ハッピー・ホーリー

前日はほとんど寝ただけで終わってしまい、実質これが初日です。ベッドは快眠を取らせてくれて、気持ちのいい目覚め。ドミトリーは他の客が爆睡中、居場所もなく出かけることに。コルカタ、僕が習った時はカルカッタでしたが、やはりイギリスの植民地だったことで知られる街。当時の名残、建物などが観光名所になっています。南アフリカケープタウンベトナムホーチミン、そういった統治下の遺産が名所になっていることはよく目にしますが、今の僕にとってはなんだかなあと言ったところです。今の国家はそんな歴史の上にできているから重要なものでしょうけど、あまり興味は惹かれない。でも行きます。


途中で朝ごはんとして、屋台を見つけバターと砂糖を挟んだトーストとゆで卵1つ。20ルピー(約34円)の朝食後、しばらく歩いて8ルピーのチャイをいただく。いたるところチャイを売っている屋台があり、おちょこのようなコップに注いで渡してくれます。インドらしさ満開の光景、これを飲みながら一服することにはまってしまいそう。2kmちょっと歩くとヴィクトリア記念堂に到着。建物内は博物館になっていて、そこに入るには200ルピー必要。庭だけなら10ルピー。のんびり椅子に座っていたい気分だったので、後者を選んで腰を下ろす。どこにでもたくさんいるカラス、連日フンがかかる。昨日はカケラが頭についているのを帰ってから発見しました。恥ずかしい。この日はサンダルの細いバックルに。そこらへんに落ちてる葉っぱで拭く。この庭がかなり広く、草花が綺麗に整えられ、左右均等に池がある。その中に白い建物があります。とても落ち着けるところでしたが、ベンチや木陰は地元のカップルで溢れている。なるほど、そういう場所なのか。そこらにはたくさんリスがいて、可愛らしい姿を見せてくれました。何匹かいる白鳥の中に、1羽くちばしの上、おでこに当たるところに黄色いコブを持ったのがいて、少し他の鳥たちとは距離がある。みにくい白鳥。植物も日本では見かけないようなものばかりで見始めたら止まりません。いいかげんにそこを後に、次に向かったのはセントポール寺院。中は撮影禁止でしたが、慎ましい雰囲気、聖像はなく古い十字架が1つ、その後ろには一面の画があります。ここもなんだか安心できる場所で人が次々入れ替わる中、ゆっくりしました。ただ高い天井から無数のファンが地面から3mほどのところに吊られていて、全部を強にしたら天井が飛んで行くんじゃないかと、そんな訳のわからないことを考えていました。近くにマハトマ・ガンディーの娘、首相を務めたインディラ・ガンディーの像が立っている。立ち止まって見るような人は誰もいませんでしたが、これが他に見たことないくらい優しい目をしていたのが印象的でした。そして昼食にこちらも屋台でカレーを食べる。ボリュームのあるフィッシュカレー、周りが手で食べるのを見て、僕もその気でいたのですが、気を使われたのかしっかりスプーンを渡してくれました。屋台と言っても道端に台車と気の屋根があるような簡易的、非衛生的なもので、なんの抵抗も感じないことにバックパッカーとしての成熟を感じます。お腹いっぱいになり、値段がわからず100ルピーを渡すと50ルピー帰ってくる。約85円でこれが食べられる。この価格なら腹を壊すようなことがあっても文句は言えません。この時点でかなり満足感があって、穏やかな気持ちの中、安宿が集まっていることで有名なサダルストリートにどんなところであるか興味があったので行くことにしました。ここから全く違った1日になる。


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その通りへ向かう間に、顔体を真っ赤に染めた家族に会いました。そういえば昨日から、いろんな色で汚れた人たちを見かけていた。全く知らず知らず、到着したのはインドのお祭りホーリーの真っ只中だったみたいです。お願いして写真を撮らせてもらうと、ノリノリで写ってくれて、別れ際「幸せの印」と軽めに僕の顔も塗られる。着くなりすぐに声をかけられ、詐欺師がたくさんいると有名なこの通り、警戒しながらも日本人もいるからということでついていく。そこで前日、一緒の飛行機で一夜を空港で共にした方と再会。安心してその輪に入る。奥さんが日本人なんてインド人もいて、かなり流暢な日本語を話す人が3人ほどいる。パーティしようと移動し、おろしたてのチキン、ウィスキーなどを振舞ってくれました。太鼓の音が響き渡る通りで、子供たちは水鉄砲を持って打ち合っている。大人も子供もみんな様々な色が塗られ、どんな顔をしているかもよくわからない。最初はそれを見ているだけでしたが、だんだん僕たち外国人もターゲットにされはじめる。一度荷物を預けて、特に盛り上がっている裏通りに入っていくと染めてあるタオルをぶつけられたり、バケツで水をかけられたりときている服、顔の色は一気に変わる。一度汚れてしまえば、こちらも「もうどうにでもなれ」、地元の子供たちも「あいつは攻撃しても大丈夫」。赤、緑、黄色、紫、ピンク。何層にも渡って顔に塗りたくられる。「ハッピー・ホーリー」何人ものインド人とハグをする。酔っ払った大人たちが太鼓に合わせてダンスをはじめ、馬鹿みたいに笑う。散らかるゴミ、漂う臭気、そんなものは吹き飛んで忘れ、カラフルな世界、汚れていないものなんて周りにはもう何もなくなっている。久しぶりに地元の人たちと時間を共有できた実感があり、この時間は旅中でも一番楽しい思い出になりました。


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残念ながら普段は宗教上の理由で飲まない、そのタガが外れ、徐々にうざさが姿を現わす。インド人は老けて見えるのもあって、30歳ほどだと思っていた日本人論を何度も何度も語ってくるやつが23歳だとわかり、本当にイライラしてくる。そうなってくると日本語を使うというのはもう厄介でしかありません。言葉は壁になるけれど、乗り越えなければならないのと同時に守ってもくれる。本当に楽しめた後でも結局お金の話になるのがいつものパターンで、そうだとわかりながら、どこかで今回は違うかもしれないと期待する、そして結果はいつも同じ。この体験が積み重なると、だんだんフレンドリーな地元の人を信用しない方がいいとは思うのですが、それでは深いところが見えない気もする。難しいところです。どれだけ楽しんだ後でも気持ちよくない別れをすることが多い。「日本人は保守的だから、西洋人と違って本当の楽しさがわからないんだ」言いたいことも分からなくはないけど、ずっとこの人たちといるのが楽しいわけではないんだよな。自由と自分たちのハートの大きさを豪語するインド人。心から楽しむっていうことに慣れていない日本人の方が多いのは事実だと思います。あまりに騒ぐ姿は滑稽に見えることもある。それはまあ個人差もあることでしょうし、それぞれに楽しいポイントは違う。ただそれを国民性で語られるのは納得できません。日本にだってそれを好む人もいるし、インド人が皆それを愛す訳では絶対にない。出会いは易く、別れは難い。こんなことにも慣れたものです。


帰り道、どこもこのお祭りに盛り上がっているのだろうと思いきや、その区画を離れてしまうと汚れている人なんて誰もいない。笑われるならともかく、不審そうな目で見てくる人が多い。子供の中には逃げ去っていく子もいて。「いやいや、あなたたちのお祭りでしょ?」と言いたくなる。世界的に有名なこのイベントですが、その範囲は広いものではないようでした。宿に帰るとオーナーに引き止められ、すごい剣幕で「何するより前にシャワーを浴びろよ」と強めに言われる。思っていた反応との差に戸惑いながらも、まっすぐシャワー。この時には既にほとんど黒と言ってもいいような色になっていた僕の顔、当然ですが落とすのはかなり大変でした。水を浴びると順にいろんな色に染められた水が体を伝ってくる。顔は4回くらい洗顔をして、ようやく大丈夫だろうというところまで落ちました。それでも何箇所かは無理と諦めました。この手間取った作業の間に、気持ちはかなり現実に戻ってくる。どれだけ一生懸命洗っても、ジーンズなどに着いたものは取れなくて、もうこれはいい記念だと開き直り、頑張ることをやめました。


海外の祭りに参加するような機会にはこれまで恵まれなかったので、何より嬉しかった。3日ぶんくらいのイベントが詰め込まれた1日に、帰ったらもうヘトヘト。21時ごろにはベッドに入って休む。まだまだ始まったばかりですが、インド好きです。汚い、煩いにはかなり鈍感になっているおかげだと思います。日本からいきなり飛び込んだら、辟易しているかもしれない。たぶん明日はあまり動かないだろうことは自分がよくわかっています。


WBC開催中ですよね。前評判以上に盛り上がっていて、野球ファンとしては観れられないのが残念です。宿にいる時に試合があると、頻繁にスポーツナビを確認してしまいます。ただこの調子でキューバに連勝することになると、現地に行った時に敵にされ、イジメられないかという心配を抱えているのは僕くらいではないでしょうか?