人口爆発とはこのことか

インドの価格設定に慣れてきました。わかればわかるほど不思議に思えてきます。一番大事な食事代。基本的に屋台で食事を摂れば、その中でも場所によって差はあれど30ルピー〜高くても80(約140円)というところで食べられます。水1lは今の所どこで買っても20ルピー。これらから期待したもののタバコの価格は、280ルピー(約480円)と言われました。高い、もう2日間3食くらいの価格です。もうここのところ毎日禁煙しようと思いつつ、どうしても吸いたくなる。ただこの値段だと、本当に馬鹿らしくなりました。食事と比較するといかにも高級品といったところです。家を持たない人々が、人の吸い終わったタバコを拾って、残りわずかなものに火をつける姿。珍しくなく痛ましいこの光景も納得できてしまいます、買えるわけがありません。バラ売りもしているので、この日は1本を14ルピーで買いました。貧富の差とともに、価格も高低差に大きな開きがあります。街を歩いた帰り道、どうしてもトイレに行きたくなり近くにあった喫茶店に入る。ここはそれなりに綺麗な場所で冷房も効いているようなところでした。当たるのは空港以来です。お金を使いたくないと思いながら、アメリカーノのアイスを頼むと190ルピーもする。そして絶望的に美味しくない。立ちションすればよかったと後悔しました。貧困ビジネスという言葉を日本でもよく耳にするようになった今日、圧倒的に様々なバックグラウンドから人の集まるインドの都市では、潤う者、飢える者、それらがぎっしりごちゃ混ぜになって、1つの街、国の姿をつくっています。ちなみに宿は一泊440ルピー(約770円)のところに3泊しました。小さくはない出費です。探せばもっと安いところもきっとあるでしょうが、結局移動はしませんでした。場所によってそれも変わるようで、調べるとこれから向かうバラナシは半分ほどで1泊できるところがたくさんありました。ありがたい。結局最もかかるのは移動費。僕はそれなりに移動を繰り返しているので、時には飛行機、フェリー、鉄道、バスとこればかりは抑えるのが難しい。バラナシまでの電車のチケットは1100ルピーかかりました。これも他の国に比べるとだいぶ安いのは確かです。


そのチケットの予約がけっこう時間がかかりました。駅とは別のチケットオフィスに行かなくてはならず、シーズン的に混むと言われていたので、開く1時間前の到着を目指し8時に宿を出ました。きっとバスを使っても大した値段ではないでしょうが、1時間以上歩いてようやく到着。東南アジアの国々と比べるとさほど暑くないので助かります、長袖でもいられるくらい。今思うとやっぱりカンボジアあたりはものすごく高温だったなと思います。もう汗が止まることを知らなかったから。予定通り10時に開いた事務所で、14の整理番号をもらった僕。順番が来て、終わった頃には2時間以上経っていました。翌日の20時発、バラナシに9時半到着の列車。これでもうすることもなくなって、昼食を食べてブラブラ歩いていました。たまたまその周りには路上生活をしている人々が、木材やシートで歩道に家を設けている。前日で終わったはずのホーリー、まだ身体中に色が付いたままになっている人たち。シャワーなどは浴びられていないのかな。道には水が湧き出ている箇所がいくつかあって、老若男女が体を洗う風景が都会の中に溶け合っている。川に接する地帯に進んでいくと、なんて事のない、特別な事など何もない日に関わらず、土日の渋谷の日にならないくらいの人で溢れかえっている。両側には壁すらない木だけで作られた住居のようなもので子供たちが遊んでいるのが見える。人はそれぞれに忙しそうに流れていく。


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少し落ち着いたところまで来て、疲れたのか歩く気も起きなくなったので道端に座り込んでただ行き交う人を眺めていました。鳥のフンだけ踏まないように、その間を縫って。もちろん肌の色も他と違う日本人がポツンといるのは日常的なことではないはずなので、常に人の視線を感じていましたが、話しかけられるようなことはほとんどありませんでした。僕が見ていた通り、手前の方は途切れることなく見るからに重そうなものを頭に乗せ、リヤカーに乗せ運び続ける人々が往来を繰り返していました。こういう光景は日本では機械化されている部分が多かったり、そうでない部分は目につかないところで行われる場合がほとんどです。その違いに目が離れませんでした。一方で道路を挟んだ奥の歩道では、それなりに身なりのいい人たちが視界を右に横切っていました。近くにいる労働者の人よりも、この奥の人々がより僕のことを気に留めていたように思います。そしてより綺麗な格好をした人たちはバスに乗り、タクシーに乗り通っていく。特に何かを考えてた訳ではありません。無我なところで、道の一部になったような気分でしたが、器があるから見られてしまうなあと。全く気に留められなくなるにはどうしたらいいのかな。でもすぐ近くに横たわっていた、家を持たないであろうおじさんには誰も目もやらないようでした。唖然とするほどの数の人にもみくちゃになりながら、僕にとっては1人も特別な人などいない。1人の人に重さを付与したら、他のすべての人も同じ重さになる。誰も僕が過去にしたことを1つも知る人はいないし、相手のことも何も知らない。宙に浮いているような非日常の中で、頭の中もよくわからないことになっていました。こんなことを1時間ばかりして、途中何度も立ち止まり、座ったりを繰り返しながら宿に帰る。ただ歩くだけでも神経を使うのがコルカタ。この日は他には特に何もせず寝ました。


翌朝はチェックアウトを済ませなければならなかったものの、同部屋のブラジル人、インド人が起きてくれなくて、起こすまいと準備ができない。朝食を食べて戻っても状況は変わらず、結局11時を過ぎてようやく動きはじめる。バックパックを宿に置かせてもらい、マザーハウスを見学に行きました。小学生の頃、本や漫画で伝記を読むことが好きでした。その中の女性で記憶に残っている人は、ジャンヌ・ダルクキュリー夫人、そしてマザー・テレサ。インドでの人道支援、その拠点にしていたのがコルカタでした。彼女が使っていた部屋などが公開されている。彼女の行動、言葉に感銘を受けたかつては少女たちだったのかもしれません、ここにはたくさんのシスターたちがいらっしゃいました。誰でもボランティアに参加することができて、したいとも思っていたのですが後にすることにしました。7時集合というハードルが高すぎたので。自分が立っている場所でかつてマザー・テレサが飢える人たちに暖かい目を注いでいたかと思うと、古い遺産とは違い、明確な歴史を感じ取ることができました。


その後は暇を持て余して、宿から近くの公園に行ったのですが、荒れ放題になったところに牛が普通に歩いていました。奥に進むと子供達が国技とも言えるクリケットをいたるところでやっています。それをただただ見ていると現地人たちに囲まれ「やってみる?」と言われる。野球と似ているからいけるかなと思いつつ挑戦。これはもう似て非なるもので打つにしても凄く難しかった。世界で3番目に競技人口が多いと言われるクリケットですが、実際に見たのはインドが初めてでした。その後は、何を勉強しているのと問われ、文学と文化と答えたところ、いつからか25歳の男性から2時間もインドの文化とイスラム教についての説明を受けることになる。公園にいるのに座らせてくれることもなくひたすらに続く授業。相手は良かれと思ってしてくれていたのでしょうが、初対面の人間に対して暇すぎじゃないか。敬虔なムスリムの方々は自分の体験も引き合いにコーランをよく勉強しているという印象を受けます。ただこの勉強があるからこその理解、それができる余裕がある人は多くないのかもしれません。彼らの考える教えは確かに多くの場面で人の気持ちを楽にしてくれそうですが、それを慎みを忘れ見当はずれのところに応用する人間が多すぎるのかな。何と言ってもインド、今のところ超ローカルな日々を送れています。現地の人と関わりを持てた日は、なんだか充実感があるんです。


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そして僕は駅に向かいました。ヒンドゥー教の聖地、聖なる川、ガンジス川で有名なバラナシ。世界一汚いと言われながら、多くの人を惹きつけてやまない街へ。もうワクワクが止まりません。ガンジス川で泳ぐか、泳がないか、どうしようかな。