この身を任す

タンザニアはもともとタンガニーカと言われる本土にある土地と、ザンジバルと呼ばれる50以上の島に別れていました。それが統合されて今のタンザニアという国家があります。その名残か、島に入る際は他国に行く際と同様にパスポートに判子を押されました。今日はタンガニーカに帰る。


朝8時に目覚め、朝食を食べました。たまに宿泊費の中に朝食が含まれているところがあると、朝からしっかり栄養が摂れて助かります。荷物を求めて最後にもう一回だけ海を見にいきました。これで見納め、果たしてこの景色をもう一度眺めることはあるのか。10時には宿を後にして港に向かうダラダラを待つ。この交通機関、時刻表も存在しなければ停留所もありません。側道に立ちひたすらに来るのを待つのみ。道路沿いにある店の主人が「来るからここで待ってな」と椅子を出してくれる。12時半出発のフェリー、宿の人は1時間からさいやく2時間かかると言っていたのであまり余裕はない。だから落ち着かない。なかなか来ないので何度か主人に大丈夫か確認する。彼は笑って大丈夫というから、待つしかありません。20分ほどで乗ることができました。椅子を数えたら14あり、そこに人が乗り降り。多い時には20人近い人が乗っていました。ポリタンクを椅子がわりにしたり、かなり席を詰めたりして。女性は顔を隠したムスリムの方がほとんどなのですが、この人たちが品のひったくれもない。こっちが可能な限り小さくなって座っている隣で胡座をかいている。これがここでの座り方の文化と言わんばかりに、そんな女性2人に挟まれた僕は不満顔を作ってみたりする。男性はみんな小さくなって座っているのに。挙げ句の果てに「これから病院に行くの。助けて。」とお金をねだられる始末。スワヒリ語がメインのタンザニアで流暢な英語を話す女性にはあったことがありません。そういう境遇に置かれているのかもしれない。降車時に金額も言われず300円ほど渡したら、すんなり降ろしてくれました。一体本当はいくらなんだ?


そこから港までは何度も人に尋ねながら15分ほど。なんとか間に合いました。アフリカに来てから列に並ぶ際、区画なんてまるでないので当たり前のように横入りをされてなかなか前に進めません。今日も乗船手続き、フェリーに乗り込む時何度も抜かされました。ダルエスサラームザンジバルを結ぶフェリーは2種類あって、いきと違い帰りはかなり清潔感のある船内でスピードも速かった。おまけにデッキがあって風に当たることができたので、酔わずにすみました。2時間で到着。前に宿泊していたホステルをまた予約して、ダラダラの安さの虜になった僕はその方向へ向かう車を探して街を歩く。そこで先日、熱いやりとりを交わした前述のコンゴ人20歳に会いました。相手は嬉しそうに近づいて来てハグを求めて来たけど、こちらとしては全くもって喜べない。やっぱりお前、いつもこういうことしてるんだな。おかげでダラダラは見つかりましたが、これからの予定について来ようと試みる彼を振り切り出発。


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これで万事オッケーと思いきや、ダラダラは僕の目的地からだいぶ手前の地点で停車。乗客は全員降車し、僕1人だけが取り残される。運転手さんにしっかり場所は説明したのですが「お前の行きたい道は通らない」話が違うと思いましたが、親切にも他の移動手段を教えて連れて行ってくれる。目の前に現れたのはバイク。行き先を伝え、住所と地図を見せてもなかなか理解されず、周りには10人以上のタンザニア人が集まりスワヒリ語であーでもない、こーでもないと話し合う。入り組んだこの国の道路をしっかり把握している人はもしかしたら1人もいないのかもしれません。バイクもこの街には立派な交通手段として存在していて、道を歩いているとよくクラクションを鳴らし「乗ってくかい?」と合図されましたが、拒絶してきました。それというのも、僕はバイクの2ケツが苦手だからです。僕は基本的にスリルというものを人生に必要としていません。ジェットコースターもお化け屋敷も苦手です。速いものが向かって来るのも、自分が速いスピードで進むのも、覚えるのは恐怖ばかり。それでもホステルまで100円で連れて行ってくれるというし、タクシーに乗ると割高になるので乗ることを決心しました。ヘルメットもない、思いバックパックを背負っている、サンダルを履いていて今にも脱げてしまいそう。「あーきっと横転したら死ぬだろうな」と思いながら、そんなことはお構い無しに車の間を疾走するバイク。髪は激しくなびき、目を開けることもままならない。幸い10分ほどでこの地獄からの解放。何度も行き来したこの道は既によく知ったものだったので、難なく宿に着くことはできました。


「明日ケニアに行くから今からそのチケットを取りに行きたい」と伝えると、顔なじみのオーナーは平気な顔で「明日5時に起きて、バスターミナルに行けば当日で取れるから大丈夫」どうやら僕は明日5時に起きなければならないみたいです。少し日も暮れてきたし、まあいいかと納得はしましたが、果たしてどうなることやら。今まででの滞在先の中でも有数の清潔感をたたえたこのホステル、それもあって僕もまた戻ってきました。しかし周りにレストランがほとんどないことが難点。しょうがなく前にも一度訪れた歩いて10分ほどのところにある処へいきました。何度か前を通っても、自分以外の客を見たことがないこの名ばかりのレストランで前と同じものを注文。日が暮れて、電灯もない中、鶏肉のトマト煮とフライドポテトを食べる。この鶏肉は半分以上が骨で、日本ではほとんど食べない部位なんでしょう、口に入れると石を口にしたようにジャリジャリいいます。人目を気にする必要もなく、基本的に食べづらいのもあって、日本でしたら友達が減りそうなスタイルで完食しました。どうか勘弁してください。こんな500円の料理が僕の夕食です。


そしてまたホステルに帰って、日本での詳しい成り行きはわからないけどSMAPの音楽を聴いて感傷に浸りました。


"あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ...

全てが思うほど うまくはいかないみたいだ"

(SMAP夜空ノムコウ」より)


こんな未来は今年に入るまで予想もできなかったし、確かに上手くいことばかりではない。上手くいくことなんてほとんどありません。それがまだ笑えるほどで済んでいるからいいものの、笑えるままで終わりたいです。 


子供の頃から身近にいた彼らとその音楽は、自然と歌詞を諳んじているものも多いし、思い出と共にあります。カラオケに行きたい。


明日は再び国境をまたぎ、16時間かけてケニアの首都ナイロビへ。この国は他のどの国よりも僕には大事な意味を持っています。全ての始まりがそこにあるからです。近日中にこのことは書きます。すごく胸が高まって、寝られるか心配ですが、5時起きなわけです。もう直ぐ12時、そろそろ夢の世界に入らないと危ない時間。今日はこの辺で。


おやすみなさい。


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