変身

何かが変わりました。それがなんだかよくわからないけれど。今までと違うところに力の入る顔。これは進化か退化か。


タンザニアに来てから今日が4日目でした。2日間はアモーティとホテルで、それから海の近いホステルに2日間滞在しています。スワヒリ語が主流のここでは、僕の言語ブロークンイングリッシュと新しく「マンボー」「ポワ」「アサンテ」が追加されました。順に"How are you?" "Great.(たぶん)" "Thank you."この3つがあればなんとかなります。まだ英語も多少使えますが、話せるかが相手の受けた教育を測るバロメーターの機能をしています。観たのが15年以上前なので僕には出てくる記憶はないのですが、「ライオンキング」で有名な「アクナマタータ」もスワヒリ語。この言葉を僕はジンバブエでおばさんに、「アフリカにいる間はこの言葉を言っていればどうにかなる」と教わりました。


この国に来てから感情的になることが増えました。ときには喜び、感動をそして怒りを。感動は前回書いたことにも起因します。昨日は昼過ぎからインド洋を眺めながらのんびりしていました。世界のどこにいても海を見ながらビールを飲んでいる時間がなにより至福です。そこでウィットメリーという学生に出会いました。何とは無しに足を水につけていたところ海水浴をしていた彼が近くにいたので話しかけて、日本人だと伝えました。「日本の友達、こんにちは」彼は学校で日本語を習っていたらしい。お互い第2外国語の英語で2時間ぐらい話し込みました。「スワヒリ語には母音が5個しかないから、英語を学ぶのは難しい。一番の練習は実践することだと先生に言われてる。」どこかで聞いたことある話だ。日本との共通点の多さに話は盛り上がりました。タンザニアダルエスサラームについても現地人の彼から教わるのは貴重な経験です。気候や教育システムについて討論する。そしてタンザニアの抱える問題も。首都であるこの街には全国から人が集まり人口が多いぶん、危険があること。多くが教育も受けておらず、仕事もしていないこと。タンザニアは122もの部族が入り混じっているそうです。中には有名なマサイ族の名前も。はっきり意見を持っていて、知識も豊富、ヒゲの似合う彼を僕は年上だと思っていました。聞くとなんと19歳。別れ際には旅行者の僕がどう行動すればいいか、危ない場所、対処法など親身に真剣に教えてくれました。旅の醍醐味です。すごく充実した時間でした。



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最初に滞在したホテル周辺


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ダルエスサラーム中心部



怒り。海に着くまで、滞在していたホテルから次のホステルへ。玄関の近くに駐車していたタクシーに乗りました。ウィットメリーの言っていた、英語を話せない人間は信用しないほうがいい。これを先に聞いておけたらと思いました。RPGのモブキャラにいそうな顔をしたこの運転手。人は良さそうだったので信用しました。ホテルの名前と住所を見せる。大丈夫だと言って発車したタクシーは20分で着く距離を結局2時間かけて到着しました。と言うのもダルエスサラーム周辺はかなり道が入り組んでいます。通りにはついたようなことを言っていましたが、初めは教会のようなところに連れて行かれる。道中、何度も止まって計20人以上に場所を尋ねたと思います。途中痺れを切らして、「Wi-Fiがあれば地図を見せられるから」と歩道にいた人たちに声をかけ使える場所を教えてもらいました。こっちは使わせてもらうことにお金を払う覚悟をして地図を見せたのに、彼はそれでもたどり着くことができませんでした。このWi-Fiを使わせてくれた人が親切なのか暇なのか、タクシーに乗って一緒に探してくれました。それでも時間がかかりましたが、ようやく目的地に。手伝ってもらったぶん、3000円ほど支払わなければならなくなりました。途中でイライラしてしまい、「大丈夫だから」という運転手の言葉を受け流していました。スワヒリ語を使えない僕にも責任はありますが、タクシー運転手として地図くらい読めてもらわないと困ります。この気持ちはホステルの親切なオーナーと海での出来事で静まりました。


今日は朝から街の中心へ出かけました。ホステルからすぐのところで3輪のタクシーに15分ほど乗り、そこから1時間歩いて中心にたどり着きました。途中でお腹の空いた僕は中華料理屋を見つけて朝食兼昼食を摂る。街ではほとんど見かけない中国人がここにはたくさんいて驚きました。店内は僕以外20人ほどの中国人でいっぱい。母国語を使って話している中でちょっと肩身の狭い思いをしながらも、こちらに来てインスタント以外で初の麺料理。中華料理の脂っこさが懐かしく、そして美味しい。これも久々に温かいお茶が机に置いてあったので、暑くて汗が止まらないことも構わず何杯も飲みました。満たされた。中心はさすがに一国の首都と言うだけあって綺麗な道路に高さのある建物がたくさん並んでいました。前のホテルの中心は低い建物ばかり、道端でものを燃やしていたりするような光景が当たり前だったので差がすごい。スーツを着た日本人も何度か見かけました。自分が汚い身なりをしていたので話しかけはしませんでしたが。


そうやって歩いていると1人の男が声をかけてきました。年は僕と同じくらい、見た目は学生という感じです。でもやっぱり身なりで彼の目的がわかります。コンゴ出身という彼、英語も話せたので一緒に歩きながら話していました。正直ここについて僕の知識は0だったのでただ歩いて帰ろうと思っていたのですが、彼が案内してくれるらしい。途中から相手からの質問が尽きて、口数も少なく歩いてることからもこいつの目的は僕との交流でないことは明らかでした。かなり歩いて魚市場に着きました。たくさんの魚が並ぶのを眺めながら、人の溢れるこの場所を散策。臭いがきつくて長居はできなかったけど、確かに地元の生活に触れました。それからマーケットに行こうと言われ、まただいぶ歩く。ここはまた人と車が入り乱れ、なかなか前に進めない。道沿いにたくさんの商品が並んでいる。なるほどこれが現地の生活かとわかったことは良かった。見たことはとても嬉しいです。しかし異国での生活に慣れてきたからか、それは当然のようなことに思われました。驚きはほんの少しで、まあこんなもんだよなと。変身。何か今までと違う感覚。歩いていると「チナ」とよく声を掛けられました。今までなら笑顔でかわすところでしたが、今日は「違う、俺は日本人だ。よく覚えとけ。」僕がどこ出身にしても、挨拶もなくまず国名で呼ぶことがなんとも失礼に感じました。しかも間違えてるし。彼らに悪意があるとは思いませんが、癪に触る。今まで外国人として街を歩いている僕は極力朗らかな顔をして、いろんなことに柔和に接していました。そこから得られたものもあります。しかしこちらからして無意味な接触の多くは、奥に目的があることがはっきりとわかります。僕に何かを買わせたり、お金を取ること。

思いました、


男が笑うのは、微笑みかけられたとき、可愛い子と目があったとき、子供・動物が相手のときだけでいい。他にもある気がするけど、まあいいや。どう見てもスワヒリ語を解さないイエローモンキーの僕に道で声をかけて何になるっていうんだ。ましてや男どもが。お金が目当てなんでしょ。そんなことこっちだってわかってるんだよ、バカヤロウ。


この1ヶ月、誰よりも道端で人に声をかけ世話になりまくっている僕の言えたことではないです。先に進もうとするコンゴ人の青年に「時間だから」とお礼を述べる。わかっていたことです。決して高圧的にではないけれど、彼はお金を求めてくる。序盤にお金が目的じゃじゃないのか聞いて、彼は違うと答えました。「俺は君に案内を頼んだ覚えはないよ」引き下がらない彼に「君は何歳なの?」と尋ねます。僕の1個下だという彼に「年齢も変わらないし、君と俺のなにが違うっていうんだ」「でも僕は故郷を離れて、1人で暮らしてる」「そんなの俺も一緒だよ」強めにいうと彼は諦めたようでした。彼のおかげでこの街をよく知れたことにとても感謝しています。ただ彼にはこのためだけの関係であったと割り切って、直ぐにお金を渡すという気にはなれなくてきついことを言わせてもらいました。「君のおかげでいい時間を過ごせたよ、ありがとう」思ったことを伝え多くはない金額を彼に渡す。アフリカで僕がもらったものに比べればとても小さい。彼はハグを求めてきました。きっと僕には無い苦労を彼が抱えていることは想像に難くない。でもそれをただ受け入れるのも違うと思います。こんな熱いことを僕はアフリカで演じています。ツンデレもいいところです。正しかったかはわかりませんが、後ろに引きずるもののない別れかただったと思います。


このような感情を習得したのか、一時的なものなのかはわかりません。変化は絶えず訪れるはずです。最終的に成田空港にどんな顔をして降り立つか、楽しみです。


日本から遠い地にいてもクリスマスを前に少しソワソワしています。キリマンジャロセレンゲティ国立公園など観光地の豊富なタンザニア。すごく憧れはあるけれど、どちらも最低10万円以上費用がかかります。今の僕には10年早い。1月1日からケニアで3週間ボランティアをする予定です。それまでの間、ソワソワを手の届くリゾート地で抑えることにしました。これが旅の1つ目の区切かもしれません。明日僕はフェリーに乗りザンジバル島に向かいます。


自然豊富なこの島で質素にゆっくり過ごし、1回充電します。

おやすみなさい!