インド洋に浮かぶのさ

まずはじめに、ここのところブログを書けていなかったことにクリスマスは関係ありません。現実逃避でも、どうせ聖夜に俺のブログを読む人間なんていないだろうなどという気持ちも微塵も持っていませんでした。本当です。ネット環境はありSNSYouTubeは何の問題もなく利用できるのに、ブログやニュースサイト等は接続できない。そんな奇妙な状況に置かれ、どうしても更新することができませんでした。みなさんのクリスマスはいかがでしたか?僕にとっては例年、「来年こそは」と思う日であってそれ以上でも以下でもありません。今までとは遠く離れた場所で迎えましたが、何か特別なことは一切ない。美しい砂浜から徒歩1分のロッジで過ごした日々について。


アフリカ各国でもクリスマスが近いからと電飾で彩られた風景、ツリーはよく見かけました。浜辺で知り合ったムスリムの男性は「俺たちには関係ないことだけど、とりあえずパーティをする」僕たちと一緒です。当日は都市部から離れたビーチで迎えたので、どのような盛り上がり方をしていたのかは見れませんでした。アフリカのクリスマス、黒人のサンタ、少し興味はありました。


これがあればよかったと思うもの、忘れ物などは特になく満足していたのですが、水着。ゲストハウスにはプールがあることが普通だし、こんな綺麗な場所に来るなら必要不可欠です。到着初日は海の青さに驚かされ、どうしても泳ぎたくなったので寝巻きにしているパンツを履いて潜る。波も穏やか、水温も温かく1人で浮いていました。何をしているんだろう。ふむふむ日本の海より塩気が弱い。20分くらいで満足しました。それからは日本の夏場に作ったタンクトップ焼け、旅中に極端に焼けた顔、首、手とのギャップを埋めるために上半身裸でひたすら陽を浴びる。途中、何度か物売るマサイ族に起こされながら。この浜辺にいると何人ものマサイ族に出会うのですが、僕は怪しんでいます。タンザニアには100以上ある部族の中で、ここにいる人々8割は自称マサイ。日本人でも彼らの名前は知っているくらい有名、きっと世界的にもそうでしょう。それを知ったタンザニア人、物を売るためにキャッチーなマサイ族を装っているのではないか?これはあくまで推測であり、真実はわかりません。


ここにつく2、3日前から少し体調を崩していました。初日の夕食はスープとパスタを食べたのですが、なんともしんどかった。それでも完食する必要以上のサムライソウル。日本にいる時の体調不良の原因は「あれを食べたからだな」「あの時少し冷えたから」と思い当たりますが、ここにいると全てに原因がある気がしてきます。食べ物、昆虫、風邪。わかりません。それが続いた24日は動くのも億劫だったので、宿で休むことにしました。1人でいるばかり、気も弱るので日本の友人たちにライン電話。多くがこのブログを見てくれているようで、想像してた以上のアクセス数の多くはきっと彼らがつけてくれているんですね。ありがたいばかりです。そして日本語の力。かなり元気になりました。結局、距離が離れていても助けてられてばかりです。変身して以来、普段ではない程気を張っていたので少し疲れていたのかな。慣れないことをするのには、最初体力が必要になります。ストレスによるところも大きな要素だったみたいです。これが僕のクスマスイブ。付き合ってくれたみなさん、ありがとうございました。夜は1人で浜辺にいき、電灯がないため途中で何度か木の根に躓きながら。腰を下ろす場所を見つけ、あとはひたすらに空を見上げる。流れ星流れた。そういえば昔は星に願うことを当たり前だと思っていたけど、いつからかただ見て楽しんでいます。理系の知識に乏しい僕には冬の星座と呼ばれるオリオン座がアフリカで見えることが不思議です。贅沢な夜でした。


25日。せっかく浜辺が東側にあったので、叶えたかったのは朝日を見ること。前日早く寝ていたこともあったので起床した5時に日の出の時間をチェック。2度寝はちょうどその時刻と同時に覚め、走って海を目指しました。この瞬間、アフリカ大陸で走っていた日本人は僕だけではないでしょうか?見れました。ほとんど人のいない場所、正月のような気持ちで迎えたクリスマス。この綺麗さを伝えるのは写真に任せます。そういえばほとんど空と海しか見ていない。


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この日はそれまでよりもロッジに人が増え、8人部屋をドイツ人のお姉さんと2人で使っていたのも、この日から6人に。ここでも飾り付けがされたり、特別なツアーが用意されたり、特別な日である雰囲気は感じる。昼になっても滞在しているのは僕くらいで、各々どこかに出かけていきました。12時を過ぎた頃、ようやく僕もノートとボールペン、ビールだけを持って海へ。浜辺を10分ほど歩けば人の集まるエリアがあるけれど、そこまで行かず。白い砂浜と打ち上げられた黒い海藻とのコントラスト。エメラルドグリーンの海。1つとして同じ色のない貝殻。穏やかに寄せてはかえす波の音。何か大切らしいものを探します。基本的に3日間この300mほどの移動しかしませんでした。あまりに綺麗な光景を前にすると思考は止まり、頭は空っぽになります。それに足りるだけの場所でした。強いていうなら、散らばった海藻は美のリミッターになりますが、味噌汁は豆腐とわかめ派の僕に文句を言う資格はありません。


足を波にさらす。視界は空と海だけになる。

僕の見ている世界はどこまでも青いけれど、描くには千の絵の具が必要だ。


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夜は特別な夕食が組まれ、20種類ほどの郷土料理をビュッフェスタイルでいただきまし。伝統舞踊と題された演目は、酒とタバコを片手にした男たちが、楽器を演奏する3人の周りをひたすらに回っているだけ。衣装もなく、幼稚園のお遊戯にも届かない。ましてや一生懸命さは1/2000もない。ほどほどに楽しみ部屋に戻って休みました。こうして僕のクリスマスは終わり。12月に太鼓の音を聴いたことだけがおもしろく思われます。


僕がこの旅をはっきり胸に抱いたのは今年の5月2日。早いものでもうすぐ8ヶ月がたちます。出発からは間も無く1ヶ月。まだまだ先もあるけれど、思い浮かぶ風景の少なかったアフリカでこれだけの期間過ごせたこと、心持ち次第でとても感動的です。


またしばらくの移動期間に戻ります。日本から遠く離れた場所で一度体調を崩し、そして今はまた元気です。ザンジバル島を選んだこと、正解でした。その景色を深く記憶の中に留め、いざ5カ国目ケニアへ。