アモーティとの5日間

アモーティ。ウガンダ出身で今年60歳を迎えるアブおじさん。父親より年上の彼と過ごした5日間について書きます。


出会ったのはTAZARAで同部屋だったのがきっかけでした。大柄で180cm以上ある彼の第一印象は少し怖かった。ましてやアフリカ人3人に囲まれて最初は緊張を覚えました。気さくに話しかけくるわけではないし、たまに質問されてもウガンダ人の彼の英語は僕には少し聞き取りづらい。貫禄のある落ち着いた話し方もあって、質問されても何度か聞き返してしまう。ガラベイヤと呼ばれるワンピースのような服装、頭に乗った小さな帽子から彼がムスリムであることがすぐにわかりました。敬虔な彼は狭い電車内でも1日5回の礼拝を欠かしません。そのためのマットもたくさんの荷物の中にしっかり常備してあり、星を眺めて部屋に戻るとちょうどこの時間にあたって、ドアを開けて引き返したこともありました。これまでの国々ではクリスチャンがほとんどだったので、ムスリムとの対話は初。ザンビアの2人はキリスト教徒だったので、お互いの教義の違いについてよく話し合っていました。


前回述べた「アフリカはみな兄弟だ」と声をかけてくれたのも彼で、所持金のなかった僕の食事も彼が払ってくれていました。何度か断ったこともありましたが、その断りを断り当然のことのように恵んでくれる。「なんで旅をしているんだ?」と聞かれ「仕事に就く前に、自分の目でたくさんのものを見たいから」と答えると神妙な顔をし、僕の年と親元を離れて暮らしていたことを伝えると、彼の母国ではあまりないことのようで驚いていました。お金もろくに持っておらず、彼からしたら若い息子のような年の僕のことを非常に気にかけてくれたみたいです。一夫多妻で2人の奥さんがいる彼には道中何回も電話がかかってきました。3人の娘さんや孫たちの話をするときは何より嬉しそう。「お前はいつ結婚するんだ」と痛いところを突かれ、答えに窮していると妻を選ぶ時に大切な2つのことを享受してもらいました。1つは宗教的なこともあり、僕にはあまり関係のないことでしたが、「家柄でも財産でもなくお前自身のことを愛している人を選べ」という教え、実践出来る日が来ることを願います。


電車がダルエスサラームに到着した午前3時、僕の滞在先が決まってないことを聞いた彼は「自分の予約してあるホテルがあるからお前も一緒にこい」と言ってくれました。朝が来るまで駅舎で過ごし、ATMとWi-Fiを探そうと思っていた僕には願っても無い申し出。出会ってたった3日。そこまでしてもらっていいのかとも思いましたが、彼は何を言っても必ず同伴させようとしたと思います。こうして到着前の僕の悩みは簡単に解決されました。これが綺麗なホテルでベッドも2つあり僕は思いもしなかった心地よい睡眠。


彼はウガンダに帰る途中で、翌朝はホテルの近くのバスターミナルへ行き予約をしました。「もう一泊予約してあるから泊まっていいよ」結局彼のバスも翌日になったのでともに過ごしたのは合計で5日間に。これまで長くても同じ人ととは3日といることがなかったので、すごく安心できる時間でした。彼は日本人の宗教観についてすごく興味があるようで、電車内でも少し聞かれましたが、改めてホテルの部屋で2人でその話題について話し合う。僕なりの宗教観とイスラム教へのイメージを話すと、真剣に耳を傾けてくれました。そして教義にある五行や教えについてわかりやすくレクチャーを受けました。彼の優しさは教えだけでなく、自身のパーソナリティによるところも大きいように僕には思えます。少し話が変わりますが、僕も世界史などの勉強を通してある程度の理解はもともとありました。他の人との対話の中でもそうですが、言ってること自体はわかるけど英語での表現がわからないから聞く手に回ってしまう。教科書にはカタカナで表記されているものも、だいたいにおいて発音が異なるので役に立ちません。世界について学んで、それを生かせる場になると使えない。せめて英語表記と発音で授業がなされたら(そういうところも既にあるでしょうし、僕はもう受験をすることもないので好き勝手に言わせてもらっています)より有用なのではないかと思います。


間違いのないように言いますが勧誘されたわけではありません。彼が大事にしていること。僕も今まで引っかかっていたことを質問させてもらい、丁寧な返答にすっきりしたこともあります。「次なる預言者が現れる可能性はないのか?」「子供の頃に犯した罪の重さ」とかそんなことです。彼らは神様が正しいと言ったことを正しいと、間違っているといったことを間違いとして生活しています。少し羨ましくも思いました。それこそイスラムの教えが何から何までカバーしているわけではないので、彼らにも悩むことはあると思いますが、僕はその判断をいつも自分自身で行い、答えに迷うこともあるからです。それでも僕にはその迷いの中から得られることも、楽しみもあると思っているので今のスタイルが自分に向いているかなと思います。そして僕たちが抱く悩みは住む世界を異にしながらもあまり変わらないように感じました。中には耳が痛くなるような反省を抱かされる文句もありましたが。


こうして彼とはたくさんの壁を越えて一緒に生活をしていました。他の人からは大柄なムスリムの老人とひょろりとした日本人の若造の組み合わせはどう映っていたのでしょうか。大きな背中の後ろを歩くのは、父親といるような安心感が。そんな彼も服の下に鮮やかな緑色のボクサーパンツを履いていたり、果物が大好きだったりと可愛いところもたくさんありました。彼から漂う匂いは独特のいい香りで、まだ僕の鼻にははっきり残っています。昔から思っていることですが、年下目下、そういったことに関係なく相手に寄り添える大人は尊敬します。彼もその1人でした。アモーティがいなかったら、一体どんな悲劇が僕を襲ったかしれません。何より直にイスラームの文化に触れられた、人間同士で向き合った貴重な時間でした。5日目の朝5時のバスで発った彼の荷物を運ぶのを手伝い、チケットのない僕はバスまで行けず綺麗な別れ方はできなかったけれど、彼への感謝は尽きることがありません。


彼の生まれたウガンダ西部ムトーロの言葉で


WEBALE(ありがとう)


日本に帰ったら果物の好きなパパにメロンでも贈りたいところですが、果たして彼の国まで無事に届けることはできるのでしょうか?


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