所持金0で電車に乗った話 〜後編〜

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僕が乗ったこの鉄道はTAZARA鉄道といい、40年前中国によって作られました。全長1859kmと途方も無く長い距離を中国人と現地人の協力のもと5年ほどの期間で完成。途中事故や毒ヘビなどによって何十人もの方が命を落とした工事を経て、今も2国間をしっかりつないでいます。正直見ていて、これ大丈夫か?というような箇所が線路、車内どちらにもあります。歴史を感じる電車です。


2日目、この日はもう空腹との闘いになるだろうと予測していたのですが朝からゆで卵を1つわけてもらいました。昼ごはんもマンゴーとキャッサバを奢ってもらい満腹に。彼らは当たり前のように食べ物を分けてくれました。キャッサバはザンビアではオーソドックスな朝食です。白く甘くない栗に近い味のする、芋の仲間。見た目は強いて言うと干し芋に近いかな?これを塩気の効いたナッツと食べます。すこし臭みがあるのだけど1本で満腹になってありがたかった。察していたのでしょうか「こいつお金ないんだな」って。おかげで飢えずにすみました。


列車はこの日、早くも予定より5時間遅れで国境に到着。ここでまず600クワーチャーを114000シリングに両替。もうわかんないですよね。入国も出国も職員が列車に乗ってきて行われます。お願いしたらシリングで支払うことができました。50ドルの代わりに110000シリング(約6000円)を支払ってヒザを取得す。3度目の取得。1度目はバスで、2度目は徒歩で、3度目は電車でとバラエティに富んでいます。国境が近づくにつれ、僕にはわかりませんが「家の作りがタンザニアのそれだ」「土の色が黒っぽくなったからタンザニア」「左側の窓から見えるのはタンザニアで右側から見えるのはザンビアだよ」と言われ、そうなんだとしか言いようがないのですが、確かに屋根が茅葺からトタンに代わり、平野だったのが山がちになってきた。そして一気に暑くなりました。タンザニアに入ったのと同時に、日本との時差は7時間から6時間に縮まりました。こんなことがちょっと嬉しかったりします。


電車は必ず30分くらいの間隔を置いて駅に停車しますが、どこでも大勢の人が待ち構えていて飲み物や食べ物を売っている。「マンゴー」「ニャァニャ(トマトのこと)」「サイダー」一回はっきりと「かまぼこ!」って聞いた気がするのだけど、きっと束の間の夢の中だったのでしょう。週に往復合わせて4回は通るはずなのに、線路沿いにはたくさんの子供が電車を見に出てきていて手を振ってきます。僕はちょっと偉そうだなと思いながら、電車の上から手を振り返す。ホームに降りても珍しいアジア人はとにかく見られます。微笑んでくれる人もいれば、不審な顔で見てくる子供達も。プロ野球チップスを買ったら、レアなカードが出た時みたいに。電車見にきたら、アジア人に会えた。そんな感じです。車内でも何人かと顔なじみになりすれ違う度に握手を交わしました。南アフリカにいた時から共通して、アフリカには特別な握手の方法があります。一度日本と同じ握手をし検討を讃えるように手を組み合う、もう一度スタンダードな握手。言葉で説明するのは難しいので、帰ったらやります。完全にかぶれてるという目でみてください。


この日、部屋では日本に興味を持つ3人にいろんなことを話しました。ちょうどカメラに富士山やスカイツリーの写真が入っていたから見せながら。物価、賃貸、アルバイトの給料の高額さに彼らは驚いていました。みんな日本のことをよく知っていて、自分がアフリカの政治に全く明るくないことを反省させられました。彼らのする野生動物の話はおもしろかった。みなさん知っていましたか?ワニの脳みそを食べるの人はすぐに死んでしまうそうです。


3日目。昨日の食物繊維が豊富そうなキャッサバが効いたのか、起床早々便意を催した僕はトイレへ直行。これがただ線路にしたものが流れていくだけのものなんだけど、紙すらない。食事をとりながら読んでいる方すみません。そういう文化ならしょうがないとあまり気にならない僕。置いてあった水で雑事をこなして一度だけ激しく嗚咽する。こういうのは嫌な人多いだろうなと思います。日本での日常とはあまりにギャップがあるから。


本来はこの日の9時に着く予定だったのですが、遅れに遅れた到着時刻は明日の朝ということでした。列車の提供する食事は高いと文句を言っていた3人も延長にモーニングを頼むことにしたようで、給仕に声をかける。「お前は?」と尋ねられ首を横に振ったところ3人が「お前も食べろ」と言ってくれる。「お金がないんだ」「大丈夫」パンにオムレツと久しぶりのにタンパク質ソーセージ、温かい紅茶。何度もお礼を述べる僕。「アフリカは1つの家族なんだ。お前もここにいるからには俺たちの兄弟だ。」こんなこと知り合ったばかりの人間に言える度量の大きさ、伝統にすっかり感極まってしまい食後すぐにタバコを吸いに行きました。経験がないことだったので、今までの人生で動いたことのない心の1部が震えさせられました。部屋に帰っても、油断すると泣きそうで。アフリカ素敵です。結局晩御飯までご馳走になって、おかげで僕は健康そのままです。大変ではあるけど現地の方々と距離の近づける列車旅の素晴らしさを改めて感じました。


電車は何度も「動物にでもぶつかったんじゃないか?」っていう下手な止まり方をして、1日中必要以上に大きな音で汽笛をならす。中央線のスピードで進んだら2日もかからないだろうと思ったり。夜は明かりのない山々の間にいて、星たちに囲まれます。窓から空を見上げると、まるで光る実のなる木々の下を駆け抜けていくようです。アフリカの人たちには当たり前のことだから、体半分を窓から乗り出してずっと星を眺めてることが不思議に映るみたい。彼らが日本に来たら、東京の夜景を美しいと思うでしょうか?この日も9時頃には眠りに就き、到着を待ちました。予想外に起こされたのは深夜2時ごろ。「もうすぐつくよ」不意をつかれだ形で突然僕の列車行は終わりを迎えました。複雑です。遅すぎるし、早すぎる。宿も予約できてないし、お金も持ってない。街を歩くには安心できる時間ではなかったので。その後どうなったかはまた次に書きます。書いてる時点で僕は無事に生きています。


結局電車内では約60時間過ごしました。今思うと途方もなく長いけれど、電車だと歩きたい時には歩けるので全く苦ではありません。ルームメートにも恵まれて、またたくさんのやさしさをいただきました。僕はきっと1度歩いて、2度歩かない道を行きます。可能な限りのことを覚えていたいと思う毎日です。開始2週間は何か寂しい気持ちもあったけれど、薄れてきました。今はただ瞬間を楽しもうと思っています。