やって来ました、神話の国

 イスタンブールを夜9時に出発したバス。運転手を含め、フロントではおじさん3人組が一晩中談笑していました。ここでもそれなりに荒々しい運転が繰り広げられるながら、途中1人が孫らしき子供を相手にビデオ電話をはじめ、ハンドルを操作しながらそれに参加するドライバー。こういうのも日本なら大問題になりそうなものですが、この旅ではこんなのは序の口。心配がすぎると思いますが、バスになるときも、ここで自分の生が尽きるのではないかという不安は片隅にあります。12時ごろ国境につき、いよいよEU圏に突入します。アジア系と思しき、僕を含めた数名はそこで荷物チェックを受ける。ちょっとモヤモヤしますが、協力しないわけにはいかないので。ギリシャと言えば、やはり神話の舞台というのが大きく、それに近年の経済危機。ユーロ離脱なんかが叫ばれていたこともありました。その先は追っていませんでしたが、通貨はユーロのまま。これから1ヶ月以上、国は頻繁に変わるけれど同じ紙幣、硬貨を使っていける。今まで各国のそれらを1枚ずつ記念に残していくという喜びはなくなりますが、やはりこれは便利です。3日おきにそれが変わっていたら、下ろす額、使い方もかなり面倒臭くなるのでありがたい。6時ごろに一度下車し、7時半発のアテネ行きに乗り換える。明るくなった世界、窓からは頭に雪の着物を着た山々が見える。到着したのは1時過ぎでした。


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 そこから宿までは3キロほど、最近ハマっている曲の英詞を記憶しようと努めながら。少しすると4、5階ある建物が並ぶ中心部に近づいてきたのですが、シャッターを閉じた店が多く、活気を感じられない。金融危機から来たものなのか、元の姿を知らないので判然としませんが、全体が少し落ち込んでいる。ヨーロッパというだけで華やかなものばかりを想像してしまいますが、そうとばかりもいかないこのご時世。主食はケバブからパイに代わりました。知らなかったのですが、そんなに多くない飲食店、見つけると大抵パイばかりが売っている。ギリシャ語を読めず、英語なんか書いていないので甘いものを期待して買ったら、しょっぱかったり。肉入りが欲しいと思っても当たらなかったりと難しい。


 そしてイスタンブールからそれなりに西へ移動したものの、日本との時差は変わらず6時間。なので日の出の時間が遅く、空は夜の8時近くまで明るい。違和感があります。沈む夕陽を眺めて、気がつくと遅い時間になっている。少しリズムが狂ってしまう。そして、これはかなり真剣に、夕食に何を食べればいいのかがわからない。昼時にはわりと目に入る飲食店は日の入りを前にほとんどがシャッターを下ろしてしまいます。数少ないスーパーと道にある小さな売店が開いているばかり。現地の方々は夜は家で食べるのが当たり前ということでしょうか。なんとか菓子パンを買って済ませていましたが、不思議でした。これからが勝負という時間もするのですが。気をつけていないと食いっぱぐれる。コンビニ文化に慣れきった僕は、困ったら頼るところがある。24時間営業、本当にありがたいです。ギリシャでは「バングラデシュ人だろ?」と言われました。


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 初日は荷物を置いて少しの休憩。夜行バスでほとんど寝られていない状態、出歩くと回らない頭が簡単なことに躓いてしまいそうな不安。かといって部屋で横になっているのももったいない。傾向として、夕陽という言葉に弱い。それを売りにする場所があると必ず向かってしまう。特にこの日はそれを見たい気分だったので海をバックにアクロポリスを見られる教会のある丘に登りました。暑いというほどではないけれど、急勾配になると汗が出るくらいの気温。今のギリシャはとても過ごしやすい。日本ももう20度になったりするようですが、自分のいない間に一つ季節が巡る。これも初めての経験です。斉藤由貴の声をした王子様の"夕ぐれが大すきなんだ。夕ぐれを見にいこう"という台詞がよみがえる。セント・ジョージ教会。頂上にはちょうど座れるスペースと同等の人がいました。クーラーボックスに飲み物を入れて売っている人が声をかけてきて「ビールはどうだ?」「いや、いらない」「水は?」それも断ると、変人を見るような目を向けられる。インドからは極端に水分摂取量が減っています。いい眺めでした。遺跡群と整備された、これぞヨーロッパというような街並みを一望できる。上記のズレから、6時過ぎに登った僕はベストタイミングまでに2時間近く暇をつくってしまい、結局待ちきれずに半分ほど下ったところでそれを眺めました。今までとはまた違った植物群の間から見る、やはりどこにいても変わらない太陽はこの日も何かと励ましてくれる。フジファブリックの「茜色の夕日」が聴きたくなる。1日が24時間でよかった。


 翌朝はそれなりに早起きをして、"小高い丘"アクロポリスに行きました。入り口を前にギリシャ人のおじいさんに日本語で話しかけられる。どうも反射的に警戒してしまうのは、これまでの経験からとは言え、申し訳ない気持ちにもなる。結局言い人で、昔日本で行ったことがあるということなどしばらく話しました。この人が頻繁に使う「あべこべ」というワードがツボに入る。このご時世、日本でもあたり使われない。使い方はあってるのだろうか。「ぎりしゃ、けいざいあべこべ」不謹慎だとは思いますが、笑いを禁じ得ない。別れてチケットを買うために列に並んだのですが、早い時間に関わらずすでにかなりの長さになっている。ヨーロッパではきっとこれが続くのだと思います。周りはほとんどが複数人なので、途中交代で何かを買いに行ったり、休んだりしているのが羨ましい。抜けてしまえば、はい、はじめからな僕。ようやく順番になり、疲れてはいたものも、受付のおばさんの感じが良かったから少し救われる。入場し、もちろん坂。途中の地点からは競技場などの遺跡が見下ろせる。神話の舞台。結局ギリシャ神話は読破できないまま、先に日本に帰してしまった。何と言っても、パルテノン神殿。階段がはじまり、門をくぐってこんにちは。あれ、工事中。ついていないのか、人類のため、世界中の遺産の多くは今日も工事中。反対側はそのままの姿だったのでセーフ。さすがに観光客への配慮はあります。置いてあるパネルと比べれば、原型はかなり崩れてしまっている。たくさんの像が並んでいたはずの上部に、一体だけ完璧な形で残った座る男。彼の放つ哀愁、そこに留まり続けた力強さ。石に普遍性を見出した昔の人々の考察は、時代を超えて子孫たちに恩恵を与える。この文化が生み出したものは、今でも確かな影響を様々な国、分野に有する。美の概念、創り出す技術の先進性。現在でも幸か不幸か、ここから脱却できていないと思う。恐縮ながら、賛辞でもあり、悲しみも含む。古いというのはそれだけで武器になり、チャンスも多い。現在が昔になった時に、何が賞賛されるのだろうか。何が残っているのかな。人の歴史の中で、またひとつ凄いところに来ることができました。せっかくの知識、それにイメージを持てることは幸せです。


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 歩けばすぐにギリシャ、ローマの遺跡群が現れる。またアテネと言えばオリンピオン。オリンピック。第一回の開催地であり、僕の中で年齢的にもっとも色濃く残る2004年大会の開催地です。それらに関連した施設もあります。外部からはいくつか眺めましたが、入場したのはパルテノン神殿だけ。そして2泊で次の国へ。タイトなスケジュールは管理が大変で、ちょっと疲れる。まだ始まったばかりなのに。次はイタリア。それでも自分がイタリアに行くことを思えば、非現実的で、嬉しさがこみ上げます。最終日は6時起きで、地下鉄に乗って空港へ。奇妙に思えることは、アジア各国の方が英語の表記が充実していること。近いからこそのライバル心があるのでしょうか。ギリシャ語なんて一つもわかりません。便利な地下鉄は、慣れてきた不便さと真逆のところにあって、当たり前だけど、すごいことに思えます。便利だけどギリシャはあらゆることが少しずつ緩いイメージ。地下鉄はチケットをチェックされることも、降りた空港の駅には改札もなかったので、知っていればやりたい放題です。


 ようやく座席に落ち着いて、コーヒーを飲みながら、搭乗後2時間もせずにローマ。この地域に来てから、いつも、どこでも口づけを交わすカップルばかり。ルックスもさまざま、文化の違いをまざまざと。