇、給料は停滞気味。旅行者の僕も、都会を離れた=物価安という恩恵はそれほど被らない。それでも店は十分にあって、必要なものには困らない。そしてどれも清潔に保たれている。一概に田舎と言っても、ヨーロッパの田舎というのは、僕にとって初めてのもの。それでいて木材を使用した電柱など、絶妙なバランスで僕を大いに安らかでいさせてくれる。食事はスーパーで買うパンと1日1回の外食、ケバブ。少ない人、静かな環境、豊かな自然。すっかり気に入り、4泊5日。これほどゆっくりできたのは体調的な原因もあったバラナシ以来です。


  2日目は歩いて4、5km、川へ。ここは近くでは有名な観光地になっていて、街を訪れた人は必ずいくところ。5ユーロの入場料。高千穂を連想するような、両側を石むき出しの壁に囲まれて、間を流れる川。水面から少し高いところに作られた通路を歩いていきます。チケットを買うにもほとんど並ばない。違うのは、こちらは流れが激しいところ、オフシーズンなのもあってかそれほど人もいないところ。春らしいが泳ぐにはまだ随分肌寒い。透明度が高く、柔らかなブルーに映る水の色を形容するのが難しい。イチゴにかけたシロップが、下に垂れていったように、覗くアルプスの雪は頭頂部には少なく、少し降りたところに集中している。どういう条件下でそれが起こるのか、知識はないのですが、雲ひとつない青空に、この日は見たことないくらいたくさんの飛行機雲が空を駆けていました。


 僕が到着した時から同部屋には、日本人女性。彼女は僕より2日早く到着し、1日早く去って行きました。間に日本への愛を片言に語ってくれる台湾人のおばさんが2泊。そして滞在中、もう1人。オランダ人のルーさんがずっと一緒でした。僕よりも一回り上の年齢に関わらず、これ以上ないほどフレンドリー、少年のような笑い方をするすてきな人でした。3日目「今日の予定は?」と問われ「何もないよ」と答えたところ、「それは最高だな。ハイキング、一緒に行くかい?」と誘ってもらう。せっかくの機会と快諾。彼の型の古く、車体の低いベンツの助手席に乗せてもらいドライブ。日本ではハンドルがあるはずのところに座っている違和感。久しぶりのことで、乗っているだけでも楽しい。EU加盟国間では、特別な手続きもなく来るまで国境を越えることができるらしい。最近では"Brexit"のニュースなど、瓦解の懸念も叫ばれる集合体ですが、その取り組みとしての先進性は実際にいて強く感じています。30分ほどで目的地。「ハイキング」というと、どういったものを想像しますか?僕としては、高尾山程度の高さ、ある程度整備された道。2、3時間で終わりを迎える。それがハイキング。この日、結局宿に帰ったのは出発から8時間ほどのち。休憩を挟みながら、往復7時間ほどの、完全に登山でした。道も険しく、木や石に等間隔で印されたマークを頼りに、何度か見失い引き返してはまた進む。ぬかるんでいるだけならまだしも、ところどころ喜んではいられない程の雪が積もっている。断崖絶壁、落ちたら終わるというような場所もある。まさか、あのフラットな会話からこんな急勾配を進むことになるとは思ってもいなかった。何度も転けそうになりながら、足を何かにぶつけながら。たどり着いた風景もまた、予想だにしていないものでした。一つの山の頂上にいて、見渡す限り360度のうち8割を占めるアルプスの山々は遥か彼方まで連なっている。返ってくるやまびこ。時折上空を通過する飛行機以外の人口音は一切謝絶された場所。日々溢れて止まない雑念はどこかへ、頭の中はその綺麗さだけで埋め尽くされる。旅の中でもハイライトの一つ。この先も忘れないであろう光景でした。この場でも、帰ってからもすてきな体験を与えてくれたルーさんに何度もお礼を言わせてもらいました。それは登山中にさせてもらった様々な会話に対しても。就職、結婚、日本との共通点も多いヨーロッパの現状、移民。実際にそこで暮らす人の話は、何よりもリアルに飲み込むことができる。晩はブレッド最終日の日本人女性も交えてビールに食事。それも含めて、なんといい1日であったことか。


 ブレッド4日目は少し散歩した程度。翌日から再開する、しばらく休憩もない激動への調整日。ただ休むことのできる幸せ。筋肉痛で動けない側面もありながら、今後の予定を詰め切る。そして覚悟を決める。ヨーロッパはあと1ヶ月、9カ国。大きな楽しみもありながら戦々恐々、頑張っていこう。ずっといてみれば退屈かもしれませんが、この時の僕の求めていたものにこれほど合致する場所もありませんでした。滞在したユースホステルも居心地抜群で、体力のチャージも、心も満タン。よく言ったものです。