死と煙

 電車は予定より3時間ほど遅れて到着した。3段ベッドの中段で、その環境にしては十分と言える睡眠をとり、コルカタの駅で買っておいた菓子パンを頰張る。スピリチャルなインドのイメージに、バラナシは大きな働きをしている。「豊饒の海」の執筆のため、この地を訪れた三島由紀夫は、宗教が生活と密接に息づいている光景に驚いたと言う。聖なる川、ガンジス川が車窓から見えた時の喜びは、旅の中でもしばらく味わえていないものだった。想像してたよりは、橋の上、少し高いところから見ると綺麗であると思う。僕の真下、下段にいた韓国人の女性とともにプラットホームに降り立ち、新しい日の空気を吸う。早速リキシャーの価格交渉に入るのだけど、韓国人、女性、頼もしい連れのおかげで、僕は無口のまま安く街に行けることになった。サイクルリキシャー、つまり人力で運んでもらう。大きなバックパックを背負った2人、運転手のオヤジはかなり辛そうに、汗を拭いながら進んでいった。コルカタに比べると道が狭く、我先に進みたがるインド人と合わさってクラクションは止むことを知らない。ましてやゆっくり進む僕らの足は、批難の轟音を浴びる恰好のターゲットになる。あまり遠くないところで降ろされ、そこからは乗り物は入れないらしい。100ルピーで最後まで納得いかない顔の運転手さん、お疲れさま、さようなら。


 歩き始めると、こんなところでも頻繁に日本語で声をかけられる。そういえば先日、サダルストリートで一緒にいた流暢な日本語を話す人々は名高い詐欺師だったらしい。ネットに写真まで上げられているのには驚いた。ほどほどに別れておいたのは正解だったらしい。やっぱり話しかけてくるやつは危ない、旅をした人が必ず持ち帰る事実の1つだと思う。この区域はさっきまでとは違い、交通がバイクくらいしかないので安心して歩ける。車道も歩道もないようなほとんどの道は、歩くだけでかなり神経を使う。そして多くの人がイメージを持っているであろう、やっぱり汚いガンジス川が目の前に広がる。たくさんのボートが寄せられ、歴史を感じさせる建物が川に沿って並ぶ。薄眼で見たら美しいところなのだが、現実は牛、牛、牛の糞、ゴミ、ゴミ、ゴミの臭い。これぞ完全にインド。


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 どうやら予約していた宿は更に2kmほど降ったところにあるらしく、失敗したと思いながらなおも進む。すると初めてくる街で自分の名前が聞こえた。空港、コルカタでもご一緒した方と3度目の再会。僕が追いかけるような形になっているので不思議ではないが、運の巡り合わせを感じる。すでに2日滞在され、慣れたこの方に街を案内してもらう。そこには噂通りのバラナシがあった。迷路のような細い路地が、人、バイク、牛で溢れ、心地よいリズムでは歩けない。この国に来てからはそこら中に落ちている牛の糞、本体の大きいのは流石に避けるけれど、小さいものはもう気を使うのが馬鹿らしくなるほどそこにある。よって頻繁に踏んでいるだろうと思う。それを踏んだからって「うんこまん」とからかってくる同級生たちは、今は、そしてここにはいない。グルメのことなど、1つの知識も持ち合わせていない僕。ありがたいことにラッシー屋に連れていってもらう。ここは1日に2〜3000杯も売り上げると言う有名店。狭い店内に体の大きい西洋人がぎっしり詰め込まれている。日本人2人、臨時の椅子を出され、狛犬のごとく入口の両側に陣取る。種類も豊富に用意されていて、迷った時には必ず選ぶストロベリー。がなかったので、ブルーベリーアップル。名前はとにかく、実際どんなものかもわかっていなかった。しばらく待って持ってこられたのは、ヨーグルトのような、食べるのか飲むのか、その中間にあるもの。スイーツとは離れていたから、とても美味しかった。


 そして進むと火葬場がある。ヒンドゥー教の聖地。ガンジス川で死ぬことが、教徒にとっては1番の幸せであるらしい。各地から死を間近にした人々が最後の財産を叩いてまで訪れ、喜びの中に眼を閉じる。この地域には火葬場が複数存在している。狭い路地にいても、5分に1度を上回るようなペースで、遺族が担ぐ飾った担架のようなものの上に置かれ、無になった身体が運ばれていく。24時間燃やしているところもあり、この行進は唄を歌いながら行われる。慣れない旅行者には睡眠の妨げになるだろう。観光客でも燃やすところまではっきりと見ることができる。日本のように個室や室内で営まれるわけではなく、剥き出しの岸辺に、いくつも木が組まれたものが並び、1度聖なる水で清められた死体はそこに置かれる。同時に複数の人の死に赤い火が配られている。最初は黄色だった煙はゆっくりと色を黒くし、運ばれていく。風に乗った人の死を浴びる。全く知らない人の最後を浴びる。人生の中で最も特殊な体験の1つだった。煙は止み行き、燃え尽きて、残った灰は川に流される。そして彼らの幸福は約束される。目の前にあるのは自分にとってシュールとも言える光景、言葉はでない。流石に写真は禁じられ、自撮りに励む旅行者もいない。旅の中で、これだけ厳粛さを感じられる場所はなかった。一日中煙が上がり続ける、火葬場のためにある街、火葬街。1つのことを文化、習慣とは言え、ここまで守られていることに大きな感動がある。


 文字通り神聖ながら、あたりは変わらずゴミだらけ。そのまま放っておける精神は理解できないけれど、インドらしさと言えば納得がいく。それでいて美しいと感じる心が確かにあった。この一角には女性がいない。過去に夫の死に、焼身自殺をする、迫られる妻がいたことから、今は女性は船の上からとなっているようだ。最後に側にいてほしいのは、どう考えても連れ添った妻であるように思えるけれど、これは堅く守られている。おかげで岸はかなりむさ苦しい。1番見たかったもの、初日からしっかりと留めることができた。ちなみに妊婦や障害を抱えた人は焼かれずに重りを付けられ、沈められる。地元の人々は当たり前のように沐浴をし、日本人的な感覚だとむしろ汚しているのではないかと思う、この川で洗濯をする。伝統とは、その地に育ったものにしか理解のできないところがたくさんある。それが強烈に残るこの街に、日本人をはじめ、旅行者は特別な感慨に浸るのだと思う。こうして今のところはすっかりインド肯定派なのである。


 休憩に石段に腰を下ろして、暮れゆく街を眺める。だんだんと昼間とは比べものにならないほどの人々が集まり始めて。カーストバラモンに属する人によって、礼拝が毎晩行われている。男たちが歌いながら、火を手に舞を繰り返す。現代のスピーカー、電飾などは用いているが、どれだけの時間、これは継承されてきたのだろうか。踊り、そしてそれを真剣に見守る人々のつくる表情は、ずっと変わっていないのだと思う。偉そうに言うが伝統舞踊を心底楽しむには、若すぎるのか、あるいは僕の感性はそこまで豊かではないのか程なく飽きる。ずっと立っていたので疲れ夕食へ。1人ではなかったこともあり、初めて屋台ではなくレストランと呼べるようなところに入る。インド初のビールと共に。ネパールにいる時、ほぼいつも食べていた国民食モモ。向こうでは主流のバッファローモモは食べることはできないので、ベジタブルモモ。そしてガーリックフライドライス。気がつけばベジタリアンのような生活をしている今日この頃。体に変化は今のところまだない。ゆっくりと食事を摂られることへの喜びは、感じずにきた。どんなことでも少しを間を取ることで、特別なことのように感じられる。このことは帰国後も忘れてはいけないことだと思う。到着したのが昼過ぎ、そこからかなり濃い1日を過ごした。そろそろ帰ろうか。


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 深夜、一緒にいた方から嘔吐と下痢に苦しめられているという連絡が来た。数時間前まで元気で、昼からほぼ同じ物を食べていた。自らを心配してみるものの、多少弁が水っぽいくらいか。昔からお腹が弱かった気がするが、どこかで鍛えられてきたのか。ほとんどが泳いだ末に謎の病にやられるというガンジス川、自分ならばと危険な自信が膨らんでいく。