この頭痛は、きっと歴史のせいだ

イスラエルエルサレムにやってきました。たまのアラームを今日はしっかりセットして、7時発のバスに遅れないようにタクシーへ。当日で10JODのチケットを購入、近くでパンとコーヒーを買って乗車。ヨルダンのコーヒーは生姜が効いていて、温まるのか、冷えるのかよくわかりません。それに挽いた豆が下に沈殿しているので、最後の方は飲むのが難しくなる。これは今までいった国に共通して、速度を守らせるために頻繁に道路にボコが作られています。ここには特に頻繁に設けられていて、紙コップのコーヒーは持っているのも大変でした。日本にもありますが、そんなに多くはないように思います。運転モラルもきっと日本はトップクラス。ヨルダンの運転は本当にひどいもので、ウィンカーも使わないのでもうないのと一緒、せっかくの綺麗に引かれた車線も守られない。それでいてサイドミラーをすら見ないようなこともあって、何度もヒヤヒヤさせられます。「左側にいくけど、ぶつかってくるなよ。目くらい着いてんだろ。」とでも言わんばかりにドライバーは道路を蛇行で進み、事故直前といった状況は茶飯事です。こういうことって変わらないのかな。


地図を見ていただければヨルダンイスラエルも大きな国ではなく、縦長で横に並んでいる両国。ボーダーのキングフセイン着くまでも1時間とかかりませんでした。わかりにくさはあったものの、無事にヨルダンの出国審査を済ませ、再びバスに乗って向かうわ「世界一めんどくさい」と言われるイスラエルの入国審査。建物自体はさすがに綺麗なところでしたが、テーマパークの入り口のように長い列ができている。セクションはトータル4つ、軽い確認と荷物を預ける作業。同じように簡単な確認を済ませ、空港のようなゲートをくぐる。この最初の3つで引っかかるようなことは、よっぽどの事情がない限りないと思います。そして最後に立ちはだかる難関、厳格な入国審査。4列ほどに別れて並び、自分のところは笑顔の素敵で優しそうなおばさん。これは意図的に選びました。他はどうも聞き分けの悪そうな顔をしていたので。見ていると何分も質問を繰り返され、なかなか通してもらえない人々。中には待っていろと言われて引き返す人の姿もありました。いざ自分の番になって、緊張しながらも出来る限り印象のいいように接客時のような笑顔を。準備もしっかりしてあって、質問にも難なく答える「これはいける」と思った矢先、言われたのは「問題ないけど、ちょっと待ってて」スムーズな入国は失敗しました。


時間は他の人よりもかなり短く、疑われるようなこともなかったのに、どうして。それでもちょっとという言葉を信じて待つ他ない、結局2時間ほどかかりました。実は僕の2人前の方も日本人で英語が通じず待機を喰らっていました。待った果てににスタッフと話して感じたのは、どうやらその人の同行者と思われ一緒に待たせるとなったみたいです。入念な追加質問も僕だけがされ、大丈夫とわかるともう1人の日本人の方は何を聞かれることもなく追加。待ち時間は日本語も話せたので、そう苦もなく、親切に無料Wi-Fiも飛んでいました。数人、別室に連れていかれているのも目撃していたので、比べればだいぶマシ。バスから同じで仲良くなったブロンドの綺麗なお姉さんも連れていかれて、再会を果たすことができませんでした。お互い越えた喜びのハグなんて、まあないか。朝早く出ていたので、これだけ待っても終わった頃はまだ昼でした。すでに夕方の疲労感。


イスラエルに入国。アンマンから少し移動しただけですが、この国はただそこにいるという事実だけで、特別な気持ちを覚えました。僕の中で、世界でも特殊で膨大な事象を抱えている国だというイメージを持っていたからだと思います。「イスラエルに来たんだな」、そんな簡単な事実から、人生で最も抽象的な感動を味わう。10人の定員に達し次第発車という乗合タクシー、1300円ほどでエルサレムへ。街並みとともに、売られているものもアラブ世界より数段質の高さが感じ取られます。それと併行して、物価、笑えません。昨日までは100円もかからなかった2lの水も300円。マルボロは1000円します。人種と宗教が混在し、他に類をみない独自の空間、世界遺産、旧市街。壁に覆われたそう広くはない敷地には、嘆きの壁聖墳墓教会、岩のドームといった今の世界を創り上げてきたものがひしめき合っています。この歴史を語れば錚々たる歴史上の人物たちが、次から次へと登場してくる。ダマスカス門から入り迷路のような街の中、隙間なく並べられた石畳。初めて生で見る敬虔なユダヤ教徒とその装束。一歩足を踏み入れると、外の世界とは全く雰囲気を変え、その一部となったように。呼吸が浅くなるような、神聖さを感じずにはいられません。


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今日はその壁の中にあるホステルに泊まっています。ザンジバルのストーンタウン同様、遺産の中で行われる寝食。世界中のたくさんの人が崇める場所のすぐそばにいるんです。そんなホステルは2段ベッドが6台の12人部屋。男女共用の空間で、僕のベッドの前には水色のパンティが落ちている。非日常こそが旅の醍醐味です。出発当初はざらにあったこんな光景もなんだか久しぶりです。当時の慣れもどこかにいってしまったみたいで、少し落ち着かない。これだけ広い部屋に泊まってのは、ザンビアのビクトリアの滝以来だと記憶してます。そこから年末にかけてはバックパッカーが減るのか、1人でドミトリーを使うようなこともありました。ケニアでのホームステイから、また速度を増したエジプト、ヨルダンと多くて5人。アラブ圏では性別ごとに分かれているのが基本だったので、こんなところにも文化が現れるみたいです。


1日で回りきれるか、足が棒になるまで歩いてこようと思います。とりあえずどこかで地図を調達しなけりゃ、絶対に迷子になるから。世界遺産で迷子って、まあそれだけでも十分だけど。

オンザルーフ 〜日向ぼっこ〜

たとえ離れたところにいても、激しい雨に打たれていることを知れば、どうにか僕の傘を届けたいと思えるそんな人。力いっぱいに投げたその傘は、手にとる頃にはきっとボロボロで。嵐の中で使うには小さすぎるかも知れませんが、よかったら使ってください。冷えて体調を崩さなければいいなと願いながら、そうなったら今度は薬でも送ります。ただの親切ではありません。かつて君がしてくれたこと。お礼なんてもらわないくらいがちょうどいいので。まだ繋がっていることがわかったから、それだけでうれしいんです。


聴いている音楽で、趣を変える風景。高いところを群れて飛ぶ鳥たちは、それに合わせて幸福も悲哀も帯びる。道行く人とて同じこと。うれしい時は楽しそう。かなしい時は暗んでいる。そんな移ろいやすいものだから、あんまり気にかけることもない。気にかけたって悪いことじゃない。


道にまよった時に、たずねる勇気も大切だけど。少しずつまわりに人はいなくなって、助けをこえないこともある。泣きたくなったら泣いてもいいから、あきたら1つ選んでください。楽そうなもの、苦しそうなもの、短そうなもの、長そうなもの、下り坂、上り坂。たとえどれをいくにしても、自分で選んだことが大切で。力まなくたっていい、ひき返すこともできるから。それでも前にすすんだ時間は長いほうがいい。ほら見えてきたでしょ、君の周りにはまたこんなにたくさんの人がいる。


色は無限にあるんだから、どんな色になりたいか。悩みながらさがして、まちがったと思ったら白い絵の具をとればいい。寒色、暖色、なんどもためして。ほら、君によくにあう色がみつかった。自分の姿は捉えづらいかもしれないけれど、僕の目にはとても素敵に映ってる。


信じなくたっていいけれど、僕はもうウソはつきたくない。それに、誰にだってこう一生懸命になるわけじゃない。もっとうまく教えられたらいいって思うんだ。もっともっと。でもまだ僕にもわからないことばっかりだよ。ここからは一緒に考えよう。そして君は僕にも教えてくれるんだ。気づいてないかもしれないね。いい景色を君とみられたらいい。みられなくても、ありがとう。選ぶことの難しさは僕にもわかる。


君がいなくなったら、僕も自分の色をみつめなおす。変えようか、変えないか。こんなにたいへんなことをしていたんだね。そしてまた、わかれ道だ。ただ意識さえお互いもち続けられれば、離れていることはあまり関係ないみたい。

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僕は当時4年生。世界情勢なんて理解できなかったその頃に、あったことは漠然と、亡くなった方の名前や経緯をはっきり覚えていてはいませんでした。2004年、イラク日本人青年殺害事件。アンマンからバグダードへ向かいアルカイーダに捕らえられ、処刑された24歳男性。彼がヨルダンで滞在していたのは、僕が滞在しているクリフホテルでした。10年以上前の事件に今更発言することは行き場のないことなのですが、今はそんなところに立っています。自分もいつしか近い歳になって同じ場所、彼も見た街並みを眺めて。頭の中で起こった変化を真似てみることはできるけど、僕はその国に平和が訪れて、その地を穏やかに踏む日がくることを望み、待ちます。

 

体調も落ち着いたので、イスラエルに行こうと思います。入国審査が大変と有名で、緊張感もありながら、旅中出会った人たちは難なく通過できたようなので、そんなに心配しなくてもいいのかな。アンマンにはまた戻ってくる予定です。12日にアンマン発の飛行機を予約してあるので。この街は宿にいるばかりでほとんど歩けていないのですが、戻ってからも時間があるので、その時にまた見られたらと思っています。


イスラエルと言うと、またいいイメージばかりを持たれないかも知れませんが、現在はしっかりしていれば心配するようなことは全然ないので。街中に銃を持った人がたくさんいると聞きましたが、銃口の前でふざけられるほど肝は座っていません。安心してください。古く、そして複雑な歴史を持つ地域で、見たものを届けられたらと思います。


他の誰も知らないものを失った人は何も失っていない

エジプトで知り合った人がFacebookに書いていたアラビア語はたぶんこんな感じの意味で。いい言葉だと思ったのでタイトルに。下手をこきました。ペトラからアンマンに向かうバスにカメラや充電器の入ったバッグを置いてきた2月1日。何より痛いのは、たくさんの人との交流が詰まった一冊のノート。マギーの連絡先もそこに書いてある。思えばこれまでよくやってきました。親しい人は僕のひどい忘れ癖をよくご存知だと思います。iPhoneの電池が切れて、充電しようと思った到着から10時間、やっと気がつきました。いつかはやるだろうと思っていましたが、実際起きると自分に呆れます。褒められると直後に失敗する。そして特に楽しい気分の時は、僕の頭のネジは5、6本緩んでしまう。結果的に、不幸中の幸い、手元に戻った今となっては特に言うこともありません。本当についていました。親切な運転手がそれを保管していてくれた。昨日はそれを受け取るために1日使って、今日は宿で休息。取り戻せることは諦めていたのですが、ヨルダン人の優しさに温かい気持ちになって、反対に寒い気温に体調を崩す。そんなアンマン暮らし。


誕生日の翌日は早くもペトラを後にしアンマンへ。8時半発のバスにしっかり間に合った穏やかな気持ちで首都を目指しました。途中窓から見る景色がまさかの銀世界。雪を見ることなんて予想していなかったので、恐る恐る「ヨルダンて雪降るの」。周りの人は当たり前だと言わんばかりに頷く。雪の中ではやっていけないよと思いながら眠りについて、気がつくと雪とは無縁に思える景色が広がっていました。道路に沿って多少店がある程度で、あとは荒野と山。草木もほとんど見ることがありません。アカバからペトラへの夜道、明かりをたくさん見たのもあって、ヨルダンには建物がたくさんあるのかと思っていましたが、そうでもないようです。昼過ぎにはそれを降りて、タクシーで宿に。そういえばこの時にはバッグを持っていなかった。気温を調べてみると、最高気温6度の世界。もう外出することを諦めて、ロビーでゆっくり休息。そして先述の通り、スマホの充電が切れた夕方に初めて自分のしでかした失態に気がつく。とりあえず充電器はないかとフロントにいく。経緯を話すと「見つけてやるよ」え、本当に。それから受付のおじさんはすぐさま各所に電話をかけること10分。「ゆうた、見つけたぜ」。あまりの早さに半信半疑ながら、重ね重ねお礼を言う。翌日にバス停まで連れて行ってくれる約束をして、この日はぐっすり眠れました。


翌日の12時に車は出発。先に韓国人の2人を空港に送り届けた後に、バッグを探す旅の始まり。これが思いの外時間がかかって、帰った頃には日が暮れかけていました。途中おじさんの新車を見に行ったり、買い物に付き合ったり、挙句僕が旅行者であることをいいことに免税店で酒とタバコを購入。最終的にバッグも戻ってきたので文句は言えませんが、こんな1日を過ごすことは予想していなかった。近くの店で、念願のカップヌードルを見つけて購入。日本のものではありませんでしたが、おいしかった。しばらくはこれを3食でも食べられる。


ペトラあたりからか、また体調を崩してしまい。この日も車に乗っているのもつらいような状態でした。鼻水、頭痛にお腹の調子も悪い。昔のことのようですが、2週間前までケニアにいて蚊に刺されることもあったので、続くようだったら念のために病院へ行こうと思っています。寒い地域に来て、免疫も少し落ちているから、体に入っていたものが暴れ出しているのかもしれません。そうでなければと願いながら、今日からイスラエルに行く予定だったのを変更して、アンマンにもう2泊することにしました。動かなければ弱るばかりなので、昼間は室内より暖かい外へ出かけてマクドナルドを探す旅へ。無性にハンバーガーが食べたい。道を忘れたら戻れなくなるので、マーキングしながら進みたいような気分でした。行けど行けど閉まっている店だらけ。それが宗教的な理由からなのかどうかわかりませんが、ゴーストタウン、首都でありながら過疎化の進んだ街のようでした。


同じアラブ圏でも、エジプトよりは他所者には優しいところです。車のナンバーも、エジプトではアラビア語で読めなかったのが、こちらではローマ数字が使われている。昨日のドライブではマックやケンタッキー、バーガーキングなどもよく見かけました。今日はたどり着けなかったけど。旅行者はあまり見当たらないものの、外国人だからといって声をかけられるようなこともほとんどありません。坂の多いこの街は、神奈川県で育った僕には郷愁を起こさせます。エジプトでの安さに慣れてしまい、見るもの全てが高く見えますが、さらに物価の高いイスラエルが待っています。体調が戻れば、近くにある遺跡なども回りたいところですが、今は休息。


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こんな状態で言うのも何ですが、楽しんでいます。出発した時には、どんな気持ちになるだろうと思っていましたが、心の中に後悔するような気持ちは一切ありません。本当に決めてよかった。就活をしている友人に連絡すると色々考えることもありますが、自分で選んだ道だから。何かやりたいことがあるときはぜひ実現させてほしい。休学というのは少し大きい気もしますが、本当にやりたいことをできたら、そんなこと気になりません。僕にとっては知らないところに行くということに楽しさがあって。たくさんのものを自分の目で見たいと思って。これは日本にいても心がけ次第でできることですが、ここでは日本にあるものでも、違う形をとっていたりするのでより面白く感じます。見れば見るほど発見の連続で、すこしその目も鋭さを失ってきている感覚もありますが、もう一回調子を整えて、とにかくいろんなものを見て触れる。今しかできないことだから、ひとつでも多くのものを心に留めて。今の自分にとってはそれが答えであると思っています。その先には何が待っているのかな。


寒さは人をセンチメンタルにさせて。外出したい気持ちを萎えさせ、内にこもらせる。それでもまだ寒い。人肌が恋しくなって、スケべな妄想にうつつを抜かす。これだけ世界中どこにでもいける立場にありながら、わざわざ凍える場所にいくのはどうも馬鹿らしく思えてきました。先のことはわかりませんが、進路を大きく変更しようと思っています。当初のプランでは、ヨーロッパも南アメリカも寒い時期と重なるからそれを逆転させようかなんて。季節のことは全く考えていませんでした。大事です。見たかったものも、凍えながら見たら心から楽しめないかもしれないから。


幸いここはWi-Fiがしっかりしているので、音楽を聴いて英気を養っています。聴きたい音楽の変化が、心境を写す鏡の役割を果たす。今日は90年代のロックばかりです。そしてクレヨンしんちゃん



二十二歳の肖像

歳を一つ重ねまして。「今日から〜する」などと力んだことは考えなくなりました。1日で変わることなんて決してないから。少し歳をとった。それでもせっかくだから何かしらのことはしたいと思いまして、昨日のハードスケジュールを経てペトラに来たわけです。朝起きてみますと、8時半ごろだったでしょうか。昨夜ロビーにたくさんいた人々の姿はなく1人で朝食を食べる。遺跡は6時から空いているそうなので、きっと早起きして出かけていったのでしょう。ご苦労様。そんなことをする自分も一瞬頭をよぎりましたが、やっぱり寝ない事には始まらない。そして寝ても覚めても寒い。昨日はなかなか寝られませんでした。そんなこんなで9時半ごろにホステルを出る。10分と言われていたけどこれが長く感じて、これから待ち受ける35kmに及ぶペトラに明るい気持ちばかりにはなれない。高い。知っていたことですが、エントランスで50ヨルダンディナール(8000円)を払う。いよいよどこかで節約しなければならない。インドで1ヶ月1万円生活なんてどうだろう。


遺跡見ないうちに、中国人の数に圧倒される。観光客の8割は占めていたと思います。本当にどこにでもいる。中東ということを気にかけないあたりは感心も覚えます。ただ数の力、道に広がるのはやめていただけたらありがたい。そんな合間を縫って歩いていく。しばらく「さむ」「すげ」を2つの言葉をひたすらに呟いていました。馬の勧誘、「けっこうです」。さぞかし心地いいのでしょうね、けど歩くのが好きなのです。入場料以外は意地でも使わない。


両側を高い岩に挟まれた道に入る。ここから既に日常から遠く離れた場所にいる。完全に昔見たインディ・ジョーンズの世界です。見えてきた最初の神殿。それが通路の先に見え始めた時、走って行きたいような気持ちに駆られました。旅に出てよかった、子供のようにはしゃげる。それも1人で。自分の目で見ることを夢見た場所の一つは、思った以上にデカイ。発掘されたためか、周りの岩は赤黒くなっているけど、そこに埋められたような神殿は砂と同じ色をしている。思った以上に細かい装飾が施されていました。ピラミッドに続いて、紀元前に造られた。今とは全く違うことに使われた人間の力。現在の建物は重機によって1年ほどで建てられてしまうのがほとんどではないでしょうか。人力で時には1世紀以上の時間を費やされたそれら。昔の人は偉大な忍耐力を持っていたようです。歴史の中で1度は埋もれたペトラ。栄えていた当時、どれだけ豪勢な街並みが広がっていたのか。複数の遺跡があって終わりと思いますよね?見渡す限りいたるところに岩に掘られた遺跡があります。形が無くなってしまっていても、明らかに人の手の入った無数の穴。100で済む数ではありません。未だに発掘作業が続けられています。


パンフレットや地図も持たずに歩いていたので、何がどこにあるかは全くわからない。人の流れていく方に歩を進める。そこからは予期せずほぼ登山をしているようでした。石段を1時間以上登り続ける。気がつくとかなり高いところにいる。岩に入った文様を見ているだけでも飽きません。道行く人と会話を交わして進んでいく。いつからか、英語でも社交的な自分を発見。最後は中国人のカップルと連れ添って。ようやく目的地へ。辿り着いたのはエド・ディルという修道院として使われていたという場所。登る苦労も、お釣りがくるほど報われた気持ちになりました。その大きさと、形がしっかり残されていることに。もう少し登ると、今まで通ってきた風景をバックに堂々と聳え立つエド・ディルを一望できます。曇っていた空から晴れ間が覗いて、節目の日にこれを見られた喜びに浸りました。なんて贅沢な誕生日。


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「教育」がいかに大切か。ケニアで教える経験をしたからなのか、自分の中で大きなテーマになりつつあります。平日の昼から、ロバに乗ったり、お土産を売ったり。彼らは学校に通えているのか。ある場所でブレスレットを売りつけに来たのは、まだ4歳という男の子でした。発掘作業を続けるのはいいけど、今でも十分に人は呼べる。大事業よりも、子供たちに教育を授けたほうが返ってくるものは明らかに大きいのに。これはどこの国でも言えると思います。一定の機会が均等に与えられれば、競争の中で共に能力を伸ばしていける。今以上にたくさんの可能性が生まれるはず。その上で他の道を選ぶならそれでいい。お金を持った人間が動かす社会。言うのは簡単ですが、望みは薄くあり続ける。石段を下って、まだまだあるスポットの一つに向かおうとしましたが、途中で出会った子供とじゃれ合ううちに「疲れたから帰るか」となりました。これを全部見るには1週間近く必要になりそうです。そしてペトラに行きたいと思っている方は少しでも早くいのが良いかと思います。体力勝負になって、僕はこの歳でヘトヘトです。もしくはお金を払ってロバに乗るか。


"今歩いているこの道が いつか懐かしくなればいい

今歩いているこの道は いつか懐かしくなるだろう

その時は是非君の隣で その時も是非君の隣で

とても嬉しいお願いします 僕は嬉しいどうかよろしく"

斉藤和義「幸福な朝食 退屈な夕食」より


感動の小さな帰り道は音楽を聴きながら。最初に流れてきたのはこれ。伊坂幸太郎さんがこの曲を聴いて仕事を辞めたと知って、当時使っていた色だけで選んだLGの黄色い携帯電話。YouTubeで流しながら帰った高校からの帰り道はきっとここに続いていた。僕は部活をやめて、たくさんのものに触れた。出会ったもの全てが、僕をここに運んでくれました。若輩ながら、やっぱり人生は本当に面白い。


いったぶん、帰らなければならないのは道理ですが。足も限界近くまで疲労して、これが途方もなく長い。途中頻繁に休憩をとりながら。沈むまで幾ばくもない太陽を浴びながら。僕が休むたびに追い越すことになった、足を引きずるようにゆっくり進む中国人らしい女性。重そうなバックを持つよと申し出る。持たせることはせずに、ただマシンガントークで離してくれなくなりました。そのゆっくりなペースで自分も歩く。後ろ姿で期待してなかったものの、このマギーがすごく可愛かった。30日が誕生日だという彼女とお互いを祝う。結局出口まで一緒に到着。中国人かわいい。仮に整形だとしても、旅中は見たものが全てです。そこからホステルまでは永遠登り坂でしんどかったものの、美しい夕陽に背中を押されて。無機物も全てが笑っているようでした。そんな気持ちいい帰路。


昨晩、この環境下にしては十分な温度に達することのなかったシャワーが今日は温かい。22歳ついているかもしれません。


"失敗しない 後悔しない 人生がいいな

少し考えてみただけさ 有り得ないって解ってる"

BUMP OF CHIKEN「ホリデイ」より


この歌は数年、思い出すこともなかったのに。シャワーを浴びている時に浮かんできました。夕食はフランス人と卓を共にし、貰ったトルコの強いお酒に潰れかける。今日はとてもいい日だった。


久しぶりに書いていて楽しい文章。旅を始めた頃から思っていたことですが、これからもっと強く、優しく。抱負を掲げておやすみなさい。

紅海の上で考える

次なる国、ヨルダンへ向かう船の上から。他にやることのない4時間でエジプトの所感をまとめてみます。とは言っても半分は気づいたら寝ていました。それなりに清潔感もあり、酔うことはない。


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ディープ・ブルー・ダイバーズ・ホステルで一緒に滞在していた方と同じバスに乗りました。この方はイスラエルに向かうそうです。しばらく続いた日本人と過ごす日常にもしばしお別れ。無事にダハブから乗車、とは言っても少し遅れていましたが最後のアフリカンタイムとしみじみ。これから入る国も劇的な変化は期待していないけど。時間が気になってしまうのは日本人の性でしょうか。隣街に入る際もIDチェックが入りました。どちらかというと旅行者よりアラブ人の素性確認が主な目的なようで、僕たちのパスポートは見られませんでした。13時ごろに隣町ヌエバに到着。わかりやすく大きなフェリー乗り場の入り口があり向かったものの、チケットを買ってから来いと言われる。5分ほど歩いたところで売っているようです。着いて心配していた値段を尋ねると、なんと2050ポンド(約12300円)。せっかくエジプトではピラミッド以外安く済んでいたのに、これではとんとんになってしまう。出国ばかりと思っていた僕は十分なお金を持っていない。最高でも7000円とつけた目星は完全に外れました。そして、「出航まであと15分だ、いそげ!」。乗り過ごしたくなかったので、文字通り走ってATMのある銀行まで向かいました。下ろして、またダッシュ。思えば走ったのは、時間ギリギリで輸送機関に乗る時ばかり。日本でもここ数年は何かに遅れた時だけ。この日はスキューバーにもってこいの晴天で、汗をたらしながら出国ゲートを越える。本当に日本人か怪しまれながら、1番最後に乗船。ヨルダンの入国手続きを船内で行なって、これがかなりスムーズに終わりました。こういう手続きでは珍しく、とても親切に応対してくれた。ビザなしで入れたのは南アフリカ以来です。アカバまで、僕はどうやら紅海の上にいる。離れていくアフリカ大陸。デッキに出て海を眺めたけれど、綺麗な海も先行するのは恐さです。海は恐いですよね。大きいも度が過ぎると恐いんです、きっと。


何度も言うようですが、エジプトはもうなんでもありです。それでもイスラームの教えは守られていて、神が制限を設けていない分野はなんでもありです。特に目についたのは10歳くらいの子供が喫煙やバイクを運転している姿。こっちが気が気じゃないからやめてほしい。何より健康のために。妹を乗せた三輪バイクを運転する少年が前の車に追突する瞬間も目撃しました。幸いスピードも出てなかったからよかったけれど。可能ならば新しい預言者が現れて、現在使われているものへの教えを授けてくれればいいのに。スマホとかについてもね。きっとそんなのがあったら彼らは従うから。そう思うと礼儀正しい日本人はすごいです。全員がそうではないけど、モラルで自らを律する強さ。素敵。


これまでのアフリカの栄えた街は、どこも欧米の影響を感じ取らずにはいられませんでした。都市部では伝統文化はコンクリートの下に埋められてしまっている。街並みはもちろん、食や服装までも。言語も英語やフランス語を使う国も多く、独自の言語もアルファベットで表記される。しかしサハラ砂漠を挟んでエジプトは異世界です。ヨーロッパとは似ても似つかない。しっかりと文化が守られている。看板は旅行者に気を使うでもなく、バッチリアラビア語表記。自国のレストランも堂々と門を構えていて、人が集まっているところにそれが現れている。人が集まるところでは文化の排除されているように感じた他の国とは一線を画しています。これからアジアのアラブ圏でその共通点と違いを確かめていきたいと思います。今はエジプトらしさと、アラブらしさの分別がつかない状況にいるので。


そしてカイロはとにかくうるさい。クラクションの鳴り止まないこの街は、頭痛がするようです。静養するような場所ではない。昼以上に夜になると人に溢れる通り。眠らない街。そのエネルギーに引っ張られて、無性に動きたくなるのが不思議です。時々、歩いていて大声を出したいような気持ちになります。うるせーな。活動的な雰囲気が人を動かすのか、活動的な人がその雰囲気を創っているのか。ここにいる人々と同じように生きていくのは、きっと僕にはできない。信号が変わるのを待たずに進み出すようなセッカチな面。目を移せば、昼夜関係なくチャイとシーシャに興じてのんびり過ごす人々。片方に寄るでもなく、どちらにも大きく膨らんでいる。この国は疲れます。日本は仕事さえ済めば、後はほとんど体力を使わなくても生活できる。だからこそ長寿を誇るのではないでしょうか。ここにいたら、きっと50過ぎにはボロボロになってしまいそうで。忙しいったらありゃしない。歩いていても、安全確保のために目があちこち動きます。でも嫌いになれない魅力があるんです。


うまくまとまらないところもあるので、時間をおいてまた振り返ってみたいと思います。直後の今はこんなことが頭に浮かびます。


アカバに着いたのは17時近くなっていました。旅行者に対しては良心からの親切と、悪意を含んだ親切。演技の上手い人にあたると、これを見分けるのも一苦労。こっからペトラにいきたくて、宿も予約してあったのでバスの有無尋ねる。この港町から出発するものはもう終わっていました。タクシーからの執拗な勧誘に価格を問うと「スペシャルプライス、50」ヨルダンのお金は1あたり約160円。つまり8000円。いや無理ですって。そんな価格交渉に追われていた僕も、フェリー内での睡眠のおかげか冴えていた。後から出てきた旅行者の2人を捕まえて同乗をお願いする。聞けばホステルもすごく近いみたい。最初はそれでも1人50といっていたのも、ようやく折れて3人で50に。それでも安くはありませんが、この時間に街に出て乗り換えるのも簡単ではなかったので。アルゼンチン出身のカップルと一緒にペトラを目指しました。アラビア語スペイン語、日本語をそれぞれ持った人間により織りなされるカタコトイングリッシュカンバセーション。そして7時半に宿到着。一泊1600円、久しぶりのシングルルームで休息。でも寒いのなんのって。それでも1人の空間があると、頭の中も整理できるから。最近なんかぐちゃぐちゃしてます。一つのことに集中するのが難しい。踏ん張れば2週間先に楽しみが。ここも楽しいけど、寒いのは堪える。暖房設備もなくて、部屋でも吐く息は白いから。これでみなさんと対等に冬を語れる気がします。


特にアラームをかけるようなことはしないけど、明日は起きたら早いうちにペトラ遺跡に行こうと思っています。旅の中で絶対に行きたかった場所の一つ。ワクワクできることは、こんなことをしていないと意外に難しい。特に飽き性の自分にとっては。世界5大陸なんてのも、ユラーシアはアフリカと。北米は南米とそれぞれ繋がっているから、いい加減なものだと独り言。

はじまりのおわり

更新できておらず、突然ですが本日2ヶ月滞在したアフリカ大陸を去ります。なんでしょうか、1番の目的地ケニアを後にしてから少し燃え尽き症候群みたいになっていてなかなか書けず。それでも22日から1週間過ごしたエジプトは、エネルギーがあり、とても楽しい時間を過ごしました。報告が遅れましたが、今はシナイ半島の隅っこにあるダハブという街にいます。スキューバーダイビングの聖地の一つだそうで青い海、観光地としてお土産屋が並ぶ綺麗なところです。うまくいけば、ここから1時間ほどのヌエバに行きフェリーでヨルダンに入ります。これの出航時間は調べてもわからず、本当に今日中にたどり着けるのかは半信半疑です。可能なら、ヨルダンの港町、アカバ到着後、ペトラまで行ってしまいたいところですがどうなることやら。


この5日間ほど何をしてたかというと、単刀直入に言うと日本語をたくさん話していました。ムハンマドアリーモスクまで歩いた翌日から宿を替え、サファリという場所に滞在していました。日本人宿。それについては今までよく調べもせず、ただ安いホステルばかりに泊まってきたわけですが。ここは入るなりまず会ったのが日本人。ドミトリーに行くとさらにもう1人。初めて複数人との母語での会話。それだけでもう溶けてしまいそうなのですが、最終日までに入れ替わり立ち替わりもありつつ10人以上の日本人の方々とお会いしました。特に最初に出会った2人は同年代であったこともあって、滞在中多くの時間を共にしました。調味料セットを持った1人が、夕食に親子丼や生姜焼きを作ってくれて。手伝わなきゃと思いながら、何もせずただ食べるだけ。本当にもう感謝しかありません。同い年で、4月には就職、料理までできる彼に、自分もしっかりしなければと漠然と考えさせられました。イスラーム地区に歩いて行ったり、ムハンマドアリーモスクへのリベンジも完了。夕食はこの宿に住んでいたという有名な日本人の方も交えて日本語での団欒。やっぱり母語で話せるっていいですね。受付の前にはたくさんの日本の漫画まで並んでいる夢のような環境に、予定以上に長居してしまいました。物価が安いのもあって、この国にならいつまでもいられるような気持ちでしたが時間は限られているので。


ほとんど言葉が理解できる中で、たくさんの情報をもらいました。これまで全く日本人に出会わなかったのも選んだルートのせいみたいです。アフリカ大陸はエジプトから入り、南下するのがほとんどだそうで、どうりで北上していた自分は会えなかったわけだ。アフリカ大陸からというのは珍しいということを知りました。へえ、そうなのか。僕よりも長く、多くの国を周られているみなさんに他国、他大陸の情報もたくさんもらいました。情報量が多くて、全てを頭に叩き込めたわけではないですが、これから助けられることがたくさんありそうです。同じように様々な志を持って旅を始めた仲間たちとの対話は刺激的でした。年齢も異にしながら、それぞれいろんなことを考えていて、共通して持っている意識もあったりして。今後は、たまに日本人宿も活用していきたいと思います。何より最新の情報を共有できる大事な場所です。話の中で、南米を推す方が多かった影響か頭の中ではその大陸への憧れが膨らんでいきます。時間もぜんぜん足りそうにないから、旅程を洗わなきゃいけない。4大陸周遊記というのは、名ばかりになってしまう可能性も出てきました。


国民食コシャリを筆頭に、この間は安いエジプト料理も堪能できました。ウザい国のひとつに位置しながら、これだけ魅力の詰まった国もこの先いくつあるのか。ピラミッドに夜間登頂すると行っていたのを見届けずにきたけれど、あれはどうなったのだろうか。木っ端微塵になってなければいいけど。高所恐怖症の僕には到底無理な話でした。そんな馬鹿なことも、すごくしたいけどな。名残惜しくもありながら、次の目的地ヨルダンに行くため深夜バスでダハブまで。シナイ半島といったら、穏やかなイメージとは程遠い。実際に12時間かかったバス移動中、7回くらい警察が車内に来てパスポートをチェックされました。そんなに厳格ではなく、形だけ感は否めませんでしたが。それでもやはり内陸部では、ISの勢力も流れ込んでいる。ここは砂漠とも違い、ケープタウンにあったような岩山がいくつも並んでいて。その間を抜けると楽園と呼んでも差し支えないような海のある街に。イメージのあったエジプトとな全く違う世界。ここでは300円ほどで一泊できる。スキューバーも考えられないくらいの値段でできるみたいです。いくらでもいられそうな気もしますが、1泊で後にします。ここでも同じドミトリーに日本人の方が2人いらっしゃって、アフリカ最後の夜は300円でボリュームのあるチキンと、そのあとはスフィンクスという名前のビールを飲みながらシーシャ。1日1000円も使わずにこんな贅沢。アラブ世界は魅力がいっぱいです。とても綺麗な形で締めくくれた。そして気力の充電にはうってつけの環境で過ごしたエジプト1週間でした。


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出発前にカイロにいくことは、心配されることがよくありました。日本のメディアに晒される日常では最もですが、現実はもっと違うところにあって。もちろん滞在できない地域もあるでしょうが、そこをしっかり選べばこれほど観光資源があり、飽きない国もそうないと思います。危険な目に合うようなこともなく、多少ぼったくられたりはしながら、渡航を避けるにはもったいなすぎるほどのものと十分な安全があります。生で見た来た人の声を聞くと、中東の比較的安全とされる国や南米の国々にも同じことが言えそうです。油断はできないけれど、それにも増した魅力があると。自分の目で見ない限りははっきり断言できませんが。先のことがより楽しみになっています。


気がつけば2ヶ月が経ちました。この間、自分がずっとアフリカ大陸の上にいたという事実は少し嘘みたいで。あっという間ながら、ケープタウンに着いたのは今は昔のことのように感じます。西に位置する諸国をはじめ、訪れたのは6カ国に止まりましたが、今はしっかり自分なりのアフリカがある。見るもの全てが新しく、発見の連続だった日常は舞台をアジアに移します。無数の人々の親切さの上に成り立ったアフリカ縦断。1章はここで幕を下ろします。これから名前だけだと不安も伴う中東地域に足を踏み入れますが、しっかりとその文化や状況を確かめていきたいと思います。次はヨルダンから。


タイミングよく、ブログのアクセス数が10000を突破しました。日々閲覧いただき、本当にありがとうございます。ここまで続けられていることも自信に、これからも全く異なった風景を自分なりの文字に消化していけたらと思っています。ラーメン食べたいけど。




ミイラさん、こんにちはー

ラクダに一生懸命にしがみつき続けた翌日は筋肉痛が激しくて。それでも、少し行けば世界遺産が待っているのがエジプトです。あの有名なツタンカーメンの黄金マスクも、宿から15分ほど歩いたエジプト考古学博物館にある。昼前まで1日の予定を考えて、その博物館とムハンマドアリーモスクに行くことを決意。ここで同部屋だったアメリカ人のデリック、ブラジル人のアラン。60代、40代、そして20代の3人。陽気な2人に引っ張られて進むトーク。こういうのは、英語の上手い下手ではなく人間性だと教えてくれたアランの姿。マルタ島で留学したのち、今はエジプトで服飾の勉強をするそうです。頑張ってる人は、どこにいても頑張ってる。アランのパジャマが可愛くて。デリックが布団をとると全裸なこと、夜な夜なかます屁に驚いて。そんなエジプト3日目は、1人で街散策。


まずはじめは博物館。ここに入場するには3度荷物検査がある。入場料は国際学生証があると半額に。これはエジプトではとても重宝します。どこでもだいたい半額で入れる。入場料の他に、写真を撮る場合はそのチケットと、別にミイラを観覧する場合にも追加のチケット。約1000円ほどで買えました。外装は赤で塗られたこの建物は、とても立派に見えた。いざ内部へ。日本のように順路はなくて、四方に通路が伸びて展示室が並んでいる2階建。とりあえず、中央の広いスペースから探索開始。石で造られた像や、碑に棺。ほとんどはガラス張りされるでもなく完全にフリータッチ状態。たまに壁の高いところに「don't touch」と書かれたボードがあるけれど主張が弱すぎる。日本のように一つ一つに説明書きがあるわけではなく、年代とか名前すらわからないものもたくさんありました。もう本当にたくさん。隅々まで古代エジプトの遺産が所狭しと並び続ける。これだけのものが発見されたら、それがあまり厳重に扱われないことが納得できます。子供連れの家族も多いけれど、ゆっくり見ることもせず、かなり早いペースで過ぎて行く。綺麗な彫刻とセルフィーをする女の子たち。これがエジプト。全て見るにはかなり体力が必要で、1区画ずつ15分くらいを1日ずつゆっくり回れたら、たくさんの気づきを得られそうですが、この圧倒的な量を前に1時間もすると頭が疲れてくる。それも全てが紀元前からの歴史を持つものだから、重厚な雰囲気をまとっていて。これほどのものが、もし日本で一つでも発見されたらとんでもない騒ぎになると思うのですが。ここの国の人は、ただ石造の遺産が発見されても、あまり感動できないくらい感覚が麻痺しているのではないでしょうか。ところどころ、教科書やテレビで観たことのあるものも現れます。展示物の多さに、もう参っちゃう。


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そんなこんなで2階へ。しばらく回ってたどり着いたのは、少し警備の強くなった入り口。ツタンカーメンの展示室。僕のイメージは、厳重で暗い部屋、物音を立てるのも憚られるような空気のその中央で、ライトアップされ神々しく輝く黄金マスク。そんなことはまるでなくて、窓からの明かりも入るような蛍光灯の点いた狭い室内に、装飾品と棺に囲まれた黄金マスク。でも正真正銘、目の前にある。裏側まで細緻な彫刻の施されたそれは、いつまでも眺めていられそうでした。人が変わっていく中で、長めに、その姿を留めるように。次は、ミイラ。その前には、ワニや魚、動物のミイラの展示室もありました。そんなことをする事態、悪趣味なことに思えますが、その形を留めようとする努力。気持ちもわかるかもしれない。それにすごい技術です。王家の人々のミイラは、髪の毛まで生えていたりする。思っていた以上に、表情とかもしっかりと残っていた。絶大な権力を持って、望んでこの姿になったのか。まさか、世界中の人の目にさらされるとは予想だにしていなかっただろうけど、ちょっと気の毒な気もします。これじゃあ昼寝もできない。この2部屋は撮影も禁止だったから、ゆっくり時間を使いました。でも、人の死体を見たらいくらか気が重くなって。見過ごしたものもあるかもしれないけど、後にすることにしました。


メトロに乗って。2駅のアダマへ。距離があるからとタクシーを勧められたけど、歩きます。この道を尋ねて回る感じ、結構好きなんです。人がたくさんいるこの街では、一定のペースでまっすぐ歩くのも簡単じゃない。避けながら、止まりながら。世界最大級、ムハンマドアリーモスク。駅付近の人は一向に言うことを理解してくれなかったけど、なんだかんだ着実に近づいていけて。何度も道を間違えながら、やっとそれに続く通りに出られた。途中でケバブを買って食べながら。言語の壁を越えて食べる飯はうまい。やっとの事でそれが見える広場に出た。後この坂を登ったら、入り口に着くはずだ。カイロの街が一望できると聞いていたこの場所へ。1時間半ぐらい歩いたけれど、世界遺産が待っていると思うと頑張れる。これで閉まってたりしたら辛いよなと思いながら、歩いていると道端のおっさんに呼び止められた。「3時に閉まったよ」えええええ。静かに終戦しました。急に疲れがきて、おじさんの隣の席に座りコーヒーをもらって。英語の話せるその人の話を心半分で聞いていました。でも、近くにいい場所があるから連れて行ってあげようか?危ない香りもするが、足も不自由なこの人からならさいやく走って逃げられる。ここまで来て、何もせずに帰るわけにはいかない。バイクの荷台に乗って、怖い気持ちと格闘しながら、着いたのはムハンマドアリーの家族の墓、らしい。閉園時間を過ぎて、全て鍵を掛け終わった扉を全て開けさせるおじさん。これは毎日言っていますが、本当になんでもありだ。ムハンマドアリーの奥さんが眠っているという墓の前に1人で立って、荘厳な雰囲気にどうもこれは確からしい。結局全ての扉が開き、屋根に登って景色を眺める。言われたほど大したことなかったけど。夕食を家族と食べてくれ、特別なものやるから金をよこせと言ってくるおじさんを振り切り、タクシーに乗って無事帰宅。このタクシーを呼ぶ時に、行きに知り合った子供たちが一緒に止めようとしてくれて可愛かった。英語のほとんどわからない子供たちは数少ないボキャブラリー、マネー、フ○ッキュー。お前らそのうち痛い目に遭うからやめておいたほうがいいぞ。


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そして帰ってネットで調べる。どうやら僕の行った時間、モスクはまだ開いていたようです。完全に騙されていた。それなりにいいものは見れたし、先に博物館に行っていたのもあって、なんとかいい1日だったと振り返られます。外観は見たしね。やっぱり、意味もなく話しかけてくる人は信用してはいけませんね。そして行く前にしっかり調べましょう。学びます。毎日勉強です。