ヨーロッパの花束

 朝早くのバスに乗るため、前日の食中毒らしきものの吐き気を残したまま歩く。バックパックを背負って、30分ほどの道を。僕が確実に毎日していると言えること。世界のどこかをもらった足2本で歩いている。そして清潔、不潔のバリエーションは豊富ながらベッドで眠りにつく。もしくは何かに揺られて越す夜に、難易度の高い眠りを獲得しようとする。これから向かうのは「ヨーロッパの花束」、ルネサンスの中心地として知られるフィレンツェ。前回と同じバス会社、ありがたいことに無料のWiFiが付いている。これはアフリカのバスにもあったことなので、まさにヨーロッパだからということではありませんが、快適さ、運転の質、時間の厳守ということも相まって、乗ることが嬉しいと感じられる、幸せな移動です。途中、バスの正面から白いものが降りかかるのを見て、自分は北に向かっているから寒さは増すはずである、もしかして雪か?などと、寒いことが苦手な僕は暗い気持ちになっていました。休憩で泊まったところでバスを降り、寒くないことに違和感を覚える。道路脇に溜まったものを見て、正体に気がつきました。綿が降る。と思ったら、後で調べたところポプラの綿毛のようです。大きさからも、こんな綿毛があるのかと。量から、相当な生えているということなはずなので、群生を見られたらと思いましたが機会には恵まれませんでした。


 到着した昼過ぎ。宿に向かう。ヨーロッパのゲストハウスは並んだ建物の数フロアが当てられているのが大抵で、一戸建てというのはまだ出会っていません。防犯の面から、通りに面した入り口にインターフォンが付いていて、それを押してコンタクトを取ることになります。入り口が複数個あったり、同じ名前の建物が並んだりと、探す時点で苦労することもあります。今回は、地図で示されていた位置が正確でなく、たどり着くのに時間がかかった。そしてインターフォンを何度押しても反応がない。そういえば、何か特殊な順序を踏むと注意書きにあったホステルがあった。計画性のない僕も、早期予約せずには安宿を得難いヨーロッパで、1ヶ月近く先までのホテルを10カ国近くに跨って予約してあります。この作業には相当苦戦させられました。そしてメールボックスにはそれらのホステルや予約した交通手段から届く確認メールでもうすごい量になっています。近くでネットの使えるファストフード店を探し、遡ってメールを探す。なるほど短いスタッフ在中時間以外は、メールに示されたパスワードを入り口で入力するらしい。先ほど開けることに苦戦して、向かいにあったレストランのオープンテラスの客から注目を集めた所にトボトボ戻り、今度は迅速に解錠に成功する。鍵などは名前の書かれた紙と一緒に無人の受付に置かれ、誰も管理人がいない宿。これはしっかりとした設備がないとできないことだ、さすがはイタリアと感心する。


 ここには一泊、翌日には移動をすることにしていたので着くなり観光。まずはドゥオーモ。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。長くて覚えられない。あのレオナルドダヴィンチが設計に携わったと言われています。僕が高校生時代に使っていた世界史の資料集、その表紙も飾っていました。白地にシンプルな緑の模様。オレンジ色の屋根。四角さが目立つ土台に乗っかるドーム。建築様式などに通じていれば、ヨーロッパの街散策はより楽しめると思いますが、僕の習った知識はもうどこへやら。他に見たことのない形をしていました。高さもあり、立派ですが、周りの建物との距離が近く、上手く写真に収められません。さらにもう慣れたものですが、ここも工事中というおまけ付き。世界の遺産の3分の1ほどが改修中なのではないかというほど、殊にヨーロッパに来てからのツキのなさは悲しいばかりです。まあ僕1人ということではなく、周りにいる人全てと共有できる残念さなので、少し気は楽ですが。


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 続いて宝石店が並ぶヴェッキオ橋へ。場所と名前を旅行前から把握していたわけではありませんが、イタリアはどこも見たことがあるんです。きっとテレビ番組を通じてだと思いますが、そういう所に自分がいるということにまだいまいち馴染めていません。橋の手前から見る橋全体も、橋の上から眺める景色も素敵でした。フィレンツェで最古の橋、700年近く前に作られたものであり、第二次大戦で唯一残った橋でもあります。イタリアは日本と同じく敗戦国であり、同じように戦時中多くの建造物が破壊されています。日本は焼け野原の中に全く新しい都市を生み出したのに対して、ヨーロッパでは元の形に戻そうと試みる決定的な違いがあります。特に旧市街と呼ばれるかつて栄えた場所はそのままに、離れた所に現代的な建物が建てられています。日本だとパッと思いつくのは三菱一号館や東京駅といったところでしょうか。僕としてはヨーロッパの都市にあまり違いを見いだせず、早くもマンネリ化しつつあるのですが、やはり屋根の色、高さ、窓のつくりなどによる統一感は何とか美しいものに移り続けています。次は水の都ヴェネチアなので差を期待です。帰ったら改めて東京を見たいという気持ちにもなっています。


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 この日はこれらの近場の観光で終え、翌日は美術館。3時にはバスに乗らなければならなかったので、数ある美術館の中でメディチ家のコレクションを展示するウフィツィ美術館展へ。悩んだ挙句ミケランジェロダヴィデ像はスルーしてしまいました。こちらにはサイゼリアの壁紙などでも見る、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が収蔵されています。カップヌードルのCMでもありませんでしたっけ?その他にも「春」などを始めとする彼の作品、好きな画家の1人だけに僕はふざけた踊りを踊りたくなるような陽気な気分。本当に立て続けにこれらを前にできる日々というのは、何とも贅沢です。イタリア人、贅沢です。もう当たり前のように、当日券の僕はここでも2時間並びました。たまには有益なことを言います。短期の計画された旅行をする際は、ぜひ早めにネットでチケットを予約しましょう。説得力はありませんが、絶対にするべきです。彼の作品を前にするということを、1年前まで全く予想もしていなかった中、実際に前に立っている自分。「春」の右端に配された女性のまとったヴェールの巧みに描かれた様に1番目がいきました。レオナルドダヴィンチ「受胎告知」も展示されています。僕の女性画を観る基準はタイプであるかどうかということです。そんなことでいいのか、自分なりに楽しめればいいと思います。その中で歴史的に評価されている画家というのは、やはりどれだけ多くの人が顔、体を綺麗だと感じるか、好きかということだという持論。時間に余裕もなく終盤はタイプの顔があれば足を止め、作者をチェックなんてことになってしまいました。規模が、必要ない時間が日本のものとは比べのものにならないほどです。


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 そんな中で足早に次の街へ。7日間で4つの都市。避けられないことですが、早くも人の多さ、都会への疲れもあります。1ヶ月以上、都市を詰め込んだ計画。変更へと心が動いています。楽しみながらもヨーロッパ、のんびりさを望んでしまうのは僕だけではないはずです。

天国と地獄

 ローマ2日目。この日はイタリアにいながら、新しい国。世界で一番小さい国家、バチカン市国に行ってきました。集めた情報から、予約等していない場合、相当並ぶ必要があるらしい。ここ最近は早起きの毎日です。ドミトリーは8時、場所によっては10時ごろまで他の客が寝静まっていたりするので気を使うのですが、付き合っていては時間がもったいないので失礼して。みなさん夜型の人ばっかりです。僕がベッドに入る時間から、街に繰り出して行ったりする。中にはそれでいて、自分よりも早起きの方もいらっしゃる。とてもタフです。太刀打ちできません。7時過ぎに起きて、ヨーロッパでは珍しく朝食付きの恩恵を受ける。食パンにジャム、クッキー、シリアルがある程度ですが、かなり助かります。空腹の寝起きから、すぐに食事がある喜びは、例えどんなものでも母の味。ご飯と味噌汁っていうのも、もうそんなに遠い話ではない。一度出かけて、走るように進み、ちょっとして忘れ物に気がつく。大事なものだったので、放っておくと後々目の前にあるものを楽しめない気がしたので、しぶしぶ引き返す。そしてまた早歩き。1時間ほどあるいて、バチカン市国の側面から入場できる美術館についたのですが、すでに長蛇の列でした。通常の梅の価格のファストパスを勧誘するお兄さんたちの話では、1時間、2時間、3時間。要するに結構待つらしい。着いたのはまだ8時半ではあったのですが、甘くない。イタリアの観光地はどこもディズニーランドにいるような心地、雰囲気からも国そのものがテーマパークのようです。2列あって、右側は既にチケットを持っている人の列。瞬く間に進んでいく彼らを横目に、羨望の眼差しの日本人。目にできるものは変わらないので、辛抱あるのみ。控えている大物たちを想えば、明るい気持ちでいることができます。


 いざ中へ。持っていた国際学生証が3月いっぱいで期限切れになってしまい、有効であれば半額という事実に少し納得がいかない。運頼みと、一度提示してみようかとも思うのですが、どうもルールを守らなければならないという強迫が胸にこみ上げる。日本の美術館の内部で写真を撮った記憶はありません。禁止だったのか、自分がそれをしなかったのかというのは定かではありませんが、周りにいる人も一様に絵画、彫刻に集中していた記憶があるので、おそらく禁止だったのでしょう。ここは世界的にも相当貴重とされ、貯蔵数でもたいへん立派な美術館ですが、一部を除いて撮影は許されています。じっくり眺める人も、写真を残して足早に去っていく人もどちらもいます。記憶に残せばいいし、写真など撮ればそれに甘えて薄れてしまうとは思いながらも、ぼくもシャッターを押します。それが終わってからゆっくり観る。他人がどれだけの想い出をそこに残すのかはわかりませんが、記憶力不足か、僕は大抵2、3の作品が胸に残り、それ以外は遠からず見たことさえも忘れていってしまいます。それに、有名である作品や、芸術家のものにはより惹きつけられるので、かなりアマチュアな楽しみ方をしているのでしょうが、そんなところです。


 そんな中で、特に僕が見られて嬉しかった作品。まずは「ラオコーン」。世界史の資料集などにも載っていた像ですが、大蛇に襲われ、苦悶の表情が何ともリアルに表現されていました。この作品はその完成度と保存状態から、ルネサンス期の多くの芸術家にも影響を与えたと言われています。僕も何かを与えられたいものです。そしてラファエロの描いた天井画。これは一間だけではなく、館内を進むと彼が手がけた画が残された部屋が続きます。その中でも「アテネの学堂」は生で観られたことに大きな満足がありました。これらはもともと作品の名前や、背景を多少知っているのも大きい。初見のものは、イタリア語と英語で書かれた紹介カードでは誰のものかもわからないことが多々あります。その向かいにある、同じくラファエロの作品で、戴冠式のような場面を描いたもの。階段の途中にいる子供が他の人物とは違い、観賞者の方を向き、目が合うように描かれていました。しっかり向かい合ったのもあり、彼の顔は鮮明に覚えています。


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 そして何よりも楽しみにしていた場所がやってきます。この時はすでに2時間近くが経っていたはず。とにかく展示物が多く、一つの廊下をとっても、無数の彫刻が所狭しと並んでいます。その彫刻の上にまで絵画が掛かっていたりしますが、もうここまで注意を払っている人はいなんじゃないか。教皇が望んで収集したものもあるのでしょうが、贈られたものも多いのだと思います。もちろん、西欧の歴史の中でそれだけ重要であり続けた地位であるということは百も承知。体力勝負になります。これだけのものを、価値のあるものを次々に突きつけられると、だんだんと脳が糖分を欲しはじめるのがわかりる。まだか、まだかと作品をこなしていき、辿り着いたシスティーナ礼拝堂ミケランジェロの「最後の審判」の描かれているチャペル。"万能の人"によって描かれた前面、壁面、天井と広がる大作。ここだけは写真が禁止され、おしゃべりも注意を受けます。バスケットコートくらいの広さに、学校の集会のように人が詰め込まれている。胸に何かがこみ上げてきて、口から息が漏れる。今更評価を述べるようなものではありませんが、力強く、それでいて細かかく描かれた肉体、表情。その大きさも少なからず圧倒的である要素であるはずです。1人の人間が完成させるまでにかかる時間、苦労は誰もが想像できる。そして僕は、描いた本人の実在はもちろんですが、今までにこの画を前にしてきた数えられない人々の存在にも想いが向かいます。どんな人でも、地位や人種を超えて、感嘆の声をもらしたであろうこの場所。無数のその囁かな声が時代を経るごとに、この作品を偉大にしているようにも思います。逆にここにいられたことは、自分が存在できたことの喜びを優しく撫でてくれる。


 狭い出口には詰まった排水溝のように、人が流れなくなっていました。隠れて写真を撮る人も少なからずいましたが、僕ならそれを見返すたびにルールを破った罪悪感に苛まれてしまいそうです。そしてそれが許されなかったことが、よりこの場を強く記憶に留めてくれました。留めようと一生懸命でした。そこからもまた展示が続いたのですが早足に。最後は現代の抽象的なものが展示されていました。写実的なものは、よっぽど作者の腕がいいか、画風が好みでない限り、僕はこっちの「なんだこれ」と半ば笑いながらも観られるようなものが好きです。そして出口へ。


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 美術館だけで入国したと言えるのか、パスポートチェックはないので実感が湧かず、昼食を食べて、今度は正面から入ることにしました。言うまでもなく、ここでも1時間以上の待ちが発生する。自分が望んで列ぶけれど、これが何日も連続になると保たないだろうとわかる。そして残念なことに、待った挙句、正面の広場に入るだけ入り、この日はサン・ピエトロが閉館していたので、何をするでもなく退場。ピエタを拝むことはできませんでした。サバンナの夕陽にはじまり、見ることを願いながらその場に行き、叶わなかったことも少なくありません。残念ではありますが、長生きを望む理由にはなってくれるかなとポジティブにいきます。昨日と同じ、広場を通りながら帰りました。それはもう、とてもいい気分で。途中スーパーで、野菜不足の僕は先進国ならではのカットされた野菜を買って、夕食に。気分が良かったのに加え、久しぶりに摂取できるビタミンに天にも昇るような。


 しかし大きな喜びは、バランスをとるかのように直後落とし穴が待っています。サラダは皿に盛ると思っていた以上にボリュームがあり、そして思った以上にセロリが多い。僕は美味しいとは思わないまでも完食して、それなりに満腹に。キッチンに洗い物をしにいくと、宿の従業員の人たちが夕食を食べている。気さくな彼らは、「お前も一緒に食べろ」と招待してくれる。ご飯に肉、お腹が一杯だと言っても、いいから食べろ。ありがたいことに久しぶりに動きたくないほどの満腹に。ただ少しすると体調に変化が現れる。僕の胃袋が旅の間にかなり小さくなって、耐えられなかったのか。もしくは食品に問題があったのか。僕の推測では、人生で最も口に運んだセロリが合わなかったのか、黒くなっていたので、品質に問題があったのか。どっちにせよ、犯人はセロリだと思っています。人類の宝物。綺麗な芸術作品に満たされた1日は、トイレで嘔吐、美の全く反対側にあるものを前にして終わりました。こちらの描写は割愛。概して、いい日であったと締めさせてもらいます。




 

Italy! WHOOOO!!

 LCCとは言え、座席にポケットすらついていないのは初めてでした。安いから文句は言えないけれど、色調がもう安さ丸出し。もっとシンプルにすれば、マシに見えそうなものです。濃い青、ネービーと黄色の組み合わせ。100均で売っている安い工具みたい。機内で当たり前のように電子タバコを吸う人がいて、甘ったるい匂いに包まれる。安さを理由に振る舞いも適当だったりするCAさんたちですが、誠実な姿をみると好感が跳ね上がる。もちろん水ももらえないまま、あっという間にイタリアに到着。引っかかっていたことは出国の際にパスポートコントロールがなかったこと。到着しても、それらしいもののないまま出口にたどり着いてしまう。不安になって受付で尋ねると、EU諸国からの入国では必要ないとのこと。便利だ。パスポートに判子が増えないのは残念だ。そんなことはどうでもいい。僕はイタリアにいる。建物を出て少し歩くと、自然と笑みがこぼれてきて、「Italy! WHOOOO!」とそれなりにいい発音の英語で勝手に声が出ました。キャラ崩壊、恐るべしイタリア。これまでアフリカ、アジアと先にやってきましたが、半ば修行のようなところもあって。贅沢なご褒美をもらっているような気持ちです。アフリカにいられた時とは違う喜びを噛み締めています。


 道を間違えたのか、そもそも普通は使うものではないのか。空港の周りをバッグを背負って3km歩いて駅へ。歩道もないような道路だったので、きっと間違えていた。途中でバイクのおじさんが横に止まって、「乗っていくかい?」と言ってくれる。断ったものの、イタリア人のかっこよさに惚れかける。一層明るい気分になって進み到着。報われて、安い価格で中心部まで行けたので、よし。トルコからすでにその兆候はあったのですが、さすがはヨーロッパ。かなりの割合でオシャレな人ばかり。旅中の少ない荷物で対抗することはできません、自分のクローゼットがここにあったなら毎日服を考えて出かけたい。今はもちろん叶わないことですが、いつかできるなら、そういう旅行を大切な人と一緒にできたらいいななどと純粋に思ったりする。今は着古したシャツで、人を気にかけない単独行。


 宿が近づいて、一つ驚いたことがあります。立地はかなりいい。有名な闘技場、コロッセオには10分ほどでたどり着くところにある。それなのに、駅に近い区画、店を営んでいるのはほとんどが中国人。イタリアではあるけれど、彼らは当然のように中国語で会話をしている。思っていたなかった光景に、いる場所の実感は少し薄れる。移民を受け入れるイタリアは、それ以外にも通りにはアフリカ系、アジア系の人がたくさんいる。純粋な白人よりも多く。こういうことか、少しわかった。ゲストハウスのオーナーもアジア系。従業員もみんな。部屋はまだ使えないから、荷物を置いて夕方まで出かけてくれと言われる。慌ててロビーで情報収集。おかげで初日からローマを満喫することになりました。


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 世界中の観光地の中でも、この街はトップに近いところに位置するということは知っていた。でも、だからどういうことになっているかというのは想像が及んでいなかった。昼過ぎのピークタイム。もうどこも人で溢れていました。まずはコロッセオに向かったのですが、もちろん予約してない僕は、かなり長い列に並んでチケットを購入できるのを待たなければならない。列に並ぶのが好きではない僕も、やっぱり中は観たいので。それにiPodで音楽が聴いていれば、そんなに苦痛ではない。間に次から次へと割り込んでくる人がいないぶん、かなり気持ちは楽です。そして入場。ここはかつて人が殺しあい、それを観て人々が熱狂した場所。僕が今まで触れてきたものの中にも、ここがモチーフであったり、まさにここが舞台であるという作品が少なからずありました。今は崩れてしまっている部分はたくさんあるものの、スタジアムの3階席、4階席と言えるような高さまで、当時は席が並んでいた痕跡が残っている。人が多い、自撮り棒の数が多い。この今では世界的に人気のある商品は日本が発祥であることを知り、複雑な気分になりした。順路がよく分からず、何度も同じところをグルグルとまわりながら、ローマ時代を光景を浮かべる。外周からも、内部も石造り。この大きさは他に比べるものがないくらい。


 後にして歩いていったのですが、これはもうなんというか、数の暴力です。あまりにも有名なスポットが多すぎる。歩けば歩くほど、画面越しに見たことのあるものの実物が現れる。まずは真実の口。皆さんご存知「ローマの休日」で登場するあの石像。どこにあるかは遠くからでもわかりました。教会の前に設置されたそれと記念に写真を撮ろうと、かなり手前の地点から行列ができている。1人で並ぶわけはないので、人が入れ替わる、前が開いた瞬間に一枚パシャり。角度を変えてもう一枚、今だ。そのタイミングで、アングルにスマホの画面が割り込んでくる。考えることはみんな同じです。一度川沿いに出て休憩。一生懸命撮ってきた写真も、ここにいたらどんな角度を切り取っても、きっと誰が撮ってもしっかり画になる。激しい流れの川で、釣りをしている人がいる。釣れている様子は見受けられない。


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  そこからは方向を東に変えて、宿まで戻るついでに有名な広場を巡る。水を売っている店以上に、ジェラート、アイスクリームを売っている店の方がたくさんあると思う。この誘惑に堪えるのは大変だ。行き交う4割程度の人が、それを舐めながら進んでいく。ナヴォナ広場。スペイン広場。楽器を演奏する人、ダンスを踊る人。絵を描く人。それらを眺める観光客。パフォーマンスが終わると温かい拍手が送られる。同じ都会であるけれど、日本にはこういうスペースはあまりない。あっても休日以外、立ち止まることもほとんどないだろう。無知もあって、名も知らない建物たちがいちいち立派である。もう叶わないと思う。これが綺麗だと、生まれた時から刷り込まれてきたのか、これが人間にとっての純粋な美しさなのか、よく分からないなる。日本でもお馴染み、トレビの泉。後ろ向きにコインを投げ入れると、またローマに来られるという。前はぎっしり埋め尽くされて、投げるには遠投をする必要があったのでこれもお預け。また来られたらいいと思う。今度は絶対1人ではなく。


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 リンゴを一つ買って帰る。途中で我慢できなくなって、道端で食べる。ピザを一切れ買う。その場で食べる。"When in Rome do as   the Romans do."いつからか道で鼻をほじる事に抵抗を覚えないようになっていた。そんな事は、他の事に比べてとても瑣末なことだった。今、己自身を鑑みるに、その悪しき習慣は環境に合わせていつの間にか消えて無くなっていた。育った環境だけでなく、日々いる環境によって人は変わる。定まってないからなのか、僕は変わる。南米に行ったら、またほじってしまうかもしれない。そして日本に帰ったら、間違えなくそれを止める。体得したことが、元の生活に戻って悪目立ちしないかという心配もあったけれど、そんなことはきっとないだろう。もうすでに1週間前までインドにいたことが信じられない自分がいる。

やって来ました、神話の国

 イスタンブールを夜9時に出発したバス。運転手を含め、フロントではおじさん3人組が一晩中談笑していました。ここでもそれなりに荒々しい運転が繰り広げられるながら、途中1人が孫らしき子供を相手にビデオ電話をはじめ、ハンドルを操作しながらそれに参加するドライバー。こういうのも日本なら大問題になりそうなものですが、この旅ではこんなのは序の口。心配がすぎると思いますが、バスになるときも、ここで自分の生が尽きるのではないかという不安は片隅にあります。12時ごろ国境につき、いよいよEU圏に突入します。アジア系と思しき、僕を含めた数名はそこで荷物チェックを受ける。ちょっとモヤモヤしますが、協力しないわけにはいかないので。ギリシャと言えば、やはり神話の舞台というのが大きく、それに近年の経済危機。ユーロ離脱なんかが叫ばれていたこともありました。その先は追っていませんでしたが、通貨はユーロのまま。これから1ヶ月以上、国は頻繁に変わるけれど同じ紙幣、硬貨を使っていける。今まで各国のそれらを1枚ずつ記念に残していくという喜びはなくなりますが、やはりこれは便利です。3日おきにそれが変わっていたら、下ろす額、使い方もかなり面倒臭くなるのでありがたい。6時ごろに一度下車し、7時半発のアテネ行きに乗り換える。明るくなった世界、窓からは頭に雪の着物を着た山々が見える。到着したのは1時過ぎでした。


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 そこから宿までは3キロほど、最近ハマっている曲の英詞を記憶しようと努めながら。少しすると4、5階ある建物が並ぶ中心部に近づいてきたのですが、シャッターを閉じた店が多く、活気を感じられない。金融危機から来たものなのか、元の姿を知らないので判然としませんが、全体が少し落ち込んでいる。ヨーロッパというだけで華やかなものばかりを想像してしまいますが、そうとばかりもいかないこのご時世。主食はケバブからパイに代わりました。知らなかったのですが、そんなに多くない飲食店、見つけると大抵パイばかりが売っている。ギリシャ語を読めず、英語なんか書いていないので甘いものを期待して買ったら、しょっぱかったり。肉入りが欲しいと思っても当たらなかったりと難しい。


 そしてイスタンブールからそれなりに西へ移動したものの、日本との時差は変わらず6時間。なので日の出の時間が遅く、空は夜の8時近くまで明るい。違和感があります。沈む夕陽を眺めて、気がつくと遅い時間になっている。少しリズムが狂ってしまう。そして、これはかなり真剣に、夕食に何を食べればいいのかがわからない。昼時にはわりと目に入る飲食店は日の入りを前にほとんどがシャッターを下ろしてしまいます。数少ないスーパーと道にある小さな売店が開いているばかり。現地の方々は夜は家で食べるのが当たり前ということでしょうか。なんとか菓子パンを買って済ませていましたが、不思議でした。これからが勝負という時間もするのですが。気をつけていないと食いっぱぐれる。コンビニ文化に慣れきった僕は、困ったら頼るところがある。24時間営業、本当にありがたいです。ギリシャでは「バングラデシュ人だろ?」と言われました。


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 初日は荷物を置いて少しの休憩。夜行バスでほとんど寝られていない状態、出歩くと回らない頭が簡単なことに躓いてしまいそうな不安。かといって部屋で横になっているのももったいない。傾向として、夕陽という言葉に弱い。それを売りにする場所があると必ず向かってしまう。特にこの日はそれを見たい気分だったので海をバックにアクロポリスを見られる教会のある丘に登りました。暑いというほどではないけれど、急勾配になると汗が出るくらいの気温。今のギリシャはとても過ごしやすい。日本ももう20度になったりするようですが、自分のいない間に一つ季節が巡る。これも初めての経験です。斉藤由貴の声をした王子様の"夕ぐれが大すきなんだ。夕ぐれを見にいこう"という台詞がよみがえる。セント・ジョージ教会。頂上にはちょうど座れるスペースと同等の人がいました。クーラーボックスに飲み物を入れて売っている人が声をかけてきて「ビールはどうだ?」「いや、いらない」「水は?」それも断ると、変人を見るような目を向けられる。インドからは極端に水分摂取量が減っています。いい眺めでした。遺跡群と整備された、これぞヨーロッパというような街並みを一望できる。上記のズレから、6時過ぎに登った僕はベストタイミングまでに2時間近く暇をつくってしまい、結局待ちきれずに半分ほど下ったところでそれを眺めました。今までとはまた違った植物群の間から見る、やはりどこにいても変わらない太陽はこの日も何かと励ましてくれる。フジファブリックの「茜色の夕日」が聴きたくなる。1日が24時間でよかった。


 翌朝はそれなりに早起きをして、"小高い丘"アクロポリスに行きました。入り口を前にギリシャ人のおじいさんに日本語で話しかけられる。どうも反射的に警戒してしまうのは、これまでの経験からとは言え、申し訳ない気持ちにもなる。結局言い人で、昔日本で行ったことがあるということなどしばらく話しました。この人が頻繁に使う「あべこべ」というワードがツボに入る。このご時世、日本でもあたり使われない。使い方はあってるのだろうか。「ぎりしゃ、けいざいあべこべ」不謹慎だとは思いますが、笑いを禁じ得ない。別れてチケットを買うために列に並んだのですが、早い時間に関わらずすでにかなりの長さになっている。ヨーロッパではきっとこれが続くのだと思います。周りはほとんどが複数人なので、途中交代で何かを買いに行ったり、休んだりしているのが羨ましい。抜けてしまえば、はい、はじめからな僕。ようやく順番になり、疲れてはいたものも、受付のおばさんの感じが良かったから少し救われる。入場し、もちろん坂。途中の地点からは競技場などの遺跡が見下ろせる。神話の舞台。結局ギリシャ神話は読破できないまま、先に日本に帰してしまった。何と言っても、パルテノン神殿。階段がはじまり、門をくぐってこんにちは。あれ、工事中。ついていないのか、人類のため、世界中の遺産の多くは今日も工事中。反対側はそのままの姿だったのでセーフ。さすがに観光客への配慮はあります。置いてあるパネルと比べれば、原型はかなり崩れてしまっている。たくさんの像が並んでいたはずの上部に、一体だけ完璧な形で残った座る男。彼の放つ哀愁、そこに留まり続けた力強さ。石に普遍性を見出した昔の人々の考察は、時代を超えて子孫たちに恩恵を与える。この文化が生み出したものは、今でも確かな影響を様々な国、分野に有する。美の概念、創り出す技術の先進性。現在でも幸か不幸か、ここから脱却できていないと思う。恐縮ながら、賛辞でもあり、悲しみも含む。古いというのはそれだけで武器になり、チャンスも多い。現在が昔になった時に、何が賞賛されるのだろうか。何が残っているのかな。人の歴史の中で、またひとつ凄いところに来ることができました。せっかくの知識、それにイメージを持てることは幸せです。


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 歩けばすぐにギリシャ、ローマの遺跡群が現れる。またアテネと言えばオリンピオン。オリンピック。第一回の開催地であり、僕の中で年齢的にもっとも色濃く残る2004年大会の開催地です。それらに関連した施設もあります。外部からはいくつか眺めましたが、入場したのはパルテノン神殿だけ。そして2泊で次の国へ。タイトなスケジュールは管理が大変で、ちょっと疲れる。まだ始まったばかりなのに。次はイタリア。それでも自分がイタリアに行くことを思えば、非現実的で、嬉しさがこみ上げます。最終日は6時起きで、地下鉄に乗って空港へ。奇妙に思えることは、アジア各国の方が英語の表記が充実していること。近いからこそのライバル心があるのでしょうか。ギリシャ語なんて一つもわかりません。便利な地下鉄は、慣れてきた不便さと真逆のところにあって、当たり前だけど、すごいことに思えます。便利だけどギリシャはあらゆることが少しずつ緩いイメージ。地下鉄はチケットをチェックされることも、降りた空港の駅には改札もなかったので、知っていればやりたい放題です。


 ようやく座席に落ち着いて、コーヒーを飲みながら、搭乗後2時間もせずにローマ。この地域に来てから、いつも、どこでも口づけを交わすカップルばかり。ルックスもさまざま、文化の違いをまざまざと。

東西に架ける橋

 つい先日までインドにいた僕にとっては、イスタンブールは「なんて綺麗なんだ」。踏んでブルーになるようなものも落ちていない。野良犬にさえ品を感じる。一定の秩序がある。人に助けを求めると、丁寧に手を差し伸べてくれる。そんな環境ながら、近年テロが頻発している地域でもあります。エジプトのカイロに行った時と同様、目に見えないものに対する緊張感はあります。治安がいい、穏やかに流れる時間に潜むその可能性は、絵に描いたような街並みで満たされた自分の視界に一つの黒点が入り込んでいるように、頭から離れない。そして離さない方がいいとも思う。


 ガルフエア。デリーから乗る予定だった飛行機ですが、フライトスケジュールの電子掲示板になぜか記載がない。4時55分発。4時45分と5時発の飛行機の間には何もない。これにはかなり不安になって、何度もインフォメーションに行き確認する。待てば大丈夫だと言われても納得できない。デリーの他の空港なのではないか。落ち着けないまま、ざわめきを抑えようとサンドイッチを食べる。深夜1時、数あるカウンターの隅っこに開いたガルフエアのカウンターを発見して、ようやく存在を確信できた。安さだけで選んだ、聞き覚えのないこの航空会社はバーレーンのナショナルキャリアでした。もしサッカーが無ければ、その国があることさえ知らなかったかもしれません。バーレーンで一度の乗り継ぎ。地は踏んでいないものも、僕はこんなところにも来ています。空港の清潔感、窓から見る景色はイメージの皆無だったこの国に、偶然知る機会を与えてもらう。待合室にはたくさんのカフェと種類豊富なパンが列をなしていて、空腹をくすぐられる。きっといい国だろうと思う。そんなことを経てついたのがトルコです。とはいえイスタンブールは極西に位置し、他の都市に行くよりもギリシャに行く方が早い。トロイやカッパドキアなど有名で魅力的な場所もありますが、今回はスルーします。気球に乗るカッパドキアは旅中おすすめもされましたが、何度目の主張か、高所恐怖症。それはもちろん、事故がたびたびニュースになるからと思っていると、つい先日も旅行者の方が亡くなったというニュースが舞い込みました。その土俵に立つ勇気もなかったけれど、やっぱり行かなくてよかったと思う。


 空港からの移動に地下鉄を使える、その時点で既に今までとは違う。ICカードを購入してから、チャージ式の移動。日本と違うところは価格が10分の1以下であるところだけ。欲しいものがすぐに手に入るスーパーなども、簡単に見つけられる。新しいところに来たという実感は、到着後すぐ確かに押し寄せてきました。コンスタンティノープルコンスタンティヌス帝。ローマ時代の強い名残のある風景の中に、オスマン帝国、数え切れないモスクが点在する。それも一つ一つがかなり大きく、立派なものばかりです。全貌は見えなくても尖塔が何本も生えている。ヨーロッパとアジア、東西の架け橋。学校で習った通り、その混合の中にありました。ヨルダン以来の中東でもあり、食はもっぱらケバブ。2日とちょっとの滞在、売店のパンとトウモロコシ以外は全部これ。インドではほとんど食べられなかった肉を摂取できる上、炭水化物に野菜。これほど完成されたファーストフードは他にないのではないか。頬張りながらそんなことを思っていました。


 1番の目当ては何と言ってもブルーモスク。初日から路面電車の中から見て興奮しました。外装は白がメインで、6本ある尖塔が特徴的です。こればかりに目がいって、背後にあるこちらも有名なスルタンアフメトモスクには内覧を終えるまで気がつきもしませんでした。ハードな移動もあってか、最近視野が狭くなっていてならん。ブルーモスクと言われる所以はやはり内部です。青を基調としたステンドグラスが前面に配置され、壁も一面イスラム文様が敷き詰められている。一つの柱を取っても、飽きるまでには時間がかかる。入場時間に制限があるので、それがなければいつまでも座って眺めていたいくらいでした。数あるモスクへ行ってきたけれど、今回の旅ではこれで最後になるかもしれません。その中でもここの荘重さというのは、エジプトのムハンマドアリーモスクと並んで記憶に残りました。これまで21年間、モスクというものに入ったことがなかったし、内部がどうなっているかというのも全然わかっていなかった。その魅力に取りつかれるばかりです。遠かったイスラム教のイメージに、今ははっきり美しさが加わっています。エジプトのものほど自由にはできず、信者以外は後方の部分にしか入れないのが残念ではありました。それと木や建物に邪魔されて外観をうまく写真に残せなかったこと。上から見下ろせるようなところを発見できていればというように、外観もかなり見応えのあるものでした。


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 他の名所も場所は抑えていたのですが、それよりも街そのものに興味を惹かれて。先に述べたように、ヨーロッパのような造りは僕に取って初めてのものだったので。歩くこともウキウキ。それにゆっくりしたくなるようなカフェやおしゃれな小物屋など、しばらくご無沙汰していたものが、日本以上にいい雰囲気の中に構えている。最終日はバスが夜だったのもあって、昼間はそれらをめぐって楽しみました。エジプトからヨルダンへのフェリーでは紅海の上に浮かびましたが、今度はエーゲ海を橋の上から眺める。船がたくさん浮かび、交通網も陸上同様に発達しているようでした。そして何と言ってもイスタンブールは猫がたくさんいます。インド北部は全域でその数が少なく、圧倒的に汚い犬たちが優勢を保っていましたが、ここではむしろ猫。猫派にはきっとたまらないと思います。人馴れもしているのか、近寄ってくる子たちも多いし、数頭で群れをなしているようなことも見かけました。彼らは本当にいいですよね。こちらまでのんびりした気持ちにさせてくれる、ありがたい存在です。それに僕に取っての中東圏はいつも寒い場所でした。それ以上に暑いところにいたのもありますが。ヨルダン以来だろうか、また久しぶりに靴での生活を再開させています。これがもうひどく臭くなってしまっているので、一度洗わなければ。温度管理できるだけの設備があるので、体調はむしろ上り坂です。お伝えしていたように、足早にもう次の国を目指します。イスタンブールのスポットは基本的に密集していて、どこも徒歩圏内にあります。この日程も正解だったと思えるような、コンパクトさは僕にはちょうど良かった。


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 思い通りにならなかったこと、自分でも誤りだったと思うこと。そんなことは道中たくさんあります。普段の生活の中でなら、誰かの存在に甘えて言い訳をつくってしまったりもするのですが、ここでは原因も結果も全て1人で受け止めなければなりません。側で泣き言を聞いてくれる存在もいないことは、かえってそれらがいる場所を懐かしく、かけがえの無いものだと意識できるようになります。もうどうしようもなく落ち込んだりすることもあって、後に引きずりつつ、なんとか消化していく。生きていく強さも学べているのでは無いかと思います。うまくできない時もあるけど、どうにかもがきながら。これらの溜まった愚痴は、後々の酒のつまみにさせてください。そしていつもありがとうございますって、改めて。これからどんどん、どんどん深くヨーロッパに。その見た目の優しさに油断しないように。

インドは広かった、大きかった

 晴れ間が見えてきた。無数の水滴が光を浴びて光る。雨が降りました。何ら不思議なことではないけれど、僕にとっては2017年初めての雨。もう気がつけば4月にいて、単純計算100日以上、10ヶ国の違った大地にいながら、無縁のものになっていた。ご無沙汰です。最後は確かザンビアだったはず。梅雨を楽しめるだけの心の大きさはありませんが、時間のおかげ。とても綺麗なものですね。起きた時にはすでに降っていたので、寝泊まりだけのゲストハウスには、ドミトリーもたくさん、多くの人が泊まっている。同じ考えを共有して、出かけるのをやめた人でカフェのスペースはかなり人口密度が高い。途中弱くなった隙に出かけたりもしたけれど、夕方まで黒い雲は僕らの頭上に居座った。

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 この間していたことといえば、スマホと地図、メモ帳を手元に予定を組む。これがかなり難しい作業になって、まだ決められていないことはたくさんあります。当然これから先進国と呼ばれる、きっとハイテクに満ちた所にいきますが、これまでとは比べものにならないほど、何をするにも価格がネックになる。染み付いた金銭感覚では、もう恐ろしいくらい。それに人気もあって、1ヶ月先のこのでも安い宿は埋まっていたりする。まあ日本で考えてみれば1000円で宿泊なんて、カプセルホテル以外ほとんど不可能に近い。それと同じことですね。前日に決めた予定も、かなりすんなり進んでくれたことで、計画性は培ってこなかった。いろんなチケットは当然早くとったほうがお得だけれど、それ通りに事が運ぶ、色々な要素を頭が処理できているのかは自信がありません。それに先の感情はわからないから、チケットの確定ボタンを押すことには怖さもある。どこかで必ずしなければならないことだったので、考える余裕をくれるリシケシに来たことは正解でした。やってこなかったからこそ、緻密に考える必要を求められたからこそ、もしこれがうまくいったら、嬉しいだろうなというのもわかる。結局3日がかりで考えをまとめ、7つのフライトを予約しました。本当に順調にいってくれますように。ちなみに帰国日も決めましたよ。

 自分でもちょっと大丈夫なのか、というような日程になりましたが、体力を振り絞っていきたいと思います。飛行機以外のところは簡単に変えられるので力まずに。途中悩んで変更を重ねましたが、四大陸周遊は果たせそうです。帰ったら日本食の反動で太るのは目に見えているので、少しばかり痩せても、まあパーくらいになるでしょう。今晩から2日間、僕は宿無しです。この後デリーへの夜行バス。明日、正確には明後日の朝4時の飛行機でイスタンブールへ入ります。ということで、これがインドでの最後の投稿になります。25日間経ってみれば瞬く間。腹痛や鼻水に悩みながら7箇所を巡りました。インドは広く、大きくて、行きたかった南へは時間が許さず、全く異世界の中で揉まれてた。より自分をタフに、あらゆるものへの耐える力を与えてくれた気がします。都市部にはもう2度と行かなくてもいいけれど、溢れんばかりの歴史を持った国、完璧に知るには旅の全てをここに捧げる必要があったかもしれません。噂ほど人に騙されたりということは少なくて、さほど悪いイメージはないのですが、彼らが当たり前とするマナーと僕の普通との隔たりは大きく、苦しめられました。また来ることがあるならば、きっとかなり追い込まれた状況。四方が行き止まりになった時、僕はこのカオスに救いを求めるかもしれない。何でもたちどころ、どうでもよくさせてくれるかな。

 一度は晴れ間も見ましたが、この3日間天気が悪い日が続いて。最終日はこれでもかと言わんばかりの雷に襲われています。昨日の胸にしみる夕陽は今日の天気を約束してくれているような気がしていましたが、そんなことはなかった。今の僕の頭の中はこれでもしっかりバスは走るのかということだけです。デリーに着けなければ、飛行機さえ逃しかねないので。強い風にルーフトップカフェの安く軽い椅子たちは四方八方に散らばってしまいました。山と雷、この組み合わせの恐ろしさもしばらく頭から離れていて、いや本当に大丈夫かしら。大雨まで降り始め、出発を1時間前。変わりがちな天気が僕の味方をしてくれること、祈るしかありません。

 そんなわけで、ヨガ、瞑想に励むこともなくリシケシでの日々は終わります。あまりにもそんな場所がありすぎて、選ぶ気にもならなかったというのが正直なところ。宿も清潔感があり、居心地がよかったので、あまり外にも出ていません。ここにはインド人と白人しかおらず、東アジアバンザイと盛り上がれる相手もいませんでした。ここに引き寄せられるような人は、やっぱりルックスからディープそう。日本人の旅行者は大抵、学生であるか、職を辞してきたか。世界旅行となると、ワーキングホリデーをし、貯めたお金でそのままという人が多いように思います。学生で休学してというのは、3人しか出会っていません。これから僕は彼らの本拠地へ。宿にはどんな人たちが待っているのか、まったくわからない。ヨーロッパ内でも、旅をする人がたくさんいるのだろうか。また新たな環境を楽しんでいきたい。間違いなく今までより衛生的な綺麗さは待ってくれているはずだから。1000円以下、時には170円ほどで一泊できるこの環境は、そういう面ではかなり名残惜しくはあります。

 「お前ネパール人だろ」。話したインド人たちによく間違われました。1度や2度ではありません。何が彼らにそう思わせたのか、自分ではまったくわからないのですが、それだけ日本人から離れていっているということでしょうか。複雑な心境ですが、よしとします。過去に見たネパールの人々はイケメンが多いという印象だったので。ここはポジティブに。

 これで13ヶ国目、インドは終わります。終わるはずです。ここからはかなり頻繁に国が変わると思います。ブログも次々に舞台を変えていくので待っていてください。そして、俺はまだ死んでないぜ。

あなたへと続く道

 同じゲストハウスに宿泊しているお姉さんの腕にタトゥー発見。これ自体は珍しいことでもなく、むしろ当たり前のような光景。掘られているものは、遠くからだと、一見「人」という文字が隣り合わせに4つ並んでいるよう。わかる人ならわかる。アビーロードを横切る"あの4人"の姿です。今僕が滞在しているリシケシ。ビートルズのメンバーたちが50年近く前、マハリシのもと、瞑想に励んだ街。単純な僕も、それだけの理由で吸い寄せられて、より上流の、汚くはないガンガーを見下ろしながら生活をしています。


 ジャイサルメールでのキャメルサファリを終え、その日のうちに列車でデリーに移動しました。首都ニューデリーもすぐそこに。都会に戻ってきた僕の感情は想像してもらえると思います。煩い、臭い、疲れる。幸い砂漠から暑さだけは少し和らぎましたが、それでも40度近い。駅を出るなりに見慣れたはずの人の数に、改めて圧倒される。この国の中でも特に詐欺師が多いと言われる街。やっていける自信は全くありません。駅から出るなり、すぐ近くのところで30ルピーのボリューミーなカレーをいただき、そのまま翌日のバスを予約する。直接は電車がなく、経由せざるを得なかった。今すぐに抜け出したい。インド経験者の友人と意見が一致したこと、北インドの都会にいると自分の性格が荒んでいくのがよくわかります。そうさせる街も、そうなってしまう自分も気持ちいいものではありません。1泊予約してあったゲストハウスは"ママ"と呼ばれる、ここでは絶対的な力を握ったおばあさんが青年たちを働かせ、自分はほとんど1日中ベッドの上。腕なんかにも、考えられないほどの贅肉を蓄えています。着くなり軽い面接のようなものがはじまり、ドミトリーを予約していたのに空いていないと言われる。ほぼ同額でシングルになったので文句は言えませんが、完全に上からの一方的なものいいに「もうむちゃくちゃ」日本語でツッコんでしまう。


 翌日のバスは午後9時発ということもあり、荷物を置かせてもらい昼過ぎから街散策。と思って出かけたのですが、足元がなんだかフラフラ。肉、タンパク質が足りてないという安易な原因推測、マクドナルドに入って栄養補給。気温のおかげか、日中はそこまで人は多くない。多くなくてもクラクションは静まらない。歩きやすくはあったので、またもやシャー・ジャ・ハーンによって建てられた通称"赤い城"へ。時間がかかったわりに、近くに着くと全貌が見渡せるところがあり、腰を下ろす。地元の青年たちが近寄って来て、囲まれる。全く言語の通じない中、戯れているうちに「帰ろう」と思いました。結局中にも入らずに退散。ネットに載っている写真はどれも外から見られる部分のものだったので、内部はたいしたものがないと信じて。宿の近くでジョッキ一杯のミックスフルーツジュースを飲む。もう満足。まだ時間もあったのですが、のんびりと椅子に腰掛けて。先のことを考えながら、暇つぶし。考えると目前にヨーロッパが待っています。途上国ばかりの4ヶ月から、あと少しで違った世界の中に入る。金銭的な心配は付き物ですが、楽しみになってきました。どう辿るか、今まで以上に悩ましい。決めいるのはイタリアでミケランジェロピエタを必ず観る。それだけです。


 やっとの事で時間が来て、トゥクトゥク移動、駅そばへ。トゥクトゥク移動、バス停へ。このバスが端から時間を守らないことから始まり、本当に酷かった。流石にどこにでもあったシートベルトさえ付いていない。悪路を高速で、何度もガタガタ揺れて寝られるはずもない。エアコンの温度がかなり低く、凍えるほどなのに壊れて止まらない。これらの悪条件に疲労の溜まった体は悲鳴を上げていました。そして直行のはずが途中で降ろされて、待たされ、乗り換え。自分自体を落ち着かせるしかないのですが、朝6時頃到着した新しい景色に、早くも助けられる。川に大きな橋が2本かかり、両岸に造られたから小さな街。ヨガの聖地として有名なこの街は、インドとは思えないほど穏やかな空気が流れている。


 とは言え、寝不足。部屋は12時からしか使わせてもらえず、それまで上階のカフェで時間を潰す。幸い何冊か本が置いてあったので、辞書片手に程よく時間が過ぎました。シャワーを浴びて一眠り。2時半ごろに目覚めて、出かけました。目的地は初日から、他にないのもあってビートルズが過ごしたアシュラムへ。今は廃墟と化して、国立公園の中、50ルピーほどかかるという情報を持っていたのですが、いざ30分歩いて着くと600ルピーと書かれている。きっと最近変更されたのだと思います。国立公園に約1000円というのは、決しておかしくはないけれど、インディアンプライスからすると、本当にふざけている。されども、これをメインに来ている僕も、簡単に諦めることはできない。「高過ぎないかー」相手が何人だろうと、不満は日本語で口をつく。何を隠そう結局入りました。


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 入り口で引き返す外国人がほとんど、ほとんど人のいない中坂道を登っていくと、早速ジョンが瞑想に使ったという9番と描かれた建物がお出迎え。さっきまでの不満は何処かへ行って、不思議な高ぶりを覚えて入ってみる。かなり狭い中にトイレもあって、2階建。ジョージとジョンは特にインドの文化に傾倒し、長期滞在。ここでの成果から創られた曲はたくさんあると言われています。彼らが200近い人を連れ、ここにいたのは1968年の出来事。50年。後にマハリシも手放して人出の入らなくなったこの場所は、噂の通りの廃墟。彼らの背中を追いかけて、ここを訪れたビートルズファンなどによりたくさんの落書きがされています。この部屋も同様に。それでも彼が当時確かにここにいた。同時代の人間にアイドルを持たない僕には、ジャニーズ、AKBなどに熱を上げる人たちと、きっと少し似た想いで、生まれた時にはこの世にいなかったその人の存在を確かに感じる。先にもいくつかの建物があって、どこも入り放題。敷地に5人ほどしかいない中、一生懸命、上ったり下りたり。知り合ったインド人の青年と2人で進む。展示などはありません、ただそこに感じる。馬鹿かと思う方もいるかもしれませんが、嬉しかった。


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 沈みゆく陽を受けて、同じ道を歩いて帰る。聖地になるだけの雰囲気を感じて、平衡を取り戻した感情は優しく。帰ったら続く日本での生活、今だけのこの日々に。とにかく今を楽しまなければと、一番大事なところに帰らせてもらう。ただ先ほどの出費は少し引きずって、屋台でりんごを一つ、ガンガーのほとりに腰を下ろして晩ごはん。3泊することにしたので、また明日から。近くにはヨガや瞑想の教室がもういくつもあって、当日数時間の参加もできるらしい。そんなことをしてもいいだろうし、今の気持ちを保ちつつ、たまには頑張らなくてもいいでしょう。ただ感じるだけでもいいでしょう。インドで一生懸命ヨガをしている僕を、想像したら笑える人もいますよね。


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