キヅキ

 ヨーロッパを後にして気がついたことがあります。メキシコにはたった2泊、ティオティワカンを見たばかり。1番の思い出は、ピラミッドに行くため地下鉄に乗り、本来は2度の乗り継ぎで済むところを、間違え、乗り過ごし5回も電車を変えたこと。それもティオティワカンへ向かうバスターミナルに着くまでに。そしてキューバへ。WiFiもない、社会主義の国。クラシックカーは空港を出てすぐにお出迎え。何をするにも緊張して、うまく行くか安心できない。そんなことを積み重ねる必要のある途上国では、日本や欧米でするにはなんてことのないことにも、達成感が宿る。だから特に何かをしたわけでもなく、ただやろうとしたことを無事にやり遂げると、満足がある。これは定住、慣れてしまえば無くなっていくものだと思いますが、そこに短期間しかいないことの決まっている僕にとっては、半年間、新鮮なことであり続けました。こういう気持ちは、ヨーロッパにいた時は抱けなかった。バックパッカーの本懐は、アフリカや南米で強く抱かれるのは、少なからずこの気持ちを誰しも持つからではないでしょうか。


 旅券の安い日に絞って旅程を決めた結果の、ネガティヴな側面は、メキシコシティでの滞在が2泊になってしまったことです。スペイン、マドリードの模倣が多いこの街。つい先日そこにも滞在したことが懐かしい。人口の爆発、地下鉄網の発達が著しい首都圏。高層ビルが続き、大都市ではありますが、清潔感には乏しく、タイのバンコクで感じた雰囲気とかなり近いものがありました。宿も、安い上に、スペースに余裕があり、くつろげる。日本人として、ヨーロッパでは帰って来たように思い。メキシコにいては、東南アジアの国々から、これも帰って来たように感じます。もっと精力的に回りたかったのですが、ロンドンから6時間の時差にもやられ、だるさが抜けないまま次の国へ。ここでは日本と14時間の時差があります。どのくらいかというと、朝起きたらプロ野球のナイターの結果が確認できるくらい。そんなことはないのですが、未来を見ているような、すこし得をした気持ちです。


 カストロ議長の逝去のニュースが新しい、キューバ。アメリカとの直行便も開通した現在、これからより民主化に向かうというのが大方の意見。その中で守られてきて、すこしずつ薄れ行く社会主義の瀬戸際を目の当たりにしました。他の国とは異種の感慨があります。ここにはマクドナルドも、バーガーキングも、スタバもない。商業的な広告も、中心部であるほど、ほとんどありません。僕が平均的な寿命を全うするのであれば、日本人としてはそれの最終盤を目撃した生き証人になる日が来るかもしれません。年代物のクラシックカーが一生懸命に走る光景はやはり特殊です。初めて足を踏み入れた者、最初の数日は特別に。なんでもそうですが、やはり慣れはやって来ます。5泊したキューバ、3日目にはもう当たり前のものとして映りました。スペイン統治下の旧市街、これも世界遺産に登録されています。ユネスコは"旧市街"というワードがとても好みのようで、世界中でそれをまるまる登録しているのには度々出くわして来ました。紛争、戦争、世界大戦の続いた、あるいは続くこの数世紀、確かにそれらが形を留めていることはとても尊いことなのかもしれません。そしてまた、それらがあったからこそ、古いものを残していかなければならないという風潮もあるのでしょう。確かにそこには植民地とさせていた当時のコロニアル建築、西欧風の建物があり、今も人々が生活しています。


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 キューバではカサと呼ばれるものに宿泊します。これは民宿であり、部屋を貸すという形になっています。特に地方だと、家族の暮らす家の一室を、1人に貸すという規模の小さなものもよくあるようです。僕が滞在したのはハバナとトリニダーと人の多い地域だったこともあり、ホステルのドミトリーとなんの違いもなく、4人部屋、2人部屋に宿泊しました。朝ごはんは必ず、ハバナでは洗濯までしてくれる優しさ。南国のフルーツはやはり美味しくて、搾りたてのジュースも定番でした。スペイン語の国で、英語はほとんど通じなかったこともあり、勉強の必要性を痛感したものの、ここには日本人も多くいて、期間中、それを話せる方と一緒に行動していたので、甘えっぱなしになってしまいました。どうにか数字が5まで言えるようになったくらい。ただ現地の方々は、アジア人がスペイン語で話すのを前にすると珍しいのか、嬉しそうに、とても親切にしてくれるのを横で見ていて羨ましくもありました。習得したさもありながら、帰ってしまえばほとんど使うこともないからな。憧れながらも、たぶんやらないかな。


 二重通貨制度。これもとても珍しく受け取りました。自国のものに、ドルも流通していることなどはありましたが、キューバには現地の人が用いるCUCと旅行者用のCUPがあります。ATMから出てくるのはCUPですが、ちょっとした買い物をすると、お釣りとして手元にはCUCもやってきます。右のポケットをもう長いこと財布にしている僕には、その中で混ざり合い、なかなかややこしいことに。基本的に色で区別は出来るようになっています。3CUCのコインと札はどちらもこの街に溢れるチェ・ゲバラの肖像が使われており、これをお土産にする旅行者もいるようです。コインは一緒にいた日本人の方のご厚意で。札はピザ屋で居合わせたおじさんに頼み込んで、どちらも一枚ずつ手にすることができました。ローカルな店と、旅行者向けの飲食店の価格差が大きく、普通の店で食べると決して安くない金額を払うことになります。地元の人が集う小さな店などでは、それなりの大きさのあるピザが10CUC(約40円)で食べることができました。後者を食べているときの方が、なんだか安心できて、バックパッカーの心意気を癒してくれます。ちなみに1CUCは1ドルと同等の価値を持っています。


 ネットを使わないぶん、情報が貴重になるキューバでは、日本人が集まる場所を久しぶりに選びました。これだけ一緒に過ごしたのはエジプト以来のことです。同世代から、10、20歳上の方々の価値観に触れて、同じ生活を続けていたら、そのまま社会に出ていれば知ることもなかったであろうあり方をたくさん教えてもらいました。思い浮かぶ一生のバリエーションは、この旅で驚くほど幅を広げていきます。社会を前に、力の入っていた肩を、すこし和らげてもらう。このタイミングしかないと思って実行した今回の旅でしたが、これから先でも不可能ではないなと。それを望むかは全く別問題。今は全くイメージが湧きません。


 社会主義の中、その腐った実態も垣間見ながら。どんな職についても、基本の給料は変わりません。そうしたら、自分のスキルを磨いていくというモチベーションも持ちづらいだろうな。親の仕事を引き継げることもあり、警察や公務員などは特にだらけている印象を受けました。トリニダーからの帰り道も、タクシーが止められ、運転手は賄賂を払わされていました。その後は少し運転が荒くなった。今の社会からの変化を望む声が大きくなっていくのも当然ですが、民主化が進めばもちろん楽になる人ばかりではありません。貧しいながらも、家を持たないという人を期間中見かけませんでした。これも凄いことだとは思います。科学の発達で仕事が生活の中心でなくなるかもしれない、遠くない将来に。その先に待つものが、今のキューバの生活から考えさせられることもあると思います。


 トリニダーではカリブ海にも浮かび、水着も仕事納め。特定の場所というのではなく、国全体として、印象に強く残りました。明らかに他国と毛色が違う。それでも治安も良く、居心地はとてもいいものでした。これから先、遠いところにいて拾うこの国のニュースを、もしかしたらこれから大きな変化の中に入っていくことになる一国の行く先を注目して見ていきたい。大方の予想通りに進むのか、他に道があるのか。次に行くことがあれば、そこで僕はマクドナルドのハンバーガーを方張ることになるのか、10CUCピザのままなのか。血が流されることはないように。