出発から100日ですって

いつの間にか、出発から100日を超えました。まだそんなものか、もうそんなたったのか、様々だと思いますが、カンボジアに向かうバスの中で暇つぶしに記憶を辿ってみる。それが正しければ、これまで32箇所の宿を使ったことがわかりました。深夜バス、寝台列車、それらの中で休んだことも少なくありませんし、ケニアでは同じところに3週間いたにも関わらずこの数。僕にはすごく多く思えて、自分がやってきたこととは思えない。どこか他人事のような気持ちで、この数を前にしています。2日に1回近く換えていることになるかもしれません。これはもう、よくもまあ動いたなという感想なんですが、国も同様に


南アフリカ(宿数:4)

ジンバブエ(2)

ザンビア(2)

タンザニア(4)

ケニア(4)

エジプト(3)

ヨルダン(3)

イスラエル(2)

(パレスチナ)

ベトナム(2)

ラオス(2)

タイ(3)

カンボジア(1)


12ヶ国に達し、そろそろスムーズにも言えなくなってくるのではないかと思います。大きくアフリカ、中東、東南アジアと3つに分けることができるのですが、(どちらかというとエジプトと中東でアラブ圏という方が正しい気がします)この1ヶ月いた東南アジアはイメージカラーでいうと"赤"です。季節的に暑かったというのもありますが、伝統的な建築物の色であったり、街並み、服装、そして人が醸し出す雰囲気といったもの、赤が一番最適ではないかと思います。どこもよく夕陽が似合う街でした。アフリカは緑(自然)、中東は青(寒かったことにも引っ張られている気がします、単純)。また他の地域よりも、文化の類似性が多いので、驚きや発見より安心感に包まれる期間でした。このタイミングで味わえたのは、ちょうどよかった。おそらく残り半分ほどになった今、新たな土地へ進む活力は十分に充電できました。予定ではインドに入国しているはずだったのですが、この事はどうしても暗い気持ちにさせてきます。今晩こそしっかり入国し、13ヶ国目として、1ヶ月近く張り切っていきたい。


昨日の失敗を引きずり、気持ちの荒ぶりはなかなか抑えられません。普段は「しょうがない」と堪えられるところで、それができない。タイへのバスの乗員の態度がものすごく悪かったことに、接客には期待していない僕も、ついイラっとしてしまいました。そんな日も日々の中ではもちろんあるんでしょうけど、何か少しこの旅で大らかになれたような気がしていたのを、皮を剥がされてしまったような気持ちです。それでもバスは快適で、乗客も少ない。ただ国境で特殊な順序を踏まなくてはならないため、緊張感は離れません。深夜12時半に出発し、途中で道路の端に停まったりしながら事務所が開く時間に合わせているようでした。そんなことで、国境でバスを降りたのは夜が明けた頃。まさかもう一度ここにくるなんて、昨日まではちっとも思っていませんでした。他の乗客はまっすぐ出国手続きに向かう中、僕だけ入国手続き場に行かなければならない。そんな中でも、昨日からカンボジア人の優しさに触れてばかりです。この日も事情を説明するとしっかり対応してくれました。ここは無事に解決、タイへの再入国も他の人より時間がかかり、不安にはなりましたが果たすことができた。何度も迷ったことも重なって、結局バスの乗客の中でダントツ遅く戻り、全員を待たせることになってしまいましたが、置いて行かれなくてよかった。これがようやく安心したこと。不幸中の幸いといったところですが、第1関門突破。


到着したのはあのカオサンロードでした。悩んだ末に行かなかったのは、結局こういうオチに備えてのことだったのだろうか。ここは夜に本気を出す場所なので、昼間は確かに外国人はたくさんいるけど別にする事はない。暑い。とりあえずひと通り歩いてみて、こんなものかと確認する。全くタイと関係のない柄のTシャツがどの店でも売られていて、デザインの可愛いものばかりだった。買うつもりは毛頭ありません。バタバタして昨日の昼からほとんど食べていなかったので、バーガーキングハンバーガー。マクドナルド以上に世界ではたくさん見かけますが、入ったのはこれが最初。タイ料理にすればよかったと後悔する。この一角だけは人が集まっていましたが、少し離れるともう外国人はほとんどおらずシャッターが閉まってばかりの通りもありました。新しいビルの隙間を住めるように、バラックの家が密集していたりもする。栄えているといういんしょうばかりで、そういう状況を前回の滞在ではあまり見られていなかったので、一拍置いたことから見えたこと、収穫はあったことにさせてください。


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深夜バス明けだったのもあって疲れていたのか、ぼうっとしながら。不運の影はこの日も僕から離れてくれません。赤信号を渡った僕に非があるのですが、バイクとぶつかる。そんな大げさなものではなく、かわしながらも手があたったくらいです。お互いに一瞬止まったものの、そのまま元の生活に帰っていく。カオサンから空港までは20km以上、電車に乗ったものの、途中から線路は違う方向に伸びていて空港には行けずより離れたところに到着。発着がどちらも無人駅で、無賃で乗れたのがせめてもの救いでした。そこから歩いても、いく道がどれも行き止まりになっていて、もうめげそうにもなりました。とにかく咆哮したくなる。大きな声を出したい。でもきっと平坦な毎日より、少しこんな思いもした方が後で深みが出るのかな。そろそろ僕の元から去ってくれないと、僕の忍耐力はそんなに大したものではないので。どうか幸せよ、この指にとまれ。とまってください。


前日に取ったにも関わらずコルカタまで1万円ほど。午前0時過ぎの出発で、2時間半かかるのですが、インドとタイでは1時間半の時差があるため現地時間の1時過ぎに着く予定です。そこからどうしていくかもかなり迷いどころで、これで2日連続深夜移動なので、はやくベッドで休みたい。深夜のインドはどんな所なのか。できれば日が昇るまで空港にいようと思っています。バンコクではやる事、いられる場所がなく、バックパックも持っているので18時過ぎには空港に来て、とりあえず椅子に落ち着く。諦めて乗ったタクシーの窓からは、これからのバンコクがますます発展するであろうことを見せつけられました。イタリアと共同の立体の線路が建設中。これがまたとても規模の大きいものでした。建設中のビルもたくさん見られる。東南アジアと一括りにしても、バンコクの発展の仕方は群を抜いていて、他の三国とは全く異なります。次いでベトナムラオスカンボジアは2つと比べるとかなり後ろにいる。歩んできた歴史など要因は様々でしょうが、寺がたくさんあること、食の共通点は多くとも、それぞれに特色もしっかりある。なにより全て自国の言語を持っていること。短期間で巡って行ったこともあり、それらはほとんど把握することなく後にすることになってしまいました。日本語、英語ともにあまり通じず、僕も現地の言葉はわからないので、もっと密なコミュニケーションを取れたらと思うのですが、なかなか難しい。それでもやっぱり人間、基本的に優しいんだなと。これから2日連続でインド行きにアタックしますが、もしダメなようなことがあれば心がポキっとなってしまう気がします。突然帰った時は、無言の中で察して温かく迎えてくださいね。


また東南アジアでは写真をたくさん撮ることができました。観光地だけでなく、日常の些細なものまで。と言うのも、それまでの地域は常にカメラを首に下げることが難しかったことがあります。実際にそうしないように忠告されたところも、自ら危険を感じてそうしたところもあります。ほとんどは観光客のいるところ、もしくは辺りに人がいない時に急ぐようにして撮るのが常でした。それもあってあまり写真も残せていないんです。残念ではありますが、安全にはかえられません。この1ヶ月はWi-Fiもよく働く所が多く、上記の理由からもブログも見栄え良くお伝えできたかなと思います。これからのインドではどうなるか、まだまだお付き合いよろしくお願いします。


次は必ずコルカタから。

ちょっと泣いてもいいですか?(下・インドのはずでした)

そんな最終日の夜も、ここには入れ替わり日本人がやってくる。新たにやって来た5人ほどと知り合い、最初は日本人とは思ってもらえてなかったようですが、夕食を食べに行くことになりました。カレーを食べながら、少し会いすぎた日本人も、この先合わなくなればまた恋しくばかり思うだろうと。最近は観光にしても、日々の生活にしても、ある程度自分が後に抱くであろう感情がわかるようになって来ました。きっと旅の中にサイクルのようなものができてきた証だろうと思います。海外にいても、僕らは共通点を探して、見つかると盛り上がる。そして、そんな共通点は探せば探すほど、驚くくらいにたくさんあります。実家の距離であったり、バイト、大学。僕らは沢山のものに属しているから、それを伸ばしてみると、普段はみえないかなり大きなコミュニティがあることがわかります。日本にいながら何かを探している人も立派ですが、海外に飛び出すという行為はそれが見えやすいからありがたい。いろんな考えに触れる1ヶ月間、飲んだアンコールというビールの味。忘れません。この時は、なんだかいい終わりに思えていたのですが。


翌朝も昼過ぎに空港にということでカフェにいき、予定の整理をして準備万端。そしてしばらく綺麗なところでの食事はないだろうと、少し奮発したランチを食べる。サンドイッチが好きであれば食べます。海外では、日本でもしっかりとしたレストランだとナイフフォークが出されます。僕はそれを見るたびに、「サンドイッチをナイフフォークを使って食べるような大人にはなりたくない」そんな訳のわからないことを考えます。自分にはそれが過剰に行儀が良すぎるように思えて。これも、とは言ってもほとんどのものが、美味しくて、幸せな気分を整え宿でトゥクトゥクが来るのを待っている。


子供たちは親以上に綺麗な英語を話します。それを聞くと、日本ではボランティアの対象国、貧しいというイメージのあるカンボジアの大地で、芽吹くことを間近に控えた大きな蕾を前にしたような気持ちになります。識字率といった数字を見ると、ただ後進国に留まっているという思いが多く心を占めますが、確かにそこには成長があること、それを体感として得られた喜びがありました。ポルポト独裁政権下、多くの人々、特に豊かな知識を持った人々は信じられないような歴史の中に葬られてしまいました。実際に街ごとにキリングフィールドと呼ばれる、それらの犠牲者を祀る施設が設けられています。積み上げれた、普段目にすることのない数の頭蓋骨を前に、この国が隣国と比べて低い水準の中に低迷している理由の根底を見る。それでもこの国では確実に新しい力が花開こうとしています。


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カンボジアからインドまで、シェムリアップの国際空港から飛行機で。その場所には出発2時間以上前に着きました。良かったのはここまで。チェックイン手続きがはじまり、僕も列に並ぶ。実はインド入国の際にアライバルビザを取得できるのは日本人だけなんです。今回はバンコクでの経由、そんな細かいことまで係員も把握していない。「ビザを持っていないと乗せることができない。」と言われ、列の端に追いやられる。次々に上役が現れ、心細さの中待つことしかできない。笑顔で帰ってきた係員、答えはオーケー。すぐさまチケットが発券され、何度も謝られながら出国手続きで。一度得た安心感はここですぐに折られる。係員にパスポートを見せたところ、聴き取れない言語でまた別の所に連れていかれる。何かと思うと英語を話せる人が現れ「あなたのパスポートには出国のスタンプが押していない」ビザを取得した時点で押してもらったと思っていた入国スタンプ、どうやら僕はもらえていなかったようです。かなり長い話し合いの末、「国境に戻ってスタンプをもらって来てください」。ここで係員の人たちはかなり一生懸命に僕を通そうとしてくれて、何度も謝ってくれた。予期せぬ状況に言葉を失い、インドへ高まる気持ちはどこか深いところへ消えていってしまった。国境への往復はタクシーで50ドルと言われる。再びチェックインカウンターに戻り、事情を説明すると提案されたのは、もう一度バンコクまで行って、そこから飛行機に乗った方が安いということ。どのみち今日中に飛行機に乗ることは叶わない。そして別れたみんなのいる街に行くのはなんとも情けない。失意の中、トゥクトゥクに乗り、道中ほとんど泣きそうになりながら旅行会社に行き、深夜バスのチケットを予約しました。資金が少なっていく中で、節約しようと思っていた最中、消えてしまった2万円。ビクトリアの滝でカメラを落として以来、2つ目の大きな失敗として心に刻まれ、塞がりました。


こうして僕は予想をはるかに超えたところで、再びタイのバンコクに行かなければならなくなったのでした。これまでがあまりにうまく来すぎていたので、インドの前に気持ちを新たにとポジティブに捉えるしかない。それでもやりきれず、深夜12時半発のバスを待つ辛い待ち時間に、やけコーラを一気に飲み干す。もう使わないであろうカンボジアのお札を、少額ながら物乞いのおじさんに渡す。辛い時こそ、人に優しさを。せめてもの救いを求めて。バスを待つ5時間はあまりにも長く、思考もまともであるか自信はありません。もう誰かにこの悲しさを共有して欲しいところですが、ひとりぼっち。この気持ちはどこに行くのやら。(完)

ちょっと泣いてもいいですか?(中・こんにちはカンボジア)

不安だった7時起きも、なんとか間に合っていざベンメリア。場所も知らなかった僕はトゥクトゥクに乗って、すぐに着くと思っていたのですが、これが遠い。なんと片道50km以上。それが1人15ドルというのだからなんとも優しい世界。排気ガスで塗れた空気に、目には見えない汚れが体に付着していくのがわかる。入場料は5ドル。入ってみたらすぐに遺跡がお出迎え。カンボジアには今も相当数の過去の遺産が眠っていると言われています。アンコールワットと違い、完全な改修などは行われておらず、半分以上崩れた姿を晒しながら、すでに自分が人工物であることを忘れたように緑をまとっている。ラピュタが引き合いに出される理由もよくわかります。天井の崩落したところ、遠い昔種が宿り、そこから年月を経て大木に成長している。そこには一体感があります。崩落した石が膨大な数、その前に転がっている。果たして人がここで暮らしていた時、どれだけの高さ、規模であったのか、わならないほどに。当時細緻な装飾がされていたことはわかりますが、どれも自然に晒される中で原型は無くなってしまっている。これだけのものが一度忘れられ、再発見されるというのは嘘みたいな話です。ここに居着き、去っていった人々。人がいなくなると、ゆっくり時間をかけて、それらは自然の中に溶け合っていく。そんなことをよく教えてくれるところでした。そっとラピュタのロボットが立っていても、きっと違和感なく受け入れられる。


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2時頃には戻ってきたので、そこから前日知り合った友人とピザを食べに行きました。2つ年下の2人とビールを飲みながら、いろんなことを話す。年下ながらたくさんの展望を持って生きている彼らを敬いたくなる。その帰り道のこと、たくさんいる風俗勧誘の1人、運良くレディーボーイではなかったものの、お姉さんが近づいてきて「これ何?」と僕の髪の毛を引っ張り始める。「いや、髪だわ」さすがに髪でしかないですよね。形状に特徴こそあれ。こんなことばかりで天パはなかなか忙しい。夜もこのうちの1人とご飯を食べに。なかなか敬遠させがちな自分をかまってくれる優しさ。何人かの親しみを持てる友人に出会えた東南アジアでした。東京での再会を約束した数もどんどん増えて。またカンボジアの食事も口にあっておいしい。油断すると少し辛すぎるものがあるにせよ、基本的には問題ありません。店先には蜘蛛やサソリが売っていたりするのですが、隣に普通の屋台がある中で、それに手を伸ばす気がしれない。とか言いながら結局蜘蛛は食しました。意外としっかり肉があって、そのルックスさえ忘れられれば不味くはない。けど忘れることはできなくて、すぐに水が飲みたくなる。これで僕も立派なスパイダーマンです。


朝早く起きられたらアンコールワットに行こうと思いながら、目覚めると10時になっている。今日はもう辞めて、久しぶりに今後の予定を決める日に当てる。2日後インドのコルカタに入ることは決めていたものの、入国の際に帰りの航空券も必要ということで、その行き先に悩む。そんなことをしていたら、本当に日が暮れてしまいました。少なくともキリングフィールドには行こうと思っていたのですが、いかに悩んだかということ、時間は待ってくれないから。それだけ時間をかけたのも、インドから南米に入るとかなり航空券が高くなってしまうことに気がついたからです。南米からヨーロッパに戻るというのも、現実的ではないことに気がつかされました。季節のことを考えた中でこのルートを思いついたのですが、やはりお金が最重要事項。インドからはトルコに入ることにして、チケットも予約。インドでの生活はしっかりとした期限付きです。4月7日にイスタンブールへ、そこからヨーロッパを1ヶ月ほど回って南米。また変わる可能性もありますが、三度僕の計画は変更させられました。というよりは元に戻った。周れば周るほど、もちろん時間は減っていきますが、反比例するように行きたい場所は増えるばかり。やりきったと思うことは難しいかもしれません。間近にインドが現れたことは、中東以来の内側からワクワクする気持ちを運んでくれます。世界一うざい国がすぐそこに待っている。2日前にチケットを取るあたりは相変わらず。本当にエアアジアLCC様様です。


日付は変わり、時間がなくなるとともにさすがにアンコールワットには行かなければと言うことで、数ある手段の中で自転車を選びました。そんなに高くない値段でツアーに参加でき、朝日を見る人も多い中、その集合時間が朝4時半と聞きすぐに諦めました。同時に1度も乗っていない自転車に乗りたい気持ちが異様に高まりました。自分のペースで見られるだろうし、たかが片道6kmばかり。宿の近くにレンタル自転車屋を発見し、1ドルという看板に飛びつく。店先にはそれなりに綺麗なものが並んでいて、なんていいサービスだろうと。しかし話を聞くと、店頭にあるものは5ドル、1ドルではと出てきたのは3年ほど屋根のないところで風雨に晒させたのではないかというほどボロいもの。よくよく見ると千葉県の防犯登録のシールが貼ってあって、どんな経緯でここにたどり着いたのか不思議な巡り合わせを感じる。なんてことはなく、「盗難」「犯罪」胡散臭いこの自転車に、それでもこげればいいかと決めてしまう。これが何度もペダルが動かなくなるような、見た目だけでなくその実まで酷いものでしたが、慣れてしまえば大丈夫。遺跡が近づいたところで呼び止められ、チケットを見せるように言われる。そんなことは全く知らなかったけれど、その先にはそれが無いと入れないらしい。聞くとだいぶ引き返さないといけないようで、頭の中で「行かなくてもいいか」と囁く奴がいる。少し思考を止めて、さすがにアンコールワットを見ずにカンボジアに来たとは言えないと思い直す。4ドルで連れて行ってやると言われましたが、意地でも自転車で。オフィスはかなり分かりづらいところにあるので、行かれる方はご注意を。


やっとのことでアンコールワット、アンコールの遺跡群に突入しました。映像で見ていたよりもかなり観光地として整備されている印象。道もコンクリートになっているので、自転車でも問題なく進めます。あまりに広すぎるので、アンコールワットとアンコールトムを見るとかなり満足感は得られました。定番だとは思いますが、アンコールトム内にあるバイヨン寺院が良かった。もうこれはテーマパークのようです。これをモチーフにして創られた想像物は沢山あると思います。大きな寺院は、上部にも登れるようになっている。そこには大きく掘られた顔の石像がいくつも並んでいます。これは本当に壮観で、東南アジア、続いた遺跡群のラストとしてはぴったりでした。ただやはり有名なだけに観光客は本当に多い。やはり中国の方は圧倒的です。大きな中国語が四方八方で飛び交い、嫌悪感をあからさまに出す白人も多くいました。耳を指で塞ぐように。それでもお構いのない中国人。中には遺跡に寄りかかり、ハーモニカの演奏を始める人まで。さすがです。有名な観光地の思い出には、必ずつきものになって慣れたものですが、もちろん全員ではないにしろ辺りを気にかけない態度、他地域の方には同一視しないでもらえたらという願いはあります。かなり難しいだろうことは承知ですが。


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宿の近くにあった小さい商店、僕は小さいものはいつもここで調達していました。裕福な環境で育っていたら小雪のようになっていたであろう美人な女性が営んでいて、帰る際いつも不細工な発音の「サンキュー」を返してくれた彼女のことがどうも胸に残っています。(続く)

ちょっと泣いてもいいですか?(上・さよならタイランド)

前日はしゃぎすぎたのがたたって、起きるとすでに10時を回っている。この時間にはすでに暑いタイバンコクカオサン通りに向かう予定だったのですが、いまいち気持ちが上がらない。とりあえずご飯と翌日カンボジアへ向かうバスのチケットを求めて、宿を出たのは昼過ぎのこと。映画からの帰り道に見つけた「うま食堂」なる店が頭から離れず、足は自然と向かう。唐揚げ定食と昼間からのレモンサワー。どちらも口にすることを夢に見ていた二品。白米と味噌汁が付いていて、どれも7割ほど再現されていました。その感動もさることながら、レジの奥にあるテレビ、映っていたのはなんとNHKでした。そしてドラマの「火花」が放送されている。なんとなく見ていると、井の頭公園、出発までの2年間、自分が誰よりも座ったと自信を持って言えるベンチが出てくる。友達の弾くギターに合わせて歌ったベンチ、オール明けのテンションでスプレーで髪を染めたベンチ、日が昇るまで語り明かしたベンチ。そして次には大好きな珈琲屋。バックミュージックはここで何度も聴いた斉藤和義「空に星が綺麗」


"口笛吹いて歩こう 肩落としてる友よ

いろんなことがあるけど 空には星が綺麗

懐かしいあの公園にちょっと行ってみようか?

最近忘れてること なんか思い出すかも"


昔からこういう時に、大げさですが僕は人智の及ばないものの存在を感じます。偶然入った店、時間。それらが定められているかのように自分という人間に合致する。そんな瞬間が時々やってきます。そんな大きいことではなくとも、晴れた気分にさせてもらえる。そのあるものの存在を、僕は嬉しい出来事が起こった時は信じたくなる。悪いことの原因は自分の中に見つけられるから。おかげでいい気持ちにはなったものの、疲労感は取ることができない。カオサン通りにはいかないことにしました。もう1泊延長してトライしても良かったのですが、店から出てそのままバスターミナルに向かい、悩んだ結果、翌日早朝発のバスを予約しました。バンコクでは一番楽しみにしていた場所ではありましたが、不思議と「いいや」という気持ちになって。こういう漠然とした思いには救われてきたことが多いので、直感の言うことを聞くことにしました。後で後悔するかもしれませんが、考えてもしょうがないので。もうこの日はこればかり、あとは宿に帰ってゆっくり。最後のタイ料理を夕食に食べ翌日に備えました。


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翌朝は伝えていたにも関わらず宿のスタッフが起きてくれない。部屋の戸を叩いても一向に反応がない。そのせいで最初に渡したデポジットを返してもらえずモヤモヤした気分のまま後に。ギリギリまで待ったせいで、タクシーでないと間に合わない時間。バンコクの道路は朝から混んでいて高速を使ってもらう他ありませんでした。


東南アジアでは初めて、カンボジアへの入国はビザが必要になります。そうなるとやはり緊張感のある国境越え。たまたま席の隣が日本人の方でしたが、僕のルックスに非があるのか全く話しかけてもらえない。声をかけても、軽く返してもらえるばかり。しばらく続けると相手も慣れてきたようで、軽い会話をしました。他にも何組かグループがいて、東南アジアには本当にたくさん日本人がいます。時期も春休み、ほとんどが同年代の学生。このバスはありがたいことに、水、ジュース、缶コーヒー、お菓子、昼食が付いていました。今までなかったことなので感動もします。座席も居心地がよく、ゆったりと、それでも国境が近づくと緊張感。迷路のように分かりづらく、不安になりながら、他の日本人の方に教えてもらったように進むとそれが間違えだと気づいた相手が追いかけて、連れ戻してくれました。一旦話せば、どの国よりもやはり親切なのが日本人。お礼を言って、同い年の彼と出国を済ませる。僕以外はあらかじめビザを取得していたので途中で別れ、30ドル払ってビザを取得。顔写真などは必要でしたが、スムーズに事が運ぶ。国境を跨いですぐのところにあるショボいカジノの中にあるトイレで安心からくる小便を済ませる。しかしこの一見うまく行ったかに見えた国境を越えが後に悲劇を招くことになりました。


カンボジアに入ってからは何も問題はなく、バンコクと打って変わって田舎道を走っていく。シェムリアップに到着したのは夕方ごろ。バスは宿まで歩いて行けるところに止まって、両替をするとドルが渡されます。リエルという自国通貨はありながら、ほとんどドルが使われていました。穏やかな田舎町といった雰囲気の中、宿までの道。必要以上の安心感がある。あまりに緩むと後に控えるインドで痛い目にあいそうだと思いながら。宿に着くと1つ嬉しい事がありました。ラオスでのルアンパバーン、ナイトマーケットで会った同い年の人と再会。僕はタイを経由して、彼はベトナムを通って。同じ人に2度出会うのは初めてでとてもいいものでした。正直僕は言われるまで気がつかなくて、相手が僕の顔よりも髪をしっかり覚えてくれていた。そう、こんな時には便利です。他2人と連れ添って夕食を屋台に食べにいく。一食2ドル、ビール1ドルとなんとも経済的。このうちの1人が翌日ベンメリアに一緒に行く人を探していました。名前知らなかったその場所は「天空の城ラピュタ」のモデルになったとか、なってないとか。ジブリ好きとしては思ってもない提案にふたつ返事で「いく、起きれたら。」特に予定も立てていなかったので、喜ぶ相手以上にこちらの喜びの方が勝る。それに備えて眠りました。


二台のついたバイクでゴミ箱を回って、おそらくお金に換えられるものを探している。そんな姿をよく見かけました。大抵は大人の男性と小さい子供が1人付いています。恐らくは親子。そんなに大きなお金にはならないはずです。世間は温かい目は負けられないかもしれません。生きることの難しさは、生まれた国や家で大きく変わってしまう。そんな中で、他の子供よりも鋭い目つきをしているように見える、そんな子供たちが強く育ってほしい。もしかしたら5歳ほどにして、僕よりも強いところが少なからずあるかもしれない。観光が主産業のこの街で、旅行者たちは彼らの姿をどう見るのでしょうか。(続く)


コンクリートジャングル

昼過ぎに宿を出てバンコクへ行くバンを探す。ホステルの従業員が教えてくれた場所(セブンイレブンの前)に行ってみたものの、それらしいものは見当たらない。ここでは5分も歩けばセブンイレブンが1つはあるから、他の店舗のことだったのか。近頃はなかった、道行く人に尋ねまくる古典的な方法で停留所を求めて歩く。誰も気さくに、笑顔で教えてくれる、タイとはやはりこういう国です。やっとみつけて安心、バンコクまで60バーツで連れて行ってくれるらしい。公共機関がこの運転、日本ならすぐに業務停止命令を喰らいそうな、スピード、ブレーキ、僕を襲う睡魔も、ことあるごとに去っていく。そしてまた襲う。そんなことでバンコクに入る。思っていたより、中心部、泊まる宿からは遠いところで降ろされて、目の前には駅がある。


長距離列車、寝台車などは何度も使ってきましたが、都市部での短い電車を使うのは初めてです。その車体からも、また車窓からのぞく風景からも、この都市の発展具合に驚かされる。それは電車に乗り込んでから、30分ほど経って降りるまで、ずっと続きました。立体になった道路、建ち並ぶ高いビル。何より清潔な車内、CMが流れるモニター付き。バンコクがどのような場所かぐらいは知っていろよという声、最もです。トランジットではここの空港を使い、機上からかなり栄えているらしいという印象はあったのですが、これはもう大都市です。ものの質感が多少落ちるとはいえ、日本の都市で比較できるのは東京くらい。普段はせずに、帰った後にしっかり照合しようと思っていることですが、GDPを調べてみると、人口が物をいう指標ながら、今まで訪れた国で最上位に位置することを発見する。僕がどんな感想を抱いたか。そこには懐かしさ、安心感。自然について偉そうに弁を垂れたここ最近、急に態度を変えて、定まらなさが痛いところですが、自分はやはりコンクリートジャングルの中で育ってきた。習慣、信頼、それらによって生まれる親しみの情は、家族や友人はもちろん、囲まれてきた環境、物質、そして行動にまで及んでいます。そういうものは今さら変えられないし、自分で選べるところも多くない。


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一度宿に着き、電車で流れたCMの中に見つけたUNIQLOにどうしても行きたくなりました。出発まで2年間アルバイトをさせてもらったところ、会っていない友達に会うのと同じ感覚で。4kmの道を歩いて、途中大きなデパートを何度もやり過ごしながら、ラーメン屋を横目に食欲を刺激されながら、1つの商業施設にたどり着きました。大きく、高いこの中には世界的に有名な高級ブランドも多くありました。UNIQLOも扱われている商品はほとんど同じ、ただポスターなどはタイ人のモデルが起用されていて、密着を目指していることがうかがえる。何度も畳んだ商品を見て、必要に駆られてしていたバイトも、今だけはポジティブばかりに捉えられる。何かを買うわけではなく後にし、エスカレーターを上ってみる。そこにはなんと紀伊國屋がありました。そしてここにきて、僕の気持ちの高まりは最高潮に達する。もしかしたら日本の本も。期待通り、心を優しく撫でてくれるように、そこにはたくさんの書籍が並んでいる。人もたくさんいる、タイには日本人が本当に多い。バッグはもうほとんどスペースがないのだけど、文庫本を2冊購入。目が潤んでいました。


こうして僕は日本に帰ってきた時に味わえるだろう大きな感情を少し縮小する形で、その場しのぎな幸福を得ました。また引き寄せられるように映画館の方へ行き、ほぼ無意識にチケットを購入している。1本100バーツ。IMAXとかそういう言葉も当たり前に並ぶ。タッチパネルによるチケット販売。きわめつけはラーメン屋。そして流れていたのは尾崎豊。日本語で行われる接客。ラーメンと餃子。もう止まらない。21時半の映画を前に3時間ほど、1度宿に帰ることにしてまた1時間ほど汗を流しながら。この旅のおかげで好きになれたものの中に、日本はおろか、東京という街を加わりました。幸不幸、僕はコンクリートの中で育ち、帰る場所も今はそこにしかない。そこからあまりに離れた場所で暮らすことは少なくとも今はできないだろうと思う。


シャワーを浴び、着替えて再び映画を観に出かける。さすがにここは電車を使って。最新作の情報なんて少しも入ってないので、SNSで友人たちが話題にしていた恋愛もののミュージカルを1人で見る。周りはカップル、夫婦ながらも気にせず、始まる直前に亡くなった王様への追悼の映像が流れて、全員が立つことを強要される。この時に、少し魔法が解けたかのようにタイにいることを思い出しました。ラストに切ない気持ちになって、帰りはまた歩いて帰る。これでトータル10km以上、最近は歩いてばかりいます。なんだか、久しぶりに切ない気持ちになって、映画のチョイスは正解ではなかったと思う。何をすることもできない今、くだらないコメディなどが最適だったかな。そんな行き場のない気持ちを、くるりを聴いて更に複雑にさせながら、帰ったのは深夜1時。名高いレディーボーイの多さへの心配も、この時間まで車通りの多い道をまっすぐに進むだけなので、遭遇することもなく。眠る気も起きないので、ロビーでしばらく読書をしてやっと就寝。


なんというか、僕はもう日本にいました。カラオケを前にした時は、よっぽど入ってやろうかとも思いましたが、せめてこれだけでも取っておこうと思いとどまる。これから始まるインドや南米での日々の前に、いい息抜きに。圧倒的な都会も、久しぶりにみるとよく見える。間違いなく今日は、人生で一番、それをいいものだと思いました。お前は海外で何をしているのかと言われれば、確かにそうだけれど、我慢をするために来ているわけではありません。その国がそのままわかればいい。バンコクはこんなことまで出来る街でした。小旅行で来れば、絶対こんなことはしないだろうけど、今の僕は可能であればしたいと思う出発から3ヶ月。


チェンマイが第2の都市と言われることから想像していたバンコクとは全く違って、ここだけはもう別世界でした。同じ国とは思えないというのが率直な感想。都会に行けば行くほど、ホームレスの方を見かける。そんなことも添えて、あと数日、この便利さを満喫して行きたいと思います。


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夢がなくて、すみません。この近くにバックパッカーの聖地があるなんて信じらない。

お尻が大きくても白パンを履ける勇気が僕にあったなら

チェンマイからアユタヤに向かうため駅に向かい、チケットオフィスに並んでいました。こういう場所で、おばさんという存在が必要以上に手間取り、後ろの人間にじれったい思いをさせるのは万国共通なようです。磨かれていると思った忍耐力もまだまだ、今回のおそらくタイ人であろう女性は時間とともに、お尻を後ろに突き出し、白いパンツを履いたそれを上下左右に振る。視覚的にも試練を与えてくる。スタイルをもろにさらけ出す必要のある明るい色のパンツ、僕はどうしても敬遠してしまい、クローゼットの中には暗いものばかりが並びます。周りの声を気にすることは大方意味のないことだと思いながら、やはりこんな小さなことに踏み出せない自分がいる。好みもあるでしょうが、下着の形も剥き出しにしながら、自信満々にお尻を振る勇ましい姿に、かっこいいとはこういうことかもしれない。


前日の疲れを癒すため、と思いつつ電車のチケットを取るために4kmの道を往復して駅まで行きました。18時発、そしてアユタヤに着くのは朝の5時前という電車。それにしてもチェンマイもいいところでした。歴史的な建造物と人が暮らすスペースの調和がうまく取れている。飲食店に困ることもないし、満腹を望まなければ一食100円台で大丈夫。そして口にあうからありがたい限りです。価格にこだわらなければ簡単に洋食も日本食だって食べられる。寿司という提灯を下げた焼肉屋がありました。一歩国境を跨いだ文化は、手を替え品を替え、現地の文化と融合した新しいものになる。「サワディーカップ」「コップンカップ」笑顔で言ってくれるこの環境が好き。アフリカや中東はある程度お金を払うところでないと笑顔の接客なんて得られない。屋台でも笑顔を見せてくれるタイ、自分の精神的にも優しい国です。


17時には駅に戻って列車を待っている。もらっていたチケットを受付で見せたのだけど、僕がそれをポケットに入れていたためにちょうど列車番号が消えてしまっていた。これはなかなか騒ぎになって、ドミノ式に偉い人が出てくる。最終的に乗る電車の長が登場し10人ほどを巻き込んで事態は収束。この人がタイ人には珍しく長身で60前後だろうという年の、制服の似合うかっこいい人でした。親身に解決へ導いてくれて、車内であっても微笑んでくれる。やっと乗り込めた電車は予想に反して、とても快適なものでした。汚いのが当たり前と散々刷り込まれてきたので、清潔な寝台車は夢のよう。どの程度かというと、もうここに住みたいと言うくらい。2等車で、両サイドに対面式の椅子があり、暗くなると上からベッドを下ろし、座席は変形式で2段ベッドになる。向かいに人がいなかったので、のびのびと満喫。早くも強い眠気に襲われて、21時前には就寝。朝も4時ごろに目がさめる。普段ではありえないことなので、やはり体も緊張モード。日本でもこれほどまでではなくても、もう少し緊張感を持った生活を送りたい。定刻を少し過ぎて、5時過ぎにアユタヤに到着。だんだんと明るくなる空。この時間でも駅前には屋台があり、レストランも空いていたりする。空腹だったし、きっと宿にも入れないだろうと、朝食を食べる。日本語で話しかけてきたおばさん、炒飯を頼むと「とり?」と聞かれ、うんと答えて待つと、シーフードの炒飯が出てくる。20バーツ多く取られ、釈然としないまま、どこか居座れる場所を探しに歩く。朝日を浴びて、たまにする度に朝活とはいいものだと思う。そんな時は明日から朝型になりたいと考えたりもするけれど、結果はご存知の通り、続かない。早起きはそのまま中高の朝練を連想させて、寝起きに吐きそうになりながら走ることがセットになっていた時期の、もうだいぶ前のことを未だに引きずっている気がする。言い訳です。そろそろ、そんなことともおさらばしたい。


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結局8時ごろには荷物だけでも置かしてもらおうと宿に行く。14時チェックインにも関わらず、親切に部屋へ案内してくれる。「今晩はあなたしかいないの」12人部屋に1人。2つのトイレと2つのシャワーが全部僕のもの。それなりに寝られていたので、昼前から街の散策に出かける。ここらは野良犬もちらほらいて、情報ノートには歩かない方がいいと書いてあったけど、気にしない。1度だけ、目がいってるという言葉に合う、狂犬病の疑いがある犬に遭遇して恐ろしくなった。今日は舐められず、吠えられもしなかったので。鋭い眼光で対面するとか、そんなことに意味があるのかはわかりませんが、ようは気持ちの問題です。


世界史で習ったアユタヤ朝。その遺跡は街のいたるところにありました。1つ1つ規模が大きくて、5つ回ったらそれなりに時間も経つ。石ばかりでできた古い寺院の中に入る。高さもあり、当時の壮麗さは考えつく。でも、実際にここに王朝があり、営まれていた生活はどうも想像しづらいものがあります。それだけ現代とは異なって、なおかつ立派なものばかりだったので。戦争の中で、寺院の破壊が相次ぎ、ほとんどの仏像は原型をとどめていません。中には首だけないものもある。これらは見ているだけでも感じるところがあり、顔のない仏像が並ぶ光景は、日本でもこれほどはないような諸行無常の響き、盛者必衰の理を帯びています。落とされた首が菩提樹の中に埋もれ、持ち上げられるようになっている、有名なものも目の前にしました。圧倒的に人だかりができていたので、遠くからもあそこにあるだろうとわかるぐらい。観光客はとても多く、地理的にも、時期的にも、学生とおぼしき日本人の姿もたくさん見かけます。ほとんどが複数人できているので、付け入る隙はなかなかないのですが。国籍関係なく、基本的には話しかけられたら話すスタンスでやっていきます。ここの規模は、アンコールワットと比肩できる、東南アジアでは数少ない場所だと思います。早起きのため、途中から眠たくなって、220バーツのチケットで入れるところだけ入って帰ってきたのですが、この地域の歴史に強い興味がある、遺跡好きという方にはたまらないスポットに違いありません。お寺疲れの溜まった僕にも、この遺跡群は他と一線を画す、かなり興味深いものでした。それでもそろそろお寺めぐりと休憩ばかりの生活から離れたい思いも強く、カンボジアを最後にインドでは違う楽しみ方をしたい。仏教のお膝元に他のものを期待するのは間違っているのかもしれませんが、面倒臭い人の絡みなどがエジプトから1ヶ月、また恋しくなっています。ましてや英語の使える地域にまた入られるのは嬉しい限りです。ヒングリッシュ理解できるだろうか。


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これからバンコクにバスで向かい、数日後カンボジアへ。カオサンロードは僕をどんな気持ちにさせるのか。パリピならともかく、今の自分、タイひとりぼっちの僕には風俗に舞い込む気力もないですし、何かしら別ところで魅力を見つけらたらと思います。困ることのない食は、最近は生活の大きなベクトルを占め始めています。美味しいものを食べられる。結局幸せは単純なところにあって、それを感じられるか、られないか。


アフリカの植物は鋭いトゲを持っているものばかりでした。よく歩いていて引っ掻き傷をつけられた。アジアにいる今、それはわずかな種類に限られています。近頃は植物、自然の話が続きますが、やはりそれぞれの環境において作り上げられたものがあるのだと思います。東南アジアの豊かな水に育まれた自然の中、種を残すことが容易な大地。一方で荒野の中で、少ない植物は動物にとっても貴重な食物。種を残していくには自らの身を守る必要がある。植物学を全く解さない僕ですが、1つの命を遥かに凌駕した時間の流れの中で、生きようとした、生き抜いた証ではないかと推測してみます。



"海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに

わたしのなかに みつけられたから"

木村弓「いつも何度でも」より


この曲をかなりしみじみと聴ける今の心情は、かなり恵まれたものであり、覚和歌子さんの言葉は胸に刺さるものがあります。近いところまで来ています。でも何かまだ、あと少しはっきりと呑込めるところまで持っていけたら、そして絶やさぬようにできたらと思います。求める形は、「日本最高」というラスト、そのスタンスは今のところ変わっていません。ご安心を。


少年時代への巡礼

今僕が泊まっているホステル。部屋は入ると縦長で、両サイドに3つずつベッドが並んでいます。ドアにに近い2つのベッドは、やたらとフ○ックを連呼するお姉さん2人組が使っている。朝起きてトイレに向かった時、彼女たちはまだ寝ていました。その寝姿が、うつ伏せの顔の方向、手足に至るまで綺麗に対称になっていたんです。なんというシンクロ、よっぽど深いつながりを持つ2人なのか。僕には純粋に面白くて「今日は絶対にいい1日なる」と確信しました。


充実したけど、ハードだった。明日は歩けないかもしれない。


そんなことから始まった日は、前日たっぷり休んだぶん、しっかりチェンマイを見ようという心意気でした。ただ調べると出てくるのは寺ばかり。他のアクティビティは距離があったり、料金が高かったりと、決めることに苦戦する。有名な首長族には興味があったのですが、上の2つの理由に阻まれ断念。実際に見たら多少気味が悪いという表情を出さない自信もありませんし、それが相手に伝わるようなことになればお互いにやりどころがなくなってしまう。テレビで見るくらいがちょうどいいでしょうと自らを納得させてみました。ここには日本と同じように自然があります。到着した時からそんなところで過ごしたいと思っていました。そんなところはないか、どうか、あら、見つけた。ステープ山の1000m地点にお寺があるらしい。その途中に滝などもあるということだったので、森林浴ができたらとそこに決めました。


9時ごろに宿を出て、帰ってきたのは16時ごろ。7時間、いったい何をしていたのか。


まずは当然ですが山の麓まで、途中朝食を摂りながら、4kmの道のりをこなしました。久しぶりの缶コーヒーを買って飲みながら。明確な入り口などがなく戸惑いましたが、観光客はそれなりにいて、みなさんバスやトゥクトゥクで上がっていくようです。ここで1つの選択を迫られます。便乗して乗り物にお世話になるか、我が道を歩いて進むか。来た目的からして後者だろうということになったのですが、これが正しかったのだろうか。まずは1つ目の滝へ。ラオスでクアンシーの滝に行ったから、僕の目は肥えてるぞ。やはり大したことはない。ルートがよくわかっていなかったのですが、滝の脇に道が伸びていて上まで続いているようでした。その道を進むことにして、勾配を登っていく。息は早くも切れてきましたが、既になかなか眺めがいい。これは序の口で、しばらく登ると開けたスペースに出て、相変わらず上流からの小川が流れる場所にたくさんの蝶が舞っている。虫取りを一生懸命にしていた昔を思い出して、日本にはいない鮮やかな羽の色を見ているだけで安らぐ。トンボも多く、シオカラトンボよりもさらに濃い、紫に近いような青を持ったものが目の前にとまる。小川にはよく見ると、メダカやオタマジャクシ、アメンボの姿。生き物が好きな少年時代でした。いつからか、触らないものが増えたり、目もやらなくなったり、そもそもそんな場所に行くこともしない。当然といえばそうかもしれませんが、忘れているだけ。今もそれらをゆっくり見続けられる自分を再発見。


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そこからはより緑の深まった道を、汗をかきながら登って行きました。ずっと住んでいたマンションの裏が元々山だった名残から、雑木林というのか、勾配に木が茂っているスペースがあるんです。今は立ち入りが禁止されていて入れないのですが、いやもしかしたら当時から禁止だったのかもしれません、小学校から帰ると野球をするかここに入って探検するか。自分が小さかったのもあるでしょうが、それなりの広さがあって秘密基地を作ったりもした。あれ見つかるとすぐに壊されてしまうんですよね。そんな時の記憶が強く蘇ってきて、ワクワク、1人で楽しんでいました。社会に求められるものに対応しようと、変わった気になるけど、根本は変わらない。ましてや、つい10年前までしていたことです。今回のこれが無ければ、遠からず消えてしまったのかもしれませんが、行動が伴わなくても持っててもいいもの、情景というのはあって然るべきだと思う。そんなことをタイで考えるなんて思ってもいなかったことです。


中山道は無くなって、道路を歩いたり、また山道に入ったりしながら、だんだんと足は悲鳴をあげ始めます。一度はじめてしまったからには、やりきりたい。疲労感もありながら、とても楽しんでもいました。こんなことしている人は、僕のほか3人しか会いませんでしたが構わない。2つ目の滝はお寺が併設されていて、古い石像が並んでいたり、小さな滝の上に仏像があったりと素敵な場所でした。しかしここで間違いを犯します。地図アプリも山の中で多少の誤差があり、道だと思ったところは道ではなかった。手も足にして進んで気づいた時には引き返すのも大変なところにいました。小さな滝を登るような具合だったので、もっと早く気がついてもよかったかな。最後は草をかき分けるようによじ登り、体にいろんなものを付けながら、道路に出ました。もし上に人がいたら、ガードレルから這い出る手と僕はホラーだったと思います。


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ここを這い上がりました、、


そして最後の山道へ。ここはかなり急で、木だけのけてあるようなところでした。普段は絶対に思わないことですが、この時ばかりは思いました。自分はすこし変かもしれない。汗と虫にまみれながら、タイでこんなことをしている自分がおかしくて笑えました。スピッツを聴きながら、水もなくなる。目的地を前にカメラの電池も切れる。何とも自分らしい。飼い犬だったのか、野良犬だったのかはわかりませんが、生まれて初めて犬に追いかけられるという経験もさせてもらいました。やっぱり犬は怖いもの。ルートを変えながら、ようやく目的地に到着。コーラをがぶ飲みして、昼飯をほうばる。


お寺へ続く階段はもう足も言うことをきかないなか懸命に。苦労が報われるように、金ピカに輝く仏塔と多数の仏が安置されたドイ・ステープ。その仏塔の周りにたくさんの風鈴のようなものが吊られていて、人の流れが途絶えるとすぐに美しいおとを届けてくれました。これが癒してくれる。一画は見晴らし台になっていて、そりゃあ疲れるわと言うほど綺麗な景色がありました。運動不足の今、人工物ばかりだったこの頃にアクセントの加えられるいい計画だった。


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これほどのことを経て着いた場所から、元の宿に帰るのはたった60パーツ(200円以下)。すこし虚しい気持ちにさせられる。前に座っていた男性はどう見てもアジア人。聞くと100%日本の血を引く、日系4世の方でした。タイの前は日本で広島を訪れたと聞き、アメリカ人でありながら、その体を流れる血と、彼がどんな風にそれを見たのか想像の及ばないことですが、とても興味深いことであると思いました。そしてトゥクトゥクの車バージョン、形はまるで霊柩車の乗り物は、しっかり宿まで送ってくれました。山を下り切るのに20分ほどかかったので、自分のしたことを少し誇らしく思う。


この想像は易いと思いますが、この後は休むばかりで終わりました。運動後の美味しいビールを1杯飲んで、8時頃にはチェンマイ名物カオサーイを屋台で。なぜだか、山を登る前から小学校時代を思い出し、登っていてもそれが深まっていく不思議な1日でした。


"いつまでも絶えることなく友達でいよう"

「今日の日はさようなら」より

"何年会わなくなれば他人になるともだち"

斉藤和義Summer Days」より



卒業シーズンでもありますが、思えばほとんど会っていない、当時の友人たちは今どうしているだろうか。タイにいながらとても気になって、あれから10年、変わらないところをお互い見せ合えるような機会があればいいなと思います。明日から場所を変えようと思っていますが、もう頭もあまり働いていないので、起きて考えます。また慌ただしい日が待っている。


今日の日はおやすみなさい。