そして優しいジンバブエ

(前回までのあらすじ)

ヨハネスブルグを後にし、ブラワヨを目指した僕に立ちはだかった危機。ビザ取得に必要なUSドルを持っていない。入国させてもらえるのかも定かでなく、パニックに陥る。そんな僕の不安を尻目に、バスは徐々に入国審査場へと近づいていく。


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大丈夫でした!そして僕は2カ国目となるジンバブエにいます。一度止まった休憩所でも換金所を探しましたが、あるはずもなく。何人かにドルを持ってないかと聞いてみるが、返事は全て「No」。そしていざ入国審査場へ。バスを降りる僕は腹をくくって、とは言ってもたくさんの黒人が入国を求めてか、たむろしているその場所を見て「もしここに取り残されたら」と恐ろしくなる。そんなベリーブルーな気持ちで列に並んだ僕に久しぶりに天使が降臨しました。10歳くらいの少年が札束を持って、列にいる人に声をかけている。一番上は10ドル札。天にも昇る心地。おそらく少し高い値で換金して稼いでいるのでしょうが、たかが数百円の損でなにより欲しいものが手に入る。これだけなに何かを求めることもそうないです。とりあえず一命をとりとめました。かなり難しいオペだったと思います。かくしてその少年は若くして1人の人間にっての命の恩人となりました。めでたし、めでたし。


ともいかず、その次の入国審査では再び苦闘します。アジア人の入国が厳しくなっているのか、もともとか。かなり丹念に調べられます。アフリカンタイムと相まって耐えられないくらい長く感じる。他の乗客は全て地元の人だったようで難なく手続きを終えていく。この期間でかなり日焼けした僕は心はサムライと言えど、容姿は西へ西へと寄っている。ヒゲも伸びて我ながら怪しいかもしれない。そして書類を書くのにも、日本のように見本などはないから一苦労。ここで1人のおじさんが助け舟を出してくれ、全てを埋めてくれる。滞在先を聴かれて僕が「ちょっと調べなきゃ」というと「大丈夫」と適当に書いてくれた。意外と緩いのか?本当にありがたい、素晴らしいと思って受付に持っていくと。この滞在先のジェイムソンとは何者だと聴かれる。もうこの時は本当に終わったと思いました。それでも必死に誤魔化し、スマホで行き先を探して「ごめん、間違えた」と書き直させてもらいました。どんな間違えやねんと相手の目は更に厳しくなる。


まあでもなんとかなるんですね。やっとの事で手続きが終わる。バスのある場所に戻るがそこにはいなくなってる。泣きそうになる。泣きそうになりながらやけくそに周りの人に尋ねる。少し離れたところに停車していました。ああもうなんて日だ。


今までの記事を読んでいただき、どんかイメージを持っていただいているかはわかりません。実際にはとても小心者の僕は、毎日1回以上涙目になりながら過ごしています。それでもなんとかやっています。少しずつ鍛えられているかもしれません。この日は特にボロボロでしたが。


バスに戻った時も、僕だけパスポートを確認される。ちょっと悲しい気持ちにはなるけど、彼らも自国の安心を想ってのことでしょう。しようがない。


そして僕はジンバブエに入ったのでした。入国さえできてしまえば、18時間あまりに及ぶバスもあまり気にならず休めました。汚くはないけど、少しのものを入れる場所もないし。日本と比べればそれまでですが、まあまあでした。


2004年までイギリス領で、経済の崩壊、スーパーインフレ、最貧国。最近でも新札を発行するもすぐに失効してしまったというニュース(ドルを求めて、到着後かなりの銀行をまわったり、ATMを探したりしましたがどこも人で溢れて、未だにドルは手に入っていません)で新しいジンバブエ


しかしすぐにこの国の魅力に取り憑かれました。バスから降りて徒歩で2時間の宿への移動とその道中について次回は書こうと思います。前もって言っておきます、ジンバブエ最高です。


ではまたー