出会い、再会

 キューバを後にして、僕は一旦メキシコシティに戻る。そこで空港泊、翌日に次の飛行機でペルーへ。南米へやってきました。治安の面でも少し心配がある。キューバで会った人たちは、南米から上がっている方が多かったので、気をつけることを教えてもいました。聴けば聴くほど不安になっていく。帰国の飛行機までは11日しかなく、マチュピチュとウユニだけには必ずいきたい。それだけでも途中で躓けば難しくなります。3分の1は移動に使う必要があって、立ちはだかるは連なる山々と富士山を越すこともある高度。高山病とバス酔い。そんなところにも人は住んでいる。酸素が薄くてすぐ落ちるから、首締め強盗なんて輩もいるらしい。最初にリマにつきオーナーに教えられたのは「南米でタクシーに乗るときは、窓を開けたり、外にいる人と目を合わせたりしてはいけない」怖すぎます。実際に最初に着いた宿にも、強盗の被害にあったという方もいらっしゃいました。それにしても南米に旅行者はとてもディープです。6年間旅を続けていたり、自転車やリアカーを押して世界を回る人たち。とてもじゃないけど敵いません。最後の最後に、とても謙虚な気持ちになって日本へ帰れそうです。上には上がいる。


 後が詰まるのを避けるため、夕方に着いたリマは一泊で後に。翌日の13時発バスでクスコへ。20時間以上に及ぶ道、バス酔いから吐き続けるという生き地獄を味わう人もいると聞いていました。実際に数席後ろにはそういう人がいて、もらうまいと、必死にiPodで違う世界に避難する。何事もなく到着できた自分を少し誇らしく思います。この街もずいぶん高いところにあるのですが、高山病も無縁に着けたようです。ただ、坂や階段の多い土地柄、それらを登るには普段の倍時間がかかり、すぐに息が切れてしまいます。生活するだけでさながらトレーニングを積んでいる気分です。ウユニのベストシーズンが4月には終わってしまい、冬になるとパタゴニアにいくこともできない。これらを重要視する日本人は、今の時期だとペルーにもあまり多くありません。しかし6月下旬、クスコでは伝統的なお祭り、インティライミがあり、1年を通してかなり観光客の多い時期なようです。そんなことは知らずにやってきた僕。本番にそこにいることは叶いませんが、すでに街はお祭りの賑やかな空気に包まれ、練習なのか、前夜祭的なものか、時間によってはパレードが行われ、たくさんの聴衆が集まります。夜には各所から花火が打ち上がる。寒い中で見る花火。


 ここも1泊して荷物を預け、翌朝からマチュピチュへ2泊3日のツアーに参加。電車で行く方法もありますが、こちらがかなり高額になっておりまして。6時間ほどかけて途中までバンで行き、そこから歩いて向かうコースを選びました。適当に数カ所に聴いて、選んだエージェンシーがかなり悪くて、朝7時に迎えに来るはずが、来たのは1時間以上経ってから。結局、誘い文句にもあったWiFiも滞在中使えないまま、その他も困らされることが多かった。それに周りはスペイン語を話す旅行者の方ばかり。少しさみしい旅になるかと思いきや、チリ人やアルゼンチン人の同行者たちが声をかけてもらい輪に入れてもらう。あまり上手ではない英語で、僕のことも気にかけてくれる。ラテンの温かさに触れました。途中から断崖絶壁、悪路を走るバンは無事に目的地に到着。そこからは3時間ほど、線路の脇を歩いて村に向かう。ここは日本人には"スタンドバイミーロード"として有名なそうです。確かに今にも壊れそうな鉄橋、線路の気をつたって川を渡ったりと、冒険感満載。鳥のさえずり、虫の声など楽しみながら歩くのかと思いきや、一緒に歩くチリ人、27歳、20歳の従兄弟同士の二人組。取り出したのは、ベルトに装着するスピーカー。テクノミュージックを大音量で流しながら、年上の方は草を髪に巻いては吸い、また巻くを繰り返して進んで行く。完全にアホでした。でもこういう人たちが人一倍優しく、思いやりにも秀でている。こんな人たちに道中、何度も気持ちを救われてきました。宿には日が沈んでから着き、参加者全員で夕食。宿に戻っては翌日の4時起きに備えて就寝。同じ参加者の1人に明日の降水確率が50%と聞かされましたが、これはきっと大丈夫だろうと。晴れ男ということに、僕は何より自信を持っているかもしれません。


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 3時過ぎに無事起きて一安心。朝食付きといっても、パンにジャムがあるくらい。ココアを飲んで出発。やっぱり雨は降っていない。まだ暗い中を進んでいると、脇道に何やら光るもの。闇の中、姿が見えないので蛍であるかは定かではないのですか、とにかく光る虫。日本のものよりもオレンジに近い灯りを点滅させて、僕の隣をいきます。なかなか見られるものではないと、早朝から嬉しい気持ちになって足を動かす。寒いと聞かされていた南米に、僕はそれなりに着込んで出かけましたが、止まらない足に、徐々に汗をかきはじめる。村からはバスも出ていますが、みんなも歩いて行くと言うし、僕もそのつもりでした。ただ予想外の暖かさにパーカーもダウンも、ジャケットも脱ぎ、最後はシャツ1枚になって入り口に到着。ただこの日は運のいい日ではありませんでした。ツアー会社のミスでチケットが用意されず、必要な番号だけ書かれた手書きの紙を渡されましたが、結局それでは入場できず。パスポートを預ける羽目に。スペイン語、英語に対応したガイドというのも嘘っぱちで、英語を希望する参加者は他の団体に押し付けられる。そのせいでツアー終了後、元いたグループと離れ離れ。一度退場して、パスポートに判子を押せば再入場可能。僕はそのパスポートを持っていない。探しに戻ろうとすると、係員のおばさんに一通だから引き返すことはできないと拒まれる。どうしようもなく出口付近で待つことに。ポケットに入れていたリンゴを取り出して食べようとすると、手から滑り落ち、マチュピチュの勾配を止まることなく転がっていく。それを見て笑うおじさん。こんなこともあるかと。いいえ、食い意地が張ってもう片方のポケットに入れていたリンゴを取り出す。こちらは無事に口をつけるも、しゃりしゃりで、こんなに不味いリンゴはどの国にも無かった。災難なことの方が文章にするのは容易い。


 しかし待っているとあの従兄弟たちがやってきて、そこからまた一緒に回ることに。無事にガイドも見つけて再入場。彼らがいなければこのツアーはどん底でした。陽気な2人のおかげで僕も元気を取り戻す。肝心なマチュピチュは、相変わらずよくも、こうへんぴなところにという印象がまずはじめに。人間、科学が進歩する前から、頑張ればこんなものまで作り出せるという力強さ。よく話題にもなるインカの遺跡を目の前に、これだけの技術力。目の前にするとより強く思います。高い山々に囲まれて、侵略を免れ、しっかりと形を残す都市。丁寧に隙間なく積み上げられた石は、当時でどう実現されたのか想像もつきません。歴史ミステリーなどに普段から強い関心があるわけではありませんが、ここに来るとやはりそういったロマンを感じます。標高も相まって、雲が近く、霧がかかったようになった姿も、この世のものではないような雰囲気を演出していました。テレビで何度も見た、アルパカや、スペインなど侵略国家との血が混じっていない、いかにもインカ系の血を引く人々、謎多き空中都市マチュピチュ。来られて大満足です。


 2泊したのは中日で徹底的に回ってやろうと思ってのことでしたが、早起きに朝からの登山。ヘトヘトになり宿に戻ったのは、まだ12時前のことでした。1泊で来たチリ人のアミーゴスは途中で別れ、帰っていきました。僕には絶対にできない。南米ではホットシャーが使えないところも多いものの、滞在した宿の唯一の長所、それが十分に使えること。帰りも1時間ほど歩いて、再び汗だくになって帰った僕には最高の贈り物でした。そして寝る。その後しばらく、僕はこの筋肉痛に悩まされました。翌日の昼過ぎには行きと同じ線路を辿ってバンが迎えに来るポイントまで歩いていく。初日から一緒だった2組のチリ人カップルと帰りの道も連れ添って。本当に彼らへの感謝は忘れられず、いつの日かスペイン語を習得してチリに行きたいという思いも芽生えました。やはりアニメのことを中心に、地球の裏側に暮らす彼らも日本のことをよく知ってくれている。27歳のマリアは特に詳しく、Netflixなどで日本の番組なども見ているようです。彼女はテラスハウスも見たらしく、手を繋ぐだけで完成の上がる日本の文化に疑問を覚えていました。そりゃあ人前でも音を立ててキスをする人々だから、そう思うのも納得です。「あんなこと、日常茶飯事すぎるわ」彼女は言いました。バンを待つ間、彼らと談笑していると、他の車の窓を通して、エジプトで会った日本人の顔を発見、彼もクスコに戻るということだったので、あとで会う約束をしました。車が逆向き、彼の席が窓側でなければ気がつかなかった。運命を感じます。


 クスコに着いたのはもう夜10時過ぎ、マリアたちと一緒に夕食を食べ、彼らが伝統的なお酒、ビスコのサワーをご馳走してくれました。アルパカのステーキを食べながら。マチュピチュは遺跡だけでなく、人との繋がりも残る、いい思い出になりました。疲れた体に効いたアルコール。帰り道の階段を、もう声を上げながら登っていく、シャワーも浴びずにお休みなさい。


 次の日は前日に再会した日本人と連絡を取って会うことに。同学年の彼も同じような期間で旅をしていて、カイロで会った時にはお互い終わりが本当に来るのかわからないような頃でした。同じ頃に南米に行く予定ではあったので、また会えたらと言う話はしていました。だけど、まさか本当に会えるとは。そんな彼と話すうちに、この旅で自分の中に起こった変化などと強く認識することができました。うまくまとめることはできないけれど、いろんなことが整理させてもらう。残り1週間のこのタイミングで会えたことは、本当に大切なことに思えました。まだ3週間ほど続く彼の旅も無事に終わりを迎えますように。昼ごはんを共にし、別れて自分の宿に。すると今度はそこで、カイロの後に訪れたダハブで出会った方と再会しました。1日の間に、1度でなく、2度までも。本当に感動的でした。舞い上がってしまいました。この方は10歳ほど年が上、僕の倍も旅をされていまふ。昼過ぎから、バスに乗る時間まで、興奮も相まって僕のとりとめのない話を優しく聴いもらう。タイミングはもちろん、同じ街でも、宿が違えば合わないところを2度。旅を長期間続けると楽しみもあるんですね。前述の彼も含め、2人に会えたこと。帰国を目前に、何か大きな存在にご褒美、整理する機会をもらったような心地でした。


 そして最後の国、ボリビアのラパスに向けて。終わりを間近に控えた、最後の目的地ウユニへ。ここまで来たら無事に帰りたい。